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第一章
3-1.ルシアンの言いつけ
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ハーブ畑も抜けて森の中を駆け抜けていると、不意に頭上から影が落ちてきた。
「──っ!?」
腰をがしっと力強く掴まれる。
体が前に傾いて転ぶ、と思えば、足元から地面の感触がふわりと消えた。
「アマネ!」
耳元で、聞き慣れた低い声が弾けた。
ギルバートだ、と理解するより先に、視界から森の地面が遠ざかっていく。
体が重力を失ったように軽くなり、宙に浮いていた。
荷物でも担ぐような仕草で片腕が力強く腰にまわって掴まれる。
もう片方の腕が背中を支え、体がぐるりと持ち上げられたかと思うと、次の瞬間には木々の梢が足元に流れていた。
冷たい風が勢いよく頬を打つ。
全身を包む浮遊感。ギルバートの浮遊魔法だ。
「……っ、ギル……っ?」
かろうじて名前を呼ぶと、横顔だけがちらりとアマネを見た。
血のような赤い瞳は、いつもの薄ら笑いではなく、剣のように細く尖っている。
「結界が破れた。嫌な予感がしたから見に来たらよ……森ん中、竜まで落ちてやがる。おまけに人の気配も……おまえ、何があった?」
低く押し殺した声。
怒っていると言うよりは、焦燥感や苛立ち、心配をまとめて飲み込み押し殺したような声音だ。
アマネは口を開こうとして、ひゅっと喉から情けない音を漏らした。
「……っ、は……っ、ちょっと、待っ……」
うまく息が吸い込めない。
胸の上に先ほど刻まれた「祝福」の代償である“黒紋”が、じくじくと焼け付くように疼いている。
熱が血管を逆流し、手足の先までしびれを起こしていた。
ギルバートの腕の中で、その外套にしがみつこうとして、指先に力が入らないのが自分でもわかる。
「おい」
短く呼びかけられる。返事をしようとして、また咳き込んだ。
ギルバートの眉間に、ぐっと深い皺が刻まれる。
「……まさかお前」
赤い瞳が、アマネの顔から胸元を射抜く。
シャツの下で、黒い紋様がじわりと熱を持っているのを、アマネ自身もはっきりと感じていた。
「『祝福』を使ったのか?」
風の音の中でもはっきり聞こえる低い声。
アマネはかろうじて首を縦に動かした。
「……う、ん……」
はっ、と呆れたような鼻で笑う音が降ってくるが、対照的にギルバートの眉が厳しく寄せられていることはわかっている。
それよりも先に、今伝えなければいけないことだけは、どうにか言葉にしなければと思う。
「ごめ……っ」
唇が震えて舌がうまく回らない。
頭の中がぐちゃぐちゃなのは、おそらく代償のせいだけではない。
「髪も……目も……みられた……っ」
絞り出すように吐き出すと、ギルバートの背中に回る腕がグッと強くなった。
驚愕に見開かれた赤い瞳。
次の瞬間、焦れたように舌打ちが落ちる。
「……チッ」
風に煽られていたフードを、乱暴だが慣れた手つきで深く被せ直される。
黒髪と黒い瞳を覆い隠すように、ぎゅっと前を引き寄せられた。
「誰に」
短く鋭く問われる。
アマネは、炎のような赤い髪と、去り際に焦ったように見開かれた浅葱の瞳を思い出す。
「竜騎士団、の……団長……」
震える唇をキュッと噛み締める。
ギルバートが何かを思い出すように視線を宙に漂わせる。
盛大にため息を吐いて、「ロアンの野郎か……」とつぶやいた。
「……最悪だな」
続いた吐き捨てるような言葉に、アマネの肩がびくりとこわばる。
「……っ、ごめ、なさ……ごめんなさ、い……っ」
アマネの声色が怯えたものに変わり、切羽詰まったように謝罪を繰り返す。
するとギルバートはハッと気づいたようにアマネの肩を掴み、正面から向かい合うようにして顔を覗き込むようにした。
「ああ、ちげえよ。お前に言ったんじゃない。よしよし、いいから」
ギルバートは慣れた手つきでアマネの頭をフード越しに乱雑に撫でた。
そのまま頭をギルバートの方に押し付けるようにして抱き寄せられる。
とんとん、とギルバートの手が背中を叩いて、呼吸を整えるように促してくれる。
強い言葉や失敗を責める悪態は、時にアマネのトリガーとなることがある。
──今から6年前まで、この「祝福」の力と容姿が原因で、闇ギルドに奴隷として囚われていたアマネの心には、幾つもの消えない傷跡とトラウマが刻み込まれている。
ルシアンとギルバート、そして酒場の温かい同僚たちに囲まれて、アマネはこの6年で、たくさんの人と対面するギルドの受付係を難なくこなすことができるくらいには回復した。
しかし、動揺や混乱している時は、特に成人男性の低い声や怒鳴り声、失敗を責められるような雰囲気は未だアマネのトリガーを引きやすい。
今回は本格的に“落ちる”前に留められた。
ギルバートに一定の力で宥められるように背中を叩かれ、アマネの呼吸は徐々に整っていく。
とはいえ、「祝福」の代償が未だその体を蝕んでいるのは事実だ。
「とりあえず店、戻るぞ」
ギルバートが、アマネの体を揺れないように外套ごと抱え直す。
抱っこのような形で片腕で持ち上げられ、アマネはとっさにギルバートの首元にしがみついた。
先ほどより幾分か棘の取れたその一言と同時に、浮遊の速度がわずかに上がる。
