日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第四章『朝敵篇』

第七十七話『宿敵』 急

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 深夜の交差点、命辛々わたるから逃れたわたりは、つちぼこりの中で起き上がろうとしていた。

「ぐ、くそ……!」

 一度立ち上がったわたりは脚をふらつかせて膝を突く。
 受けた攻撃は顔面に拳一発、実質的にはそれだけである。
 だがそれだけで、既にわたりは甚大なダメージを受けていた。

(脚に力が入らん、頭がふらつく、満足に立つこともん……。なんということだ、しんかいふくが追い付いていない。たった一発の拳で、このおれがそれ程消耗してしまったというのか……。さきもりを相手に……)

 わたりは苦痛の中でいらっていた。
 認めざるを得ない、今のさきもりわたるまとにやり合って勝てる相手ではない。
 しんも、格闘能力も、既に自分のはるか上の領域に居る。
 男子三日会わざればかつもくして見よというが、はやわたりの知る者とは完全に別人だ。

(まあ良い、それならそれでりようはある。しかし、根本的に考え方を変えなければな……)

 彼にとって幸いだったのは、早い段階でそれに気付けたこと、そしてれられたことだ。
 繰り返すが、わたりは優れた戦士である。
 戦況がまぐるしく変わり、相手の評価を改めなければならないということであれば、柔軟に対応することが出来る。
 少し動揺はしたが、逃亡したことで冷静さを取り戻していた。

(戦って殺すのは無理だ。なら、戦わせずに殺す……!)

 わたりは腕から分かれた肉槍を伸ばした。
 立ち上がれない以上、槍の先をかに突き刺して、伸縮を利用して移動するしか無い。
 槍はたまたま彼の目の前にあったコンビニエンスストアの扉の前に突き刺さった。

(小型の商店か、これは良い。ひとず栄養を補給して体力を取り戻さなくては……)

 わたりは勢い良く床に激突し、硝子ガラス張りの扉を開けて店内へと突入した。
 突然の事態に、店番をしていた店員達が悲鳴を上げて騒然とする。
 今のわたりは化物とまがう異形であり、そんな物が突然入店してきたのだから、当然の反応だ。

「騒ぐな、うつとうしい女どもめ。ずは食い物を頂くぞ。それから、しばらに潜ませてもらう。死にたくなければ静かに大人しくしているんだな」

 普段ならば問答無用で店員を殺すところだが、今のわたりには体力が無い。
 そして、必要以上に騒ぎを起こしたくもなかった。
 彼が今考えているのは、店内に潜みつつ追って来たわたるの不意を突き、一瞬にして一方的に殺すことだった。

「ぜぇ……ぜぇ……」

 わたりは片端からパンの袋を破り、口の中へと入れていく。
 少しでも体力を恢復し、せめて最低限立ち回れる状態になる必要があった。
 ある程度動くことが出来なければ、幾ら策を練ったところで殺しようがない。

(なんとか立てるまでにはなった。だが、肉が欲しい……)

 そう考えたわたりは涙目で震える店員の元へ近寄った。

「おい」
「ヒッ!」
あげものを出せ」
「この時間は……器具を洗うため……作り置きしないんです……」
「だったら生で良いからせ! 早くせんと殺すぞ!」

 槍のきっさきを店員の喉元に突き付けて脅すわたり――だが、その時だった。

「そこまでだ、わたり!」

 扉が開き、入店してきたわたるわたりに光線砲の砲口を向ける。
 わたりにとって、これほど早く見付かって追い付かれるとは想定外だった。

くそおおおおおっっ! 動くなあああっっ!!」

 わたりとつに女性店員を縛り上げ、前に差し出して盾にした。
 体格差から頭はかばい切れないが、代わりに残る槍でガードして身を守る。
 今、わたるわたりに光線砲を撃てば、店員に当たるか槍で防がれるかどちらかだろう。
 打たれた槍は千切れるだろうが、それでも一撃で頭までは届かない――そうわたりもくんでいた。

