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第四章『朝敵篇』
第七十七話『宿敵』 破
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時を戻し、九月七日月曜日。
日付が変わったばかりの深夜、日本国。
営業時間外の誰も居ない駐車場内で、二人の男が向き合っている。
残暑を纏った浜風と、自動車の塗装が僅かに散らす夜の明かりが、命を懸けた決闘の緊迫感を煽っていた。
一人の男は異形に変貌している。
首の後ろ、両肩、両腕、両腿から肉と骨が分かれ、先端が捩れて槍頭を形成している。
更に、口元からは尖った舌先が覗いている。
これら八本の槍は蛇の様に蜿り、護謨の様に伸縮自在なのだ。
屋渡倫駆郎の術識神為『毘斗蛇邊倫』形態惨――岬守航は嘗て、この異形に散々な目に遭わされた。
拉致された彼らが帰国するにあたり、日本国の遣いと合流する上で最大の壁として立ち塞がったのは、間違い無くこの男だった。
「妙に落ち着いているなァ、岬守ィ……」
屋渡は蛇を思わせる歪んだ笑みを浮かべている。
待ちに待った瞬間の到来に歓喜しているといったところか。
目の前の男を、今からどのように惨殺してやろうか――そんな思いを巡らせる嗜虐性を隠そうともしていない。
「ククク……」
何度も恐怖を煽られた屋渡の表情――しかし、今の航は凪いでいた。
屋渡の言葉通り、奇妙な程落ち着いていた。
散々苦しめられ、生死の境すら彷徨ったのはたった二箇月前のことだが、それが嘘の様に動じていなかった。
屋渡は不快気に眉を顰めた。
航の佇まいが面白くないらしい。
「気に入らんな。あの時から少しは強くなったようだが、まさかそれでこの俺に勝てるつもりか?」
一歩、屋渡が航に躙り寄る。
血走った目で、今にもその凶槍で航を貫かんとしている。
しかし、航には屋渡の槍によって死ぬイメージが浮かばなかった。
緊張感が無い訳でも、油断している訳でもない。
ただ、落ち着いて対処すれば捌けるという確信があった。
そんな空気を読み取ったのか、屋渡は苛立ちに声を荒らげる。
「澄ましやがって! まさかあの時勝ったつもりでいるのか!」
屋渡の言葉に間違いは無い。
前に戦った時、確かに航は屋渡との駆け引きを制し、手応えのある一撃を炸裂させた。
だが、その一撃は屋渡を戦闘不能に追い込めず、立ち上がらせてしまっている。
心臓を撃ち抜かなかった詰めの甘さが招いたことではあるが、そこまで考えられなかったのは戦いが紙一重だったからでもあるだろう。
あの時は立ち上がった屋渡を前に、航達は絶体絶命だった。
生きて帰ることが出来たのは、遙かな強者の介入があったからだ。
「あの化物女の乱入さえ無ければ、貴様は完全に詰んでいたということを忘れたのか! 寝惚けているのなら目を覚まさせてやる! 俺とてあの時の俺ではない!」
屋渡の怒声と共に、肉の槍の鋒が極めて不快な金属音を上げて高速回転し始めた。
形態死――嘗て自身が「欠陥技」と評した、貫通力を上げる奥の手を早くも発動させたということだ。
「驚いたか! 慄いたか! あの屈辱から俺が何もしなかったと思っていたのか! この形態の欠点は既に克服した!」
屋渡は回転錐の様に唸りを上げる八本の槍を目にも留まらぬ速さで振るった。
土瀝青と土埃が周囲に激しく舞い上がる。
その動きは、嘗て欠点として挙げられた攻撃速度の遅さばかりでなく、無駄な演舞を見せ付ける余裕によって燃費の悪さも解決されたことを示していた。
「最早欠陥技ではない! 貴様が光線砲を俺に向けるより遥かに疾く、その毛むくじゃらの心の臓を貫いてくれる!」
不規則な舞踊の様に、それでいて凄まじい速度で、八本の肉の槍が航に向けて振るわれる。
しかし、航は一瞬にしてその全てを撃ち落とした。