風が強くなり、森の匂いが一気に遠のいていくのを感じながら、アマネは燃えるような胸の痛みを抱えたまま、そっと目を閉じた。
「──っ!?」
腰をがしっと力強く掴まれる。
体が前に傾いて転ぶ、と思えば、足元から地面の感触がふわりと消えた。
「アマネ!」
耳元で、聞き慣れた低い声が弾けた。
ギルバートだ、と理解するより先に、視界から森の地面が遠ざかっていく。
体が重力を失ったように軽くなり、宙に浮いていた。
荷物でも担ぐような仕草で片腕が力強く腰にまわって掴まれる。
もう片方の腕が背中を支え、体がぐるりと持ち上げられたかと思うと、次の瞬間には木々の梢が足元に流れていた。
冷たい風が勢いよく頬を打つ。
全身を包む浮遊感。ギルバートの浮遊魔法だ。
「……っ、ギル……っ?」
かろうじて名前を呼ぶと、横顔だけがちらりとアマネを見た。
血のような赤い瞳は、いつもの薄ら笑いではなく、剣のように細く尖っている。
「結界が破れた。嫌な予感がしたから見に来たらよ……森ん中、竜まで落ちてやがる。おまけに人の気配も……おまえ、何があった?」
低く押し殺した声。
怒っていると言うよりは、焦燥感や苛立ち、心配をまとめて飲み込み押し殺したような声音だ。
アマネは口を開こうとして、ひゅっと喉から情けない音を漏らした。
「……っ、は……っ、ちょっと、待っ……」
うまく息が吸い込めない。
胸の上に先ほど刻まれた「祝福」の代償である“黒紋”が、じくじくと焼け付くように疼いている。
熱が血管を逆流し、手足の先までしびれを起こしていた。
ギルバートの腕の中で、その外套にしがみつこうとして、指先に力が入らないのが自分でもわかる。
「おい」
短く呼びかけられる。返事をしようとして、また咳き込んだ。
ギルバートの眉間に、ぐっと深い皺が刻まれる。
「……まさかお前」
赤い瞳が、アマネの顔から胸元を射抜く。
シャツの下で、黒い紋様がじわりと熱を持っているのを、アマネ自身もはっきりと感じていた。
「『祝福』を使ったのか?」
風の音の中でもはっきり聞こえる低い声。
アマネはかろうじて首を縦に動かした。
「……う、ん……」
はっ、と呆れたような鼻で笑う音が降ってくるが、対照的にギルバートの眉が厳しく寄せられていることはわかっている。
それよりも先に、今伝えなければいけないことだけは、どうにか言葉にしなければと思う。
「ごめ……っ」
唇が震えて舌がうまく回らない。
頭の中がぐちゃぐちゃなのは、おそらく代償のせいだけではない。
「髪も……目も……みられた……っ」
絞り出すように吐き出すと、ギルバートの背中に回る腕がグッと強くなった。
驚愕に見開かれた赤い瞳。
次の瞬間、焦れたように舌打ちが落ちる。
「……チッ」
風に煽られていたフードを、乱暴だが慣れた手つきで深く被せ直される。
黒髪と黒い瞳を覆い隠すように、ぎゅっと前を引き寄せられた。
「誰に」
短く鋭く問われる。
アマネは、炎のような赤い髪と、去り際に焦ったように見開かれた浅葱の瞳を思い出す。
「竜騎士団、の……団長……」
震える唇をキュッと噛み締める。
ギルバートが何かを思い出すように視線を宙に漂わせる。
盛大にため息を吐いて、「ロアンの野郎か……」とつぶやいた。
「……最悪だな」
続いた吐き捨てるような言葉に、アマネの肩がびくりとこわばる。
「……っ、ごめ、なさ……ごめんなさ、い……っ」
アマネの声色が怯えたものに変わり、切羽詰まったように謝罪を繰り返す。
するとギルバートはハッと気づいたようにアマネの肩を掴み、正面から向かい合うようにして顔を覗き込むようにした。
「ああ、ちげえよ。お前に言ったんじゃない。よしよし、いいから」
ギルバートは慣れた手つきでアマネの頭をフード越しに乱雑に撫でた。
そのまま頭をギルバートの方に押し付けるようにして抱き寄せられる。
とんとん、とギルバートの手が背中を叩いて、呼吸を整えるように促してくれる。
強い言葉や失敗を責める悪態は、時にアマネのトリガーとなることがある。
──今から6年前まで、この「祝福」の力と容姿が原因で、闇ギルドに奴隷として囚われていたアマネの心には、幾つもの消えない傷跡とトラウマが刻み込まれている。
ルシアンとギルバート、そして酒場の温かい同僚たちに囲まれて、アマネはこの6年で、たくさんの人と対面するギルドの受付係を難なくこなすことができるくらいには回復した。
しかし、動揺や混乱している時は、特に成人男性の低い声や怒鳴り声、失敗を責められるような雰囲気は未だアマネのトリガーを引きやすい。
今回は本格的に“落ちる”前に留められた。
ギルバートに一定の力で宥められるように背中を叩かれ、アマネの呼吸は徐々に整っていく。
とはいえ、「祝福」の代償が未だその体を蝕んでいるのは事実だ。
「とりあえず店、戻るぞ」
ギルバートが、アマネの体を揺れないように外套ごと抱え直す。
抱っこのような形で片腕で持ち上げられ、アマネはとっさにギルバートの首元にしがみついた。
先ほどより幾分か棘の取れたその一言と同時に、浮遊の速度がわずかに上がる。
風が強くなり、森の匂いが一気に遠のいていくのを感じながら、アマネは燃えるような胸の痛みを抱えたまま、そっと目を閉じた。
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