「少しでも妙な動きを見せてみろォ。その時はこの女の命は無いぞォ」

 わたりは口からとがった舌先を出し入れする。
 わたるの動きを封じ、舌の槍でなぶろうという腹積もりだった。

 わたるは眉一つ動かさないが、わたりを撃とうともしていない。
 すがに人質を取られて攻めあぐねているのだろうか。
 だが、わたるの口から意外な言葉が出された。

わたり、それで良いのか?」
「ああ!?」

 わたるは動じるでもなく、ただ溜息を吐いた。

「お前のことは、人間としては決して許せないが、それでも一人の戦士ではあると思っているよ。そのお前の最後の戦いが、こんな終わり方で良いのかっていているんだよ」
「最後だとぉ……?」

 わたりの苛立ちは頂点に達した。
 目の前の宿敵に向けるべき汎ゆる罵声が脳内を駆け巡る。

(餓鬼が、にしやがって! ついこの間までヒヨッコだった分際で何様のつもりだ! おれは十五で母親を殺し、以来泣く子も黙るそうせんたいおおかみきばの革命戦士として幾多のいぬ共を血祭りに上げてきた男だぞ! 貴様ごときにわかった様な口で評されてたまるかよ!)

 わたりは考える。
 彼の人生は生半可なものではなかった。
 父親の夢を失ったこと、夢見たことすらも否定されたこと――そんな自分の運命に膝を屈することなく、現実に中指を立てて槍で刺し殺してきたのが彼の人生だった。
 華族の代わりとした組織で、親の代わりとした男と同じ夢を、ふさがるものをせて追い掛け続ける――だが再び、その生き方は否定されようとしていた。

さきもりわたる、貴様と出会ってから汎ゆる物事にケチが付き始めた。貴様さえ、おれの子飼いとして素直に協力していれば……! あるいは貴様がおれに殺されていればこんなことにはならなかったんだ! 何が最後だ! おれはもう終わりだとでも言うのか! この状況でなんだその余裕は!)

 ふざけやがって!!――堪らず、わたりは怒鳴り上げる。

「状況を見ろさきもりィ!! 貴様はおれに大人しく殺されるしか無いんだよ!!」
「いや、無理だ。お前はぼくを殺せない。人質のこともな」
「何ィ?」
「これまで、ぼくは本気の光線砲を撃っちゃいない。あまり周囲を破壊したくなかったからな。だが、お前が他人を巻き込もうというなら仕方無い。出力を上げ、お前の頭を槍ごと撃ち抜く。あと、店員さんを殺そうと少しでも妙な動きを見せてもな」

 追い詰められたわたりに、わたるの冷徹な宣告が突き刺さる。
 これでは立場が逆であった。
 身動きが取れないのは人質を取った筈のわたりの方だ。

「ぐっ……!」
「悪いが急所を外す期待はするな。流石のぼくも、二度同じ間違いは犯さない」

 わたりの胸中は次第に絶望の闇に覆われていく。
 最早完全に手詰まりである。
 そんな彼に対し、わたるは続けて言い聞かせる。

「もう降参しろ。そうすればお前には、少なくとも公正な裁判を受ける権利が保障される」

 わたるの言葉に、わたりは更に頭に血を上らせる。
 額に青筋が浮かび、目蓋がけいれんしている。
 この期に及んで、彼の思考はまだわたるへの罵声を並べていた。

(このおれにまだ情けを掛けるつもりか! ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなよ! 安く見やがってえええっっ!! 敵に情けを掛けられるなど、そんなものは戦士のっ! 戦士の……!)

