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第四章『朝敵篇』
第八十話『襲撃』 破
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病院内という狭い空間に於いて、繭月の術識神為は能力の真価を発揮出来ない。
飛行能力が封じられてしまう上、こういう建築物には法律上の義務として一定以上の火気に反応して作動する消火装置が備わっており、火力を上げ過ぎると能力自体を発動出来なくなってしまう。
この戦い、繭月は最初から非常に不利な状況にあった。
(沙華は屋渡に匹敵する革命戦士。能力が知られている以上、解っている筈……)
繭月は後退った。
実のところ、彼女は前回沙華にほぼ完敗している。
十桐が割り込んで有耶無耶になったものの、鞭で体を縛られるところまで行っている。
沙華の能力の性質上、それは敗北と同義であった。
「威勢良く出て来た割にはビビっているようだな。当然か。あの時、私はこの鞭でお前を縛った。そしてこの鞭には、触れた者を毒で侵す能力がある。もしあの時と結果が同じなら、今度は容赦無く毒殺してやろう」
沙華が髪の毛を束ねた鞭を片手に躙り寄る。
「今、この場の地の利は私にある!」
猛毒の鞭が繭月に襲い掛かる。
沙華の能力は髪の毛を伸ばし束ねて、猛毒の鞭を作り出すことだ。
この毒は即効性こそ無いものの、戦いが続く中でじわじわと体を蝕み衰弱させる。
神為が万全の状態であればそれ程時間を掛けずに解毒出来るが、鞭を受ける度に毒の効き目は増していき、衰弱も早まっていく。
繭月は火力を極限まで抑え、小さな翼から黒い結晶弾を発射した。
一発、二発の結晶弾では沙華の鞭捌きを前に叩き落とされてしまう。
数を打てば鞭を掻い潜って沙華まで届くが、的中したとてこの威力では決定打には程遠い。
(高火力は出せない一方、長期戦になっても不利……。全く、厄介な状況ね……)
沙華の鞭は結晶弾を防ぎつつも繭月に幾度と無く襲い掛かり、脅かす。
繭月の能力は攻撃力・回避力は抜群なのだが、防御力には乏しい。
一発、二発と鞭の先端が繭月の体を掠め、服の破れからどす黒い痣が覗いていた。
「狭い場所でよく躱すな。なら奥の手で一気に決着を付けてやる!」
そう言うと沙華は鞭の先端を一度手元に戻した。
そして先端と柄を張り伸ばし、繭月に狙いを定める。
『鞭技・曼珠沙華』
鞭が繭月に向けて飛んできた。
(今までと何が違うというの?)
繭月は鞭の動きを見極め、攻撃を躱そうとする。
だが先端が到達する直前、鞭は突如無数に枝分かれして拡がった。
それは丁度、巨大な彼岸花の様に。
分かれた鞭は廊下を完全に覆い、繭月の逃げ道を塞いでしまったしまった。
「抑も、私の鞭は元々髪の毛を束ねたもの! 故に、いくらでも分裂させることが出来る! 更に、一発の被弾でお前を侵す毒の効力は束ねているときと変わらない! 肉を打つ一瞬で鞭全体から毒を送り込むからな! さあ、滅多打ちにしてやる!」
沙華の鞭は肉を打つ瞬間、毒の侵食と再生産を同時に行う。
つまりこの分裂した鞭であっても、一発喰らえば一発分、十発喰らえば十発分の毒が繭月を襲うことになる。
ただでさえ既に何発か貰っているところ、これ程の攻撃を受けてしまうと、それだけで致死量に達してしまってもおかしくはない。
「だったら!」
繭月は敢えて前へと踏み出した。
鞭がどれ程大量に分裂しようが、元は一本に束ねられたものである。
つまり、手元に迫れば纏めて掴むことが出来る。
「くっ!」
