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第一章
7-1.交渉
しおりを挟む三日後の昼下がり。
《銀のランタン》は「CLOSE」の札を表に出し、店内には客の気配は一切なかった。
従業員も全員休みだ。
まだ日差しの残る時間帯の酒場は、夜とは別の顔をしている。
磨き上げられたカウンターと、整えられた椅子。昨夜の営業を終えて、誰もいなくなったフロアでアマネが一人、必要以上に磨き上げた結果だ。
今日で最後になるかもしれない……そう思うと、隅々まで磨いておきたくなったから。
木製扉を、控えめに叩く音がした。
「……来たね」
カウンターの中から顔を上げたルシアンが、目だけでギルバートとアマネに合図を送る。
アマネの喉が、ひくりと小さく上下した。
「どうぞ」
ルシアンの声に呼ばれるようにして、扉が開く。
浅葱色の瞳。陽光を受けて赤く光る髪。
鎧ではなく、黒と銀を基調にした竜騎士団仕様の制服に身を包んでいる。
腰には剣こそ帯びているものの、その立ち姿には「威圧」よりも「礼儀」が先に立っていた。
ロアン・イグナリアは、たった一人で店に訪れた。
護衛も、竜の姿も、そこにはない。
「急な申し出に応じてくださり、ありがとうございます」
ロアンはまず、ルシアンに向けて深く頭を下げた。
「竜騎士団長としてではなく、一市民として……今日は交渉の場をいただきに来ました」
柔らかく微笑んで顔を上げると、今度はまっすぐアマネの方へ視線が滑る。
目が合った瞬間、ロアンの表情がふわりと緩んだ。先日のルシアンとギルバートの話もあり、アマネは思わずその顔から視線を逸らすことも忘れ、浅葱色の奥にあるものを見透かすように、じっと見つめてしまう。
「その話、二階で聞こうか」
ルシアンが穏やかに口を開く。
「ここだと、ランタンが耳を持ってしまう」
冗談めかした声色だが、その金の眼差しは真剣だ。昼下がりの店内でもわずかに光を帯びている天井のランタンが、一斉に揺らぐ。
ロアンは頷き、一行は三人で二階のプライベートフロアへ上がることになった。
▽ ▽ ▽
二階の奥、場所はルシアンの書斎兼応接間。
テーブルを挟んで、ロアンとルシアン、アマネが席に着く。ギルバートは一人、用心棒らしく出入り口付近の壁に背を預けて、腕を組んでいた。
アマネは、ルシアンの隣にそっと腰を下ろす。
昼間の光が窓から差し込んで、先日の夜とはまた違う、妙に現実味のある空気を部屋の中が満たしていた。
「さて」
ルシアンが軽く指を鳴らすと、テーブルを中心として部屋の中に小さな防音結界が張られる。空気が一枚、薄い膜で覆われたような感覚だ。
「これで、外に漏れる心配はない。……話してくれるかな、ロアン」
促され、ロアンは一度息を整えてから口を開いた。
「まずは先日の件から」
浅葱色の瞳が、アマネに向く。
責める色はない。ただ、そこには正義感を宿した真摯な色が宿っている。
「王宮としても、君がエギルバルドを救ってくれたこと自体を責めるつもりはない。あれは正当な治癒行為だ。……俺個人としては、感謝してもしきれない」
「……いえ」
思わず小さく否定の声が漏れるが、ロアンは首を横に振る。
「ただし」
柔らかな声色が、ほんの少しだけ硬度を帯びた。
「問題になっているのは、そこで行使された治癒魔法の質と、君の立場だ」
ロアンはテーブルの上に数枚の書状を広げた。
王宮の紋章が押された、その紙の端を指で押さえながら説明を続ける。
「黒髪黒目の治癒師──通称、“祝福の治癒師”」
その言葉が出た瞬間、アマネの肩がびくりと揺れる。
「王宮は長年、この存在を追っている。戦場の均衡を変えうる“加護”を持つ治癒師。竜にも人にも、等しく恩恵を与える……神話じみた存在として」
「神話扱いされている間は、まだ平和だったんだけどね」
ルシアンが、少しだけ皮肉を滲ませて口を挟む。
ロアンは苦笑しつつも、言葉を続けた。
「アマネ・ヴェール。あなたは、その“祝福の治癒師”として、王宮にとっては喉から手が出るほど欲しい人材だ」
あまりにもはっきりとした言い方に、アマネの指先に力が籠る。