千切れた肉の槍が地面に落ちてのた打ち、屋渡は苦痛に顔を歪める。
術識神為に因る光線砲の形成、不規則に動く槍への照準と射撃――航はそれらを屋渡の攻撃が届く前にやってのけた。
遥かに疾かったのは航の方だ。
そして嘗ての様に弾数を惜しみもしない。
「何よりも疾く、どうするって?」
航は屋渡と戦った後、様々な強敵と戦い、多くの死線を潜ってきた。
六摂家当主、皇族、最強の操縦士、最強の為動機神体、最強の皇女……誰も彼も、一筋縄ではいかない相手ばかりだった。
その経験の数々は、為動機神体の操縦だけではなく、生身の戦闘に於ける身の熟しにも大いなる成長を与えていた。
航は二箇月前とは次元の違う強さを身に付けていたのだ。
今や航にとって、屋渡など敵ではなかった。
今更後れを取る道理などあろう筈も無い。
「そんな莫迦な……! こんな筈は無い、こんな……!」
屋渡は肉の槍を再生した。
目を眇めて航を睨みながらも、困惑して狼狽えている。
屋渡は優れた戦士である。
先程の交錯により、彼我の実力差を十二分に感じ取れた筈だ。
だが、怒りで歪めた顔はその事実を認められていない様子だ。
「岬守が俺を圧倒的に上回っている……だと? あり得ん……! 宿敵と認めはしたが、格上である筈が無い……!」
屋渡は激しく歯噛みした。
「何かの間違いだ! 強くなった俺に、貴様を殺せん筈が無いのだ!」
血走った目を剥いて、屋渡は再び航に殺意の肉槍を向ける。
尤も、同じ攻撃を二度試す程、彼も愚かではない。
腕と脚、計四本の槍が地中に潜った。
「これならどうだ!」
「死角から攻撃する気か……」
航は一瞬、足下に眼を向けた。
その隙に、残された槍のうち一本が航に向かって伸びてきた。
「死ねェッ!!」
しかし航はこれを難なく躱し、屋渡との間合いを詰める。
屋渡は二本目、三本目の槍で迎撃を試みるも、航には掠りもしなかった。
「くっ……! これならっ!」
屋渡の口から八本目の槍、舌が伸びた。
だが、狙いを定めた先には既に航の姿は無い。
航は一瞬のうちに屋渡の背後に回り込んでいた。
「なっ……!」
屋渡が振り向いた瞬間、航の拳が顔面を激しく打ち据えた。
地面に槍を突き刺していた屋渡には逃れる術が無く、真面に喰らうしか無かった。
「ぐはぁぁッッ!!」
航に殴り飛ばされた屋渡の体は大きく宙を舞い、自動車のボンネットに叩き付けられて、裏側に転げ落ちた。
「あ、やべっ!」
航は瞬間、自動車の弁償が頭に過った。
まあ公務の不可抗力だから、特別警察特殊防衛課の予算から支払われるだろう。
しかし一瞬だけとはいえ、戦いと無関係のことに気を取られてしまった。
「糞があああああっっ!!」
車体の裏で、屋渡が怒り狂って叫び声を上げた。
同時に、地面が激しく隆起する。
屋渡の四本の槍は、未だに地中に潜っている。
彼はそれを一気に振り上げ、土瀝青の瓦礫を数台の自動車ごと激しく巻き上げた。
「ぐっ……!」
流石の航もこれには一瞬怯んだ。
巻き上がった質量があまりにも大きく、落下してきた車体を回避する為に屋渡から目を離してしまった。
「しまった、拙い……!」
屋渡は航に生じてしまった一瞬の隙に、その場から姿を消していた。
どうやら瓦礫を巻き上げると同時に遠方へ槍を伸ばし、弾力を利用して高速で逃亡したらしい。
「逃げられたか、いや……」
航は周囲に目を配る。
屋渡の槍の速度は能く知っている。
航には確信があった。
「今の一瞬で槍を伸ばせる距離は長くない。そう遠くまでは行けない筈だ。この近くに潜んでいる。だが、早く見付けないと……」
航は感覚を研ぎ澄まし、屋渡の行き先を探す。
一刻も早く見付け出さなくては、手負いの屋渡は何をしでかすか分かったものではない。
嘗ては乏しいと言われた航の神為だが、成長した今では全ての知覚能力を格段に向上させ、驚異的な索敵能力を発揮する。
為動機神体の戦場で培った、航の強みである。
