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外伝『選良魂殺』
壬
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それから暫くの時が流れた。
水徒端早辺子も訪れなくなり、武田観月は今まで以上に惨めな境遇の中で僅かな救いすらも失っていた。
そんな或る日、またしても彼女は例の一室に呼び出された。
(一層、あの時の様に首を絞めて殺してくれれば良いのに……)
観月はそんな鬱屈とした気持ちと期待を抱えながら、地下室へと入室した。
しかし、そこで待っていたのは丑澤威少将ではなかった。
「やあ」
「あ、貴方は……!」
そこに居た人物は丑澤よりも更に上位の高官だった。
初老に差し掛かったその男の名は、荒木田将夫大将。
しかしそれ以上に、或る有名な団体の指導者として有名な人物である。
「荒木田大将……どうして此処に……?」
「ああ、どこから説明しようか……。まずは、そうだね。もう丑澤君は此処には来ないから。それと、彼が主催していた如何わしい集まりだけど、あれに参加していた連中ね、みんな退官してもらったよ」
「え……?」
観月は青褪めた。
あの集まりが上に伝わり、関わった人間が一斉処分されてしまった。
つまり、その中心に居た観月のことも……。
「大将っ……! 私、そんな……!」
「いやいや、君は心配しなくて良い。寧ろ、気付くのが遅れて申し訳無いのは此方だよ」
荒木田はそう言って溜息を吐くと、観月の方へと歩み寄った。
「辛かったね。君は能く耐えた……」
「荒木田……大将……」
抱きしめられた観月は、荒木田の胸の中で涙を溢れさせていた。
温かい言葉を掛けられたのはいつ以来だろう。
自分自身すらも見放していたのに、再び肯定的な言葉を聞けるとは。
「おっと、済まないね。つい無遠慮なことをしてしまった」
荒木田は慌てた仕草で両腕を拡げ、観月から離れた。
「こんなおじさんにいきなり抱きしめられて、嫌だったかい?」
「いいえ、大丈夫です……。ありがとうございます。ありがとうございます」
観月は荒木田に何度も頭を下げた。
深甚なる感謝の念を抱かざるを得なかった。
闇に鎖された彼女の世界に、大きな救いの光が差したのだ。
「うーむ、順番を間違えたかな。実は君に頼み事があるのだが、恩を売る様な形になってしまって少々心苦しい」
「いいえ。何なりとお申し付けください」
観月は姿勢を正し、荒木田の言葉に傾聴する。
恩を売るとはいうが、実際に多大な恩義が生まれたのだから、寧ろそれを返したいと思うのが人情というものだ。
そんな彼女に、荒木田はにっこりと微笑む。
「そう改まらなくても、大した話じゃないさ。君、確か水徒端嬢と仲が良かったよね?」
「水徒端……早辺子嬢ですか……?」
「うん。私もね、団体として彼女を預かった以上、今のままでは水徒端男爵に顔向け出来ないんだ。君、何か心当たりは無い?」
ああ、そうか――観月は腑に落ちた。
早辺子はここ最近、消息を絶っている。
おそらく、武装戦隊・狼ノ牙に潜入してしまったのだろう。
そして荒木田は、彼女がその過程で所属した皇道保守黨の総裁なのだ。
(言うべきだろうか……本当のことを……)
観月は悩んだ。
荒木田に多大なる恩義が生まれた以上、観月としては知っていることを話すべきだろう。
仮令、早辺子を止めなかったとして咎を受けたとしても、保身を優先したくはない。
しかし、そうなると早辺子の想いはどうなるだろうか。
貴族の令嬢が叛逆者に関わっているという現状、軍としては放置出来まい。
また場合によっては、早辺子も叛逆者として処断されかねない。
(信用して良いのか……?)