そして沙華の能力は、屋渡の槍とは違い変幻自在という訳ではない。
あくまでも彼女の巧みな鞭捌きで縦横無尽に操っているだけで、根元の動きを封じられれば先端だけで相手を狙うような芸当は不可能である。
状況は一転、今度は沙華から繭月の結晶弾を防御する術が失われた。
繭月はここぞとばかりに大量の結晶弾を生成し、沙華に集中砲火を浴びせようとする。
「舐めるなよ!」
沙華は強引に鞭を引き、繭月の体を自分の方へと引き寄せた。
そして、繭月の腹に蹴りを見舞う。
「ぐはっ……!」
「私は一流の戦士だ! 鞭を取られただけで何も出来なくなる女とでも思ったか!」
沙華は蹴り技の連続で繭月を滅多打ちにする。
「繭月百合菜! 平和な国で生温い人生を送ってきたお前が! 私の復讐を邪魔しようとするな! これが! この戦闘力が! 私の懸けてきたものの重みだ!」
凄まじい連続蹴りの前に、繭月は膝から崩れ落ちてしまった。
しかし、それでも鞭だけは手放さずに掴み続けている。
もし手を離してしまっていたら、倒れている隙に毒鞭で滅多打ちにされて死んでしまっていただろう。
「チッ、しぶといな……」
沙華は頭を抱えて繭月を見下ろしていた。
そんな中、繭月は嘗て沙華が語った過去を思い出す。
妹と贔屓されて育てられたこと、自身も己の人生が妹の為に捧げられることを察していたこと、妹は決して憎めない良い娘だったこと、そんな妹が、華族に見初められたが為に悲惨な末路を辿ってしまったこと……。
「沙華珠枝、貴女が皇國を恨む気持ちは解る。私も大切な人を喪ったから……」
繭月はゆっくりと立ち上がる。
彼女は今一度、沙華に問い掛けたかった。
「でも、だからといって無関係な人達を傷付けて赦される筈が無い。狼ノ牙は罪も無い多くの人を傷付け、犠牲にしてきた。私の恋人もその一人。その痛みを、世の中を変える為だからと受け容れられはしないのよ。貴女もそのことは解っているでしょう?」
「下らない説教だな。犠牲に躊躇うくらいなら、初めから社会に復讐しようなんて思わないさ」
「それが本当に妹さんの望みなの? お姉さんが罪も無い他人を傷付け、その果てに海外まで逃げて、そこでもまた犠牲を出そうとしている……。自分の為にそんなことをされて、それで妹さんが喜ぶとでも思っているの?」
繭月の問い掛けに、沙華は眉根を寄せて苦悶の表情を見せた。
しかし、すぐに口角を釣り上げ、歪んだ笑みを作り上げる。
「今日日、そんな黴の生えた説教を聞けるとは思わなかったよ。答えはやり尽くされた反論と同じだ。別に妹の為じゃない、あいつがそうしてくれと望もうが望むまいが関係無いんだよ。これは私の復讐だ! 私が私の為に、私がやりたいからやってるんだよ!」
「そう……それが貴女の答えなんだ……」
繭月は静かに、しかし強い意志を込めて沙華を睨む。
「貴女が他人を傷付けるのは誰の為でも無く自分の為だと、自分がやりたいから他人を傷付けるって言うのね。そんなのは最早ただの愉快犯、快楽殺人鬼と変わらない。だったらもう、貴女に容赦はしない!」
繭月は背中から勢い良く焔の翼を噴き出させた。
沙華は驚愕に目を見開いている。
「莫迦な、何を考えている!」
突然の火の手に院内の警報装置が鳴り、天井の噴水装置が作動する。
大量の水飛沫が繭月と沙華を打ち付けた。
折角形成した焔の翼は一瞬で消えてしまう。
しかし、沙華もまた追撃どころではない。
「ぐっ!」
何せ、能力の為に髪の毛を伸ばしていたところに突然の放水である。
前髪と水飛沫が沙華の目に掛かり、彼女は一瞬視界を失う。
その隙に繭月は沙華へと体当たりを敢行した。
