元奴隷の治癒師ですが、竜騎士団長に溺愛されて逃げられません

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第一章

3-2.ルシアンの言いつけ

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 《銀のランタン》の裏口に降り立つと同時に、ギルバートはアマネを抱えたまま、急ぎ足で階段を上がった。

 昼の喧騒が広がる一階のフロアを通り抜けることなく、スタッフ用の裏廊下を抜けて人目を避けると、二階に広がるプライベートフロアへと直行する。

「ただいま戻りましたー……っと」

 形だけの軽口と共にアマネの私室の扉を蹴飛ばすように開けると、そこにはすでにルシアンが待っていた。
 テーブルの上には薬草入りの木のボウルと水差し、清潔な布がいくつも並べられている。

「ギル。アマネは──」

 言い終えるより先に、ギルバートの腕の中にいるアマネの顔色を見て、ルシアンの声音が変わった。

「真っ白じゃないか」

 ギルバートは返事の代わりに肩をすくめて、すでに用意されていたベッドの上にアマネをそっと横たえる。
 アマネの手から、ここを出た時と変わらず空っぽのままの市場用の布袋がずるりと滑り落ちた。

「あっ……買い物……」

 今更ながら、頼まれごとの一つもこなせていなかったことに気づいた。
 とっさに手を伸ばそうとして、力が入らず、指先だけが空を掠める。

「いいから横になって」

 ルシアンがすかさず布袋を拾い上げ、ベッド際のサイドテーブルに粗雑に置いた。
 柔らかいミルキーブロンドの髪がふわりと揺れ、黄金色の瞳が心配そうに細められる。

「ギル、話は後。先に状態を見させて」
「へいへい。先生、診察よろしく」

 ギルバートが壁にもたれ、腕を組んで見守る中、ルシアンは慣れた手つきでアマネのシャツのボタンを上から二つ外した。

「触れるよ。ちょっと冷たいかも」

 ひとこと断ってから、指先でアマネの胸元に触れる。
 黒い紋様が胸骨の下あたりに新しく刻まれ、じくじくと赤らんで熱を帯びていた。

「……範囲が広いね。結構無茶したでしょ」

 ぽつりと落としたルシアンの呟きは問いというより断定に近い。アマネの睫毛がぴくりと揺れた。

「ごめん……ルシアン。守るって、約束してたのに……」
「怒ってない」

 即答だった。
 けれどその声音には、はっきりとした苦さが滲んでいる。

「怒ってないけど、心臓には悪いね」

 ルシアンは微笑んだが、目元だけは笑っていない。
 首を傾けた際に額に落ちた前髪を鬱陶しそうにかき上げると、白く細長い指先に小さく魔力を宿す。

 ルシアンが手のひらをかざすと、黒紋の縁がほのかに淡い光を帯びた。
 直接治すことはできないが、痛みの波を和らげる補助魔法……いわゆる鎮痛剤のようなものだ。

「どう? 少し、楽になった?」
「……うん、さっきよりは」

 アマネの呼吸が少しずつ整っていく。

 ルシアンは次に、喉元のネックレスに指を伸ばし、透明な石に軽く触れた。
 森で外したままだったネックレスは、城下町に入る前にギルバートが上空でささっと付け直してくれた。