だが、荒木田はそんな観月に笑顔を向けている。
その表情は自らの命運を委ねてしまいたくなる様な不思議な魅力があった。
「何か事情がありそうだね。大丈夫、言って御覧? 悪い様にはしないさ」
「大将、ではお聴きください……」
観月は意を決し、事の成り行きを荒木田に打ち明けた。
荒木田は真剣な表情で彼女の話を聞くと、顎に手を添えて考え込んだ。
「成程、お姉さんのことか……」
「大将、私のことはどうなっても構いません。ですが彼女のことは……」
「大丈夫だよ。悪い様にはしないと言ったろ?」
荒木田の言葉を聞き、観月は安堵した。
どうも荒木田には観月を安心させる何かがある。
「わかった。どうもありがとう。この件は私が預かるよ。扨て、君はもう帰りなさい。君の行動、正式には無断外出ということになっているからね。もう二度と来ることは無いし、あまり留まるものではない」
「あの、ですが大将……」
観月は股ぐらにむず痒いものを抱えながら、荒木田に無言で訴える。
そう、彼女にとっては今や、この場所の集まりから解放されて万事一件落着という訳ではない。
丑澤の仕打ちは彼女の疼きを満たすものでもあったのだ。
このままでは、彼女はこれから先も暗い欲望を抱えたまま惨めな自慰行為を繰り返す羽目になってしまう。
「そうか、君には深刻な悩みがあるのだったね。しかし、私がそれをどうにかしてやる訳にはいかない……」
「はい、それは勿論……。あ、今のは大将が嫌という訳ではなく、ご迷惑をお掛けすることになると……」
「態々言わなくても解っとるよ。ううむ、ここは一つ、あの御方にお縋りしてみるか……」
「あの御方……?」
首を傾げる観月を横目に、荒木田は机に向かって何やら文を認め始めた。
「これを渡しておこう」
「これは……そんな、冗談でしょう!?」
観月が受け取ったのは紹介状だった。
嘗て家から飛び出す際にも男爵家への紹介状に助けられた彼女だが、今回のものは全く次元の違うものである。
「いやいや、これでも私はね、政界に顔が利くんだよ。貴族院議員の方々にもね。あの御方なら、屹度君の力になっていただけるだろう。先方には私の方から話を通しておくから、どうしても辛くなったら、騙されたと思って訪ねて御覧」
「本当に……大丈夫なんですか?」
「最悪、全ての責任はこの私が取るから」
「私の為に……そこまで……」
観月は渡された紹介状をまじまじと見詰めていた。
唯々気の遠くなる、現実味の全く無い文言がそこには並んでいた。
水徒端早辺子も訪れなくなり、武田観月は今まで以上に惨めな境遇の中で僅かな救いすらも失っていた。
そんな或る日、またしても彼女は例の一室に呼び出された。
(一層、あの時の様に首を絞めて殺してくれれば良いのに……)
観月はそんな鬱屈とした気持ちと期待を抱えながら、地下室へと入室した。
しかし、そこで待っていたのは丑澤威少将ではなかった。
「やあ」
「あ、貴方は……!」
そこに居た人物は丑澤よりも更に上位の高官だった。
初老に差し掛かったその男の名は、荒木田将夫大将。
しかしそれ以上に、或る有名な団体の指導者として有名な人物である。
「荒木田大将……どうして此処に……?」
「ああ、どこから説明しようか……。まずは、そうだね。もう丑澤君は此処には来ないから。それと、彼が主催していた如何わしい集まりだけど、あれに参加していた連中ね、みんな退官してもらったよ」
「え……?」
観月は青褪めた。
あの集まりが上に伝わり、関わった人間が一斉処分されてしまった。
つまり、その中心に居た観月のことも……。
「大将っ……! 私、そんな……!」
「いやいや、君は心配しなくて良い。寧ろ、気付くのが遅れて申し訳無いのは此方だよ」
荒木田はそう言って溜息を吐くと、観月の方へと歩み寄った。
「辛かったね。君は能く耐えた……」
「荒木田……大将……」
抱きしめられた観月は、荒木田の胸の中で涙を溢れさせていた。
温かい言葉を掛けられたのはいつ以来だろう。
自分自身すらも見放していたのに、再び肯定的な言葉を聞けるとは。
「おっと、済まないね。つい無遠慮なことをしてしまった」
荒木田は慌てた仕草で両腕を拡げ、観月から離れた。
