元奴隷の治癒師ですが、竜騎士団長に溺愛されて逃げられません

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第一章

4-3.リサのお願い

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 それから約一ヶ月──アマネの不安とは裏腹に、日々は驚くほど何事もなく過ぎ去っていった。

 噂は確かに、最初の数日は城下の空気をざわつかせていた。

「騎士団が黒髪黒目の治癒師を王命で探しているらしい」──そんな言葉が酒場のテーブルで、路地裏で、露店の隅で、しつこく反芻されていた。

 しかし、もっと表立って騎士団が動いているのかと思えば、拍子抜けするほど目立った動きはなかった。

 騎士が、城下町で人気な優良ギルド《銀のランタン》を訪れること自体は、以前から変わらない。
 竜騎士も、王国騎士も、酒を飲み、軽口を叩き、依頼の確認だけをして帰っていく。

 噂の主を探すような露骨な聞き込みも、受付で名前を調べるような動きもなかった。

 人々の関心の移り変わりは早い。
 迷宮の新しい層が発見されたとか、盗賊団が国境で暴れているとか、王都の貴族がまた馬鹿をやったとか──話題はすぐに次の刺激へと塗り替えられていく。

 そうした日々を過ごしているうちに、膨大な情報が飛び交うギルドの中では、『黒髪黒目の治癒師』の噂も、二週間ほどであっさりと風化していった。


 そもそも今のアマネは、栗色の髪と瞳の色をした、ただのギルド依頼受付係だ。
 ルシアンに拾われてから六年、この店に身を置いているという事実も大きい。店を訪れる冒険者や客の多くは、すでに顔見知りだ。

 ルシアンとギルバートのいう通り、下手に隠れたりせず、いつも通り受付カウンターに立ち、普通に業務をこなしている方が、かえって『黒髪黒目の治癒師』という噂からアマネの存在を遠ざけていた。

 そうして“普通”を積み重ねるほど、あの森で起きた出来事は、少しずつ現実味を失っていく。
 胸の奥に残る、薄い焦げ跡みたいな感覚だけが、時折ちらりと顔を出す程度になった。



「ほらね。杞憂だったかも」

 ある夜、二階で近況の確認をしたルシアンは、そう言っていつもの柔らかな笑みで肩をすくめた。
 黄金色の瞳に緊張はなく、むしろ、ほんの少しからかうような光が宿っている。

「君がちゃんと“いつも通り”を守ってくれたおかげでもあるけれど。少なくとも、今すぐ騒ぎになる様子はなさそうだ」
「……うん」
「だから、僕も予定通り動いてくる。闇ギルドの調査、少し長引きそうなんだ」

「一週間ほど店を空ける」と告げられた時、アマネの胸は小さく波立った。

 ルシアンがこうして店を空けるのは、初めてではない。
 ギルドマスターとして顔が広く、実力もあるルシアンは、時折裏で非合法活動を続ける闇ギルドの調査や摘発に出向くことがあった。

 ルシアンが具体的にどういった「取り締まり」を行っているのか、アマネは詳しくは知らない。
 人気の優良ギルドのマスターであるものの、なぜ国家直属でもない一介のギルドマスターが、そんな役回りを担っているのかも、はっきりとは分からなかった。

 ただ、ルシアンが魔法使いだということは、アマネも良く知っている。


 アマネがいた闇ギルドを一夜にして壊滅させた張本人だ。
 それに、アマネが身につけているネックレスやブレスレットといった魔道具も、並の魔法使いが気軽に作れるような代物ではないこと、嫌でも理解している。


 ルシアンとギルバートは、この「裏の仕事」について、アマネに詳しく語ろうとはしなかった。
 ただあの日──あの暗く湿った地下室から自分を救い出してくれたように、今もどこかで、アマネと同じような立場の人間に手を差しべているのではないかと、アマネは漠然と思っている。

 そんな二人のことを尊敬しているからこそ、いつもなら、「じゃあ店の方は任せて」と何の躊躇もなく送り出すアマネも──今回ばかりは押し黙った。

 ルシアンがいない時間が怖い、というより──自分の存在が火種になり得る状況で、ルシアンという“抑え”がそばにいないことが、不安だった。

 ルシアンはそれを見抜いたように、軽くアマネの頭を撫でる。

「大丈夫、ギルは置いていくから。……それに、君はもう、ひとりじゃない」

 言葉は優しいのに、どこか決定事項のような強さがあった。
 ルシアンは笑って背を向けて、いつものように“裏の仕事”へ向かっていった。

 ──残されたのは、アマネとギルバート。
 店を任された、という形で。

「ま、あいつがいねえのは俺の仕事が増えて面倒だが」

 ギルバートは窓際の椅子でだらしなく足を組み、赤い瞳だけをアマネに向けた。

「受付はお前が回せる。俺は厄介ごとが来たら追い払う。それでいいだろ」
「……うん、よろしく」
「言われなくても」

 気の抜けた声のわりに、そこには“放っておかない”という前提がはっきりとあった。
 アマネはその温度感に、安堵の息をついた。


 ──そして。

 その“何もない一ヶ月”が、アマネの警戒心をほんの少し緩めた頃。



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