「あそこか!」
航の眼が屋渡の姿を捕えた。
駐車場を出てすぐの交差点だ。
航は駆け出した。
日付が変わったばかりの深夜、日本国。
営業時間外の誰も居ない駐車場内で、二人の男が向き合っている。
残暑を纏った浜風と、自動車の塗装が僅かに散らす夜の明かりが、命を懸けた決闘の緊迫感を煽っていた。
一人の男は異形に変貌している。
首の後ろ、両肩、両腕、両腿から肉と骨が分かれ、先端が捩れて槍頭を形成している。
更に、口元からは尖った舌先が覗いている。
これら八本の槍は蛇の様に蜿り、護謨の様に伸縮自在なのだ。
屋渡倫駆郎の術識神為『毘斗蛇邊倫』形態惨――岬守航は嘗て、この異形に散々な目に遭わされた。
拉致された彼らが帰国するにあたり、日本国の遣いと合流する上で最大の壁として立ち塞がったのは、間違い無くこの男だった。
「妙に落ち着いているなァ、岬守ィ……」
屋渡は蛇を思わせる歪んだ笑みを浮かべている。
待ちに待った瞬間の到来に歓喜しているといったところか。
目の前の男を、今からどのように惨殺してやろうか――そんな思いを巡らせる嗜虐性を隠そうともしていない。
「ククク……」
何度も恐怖を煽られた屋渡の表情――しかし、今の航は凪いでいた。
屋渡の言葉通り、奇妙な程落ち着いていた。
散々苦しめられ、生死の境すら彷徨ったのはたった二箇月前のことだが、それが嘘の様に動じていなかった。
屋渡は不快気に眉を顰めた。
航の佇まいが面白くないらしい。
「気に入らんな。あの時から少しは強くなったようだが、まさかそれでこの俺に勝てるつもりか?」
一歩、屋渡が航に躙り寄る。
血走った目で、今にもその凶槍で航を貫かんとしている。
しかし、航には屋渡の槍によって死ぬイメージが浮かばなかった。
緊張感が無い訳でも、油断している訳でもない。
ただ、落ち着いて対処すれば捌けるという確信があった。
そんな空気を読み取ったのか、屋渡は苛立ちに声を荒らげる。
「澄ましやがって! まさかあの時勝ったつもりでいるのか!」
屋渡の言葉に間違いは無い。
前に戦った時、確かに航は屋渡との駆け引きを制し、手応えのある一撃を炸裂させた。
だが、その一撃は屋渡を戦闘不能に追い込めず、立ち上がらせてしまっている。
心臓を撃ち抜かなかった詰めの甘さが招いたことではあるが、そこまで考えられなかったのは戦いが紙一重だったからでもあるだろう。
あの時は立ち上がった屋渡を前に、航達は絶体絶命だった。
生きて帰ることが出来たのは、遙かな強者の介入があったからだ。
「あの化物女の乱入さえ無ければ、貴様は完全に詰んでいたということを忘れたのか! 寝惚けているのなら目を覚まさせてやる! 俺とてあの時の俺ではない!」
屋渡の怒声と共に、肉の槍の鋒が極めて不快な金属音を上げて高速回転し始めた。
形態死――嘗て自身が「欠陥技」と評した、貫通力を上げる奥の手を早くも発動させたということだ。
「驚いたか! 慄いたか! あの屈辱から俺が何もしなかったと思っていたのか! この形態の欠点は既に克服した!」
屋渡は回転錐の様に唸りを上げる八本の槍を目にも留まらぬ速さで振るった。
土瀝青と土埃が周囲に激しく舞い上がる。
その動きは、嘗て欠点として挙げられた攻撃速度の遅さばかりでなく、無駄な演舞を見せ付ける余裕によって燃費の悪さも解決されたことを示していた。
「最早欠陥技ではない! 貴様が光線砲を俺に向けるより遥かに疾く、その毛むくじゃらの心の臓を貫いてくれる!」
不規則な舞踊の様に、それでいて凄まじい速度で、八本の肉の槍が航に向けて振るわれる。
しかし、航は一瞬にしてその全てを撃ち落とした。
千切れた肉の槍が地面に落ちてのた打ち、屋渡は苦痛に顔を歪める。
術識神為に因る光線砲の形成、不規則に動く槍への照準と射撃――航はそれらを屋渡の攻撃が届く前にやってのけた。
遥かに疾かったのは航の方だ。