「こんなおじさんにいきなり抱きしめられて、嫌だったかい?」
「いいえ、大丈夫です……。ありがとうございます。ありがとうございます」
観月は荒木田に何度も頭を下げた。
深甚なる感謝の念を抱かざるを得なかった。
闇に鎖された彼女の世界に、大きな救いの光が差したのだ。
「うーむ、順番を間違えたかな。実は君に頼み事があるのだが、恩を売る様な形になってしまって少々心苦しい」
「いいえ。何なりとお申し付けください」
観月は姿勢を正し、荒木田の言葉に傾聴する。
恩を売るとはいうが、実際に多大な恩義が生まれたのだから、寧ろそれを返したいと思うのが人情というものだ。
そんな彼女に、荒木田はにっこりと微笑む。
「そう改まらなくても、大した話じゃないさ。君、確か水徒端嬢と仲が良かったよね?」
「水徒端……早辺子嬢ですか……?」
「うん。私もね、団体として彼女を預かった以上、今のままでは水徒端男爵に顔向け出来ないんだ。君、何か心当たりは無い?」
ああ、そうか――観月は腑に落ちた。
早辺子はここ最近、消息を絶っている。
おそらく、武装戦隊・狼ノ牙に潜入してしまったのだろう。
そして荒木田は、彼女がその過程で所属した皇道保守黨の総裁なのだ。
(言うべきだろうか……本当のことを……)
観月は悩んだ。
荒木田に多大なる恩義が生まれた以上、観月としては知っていることを話すべきだろう。
仮令、早辺子を止めなかったとして咎を受けたとしても、保身を優先したくはない。
しかし、そうなると早辺子の想いはどうなるだろうか。
貴族の令嬢が叛逆者に関わっているという現状、軍としては放置出来まい。
また場合によっては、早辺子も叛逆者として処断されかねない。
(信用して良いのか……?)
だが、荒木田はそんな観月に笑顔を向けている。
その表情は自らの命運を委ねてしまいたくなる様な不思議な魅力があった。
「何か事情がありそうだね。大丈夫、言って御覧? 悪い様にはしないさ」
「大将、ではお聴きください……」
観月は意を決し、事の成り行きを荒木田に打ち明けた。
荒木田は真剣な表情で彼女の話を聞くと、顎に手を添えて考え込んだ。
「成程、お姉さんのことか……」
「大将、私のことはどうなっても構いません。ですが彼女のことは……」
「大丈夫だよ。悪い様にはしないと言ったろ?」
荒木田の言葉を聞き、観月は安堵した。
どうも荒木田には観月を安心させる何かがある。
「わかった。どうもありがとう。この件は私が預かるよ。扨て、君はもう帰りなさい。君の行動、正式には無断外出ということになっているからね。もう二度と来ることは無いし、あまり留まるものではない」
「あの、ですが大将……」
観月は股ぐらにむず痒いものを抱えながら、荒木田に無言で訴える。
そう、彼女にとっては今や、この場所の集まりから解放されて万事一件落着という訳ではない。
丑澤の仕打ちは彼女の疼きを満たすものでもあったのだ。
このままでは、彼女はこれから先も暗い欲望を抱えたまま惨めな自慰行為を繰り返す羽目になってしまう。
「そうか、君には深刻な悩みがあるのだったね。しかし、私がそれをどうにかしてやる訳にはいかない……」
「はい、それは勿論……。あ、今のは大将が嫌という訳ではなく、ご迷惑をお掛けすることになると……」
「態々言わなくても解っとるよ。ううむ、ここは一つ、あの御方にお縋りしてみるか……」
「あの御方……?」
首を傾げる観月を横目に、荒木田は机に向かって何やら文を認め始めた。
「これを渡しておこう」
「これは……そんな、冗談でしょう!?」
観月が受け取ったのは紹介状だった。
嘗て家から飛び出す際にも男爵家への紹介状に助けられた彼女だが、今回のものは全く次元の違うものである。
「いやいや、これでも私はね、政界に顔が利くんだよ。貴族院議員の方々にもね。あの御方なら、屹度君の力になっていただけるだろう。先方には私の方から話を通しておくから、どうしても辛くなったら、騙されたと思って訪ねて御覧」
「本当に……大丈夫なんですか?」
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