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第3章:本当に欲しいもの
第2話:人形アソビ
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ずっと死なない人形が欲しかった。
「ねぇ、起きて?」
目を覚ますと必ずぐったりしている青白い肢体。夜から朝にかけてひと時の享楽を楽しんでいたはずの密な時間は、太陽が昇ると共に終わりを告げる。決まりきった光景。何度も、何度も繰り返した虚無の朝。
「また、でございますか?」
執事の顔はうんざりした様子で乃亜の手に引きずられた一体の死体に視線を送る。
部屋からずっと足首を持って運んできたのだろう。絨毯の上にはわずかに蛇行した跡が見られ、自分の体の倍はある巨体を悲しそうな顔で引き連れてきた乃亜は、不満さを隠しもせずに「だって」と唇をとがらせていた。
「だって、勝手に死んでしまうんだもの」
「死んでしまうんだもの。では、ありません。乃亜お嬢様」
叱られるのは慣れている。「これで何度目ですか」や「わたくしも暇ではないんですよ」は執事長定番の朝の小言。
「血の味を覚えてから、こう毎朝のように死体を運ばれる身にもなってください」
「だって」
「だって、ではありません。殺さないように摂取する加減を覚えればよろしいでしょう?」
「だって、お人形はもっと吸っていいって言ったのよ?」
「そう仰られても、お嬢様がそのままではわたくしが奥様に叱られます」
「お母様が、こんなに脆いお人形ばかり送ってくるのがいけないのよ」
「乃亜お嬢様」
両手に腰をあてて見下ろされる威圧感も慣れてしまえば怖くない。小さなころから共に過ごしている家族のような存在に叱られても、痛くも痒くもないのだと、乃亜は反省する素振りさえ見せなかった。
「私は悪くないわ」
ふいっと顔を背けて死体の足を手放した乃亜は、そのまま立ち去る意思を示すために執事に背中を向ける。
「ああ、また奥様に新しい人形を贈ってもらわなくては」
これみよがしに聞こえてくる嫌味に、頬は膨らむ以外の様子を知らない。
「だって、死んじゃうほうが悪いのよ」
裸で体を重ねながら、相手はもっともっとと悦な顔でねだり続けていた。
最初は恐怖に怯えて距離をとる人形も、数時間たてば乃亜の牙に溺れ、その体を堪能せずにはいられない。むさぼるように求め、狂っていく姿を乃亜は毎晩のように眺めていた。
「私のこと愛してるって言ったくせに」
享楽の果てにあるのは無慈悲の死。
血を食事とする以上、快楽と食事は密接でなくてもいつしか密接となってしまった摂取方法。誰も教えてくれなかった。誰も、牙を持つ者の食事の仕方を教えてはくれなかった。
最初に与えられた人形は意識がなかった。次に与えられた人形も意識がなかった。三番目の人形は優しくしたのに自分から死んだ。四番目の人形は痛くしたから勝手に死んだ。五番目の人形は牙を刺す条件に体の提供を求めてきた。それに応じれば、しばらく生きた。次の人形も、その次の人形も、五番目の人形と同じ。乃亜の中に自分の生きた証を残すように果てていった。
「私は悪くないもん」
乃亜は引きずってきた跡をたどるように自室へと返る間際、ふと気になった書斎の前で足を止める。通称を「勉強部屋」と呼んでいるが、幼少期はほぼ毎日を過ごした場所だけに馴染みは深い。ただ、良家の子女として施された英才教育も学んでしまえばそこまで。今では何か調べものがあるときや、集中したい読み物があるときに訪れる場所のひとつとして存在するだけの部屋に特別な用事はない。
「そういえば、最近はお人形遊びに夢中でここに足を運ぶこともなかったわね」
部屋に足を踏み入れて呟いてみる。
久しぶりに嗅ぐ懐かしい匂い。思わず顔を緩める。使い込まれた机を指先で撫でるように歩き、泣きたくなるほど孤独な時間を過ごした幼少期の記憶がよみがえる。
不在がちな母は思いついたようにしか帰ってこない。
たまに帰って来たと思ったら、屋敷のすべてを執事長に一任して、数分でどこかへ消えていく。何のために。一度だけそれを聞いたことがある。
「お前が生きているかの確認をしに来るだけだ。あの方の元から離れたくはないのだが、仕方あるまい」
「あのかた?」
「永遠に生きる種族はそう多くない、それでなくてもお前は特別に寵愛を受けたあの女の面影を残しすぎている」
細長い煙管から漂う仄かな空気は、深紅の瞳を消すように乃亜との間に満ちていく。
母が「あの方」と呼ぶ存在が誰かは知らない。それがどこかもわからない。語る言葉の意味は、いつも不明瞭に煙の中に紛れていく。遮られた疑問はすべて靄の中に流れていく。
「殺すのは簡単だが、生かしておく価値がある。特に永年を生きる者にとっては」
「それはどういう意味?」
「あの方の元を去らせるために、そして永遠に去っていてもらうために、お前がここにいる必要がある」
「お母様、言っている意味がよくわからないわ」
「知らずともよい」
ふっと、息で煙を排除した主人は、隠されていたその煙の中で乃亜が自分の歯を指先でいじる姿を視界に映した。
「どうした?」
その仕草には心当たりがあったのだろう。
「なんだか最近、口の中が変なの」
「嗚呼、もう間もなくお前も血の諍(イサカ)いに巻き込まれる年齢になるね」
「血の諍(イサカ)い?」
乃亜を近くに呼び寄せ、口の中を確認した女は再度煙管を口にして数秒黙った後、何かを噛み締めたように息を吐き出した。
「わたしも対価としてお前を生かす必要がある」