「ぐおおおおっ……!?」
繭月は沙華の体にしがみ付き、無人の病室へと体を突っ込む。
更にそのまま窓の方へと沙華を押し込んでいき、遂には二人して窓から飛び出した。
この瞬間、沙華は繭月の狙いと自身の敗北を察したらしく、目を皿の様に見開いて狼狽する。
繭月は再度焔の翼を纏った。
沙華は鞭を振るって悪足掻きをするが、自在に宙空を飛び回れる繭月にとって回避は容易かった。
「く、糞おォッッ!!」
自由落下に抗えない沙華の決定的不利は、文字通り火を見るより明らかだ。
ただ落ちるしかない沙華に向けて、繭月は無数の結晶弾を放った。
加減無し、燃え盛る結晶の火力は最大級である。
その射撃を真面に受けた沙華の身体は地面に激しく叩き付けられた。
「ぐっ……、ぐはッ……!」
沙華は身動きが取れない。
四肢の筋が千切れ腱が切れ穴が開き、修復もままならない。
それは彼女の神為が尽きてしまったことを明瞭に表していた。
繭月はゆっくりと沙華の傍らに着地する。
「だ、駄目なのかッ!? 私は……!」
「急所は外してあるわ。今度こそお縄についてもらう」
「何故ッ!? どうして!? 私はどうすれば良かったんだ! 妹すら幸せになれない世界に生まれて! その世界を壊す事すら絶望的で! 私の人生は一体何だったんだぁ!!」
繭月は悪態を吐く沙華に憐れみを覚え、諭す様に小さく答えた。
「貴女には貴女の幸せが無かったの? 幸せになる権利は誰にでもあるのに。幸せになれたのは貴女の方だったかもしれないのに……。貴女は自分の為の復讐を、他人を平気で傷付ける道を選んだ。その選択の結果、報いとして今がある」
沙華の表情に憎しみの色が滲む。
歪んだ表情は、繭月の言葉を受け容れたものには程遠い。
「軽々しく言うなよ……! 私の分の幸せは全部妹に注がれたことも知らないでっ……! 誰も私に幸せなんかくれなかった……!」
「貴女は……本当は妹さんを憎みたかったのね……。でも、出来なかった。妹さんが素直な良い娘で、それを理解出来る善性が貴女には有ったから……」
繭月は考察する――沙華珠枝は妹を憎み切れなかったが、愛していた訳でもなかった。
自分の幸せが妹に吸われ、妹に全てを捧げる人生を押し付けられてきたという、運命への不公平感――それが沙華を支配していたのだ。
不公平感が妹の悲惨な死によって解消され、新しい人生が拓ければ良かったのだろうが、沙華は「自分が妹より幸せになることは無い」と思い込んでしまっていた。
軈てそれは妹さえ幸せにしなかった皇國社会への呪いに変わり、不毛な八つ当たりを続けてきた。
「誰かに本音を言えていれば……貴女の運命は変わったかも知れない……。自分の中にある不条理な、醜い感情を曝け出すことが出来ていれば……」
「そう……か……」
月明かりに照らされた沙華の表情が、次第に険しさが失せていく。
少しずつ、繭月の言わんとすることを理解してきたらしい。
「お前は本音を誰かに言えたのか?」
「過去形だけどね。そう考えると、私は恵まれていたのかも知れない」
「恋人が狼ノ牙の犠牲になったんだったか……。そいつが死んだ今、それでもお前はもう一度幸せになれるのか?」
「さあ? でも、また一から探し直すしかないじゃない。自分の手で幸せを……」
沙華は目を閉じた。
今度こそ、彼女は自分の運命と罪を受け止められたようだ。
しかしその時、闇夜の空に無数の短剣が閃いた。
天使の様な装飾を施されたそれは、悪魔の様に禍々しい殺意を沙華に向けていた。
「あれはッ!!」
沙華が瞠目した瞬間、それらの短剣は彼女の体を滅多刺しにした。
これでは最早助からない。