テーブルの下で、ルシアンの手がそっと、その握りしめた拳を撫でた。
「本来なら、治癒魔法の行使者は国に登録し、その能力の範囲と適性を記録し、必要な時には王命に応じる義務がある。……にもかかわらず、君は未登録のまま。しかも、『大魔法使い殿』の庇護下に置かれていた」
ロアンの視線が、再びルシアンへと向けられ……そして、留まることなく、出入り口付近の壁に背を預けて様子を見ているギルバートに横滑りする。
「さらに言えば、その横には魔族のトップまでいる」
ギルバートがその言葉をいなすように片眉を上げ、はっと乾いた笑いを漏らす。
「つまり、王宮から見ればこうだ。国一つを揺るがせる大魔法使いの元に、魔族の権力者と祝福の治癒師が揃っている。……この状況で、『国家反逆の疑いが全くありません』と言い切ることは、さすがにできない」
先日、三人で話し合った通りの内容に着地した。
この三日間、心の準備をしていた分、「国家反逆」という心臓を揺るがすような重苦しい言葉にも、アマネは冷静な顔つきのままでいられている。
「『疑いが完全には晴れていない』──それが、今回の王宮の見解というわけだね?」
「ああ」
ルシアンの言葉に、ロアンは躊躇なく頷いて肯定した。
「だからこそ、王宮は『叛逆の意思はない』という明確な“証拠”を求めている。その一つが……アマネを正式に治癒師として登録し、王の監視下に置くことだ」
「監視下、ねえ……」
ここまで黙って話を聞いていたギルバートが、呆れ混じりの低い声で呟く。
「要は鎖じゃねえか。その綺麗な言い換え、誰に教わった?」
「王宮の書記官たちは、言葉を飾るのがお上手だからね」
ギルバートの毒とルシアンのおどけたように肩をすくめる姿に、ロアンもまた、乾いた笑みを浮かべた。
「……誤魔化すつもりはない。王宮としては、祝福の治癒師を野放しにはしておけない。他の国に渡すことは疎か──二度と、闇ギルドのような組織に奪われないように、手元で管理したい」
その言い方は、逆に清々しいほど率直だった。
『闇ギルド』という言葉が出たあたり、やはりロアンにはアマネの過去が知られているようだ。
しかし、先日顔を合わせた時も思ったが、ロアンの言葉には無駄な飾りが少ない。
王都や上級貴族にありがちな腹の探り合いをすっ飛ばして結論まで直球まで持っていく彼の言葉には、こちらも変に構えずに済むので少し肩の力が抜ける。
元来、はっきりとした物言いをする性分なのかもしれない。
だが、内容はアマネにとって相変わらず、いいものではない。
(……やっぱり、そうなる)
先日から何度も想像していた未来が、そのまま言葉の形になって目の前に並べられていくのは、逃げ道を塞がれていく感覚によく似ている。
「ただ」
そこで、ロアンは一度言葉を切り、アマネに視線を戻した。
「俺は、竜騎士団長としてだけじゃなく、一人の人間として、君の願いもできるだけ尊重したいと思っている」
その声音は、不思議なくらいまっすぐだった。
「王宮の意向はこうだ。……けれど俺は、『君が望まない形で王都に縛り付けること』だけはしたくない。……アマネがいやだというなら、もう一度、王と話す。説得すれば、猶予を引き出すくらいはできる」
浅葱色の瞳に、一切の虚飾はなかった。
ロアンは本気でそう言っているのだと、アマネには伝わる。
思いもよらない申し出だった。もっと強引に話を進められ、「国家反逆」を盾に脅されて、半ば引きずられるように連れて行かれることも想定しなかったわけではない。
しかし、ロアンにはそんなつもりはひとつもないようだった。
あくまで、誠実に──それは、彼が一人でこの店に入ってきた瞬間から、感じ取っていたことだった。
彼は、先日の近衛騎士たちとは違う。正式な書類も持って、この場に訪れてきてくれた。
ルシアンとギルバートがちらりとアマネを見る。
「断れ」とは言わない。けれど、二人の沈黙が何を望んでいるかは、痛いほどわかっていた。
『信じろ』と、切実に訴えかけてくる二つの瞳。
──それでも。
アマネの中では、答えはもう決まっていた。
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