立ち上がるその目は、もう乃亜を映していない。
「人形を贈ってあげよう。可愛らしいその牙が、わたしに向かぬように」
「ねぇ、起きて?」
目を覚ますと必ずぐったりしている青白い肢体。夜から朝にかけてひと時の享楽を楽しんでいたはずの密な時間は、太陽が昇ると共に終わりを告げる。決まりきった光景。何度も、何度も繰り返した虚無の朝。
「また、でございますか?」
執事の顔はうんざりした様子で乃亜の手に引きずられた一体の死体に視線を送る。
部屋からずっと足首を持って運んできたのだろう。絨毯の上にはわずかに蛇行した跡が見られ、自分の体の倍はある巨体を悲しそうな顔で引き連れてきた乃亜は、不満さを隠しもせずに「だって」と唇をとがらせていた。
「だって、勝手に死んでしまうんだもの」
「死んでしまうんだもの。では、ありません。乃亜お嬢様」
叱られるのは慣れている。「これで何度目ですか」や「わたくしも暇ではないんですよ」は執事長定番の朝の小言。
「血の味を覚えてから、こう毎朝のように死体を運ばれる身にもなってください」
「だって」
「だって、ではありません。殺さないように摂取する加減を覚えればよろしいでしょう?」
「だって、お人形はもっと吸っていいって言ったのよ?」
「そう仰られても、お嬢様がそのままではわたくしが奥様に叱られます」
「お母様が、こんなに脆いお人形ばかり送ってくるのがいけないのよ」
「乃亜お嬢様」
両手に腰をあてて見下ろされる威圧感も慣れてしまえば怖くない。小さなころから共に過ごしている家族のような存在に叱られても、痛くも痒くもないのだと、乃亜は反省する素振りさえ見せなかった。
「私は悪くないわ」
ふいっと顔を背けて死体の足を手放した乃亜は、そのまま立ち去る意思を示すために執事に背中を向ける。
「ああ、また奥様に新しい人形を贈ってもらわなくては」
これみよがしに聞こえてくる嫌味に、頬は膨らむ以外の様子を知らない。
「だって、死んじゃうほうが悪いのよ」
裸で体を重ねながら、相手はもっともっとと悦な顔でねだり続けていた。
最初は恐怖に怯えて距離をとる人形も、数時間たてば乃亜の牙に溺れ、その体を堪能せずにはいられない。むさぼるように求め、狂っていく姿を乃亜は毎晩のように眺めていた。
「私のこと愛してるって言ったくせに」
享楽の果てにあるのは無慈悲の死。
血を食事とする以上、快楽と食事は密接でなくてもいつしか密接となってしまった摂取方法。誰も教えてくれなかった。誰も、牙を持つ者の食事の仕方を教えてはくれなかった。
最初に与えられた人形は意識がなかった。次に与えられた人形も意識がなかった。三番目の人形は優しくしたのに自分から死んだ。四番目の人形は痛くしたから勝手に死んだ。五番目の人形は牙を刺す条件に体の提供を求めてきた。それに応じれば、しばらく生きた。次の人形も、その次の人形も、五番目の人形と同じ。乃亜の中に自分の生きた証を残すように果てていった。
「私は悪くないもん」
乃亜は引きずってきた跡をたどるように自室へと返る間際、ふと気になった書斎の前で足を止める。通称を「勉強部屋」と呼んでいるが、幼少期はほぼ毎日を過ごした場所だけに馴染みは深い。ただ、良家の子女として施された英才教育も学んでしまえばそこまで。今では何か調べものがあるときや、集中したい読み物があるときに訪れる場所のひとつとして存在するだけの部屋に特別な用事はない。
「そういえば、最近はお人形遊びに夢中でここに足を運ぶこともなかったわね」
部屋に足を踏み入れて呟いてみる。
久しぶりに嗅ぐ懐かしい匂い。思わず顔を緩める。使い込まれた机を指先で撫でるように歩き、泣きたくなるほど孤独な時間を過ごした幼少期の記憶がよみがえる。
不在がちな母は思いついたようにしか帰ってこない。
たまに帰って来たと思ったら、屋敷のすべてを執事長に一任して、数分でどこかへ消えていく。何のために。一度だけそれを聞いたことがある。
「お前が生きているかの確認をしに来るだけだ。あの方の元から離れたくはないのだが、仕方あるまい」
「あのかた?」
「永遠に生きる種族はそう多くない、それでなくてもお前は特別に寵愛を受けたあの女の面影を残しすぎている」
細長い煙管から漂う仄かな空気は、深紅の瞳を消すように乃亜との間に満ちていく。
母が「あの方」と呼ぶ存在が誰かは知らない。それがどこかもわからない。語る言葉の意味は、いつも不明瞭に煙の中に紛れていく。遮られた疑問はすべて靄の中に流れていく。
「殺すのは簡単だが、生かしておく価値がある。特に永年を生きる者にとっては」
「それはどういう意味?」
「あの方の元を去らせるために、そして永遠に去っていてもらうために、お前がここにいる必要がある」
「お母様、言っている意味がよくわからないわ」
「知らずともよい」
ふっと、息で煙を排除した主人は、隠されていたその煙の中で乃亜が自分の歯を指先でいじる姿を視界に映した。
「どうした?」
その仕草には心当たりがあったのだろう。
「なんだか最近、口の中が変なの」
「嗚呼、もう間もなくお前も血の諍(イサカ)いに巻き込まれる年齢になるね」
「血の諍(イサカ)い?」
乃亜を近くに呼び寄せ、口の中を確認した女は再度煙管を口にして数秒黙った後、何かを噛み締めたように息を吐き出した。
「わたしも対価としてお前を生かす必要がある」
立ち上がるその目は、もう乃亜を映していない。
「人形を贈ってあげよう。可愛らしいその牙が、わたしに向かぬように」
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