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第8話 長い夏休み (後編)
しおりを挟む「そうだよ。優羽を父さんなんかと一日中、ふたりきりになんてさせないからねっ!」
口を押さえられている優羽の代わりに、戒と陸が幸彦に答える。
仮にも、父親である身に対してひどい言いようだと幸彦は悲しそうにかぶりをふった。
しかし、そう言いながらも義父はどこか楽しそうに口元を緩めている。
「安心しなさい、冗談だよ。」
ホッと安堵した兄弟たちの真ん中で、優羽はがっくりと肩を落とした。
せっかく逃げられる口実が出来たと思ったのに、これでは予定通り、輝の試作品を"感想つき"で返さなければならない。
「はぁ~。」
解放されてこぼれおちた優羽の深い息は、複雑な心境を含む。
しかし仕事のために席をたった幸彦のおかげで、誰もその奥に潜む悩みを指摘してはこなかった。
迎えに来た車に乗り込んで、幸彦が遠ざかっていく音は聞こえないが、見送ってきたらしい陸の声が部屋に戻ってくる気配がする。
「暑い。よくこんなので外に出られるよね。」
陸がぼやくのも無理はない。
外はきっと真夏の太陽に支配されているのだろう。
窓から見える庭の緑がキラキラと光っている。
空は青く、緑は濃い。
プールに水がはられているが、もうすぐ真上に太陽がくる時間となっては誰も外へは出ようとしなかった。
室内は快適。
ソファーはふかふかと、柔らかく体を包んでくれている。
「ったく、寿命が縮まったぜ。」
──まったくだ。
「父さんのことだから、からかっただけだろうけどね。」
「いい年して、僕たちをからかわないでほしいよね。」
──まったくだ。
「優羽も安易に返事はしないこと。」
「優羽?」
「聞いてる?」
「………。」
「「「「………。」」」」
無言の沈黙に室内は静まり返る。
席をたった幸彦を見送るついでに座り直した各々の場所で、ぶつくさと文句を言い合う兄弟の会話を聞いていた優羽の頭はカクンカクンとゆれていた。
「優羽。おーい?」
陸が指先で優羽のほほをつつきながら声をかけるが、優羽は崩れそうなる身体を器用に持ち直しただけだった。
「睡眠ぐらいとらせてやれよ。」
あきれたように輝がため息をはくと、自然に視線は戒に流れていく。
兄弟全員の視線を集めた戒は、それに答えるようにフンッと鼻を鳴らした。
「欲しかったんですよ。」
「だからってなぁ。」
「あとで輝に感想つきで返すように言っておきましたから。」
「でたよ、戒の悪い癖。」
はぁ~っと、息をこぼした年長組にたいして、末っ子の陸が戒に言い返す。
「そうやって自分の都合に他人を巻き込んじゃダメなんだよ!」
「陸にだけは言われたくありません。」
シレッと切り返す戒に、陸はグッと言葉につまった。
たしかに自分も他人を巻き込まなかったことがないとは、言い切れない。
「とにかく、優羽を部屋にかえそうか。」
年上らしく晶が席をたつと、空気の流れに気づいたのか優羽が反応する。
寝落ちしていたことに気づいていない優羽はソファーに座り直すと、不思議そうに辺りを見渡した。
「あれ、おとうさんは?」
「もう、とっくに出たよ。」
室内と晶の顔を交互に見つめた優羽は、最後に寝ぼけた顔で晶を眺める。
「こりゃ、強制連行するしかねぇな。」
苦笑の息をもらす輝に、トロンとした優羽は顔をむける。
どこに連れていくつもりなのかと、無言の目が聞いていた。
「優羽、部屋に戻るぞ。」
「う……っえぇ!?」
ガタンっと勢いよく立ち上がった優羽に、部屋は水をうったように静まり返った。