「戦闘一族……枚辻家の『殺戮人形』……枚辻……埜愛瑠……!」
沙華は吐血しながら自身を殺害した人物の名を呟き、絶命した。
同時に、銀髪色白の小柄な少女・枚辻埜愛瑠が、漆黒の衣装を纏って闇空から降り立った。
枚辻家は戦闘一族として名高い新華族であり、一族の者には幼少期から厳しい戦闘訓練が課されている。
十五歳にして国防軍鯱乃神隊に所属し、撃墜王の一人に名を連ねる枚辻磊人少尉もその一人である。
そして埜愛瑠は、そんな枚辻家の中でも最高傑作と評されている。
狼ノ牙などの叛逆勢力は彼女を畏れ、「殺戮人形」の異名で呼んでいるのだ。
「何故殺したの?」
繭月は埜愛瑠に問質した。
埜愛瑠は人形の様な無表情をぴくりとも動かさず、淡白に答える。
「生かす理由が無いから」
「貴女、何を言っているの?」
「普通のことを言っている。叛逆者と蛮族は理由があれば生かす。沙華珠枝は叛逆者。足跡を辿って狼ノ牙の隠れ処を探すには死体があれば充分。だから殺した」
埜愛瑠の回答に、繭月は背筋の凍る様な思いをした。
それは凡そ、常識からかけ離れたものだった。
嘗て皇國に奔ろうとした虎駕憲進に根尾弓矢が喝破したとおり、皇國貴族は叛逆者と見做した者を平然と殺す。
その価値観に基づいた殺人が、皇國ではなく日本国で行われたのだ。
これは後に禍根を残すことになる。
それが武装戦隊・狼ノ牙との、本来負ける筈が無い戦いを極めて不利なものにしてしまうのだ。
飛行能力が封じられてしまう上、こういう建築物には法律上の義務として一定以上の火気に反応して作動する消火装置が備わっており、火力を上げ過ぎると能力自体を発動出来なくなってしまう。
この戦い、繭月は最初から非常に不利な状況にあった。
(沙華は屋渡に匹敵する革命戦士。能力が知られている以上、解っている筈……)
繭月は後退った。
実のところ、彼女は前回沙華にほぼ完敗している。
十桐が割り込んで有耶無耶になったものの、鞭で体を縛られるところまで行っている。
沙華の能力の性質上、それは敗北と同義であった。
「威勢良く出て来た割にはビビっているようだな。当然か。あの時、私はこの鞭でお前を縛った。そしてこの鞭には、触れた者を毒で侵す能力がある。もしあの時と結果が同じなら、今度は容赦無く毒殺してやろう」
沙華が髪の毛を束ねた鞭を片手に躙り寄る。
「今、この場の地の利は私にある!」
猛毒の鞭が繭月に襲い掛かる。
沙華の能力は髪の毛を伸ばし束ねて、猛毒の鞭を作り出すことだ。
この毒は即効性こそ無いものの、戦いが続く中でじわじわと体を蝕み衰弱させる。
神為が万全の状態であればそれ程時間を掛けずに解毒出来るが、鞭を受ける度に毒の効き目は増していき、衰弱も早まっていく。
繭月は火力を極限まで抑え、小さな翼から黒い結晶弾を発射した。
一発、二発の結晶弾では沙華の鞭捌きを前に叩き落とされてしまう。
数を打てば鞭を掻い潜って沙華まで届くが、的中したとてこの威力では決定打には程遠い。
(高火力は出せない一方、長期戦になっても不利……。全く、厄介な状況ね……)
沙華の鞭は結晶弾を防ぎつつも繭月に幾度と無く襲い掛かり、脅かす。
繭月の能力は攻撃力・回避力は抜群なのだが、防御力には乏しい。
一発、二発と鞭の先端が繭月の体を掠め、服の破れからどす黒い痣が覗いていた。
「狭い場所でよく躱すな。なら奥の手で一気に決着を付けてやる!」
そう言うと沙華は鞭の先端を一度手元に戻した。
そして先端と柄を張り伸ばし、繭月に狙いを定める。
『鞭技・曼珠沙華』
鞭が繭月に向けて飛んできた。
(今までと何が違うというの?)