 石の内側に沈んだ魔力が、波紋のように揺らめいている。

「変装の魔道具は……問題ないね。ブレスレットの方は?」
「……外した」

 アマネは自身の左手首を見下ろした。そこには、まだブレスレットが戻されていない。森で外した後、外套のポケットに入れっぱなしだ。

「竜、を……助けるのに。間に合わないと思って」
「竜? ふぅん……」

 ルシアンは小さく息をつき、外套のポケットから取り出したブレスレットをギルバートから受け取ると、その細い輪の表面を指で撫でた。

「……暴れた痕があるね。かなり大きく流した?」
「俺が拾ってきた時には、すでにへろへろだったぞ」

 壁際からギルバートの呆れた声が飛ぶ。

「息上がってるし、顔色は死人みてえだし、おまけに黒紋がいい感じに主張してた」
「いい感じって言い方」

 ルシアンがさらりとツッコミを入れる。
 アマネはうつむいたまま、シーツをぎゅっと掴んだ。

「……ごめん。勝手なことして」
「謝る前に、説明して」

 本日何度目かの謝罪に、ルシアンはベッドの端に腰を下ろすと、アマネと視線を合わせるように少し身をかがめた。

「まずは、何があったのか。順番に話して?」

 アマネは一度まつ毛を伏せて、ゆっくりと息を吸った。
 喉の奥がまだ少し引き攣っている。それでも、ひとつひとつ記憶を辿るように、ルシアンのいう通り順を追って言葉を選びあげる。

「……森で、いつも通りパン食べてて。そしたら、近くで大きな音がして……様子見に行ったら、竜が、落ちてて」
「竜……竜騎士団の?」
「うん……鞍と、紋章があった。毒矢が刺さってて……すごく弱ってた。このままだと、本当に死ぬって思って」

 指先が小さく震える。
 人間の瞳と比べられないほど大きくて虹彩がはっきりと見える竜の翡翠の瞳と、赤黒い血の匂いが蘇る。

「……やめとこうかと、思った。でも、見捨てたら、きっと後悔すると思って。だから……ブレスレット、外して」

 そこまで一気に話したところで、アマネはひと呼吸をおいた。
 ルシアンは頷き、「ゆっくりでいいよ」とだけいう。ギルバートが壁際から背を離して水をコップに注ぎ、渡してくれる。アマネはそれを起き上がって受け取ると、一口飲んで息を吐いた。

「それで?」

 背を支えてくれたギルバートが、顎で続きを促した。

「……治療してたら。途中で、人の気配がして」

 アマネの視線が、シーツの上をさまよう。
 脳裏に浮かんだ炎みたいな赤い髪と、浅葱の瞳。

「竜騎士団の団長が、来た。ロアン・イグナリア」

 室内に、わずかな緊張が走る。

 ルシアンが、珍しくすぐには何も言わなかった。先に聞いていたギルバートは、やれやれとでもいうように肩をすくめた後、ルシアンの反応をうかがうように彼を盗み見る。

「本人に、名乗られたの?」
「うん。彼の相棒竜だったみたいで、先に、剣を向けられて。そのあと、竜が回復してるのを見て、謝ってくれて……」

 言葉を紡ぎながら、自分でも現実感が薄れていくのを感じていた。
 あの緊迫した空気と、ロアンの声の柔らかさ、竜に向けていた愛おしそうに細められた瞳が、頭の中でちぐはぐに反響する。

「髪も目も、見られた?」

 ルシアンの問いに、アマネはためらいがちに小さくうなずく。

「森の中ではいつも外してたから……人が来ると思わなくて、油断してそのまま。黒髪も、目も。あと、『祝福』も見られた」

 部屋の空気が、少しだけ重くなる。

 ルシアンはしばらく無言でアマネを見つめていたが、やがて視線を横に逸らし、ギルバートに向き直った。

「ギル。君が見た範囲で、森の状況は?」
「竜が一頭。結界の穴は、落ちた地点の真上だな。奴らの竜は魔力がでかいから、真上から落っこちりゃあ、そりゃ穴も開く。応援と騎士が何人か、竜に乗って空から飛んできてた」
「アマネを拾ったのは?」
「竜騎士団の連中と鉢合わせする前。森ん中をふらふら走ってるところを、上から。な」

 ギルバートが片方の口角だけを持ち上げてアマネに同意を求めるように首を傾げる。アマネも相違ないと肯定した。

「ロアンが、アマネの容姿と能力を認識している可能性が高い、ということだね」

 ルシアンは静かに言葉を落とした。
 アマネの胸の奥が、きゅっと縮む。今日だけで幾つ寿命が縮んだか知れない。

「……ごめん。見つかったら、だめだったのに……」



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