そして嘗ての様に弾数を惜しみもしない。
「何よりも疾く、どうするって?」
航は屋渡と戦った後、様々な強敵と戦い、多くの死線を潜ってきた。
六摂家当主、皇族、最強の操縦士、最強の為動機神体、最強の皇女……誰も彼も、一筋縄ではいかない相手ばかりだった。
その経験の数々は、為動機神体の操縦だけではなく、生身の戦闘に於ける身の熟しにも大いなる成長を与えていた。
航は二箇月前とは次元の違う強さを身に付けていたのだ。
今や航にとって、屋渡など敵ではなかった。
今更後れを取る道理などあろう筈も無い。
「そんな莫迦な……! こんな筈は無い、こんな……!」
屋渡は肉の槍を再生した。
目を眇めて航を睨みながらも、困惑して狼狽えている。
屋渡は優れた戦士である。
先程の交錯により、彼我の実力差を十二分に感じ取れた筈だ。
だが、怒りで歪めた顔はその事実を認められていない様子だ。
「岬守が俺を圧倒的に上回っている……だと? あり得ん……! 宿敵と認めはしたが、格上である筈が無い……!」
屋渡は激しく歯噛みした。
「何かの間違いだ! 強くなった俺に、貴様を殺せん筈が無いのだ!」
血走った目を剥いて、屋渡は再び航に殺意の肉槍を向ける。
尤も、同じ攻撃を二度試す程、彼も愚かではない。
腕と脚、計四本の槍が地中に潜った。
「これならどうだ!」
「死角から攻撃する気か……」
航は一瞬、足下に眼を向けた。
その隙に、残された槍のうち一本が航に向かって伸びてきた。
「死ねェッ!!」
しかし航はこれを難なく躱し、屋渡との間合いを詰める。
屋渡は二本目、三本目の槍で迎撃を試みるも、航には掠りもしなかった。
「くっ……! これならっ!」
屋渡の口から八本目の槍、舌が伸びた。
だが、狙いを定めた先には既に航の姿は無い。
航は一瞬のうちに屋渡の背後に回り込んでいた。
「なっ……!」
屋渡が振り向いた瞬間、航の拳が顔面を激しく打ち据えた。
地面に槍を突き刺していた屋渡には逃れる術が無く、真面に喰らうしか無かった。
「ぐはぁぁッッ!!」
航に殴り飛ばされた屋渡の体は大きく宙を舞い、自動車のボンネットに叩き付けられて、裏側に転げ落ちた。
「あ、やべっ!」
航は瞬間、自動車の弁償が頭に過った。
まあ公務の不可抗力だから、特別警察特殊防衛課の予算から支払われるだろう。
しかし一瞬だけとはいえ、戦いと無関係のことに気を取られてしまった。
「糞があああああっっ!!」
車体の裏で、屋渡が怒り狂って叫び声を上げた。
同時に、地面が激しく隆起する。
屋渡の四本の槍は、未だに地中に潜っている。
彼はそれを一気に振り上げ、土瀝青の瓦礫を数台の自動車ごと激しく巻き上げた。
「ぐっ……!」
流石の航もこれには一瞬怯んだ。
巻き上がった質量があまりにも大きく、落下してきた車体を回避する為に屋渡から目を離してしまった。
「しまった、拙い……!」
屋渡は航に生じてしまった一瞬の隙に、その場から姿を消していた。
どうやら瓦礫を巻き上げると同時に遠方へ槍を伸ばし、弾力を利用して高速で逃亡したらしい。
「逃げられたか、いや……」
航は周囲に目を配る。
屋渡の槍の速度は能く知っている。
航には確信があった。
「今の一瞬で槍を伸ばせる距離は長くない。そう遠くまでは行けない筈だ。この近くに潜んでいる。だが、早く見付けないと……」
航は感覚を研ぎ澄まし、屋渡の行き先を探す。
一刻も早く見付け出さなくては、手負いの屋渡は何をしでかすか分かったものではない。
嘗ては乏しいと言われた航の神為だが、成長した今では全ての知覚能力を格段に向上させ、驚異的な索敵能力を発揮する。
為動機神体の戦場で培った、航の強みである。
「あそこか!」
航の眼が屋渡の姿を捕えた。
駐車場を出てすぐの交差点だ。
航は駆け出した。
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