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外伝『選良魂殺』
甲
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神聖大日本皇國は強固な貴族制が布かれているものの、平民に立身出世が不可能という訳ではない。
例えば政界の三大勢力のうち貴族閥の政治家は殆どが貴族院議員であり、また衆議院の勢力は軍閥と学閥が取り合っている状態であり、その大部分は平民出の政治家である。
抑も、皇國は人口十二億、面積約三八〇万平方粁という日本国の十倍を誇る大国にして、経済規模等の国力はそれを優に上回っているのだが、対して皇族貴族家の数は二百に満たない。
大きな格差が存在することは事実だが、その上層の全てを僅かな貴族が牛耳っていては、此程の発展を遂げることは不可能であっただろう。
ということで、平民の中にも成功した富裕層というものは存在し、中には下手な下級貴族よりも豊かな者さえ見られた。
嶼根州東端のとある村、武田観月もまたそのような裕福な家に生まれた。
武田家は祖父の代から医療を生業とする一家で、男は文武両道で将来は家を継ぐべし、女はそれらなど要らぬから良家の嫁となって家の発展に寄与すべしという、時代後れな男女観を持っていた。
しかしそんな家の方針にも拘らず観月は男勝りな御転婆娘で、且つ学業に於いても優秀な才女だった。
武田家は「軟弱で出来の悪い弟と男女逆だったら」と大いに嘆いたものだった。
とはいえ、彼らに女の観月を跡継ぎに吸えるつもりなど更々無かった。
そして観月自身、それが解らぬではない。
彼女は義務教育の終わりを意味する中學卒業の一年前にして、一つの決意を固めていた。
ある夏の午後、武田観月は座敷で正座させられ、父親と向き合っていた。
背筋の伸びた、凜とした佇まいと、物怖じせず真直ぐに父親を視る眼には、彼女の揺るぎ無い覚悟が宿っている。
「お父さん、私はこの家を出ます」
「何を莫迦なことを言っているんだ!」
父親は声を荒らげる。
彼にとって、娘の言葉は到底容認出来ないものだった。
武田家の目論見では、観月は村の地主に嫁がせて後ろ楯を得ることで、家の立場を盤石にする役割を担わせることになっていた。
その為にも、中學卒業の後はこれまでの男勝りな態度は改めさせるべく、本格的な花嫁修業を始めさせるつもりだった。
「お前は器量が良い。態度さえしおらしくなれば引く手数多だ。お前に相応しい嫁ぎ先をこれから探してやろうというのに……」
「必要ありません。私の進む道は私が決めます」
「親の臑齧りが一丁前の口を利くな!」
観月の頬に父親の平手が飛んだ。
彼女は声も上げずにただそれを受け、向き直って懐に手を入れた。
どうやら何か、文を見せようとしているらしい。
「これは写しです。村を出た後、身元の引受人となって頂けるそうです」
父親は受け取った文を開いて瞠目した。
それは、観月の担任教師からとある人物に向けた紹介状の写しであった。
「余計なことを……! お前を学校に行かせたのは最低限の常識を修めさせる為だ! 一介の教職員が出しゃばりおって! 武田家に刃向かって唯で済むとでも思っているのか!」
「お父さん、御言葉ですがお父さんの方こそ、先方に刃向かっては武田家がどうなるか、お解りになりませんか?」
父親は癇癪を起こして紹介状の写しを破り捨てた。
「女だてらに小賢しい知恵を捏ねくり回しおって……!」
「先方には既に御了承頂いております。今からこの話を無かったことにするとなると、先方の顔に泥を塗ることになるでしょう。如何に武田家がこの村きっての富豪で、隣村の大地主とも繋がりを持っているとはいえ、相手が貴族・水徒端男爵家ともなれば、手向かうのは懸命ではない……」
父親は勢い良く立ち上がると、観月を激しく蹴り飛ばした。
「もう良い! この親不孝者が! お前などもう娘ではない! とっとと出て行け!」
憤慨する父親はそのまま座敷を出て行った。
観月は溜息を吐いて立ち上がる。
そんな様子を、襖の影から彼女の弟が恐る恐る覗き見ていた。
「盗み聞きか、廣志」
「姉さん……」
弟は徐に座敷へと入ってきた。
「本気……だったんだな」
「ああ、お前ともこれでお別れだ」
「考え直す気は無いのか?」
「あるなら男爵家への口利きを頼んだりしないさ」
観月は弟と入れ替わり座敷から出るその間際、一旦立ち止まって振り向いた。
「お父さんもああ言っていることだ、これから荷物を纏めて家を出る」
「家を出て、どうするつもりだ?」
弟の問いに、観月は不敵な笑みを浮かべて答える。
「軍の士官学校に入る」
「軍!?」
弟は思わず大声を上げた。
武田家の人間にとって、家の方針に逆らって出て行くだけでもとんでもないことなのに、女の身で軍に入ろうなどとは破天荒を通り越して狂気の沙汰としか思えない。
開いた口が塞がらない弟へ向けて、観月は続ける。
「今の軍には女性の将校も数多く居ると聞く。杜若中将などはその代表だ。だったら私にだって出来る。今まで私は、勉学でも武道でも決して男に負けなかったんだからな。そんな私が自分の正しさを証明する舞台として、これ以上相応しい場所は無い」
「姉さん……。やはり貴女は武田家に生まれてくるべきじゃなかった……」