 敵に情けを掛けられるなど戦士の……――その言葉が頭によぎった瞬間、わたりの思考は突然凍り付いた。

「あ……あ……」

 わたりは気付いてしまった。
 店員の拘束が緩む。

(敵に情けを掛けられるなど……戦士の名折れ……。おれはあの時……こいつに情けを掛けられた……。刺せたはずの止めを刺されず、心の臓を撃ち抜かれず、おれは助かった……。なんということだ……。要するにおれは、前の戦いでとっくに戦士として終わっていたんだ……。そんなことにも気付かず、殻を破ったなどと吹いたおれは……)

 本当は解っていたのかも知れない。
 わたるに殺されなかった、情けを掛けられてしまったからこそ、戦士として再起する為にわたるを付け狙ったのだ。
 そして今、手も足も出なかった挙げ句再び情けを掛けられた。
 これでは全くの道化ではないか。

嗚呼ああ、もう駄目だ……)

 進退窮まったわたりは自分の現状を客観的に理解してしまった。
 かげですっかり冷めてしまった。
 自覚してしまった以上、憎しみに身を任せて狂い続けることなど出来ない。
 わたりは店員の拘束を解き、熱の冷めた無の表情で力無くうなれる。

「もう……良い……」

 わたりの体が光に包まれ、肉の槍が元の人間の姿に収まった。
 戦意を失い、能力を解除したのだ。
 最早これ以上わるきを続ける意思は無かった。

さきもりおれは……どうすれば良い?」

 わたりの言葉は嘘の様に静かだった。
 彼を覆っていた暴力性、狂気は完全にせていた。
 その様子を見たわたるもまた、能力を解除して光線砲ユニットを腕から消した。

わたりぼく達は日本に逃げてきたおおかみきばを探して捕まえなければならない」
おれに同志を売れということか……」

 わたりを閉じた。

「そういうことになるな」
「解った、観念するさ……。思い返してみれば、おれは理想の家族をおおかみきばという組織に求めていただけだったからな……」

 わたりそうせんたいおおかみきばはしった動機、それは「父親と同じ夢を見た家族」という物語を否定され、自らの存在意義を失った様に感じたからだった。

 解りたくなどなかった。
 父親は自分の夢にかまけ、家族をないがしろにしたろくでもない男だった、と。
 しかし、同じ夢を見た自分を否定して何食わぬ顔で幸せになるなど、耐えられなかった。
 過去に何を思い生きてきたのか、それこそは正しく自分の構成要素なのだから。

 わたりりんろうが求めたもの、それは物語の肯定だった。
 彼が間違いを犯したとすれば、物語の否定の否定に奔ってしまったことだ。
 結局それは、自らが本当に求めた物語を捨て、代わりにならない代わりを追い求めて物語すら汚すだけの自傷行為だった。
 もしも彼が自分の中の美しい物語を糧にして、力強く生きていくことが出来れば……。

「一応言っておくが、黙秘権はあるぞ?」
「良いと言っている」

 わたりは両手をわたるに差し出した。

「そうか。まあかく連行する。と言っても手錠は持ってないからな……。代わりにこれで……」

 コンビニの床から木のつるが生えてきた。
 わたるはそれを千切ると、わたりの両手を縛った。

「これは……ずみふたの能力ではないのか? どうして貴様が……」
「まあ、色々あったんだよ」
「ふん、おれには関係のない話か……」

 わたりわたるに連れられ、二人してコンビニから外へと出た。
 夏の残り香が消えない、ぬくい夜の空気が二人を包む。
 虫の音が妙にい夜だった。

 だが、わたるがスマートフォンを取り出して電話を掛けようとしたとき、交差点の中央で風が激しく渦巻いた。
 不穏な空気に、二人の視線は渦へと向く。
 何処からともなく、男の声が聞こえてきた。

『散々人を傷付け、にじり、さつりくしてきた鬼畜が改心してお縄に付く、これにて一件落着……などと、そんな都合の良い結末が許されるとでも思っているのか?』

 突如、一人の大男が二人の前に現れた。
 ながやりを携えた、中世の武士を思わせるちの偉丈夫だ。
 その男を見て、わたるは驚愕の表情と共に相手の名をつぶやいた。

つきしろ……さく……」

 こうこくの元首相・のうじょうづきの秘書、そしてきゅうの調査対象の一人、つきしろさく
 その男は己のきよを見せつける様に、不敵な笑みを浮かべつつ、わたるわたりの前に仁王立ちしていた。
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