「だっダメ、絶対ダメッ!輝だけは絶対、部屋にきちゃダメッ!だって……あっ、え?」
焦って言葉を並べるうちに眠りからさめたらしい優羽は、自分を見つめる複数の視線に首をかしげる。
どうしてこんな状態になっているのかが、うまく理解できない。
「いいから部屋で寝ておいで。」
優しい晶の言葉に、優羽は顔をむける。
「無理は体によくないからね。」
「えっ?」
「優羽、気持ち良さそうに寝てたよ?」
陸の言葉に驚いた優羽が顔を向ければ、その通りだと全員がうなずく。
言われてみれば思い当たるふしがあるような、ないような。
「お昼ご飯食べてからでもいい?」
「次、寝落ちたら、部屋まで運ぶからな。」
「うっ……わかった。」
輝の脅しは、よくきいた。
幸彦との約束通り昼食を食べ終えて部屋にたどり着くまで、なんとか意識は途切れなかった。
でもどうやらそこまでが限界だったようで、自室のベッドにたどり着いた途端、優羽は電池が切れたオモチャのように寝息をたて始める。
その中央に陣取っていたはずの玩具は丁寧に脇へと追いやられ、かわりに自分の体を横たえた優羽は幸せそうに眠りについた。
「寝たな。」
「寝たね。」
部屋のドアの隙間から無事に優羽の就寝を確認した輝と陸がうなずきあう。
スヤスヤと寝息をたてる優羽を愛しそうにみつめながらも、やはり意識が例のモノにむくようで、彼らはそろって顔を見合わせた。
「戒に、あれ渡してたの忘れてたでしょ。」
「ああ、忘れてた。」
「輝の悪い癖だよ?」
「わかってるよ。」
新作が出来上がるたびに、家族に配って性能と感想を求める。
実験体にことさら困らなかった彼らがいたのはもう昔の話。今は、ひとりの少女に御執心だ。
「試作品の全部を優羽で試してたら、優羽が可哀想だよ。」
兄弟に渡したところで、結局使われることになるのは優羽しかいないのだと陸が口をとがらせた。
「しゃーねぇだろ。だったら陸が検体つれてこいよ。」
優羽の部屋から静かに立ち去ろうと、輝も陸も小声のまま背をむけて歩き出す。
けれど、ものの数歩で彼らは"静かに"という言葉を忘れてしまったらしい。
「うん、丁度いいのがいるよ。」
「はっ?!」
てっきり陸の口からは文句が出てくると思っていた輝は、驚いたように顔をあげる。
それに答える陸の口角がニヤリとあがった。
「ほら、この間の白衣の天使。」
覚えてるでしょ?と、陸はあどけない素顔で一ヶ月ほど前の出来事を連想させた。
覚えてるも何も、あの事件は昨日のことように思い出せる。
「ああ、あいつか。けど、使いもんになんのか?」
輝はあの後、彼女の身に起こった出来事を思い返すと同時に、優羽が起きなかったか確認するように軽く振り返った。
どうやら大丈夫らしい。
朝から戒にイジメ抜かれた身体は、そう簡単に目覚めなかったようだ。
少しホッと肩の力を抜いた輝を確認して、陸も話を元に戻すように続きを再開させる。
「んー、どうだろ?」
優羽の部屋からダイニングに戻るために、階段を降りながら陸は「うーん」と首を捻る。
「どうだろってなんだよ。」
可愛らしいと表現できる陸とは違って、輝は野性的な感覚が残る。
廊下を並んで歩く真夏の太陽に照らされた洋館の住民は、それこそ絵になっていた。
「お前が連れてったんだろ?」
「え、戒だよ?」
いぶかしげな視線を向けてくる兄に、弟は無邪気に答える。
困ったように眉根をよせた輝は、ちょうどたどり着いたダイニングに足を踏み入れながら、はぁっと深い息をこぼした。
「またかよ。」
陸に聞いたところで欲しかった回答が得られた試しはない。
原因を作ったのがこの天使のような悪魔だとしても、それの後始末は結局誰かがする羽目になっていた。