「廣志、お前も医者になるばかりが人生じゃないぞ。自分の生き方は自分で決めるものだ」
こうして、武田観月は故郷を出て上京し、軍の士官学校へ入ることとなった。
例えば政界の三大勢力のうち貴族閥の政治家は殆どが貴族院議員であり、また衆議院の勢力は軍閥と学閥が取り合っている状態であり、その大部分は平民出の政治家である。
抑も、皇國は人口十二億、面積約三八〇万平方粁という日本国の十倍を誇る大国にして、経済規模等の国力はそれを優に上回っているのだが、対して皇族貴族家の数は二百に満たない。
大きな格差が存在することは事実だが、その上層の全てを僅かな貴族が牛耳っていては、此程の発展を遂げることは不可能であっただろう。
ということで、平民の中にも成功した富裕層というものは存在し、中には下手な下級貴族よりも豊かな者さえ見られた。
嶼根州東端のとある村、武田観月もまたそのような裕福な家に生まれた。
武田家は祖父の代から医療を生業とする一家で、男は文武両道で将来は家を継ぐべし、女はそれらなど要らぬから良家の嫁となって家の発展に寄与すべしという、時代後れな男女観を持っていた。
しかしそんな家の方針にも拘らず観月は男勝りな御転婆娘で、且つ学業に於いても優秀な才女だった。
武田家は「軟弱で出来の悪い弟と男女逆だったら」と大いに嘆いたものだった。
とはいえ、彼らに女の観月を跡継ぎに吸えるつもりなど更々無かった。
そして観月自身、それが解らぬではない。
彼女は義務教育の終わりを意味する中學卒業の一年前にして、一つの決意を固めていた。
ある夏の午後、武田観月は座敷で正座させられ、父親と向き合っていた。
背筋の伸びた、凜とした佇まいと、物怖じせず真直ぐに父親を視る眼には、彼女の揺るぎ無い覚悟が宿っている。
「お父さん、私はこの家を出ます」
「何を莫迦なことを言っているんだ!」
父親は声を荒らげる。
彼にとって、娘の言葉は到底容認出来ないものだった。
武田家の目論見では、観月は村の地主に嫁がせて後ろ楯を得ることで、家の立場を盤石にする役割を担わせることになっていた。
その為にも、中學卒業の後はこれまでの男勝りな態度は改めさせるべく、本格的な花嫁修業を始めさせるつもりだった。
「お前は器量が良い。態度さえしおらしくなれば引く手数多だ。お前に相応しい嫁ぎ先をこれから探してやろうというのに……」
「必要ありません。私の進む道は私が決めます」
「親の臑齧りが一丁前の口を利くな!」
観月の頬に父親の平手が飛んだ。
彼女は声も上げずにただそれを受け、向き直って懐に手を入れた。
どうやら何か、文を見せようとしているらしい。
「これは写しです。村を出た後、身元の引受人となって頂けるそうです」
父親は受け取った文を開いて瞠目した。
それは、観月の担任教師からとある人物に向けた紹介状の写しであった。
「余計なことを……! お前を学校に行かせたのは最低限の常識を修めさせる為だ! 一介の教職員が出しゃばりおって! 武田家に刃向かって唯で済むとでも思っているのか!」
「お父さん、御言葉ですがお父さんの方こそ、先方に刃向かっては武田家がどうなるか、お解りになりませんか?」
父親は癇癪を起こして紹介状の写しを破り捨てた。
「女だてらに小賢しい知恵を捏ねくり回しおって……!」
「先方には既に御了承頂いております。今からこの話を無かったことにするとなると、先方の顔に泥を塗ることになるでしょう。如何に武田家がこの村きっての富豪で、隣村の大地主とも繋がりを持っているとはいえ、相手が貴族・水徒端男爵家ともなれば、手向かうのは懸命ではない……」
父親は勢い良く立ち上がると、観月を激しく蹴り飛ばした。
「もう良い! この親不孝者が! お前などもう娘ではない! とっとと出て行け!」
憤慨する父親はそのまま座敷を出て行った。
観月は溜息を吐いて立ち上がる。
そんな様子を、襖の影から彼女の弟が恐る恐る覗き見ていた。
「盗み聞きか、廣志」
「姉さん……」
弟は徐に座敷へと入ってきた。
「本気……だったんだな」
「ああ、お前ともこれでお別れだ」
「考え直す気は無いのか?」
「あるなら男爵家への口利きを頼んだりしないさ」
観月は弟と入れ替わり座敷から出るその間際、一旦立ち止まって振り向いた。
「お父さんもああ言っていることだ、これから荷物を纏めて家を出る」
「家を出て、どうするつもりだ?」
弟の問いに、観月は不敵な笑みを浮かべて答える。
「軍の士官学校に入る」
「軍!?」
弟は思わず大声を上げた。
武田家の人間にとって、家の方針に逆らって出て行くだけでもとんでもないことなのに、女の身で軍に入ろうなどとは破天荒を通り越して狂気の沙汰としか思えない。
開いた口が塞がらない弟へ向けて、観月は続ける。
「今の軍には女性の将校も数多く居ると聞く。杜若中将などはその代表だ。だったら私にだって出来る。今まで私は、勉学でも武道でも決して男に負けなかったんだからな。そんな私が自分の正しさを証明する舞台として、これ以上相応しい場所は無い」
「姉さん……。やはり貴女は武田家に生まれてくるべきじゃなかった……」
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