元奴隷の治癒師ですが、竜騎士団長に溺愛されて逃げられません

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第一章

3-3.ルシアンの言いつけ

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「アマネ」

 ルシアンが、そっとアマネの手を取った。
 冷えた指を、両手で包み込む。

「まず、ひとつだけはっきりさせておくよ」

 ミルキーブロンドの前髪の隙間から覗く黄金の瞳が、真正面からアマネを捉えている。

「君は、何も悪いことをしていない」
「っでも──」
「『祝福』で竜を助けた。それは、この国にとっては本来、讃えられる行いのはずだ。おかしいのは、君じゃなくて、この世界の方だよ」

 柔らかい声だけれど、そこには芯が通っていた。

「僕が“関わるな”“隠れろ”と言ったのは、君を守るため。……守るための言葉で、君を縛ってしまっていたのなら、それは僕の責任だ」
「ルシアン」
「怒っているのは、君にじゃない。状況に、だよ」

 ルシアンはふわりと微笑んだ。今度はちゃんと目元まで笑っている、アマネに安心をもたらす天使様の微笑みだ。

「それに、君を拾ってここまで育てた保護者としてはね?」

 そこで一度、わざとらしく咳払いをしてから、声色を変える。

「──うちの子が国の竜を助けた、って話なら、胸を張って自慢したいくらいなんだけど?」
「……“うちの子”って言った」

 ギルバートが横からぼそりとつぶやく。その顔は、ルシアンの親バカっぷりに呆れているようで、それでいて楽しそうだ。
 アマネは、小さく戸惑ったように目を伏せた。

「……俺、怒られると思ってた」
「おや、怒られたいの?」

 アマネが咄嗟にぶんぶんと首を横に振る。普段淡々としているアマネらしくないその焦りに、ルシアンもギルバートも思わずといったように声を漏らして笑った。

「じゃあ、怒らない」

 ルシアンはあっさりと言い切った。

「ただ、これからどうするかは、真面目に考えないといけないね」

 そこでようやく、ルシアンの瞳に“ギルドマスター”としての色が宿る。

「ギル」
「ああ」
「竜騎士団が、森で『黒髪黒目の治癒師を見た』と報告する可能性は?」
「……あの野郎次第、って感じだな」

 ギルバートは腕を組み直し、天井を見上げながら唸った。

「ロアン・イグナリアは、あれで結構律儀だ。自分の竜を救った奴の首を、好き好んで差し出すタイプじゃねえ……が」

 赤い瞳が横目でアマネを見る。

「団長一人が口をつぐんでも、医療班が魔力の残り香に気づけば意味がねえ。竜も“覚えちまってる”だろうしな」
「竜……」

 アマネは先ほど見た白銀の巨体と黄金の瞳を思い出す。
『祝福』の光を受けて、穏やかになっていった呼吸と、人間のアマネを遠ざけようとしなかった大人しさ。

「そもそも、竜の治療は高位聖職者数人がかりで行うものとされているからね。毒矢を受けて森に落ちた竜が、医療班に引き渡される頃には綺麗さっぱり毒抜きを終えていたら……ロアンが言わずとも、調査されるかも知れない、か」

「ん~」とルシアンがその美しく整った顔を悩ましげに歪めて顎に手を当てる。

「それに、竜は賢い。“恩”も“気配”も覚える」

 ギルバートが肩をすくめる。

「いずれにせよ、竜騎士団の中では話題になる。『黒髪黒目の治癒師がいた』くらいの噂は回るだろうな」
「……じゃあ、俺……また、狙われる?」

 その言葉が出た瞬間、部屋の温度が少し下がったような気がした。

 ルシアンもギルバートも、即座に否定はしなかった。
 沈黙の代わりに、ルシアンはアマネの手をぎゅっと強く握る。

「“狙われる”って言い方は、ちょっと直させて」

 ルシアンは少しだけ口角を上げた。

「──狙われるとしたら、それは君の“力”であって、“君自身”じゃない。君は物じゃないからね」
「……でも、力と俺は、セットで……」
「だからこそ、僕らが横にいる」

 ルシアンの声は穏やかだが、言葉の一つ一つに有無を言わせない強さがあった。

「君を一人で突き出すような真似はしない。竜騎士団が何か言ってきたら、正面から話すのは僕とギルだ。君はその時、自分がどうしたいかだけ考えてくれればいい」
「自分が、どう、したいか……」

 アマネは思わず息を呑んだ。

 その問いは、今まで誰からも向けられたことがなかったように思う。
 何かを“させられる”ことはあっても、“したいこと”を問われたことは少ない。

 ルシアンとギルバートに拾われてからというもの、二人は常にアマネの考えを優先してくれてはいたが、アマネ自身がまだ、「自分の意思で何かを決定する」という行為に慣れなかった。
 選択肢を前に放り出されると、その場に立ち尽くして動けなくなってしまうのが常だった。ルシアンとギルバートはそんなアマネを見かねたように、じゃあこっちはどう? と背中を押してくれるのだった。

 いつだってアマネを導いてくれていた二人が今、アマネの背から手を離そうとしている。

「ま、今すぐ答えを出す必要はねえよ。まずは飯食って、寝て、熱下げてからだ」
「そうそう」

 ギルバートが緊張感を解くようにふっと笑い、ルシアンがうなずく。

「今日のところは、“竜騎士団の団長に顔と力を見られた”っていう事実だけ、ちゃんと共有できていれば十分。合格だよ」
「合格……?」
「うん。報告、よくできました。えらいねアマネ」

 そういって、ルシアンはアマネの頭をそっと撫でた。
 拾われたばかりの頃は、上から伸びてくる手を見ると、掴んで引きずられるのではないかと反射的に防衛行動をとっていた。
 けれど今は、何の怯えもなくルシアンの柔らかい手つきを受け入れられている自分が今ここにいる。
 そこからルシアンの優しさまでも感じ取れるようになったのだから、この6年間が、自分をどれだけ変えてくれたのかと思う。

「……子供扱い」

 照れ隠しにアマネが小さくぼやくと、ギルバートが即座に乗っかる。

「実際、俺たちの中では一番歳下なんだから、子供でいいだろーが」
「俺もう二十二……」
「「“うちの”二十二は、まだまだお子様」」

 ルシアンとギルバートの声が見事に重なった。
 アマネは思わず噴き出しそうになり、けれど胸がまだ少し痛んで、くすぐったい息だけが漏れた。

 それでも、さっきまで胸の奥で固まっていた氷のようなものが、少しずつ溶けていくのを感じる。

「……とりあえず今日は、表の仕事は免除。買い出し分はギルバートが頑張る」
「は? 俺?」
「もちろん。頼りにしてるよ~用心棒!」
「はぁ? 用心棒の仕事じゃねえっつーの!」

 二人のやりとりを聞きながら、アマネはゆっくりとベッドに横たわって瞼を閉じた。

 胸の黒紋はまだ熱を帯びている。
 竜騎士団の団長に正体を知られたかもしれない不安も、完全には消えていない。

 それでも──

 二人の保護者の存在と、ベッドの下から伝わるこのギルド酒場の暖かい気配が、今は何よりの救いだった。

 どれだけ世界がきな臭く動き始めていても、この小さな部屋だけは、まだ“日常”の温度を保っている。

 アマネはそんなことをぼんやりと考えながら、再び静かな眠りに落ちていった。

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