「そういうとこばっかり、親父によく似てるよな。」
「だって親子だもん。」
別に褒めたわけではないのに、鼻歌まじりでダイニングからリビングへと歩いていく陸に輝の口からため息が出る。
「どうかしたんですか?」
優羽を尾行していた兄弟の帰宅をめざとくとらえた戒が声をかけてくると、ソファーへと腰を下ろしながら輝と陸は同時に口を開いた。
「「あの女どうした?」」
「どの女ですか?」
見事にハモった声に、戒は困ったように首をかしげる。
「「ほら、この間の」」
「ああ、でしたら晶がって、聞いてます?」
真似するなといがみ合う輝と陸に、戒のあきれた声がかかる。
その様子を見ていたのか、同じように苦笑した晶が話のあとを受け継ぐようにふたりを止めた。
「彼女は入院中だよ。」
「ダメじゃねぇか。」
「──ッ…いったぁい!」
バシッと輝が陸の頭をはたいて一件落着。
陸が頭を押さえてソファーにふてくされることで一騒動が落ち着いたものの、訳がわからない晶と戒は顔を見合わながらそろって肩をすくめる。
「彼女がどうかした?」
「いや、優羽に全部の試作品を使うのは可哀想だって陸が言うから代わりをな。」
「まぁ、それは否定しないけど、検体が欲しいなら輝が外に出ればすぐに見つかるよ。」
「ダリィ。大体、俺は優羽に使うように作ってんだよ。」
恥ずかしげもなく変態ぶりを言い切った輝に白けた視線がむくが、当の本人はなにくわぬ顔でソファーにもたれただけだった。
「どれだけ可哀想でも仕方ないよ。優羽にしか俺たちは満たせないからね。」
「だってよ。」
「あーあ。優羽かわいそぉ。」
「陸、顔が笑ってますよ。」
もとより、優羽以外を相手にする気なんてさらさらない。こうなることを承知の上で自分達を受け入れたのは優羽の方なのだから、やめるつもりもない。
いや、正確にはヤメられない。
どれほど抗(アラガ)おうと、手に入れた以上、逃がしはしない。
「ますます儲かるぜ?」
「でしょうね。」
輝の作ったものが絶大な人気を誇り、新作発表した当日に売り切れてしまうのは全員が知るところだ。
優羽のおかげでアイディアが事欠かないと笑う輝に、それぞれが苦笑する。
魅壷会社の主力商品は、目の前にいる兄弟がデザイナーである以上、たぶん半永久的に安泰だろう。
「そう言えば、涼はまだ見つかんないの?」
思考がすでに次の商品にむかった輝から、残るふたりの兄に向かって陸がたずねた。
予想通り、晶と戒は同時に首を横にふった。
「あれ以来、音沙汰なしだよ。」
「あの時、追いかけるべきでした。」
優羽を泣かせる道具を想像している輝を横目でにらんだ戒は、当時のことを思い出して悔しそうに唇をむすぶ。
現場にいたのなら、何か情報を持っているに違いない。
室伏ならば秘書として会社に勤めているので、次の日には会って話が聞けると思っていたのに、彼はなぜかあの日、あのまま行方をくらませてしまった。
「父さんも手を焼いてましたよ。」
「簡単には見つからないだろうね。」
晶と戒はそろって何かを思案するように腕を組む。
輝もバツが悪そうに視線を窓の外へとうつした。
「夏休み中になんとかしたいけど、このままじゃ不安だなぁ。」
「「「………。」」」
すでに半分を終えた長期休暇に陸が不満げな声をあげると、三人の兄たちも不満そうに陸を見つめた。
誰もが同じような表情をしている。
言いたいことは皆同じ。
「俺は、陸がほとんど毎日遊んでることの方が不安なんだけどね。」
「学生とは思えねぇなぁ。」
安易に夏休みの宿題を示唆する晶と輝がからかうように意識をむければ、陸は不敵な笑みをかえす。
「無駄に出来る兄さんが三人もいてくれるおかげで、心配無用だよ。」
「そりゃどうも。」
「おかげでいらないプレッシャーばかりだよ。」
存在感が大きすぎるだけに、イイところ以上に悪いところも目立つ。
何でも出来て当たり前の印象を周囲が勝手に作り出しているからこそ、影の努力を怠れないのは有名人のツラいところ。
その上、非常に有名な兄が卒業してくれているおかげで、末弟の目のつけられようは半端じゃない。
羨望、嫉妬、好奇な視線にさらされた環境に育てられたせいで無駄に世渡り上手になってしまったと、そうぼやく陸に少し空気が和らいだのか、クスッと笑う息がその場にこぼれる。
「いいじゃないですか、学生らしくたまには学ぶのも悪くないですよ。」
「優羽に嫌われたくなかったら、教養はちゃんと身につけておいた方がいいよ。」
「まっ、青春を楽しめ。」
「え~。そんなこといって、自分達がしてきたことすぐに棚にあげるんだから。」
過去、有名にしてくれる材料をふんだんに残してくれた兄たちに、陸はふてくされた声をなげる。
そのままだらんと身体の力をぬいて、空いた優羽の定位置を眺めると、陸は小さく文句を言った。
「優羽も一緒の学校だったらいいのになぁ。」
そうしたらもっと一緒にいられるのにと、思えてならない。
だけど、それは不可能だ。
言葉を吐いた本人でさえ、本気じゃない。
「可愛い優羽の制服姿を他の男の目にさらすなんて、考えただけでも吐き気がしそうだね。」
「でもちょっとそそられるよなぁ。"先輩"って響きエロくね?」
「高校は三年間ですので、仮に優羽が高校生だったとしても輝は卒業してますよ。」
どうやら冗談を真面目に受け取った兄たちの妄想劇に、陸は興味なさそうなため息だけで相づちをうつ。
不可能なことはどれだけ考えても実現しない。
「さてと。」
晶が話しに折りをつけて立ちあがると、相手にしてもらえなかった陸がつまらなそうに顔をむけた。
「また探しに出るの?」
「いや、今日は買いだしだよ。」
「彼がいないと色々面倒ですね。手伝いましょう。」
魅壷家の日常品はインターネットで購入したり、宅配サービスを利用したりしてはいるのだが、それでも足りないものはいつも秘書である室伏涼二が確保してくれていた。
魅壷家自体の秘書というよりかは、ほぼ執事に近い彼が消息をたってくれたおかげで、お盆の人ごみにあふれる街に出向かなくてはいけない。
だが、少々避けたい。
避けたいが避けるわけにもいかず、晶と戒は支度を整えると、"多分"夜までには帰ってこれると思うと言い残して出て行った。
「それじゃぁ、僕も高校生らしく宿題でもしようかな。」
「ま、せいぜい頑張れ。」
「おっけー。あ。そう言えば父さんから伝言で、そろそろ家の掃除しといてって。」
げっと、顔を青ざめさせた輝を残して陸は足早にかけていく。
「まじかよ。」
がっくりと肩を落とした輝は、自室に駆け込んでいった陸の計算された捨て台詞に頭をかいて立ち上がった。
全然可愛くない悪魔な弟の策にはまった兄は、一体どこから手をつけたらいいかわからない屋敷を見渡すように、しぶしぶ頭を悩ませる。
「あっちーな。」
開け放たれた窓の外で泣くセミの声が、暑い季節を物語っている。
切なく、儚く、溶けていく命が見せる幻想の夢は、いつか誰も知らないところで消え去ってしまうのかと、それぞれの思いが胸がしみた。
──────To be continue.
応援ありがとうございます!
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