繭月は鞭の動きを見極め、攻撃を躱そうとする。
だが先端が到達する直前、鞭は突如無数に枝分かれして拡がった。
それは丁度、巨大な彼岸花の様に。
分かれた鞭は廊下を完全に覆い、繭月の逃げ道を塞いでしまったしまった。
「抑も、私の鞭は元々髪の毛を束ねたもの! 故に、いくらでも分裂させることが出来る! 更に、一発の被弾でお前を侵す毒の効力は束ねているときと変わらない! 肉を打つ一瞬で鞭全体から毒を送り込むからな! さあ、滅多打ちにしてやる!」
沙華の鞭は肉を打つ瞬間、毒の侵食と再生産を同時に行う。
つまりこの分裂した鞭であっても、一発喰らえば一発分、十発喰らえば十発分の毒が繭月を襲うことになる。
ただでさえ既に何発か貰っているところ、これ程の攻撃を受けてしまうと、それだけで致死量に達してしまってもおかしくはない。
「だったら!」
繭月は敢えて前へと踏み出した。
鞭がどれ程大量に分裂しようが、元は一本に束ねられたものである。
つまり、手元に迫れば纏めて掴むことが出来る。
「くっ!」
そして沙華の能力は、屋渡の槍とは違い変幻自在という訳ではない。
あくまでも彼女の巧みな鞭捌きで縦横無尽に操っているだけで、根元の動きを封じられれば先端だけで相手を狙うような芸当は不可能である。
状況は一転、今度は沙華から繭月の結晶弾を防御する術が失われた。
繭月はここぞとばかりに大量の結晶弾を生成し、沙華に集中砲火を浴びせようとする。
「舐めるなよ!」
沙華は強引に鞭を引き、繭月の体を自分の方へと引き寄せた。
そして、繭月の腹に蹴りを見舞う。
「ぐはっ……!」
「私は一流の戦士だ! 鞭を取られただけで何も出来なくなる女とでも思ったか!」
沙華は蹴り技の連続で繭月を滅多打ちにする。
「繭月百合菜! 平和な国で生温い人生を送ってきたお前が! 私の復讐を邪魔しようとするな! これが! この戦闘力が! 私の懸けてきたものの重みだ!」
凄まじい連続蹴りの前に、繭月は膝から崩れ落ちてしまった。
しかし、それでも鞭だけは手放さずに掴み続けている。
もし手を離してしまっていたら、倒れている隙に毒鞭で滅多打ちにされて死んでしまっていただろう。
「チッ、しぶといな……」
沙華は頭を抱えて繭月を見下ろしていた。
そんな中、繭月は嘗て沙華が語った過去を思い出す。
妹と贔屓されて育てられたこと、自身も己の人生が妹の為に捧げられることを察していたこと、妹は決して憎めない良い娘だったこと、そんな妹が、華族に見初められたが為に悲惨な末路を辿ってしまったこと……。
「沙華珠枝、貴女が皇國を恨む気持ちは解る。私も大切な人を喪ったから……」
繭月はゆっくりと立ち上がる。
彼女は今一度、沙華に問い掛けたかった。
「でも、だからといって無関係な人達を傷付けて赦される筈が無い。狼ノ牙は罪も無い多くの人を傷付け、犠牲にしてきた。私の恋人もその一人。その痛みを、世の中を変える為だからと受け容れられはしないのよ。貴女もそのことは解っているでしょう?」
「下らない説教だな。犠牲に躊躇うくらいなら、初めから社会に復讐しようなんて思わないさ」
「それが本当に妹さんの望みなの? お姉さんが罪も無い他人を傷付け、その果てに海外まで逃げて、そこでもまた犠牲を出そうとしている……。自分の為にそんなことをされて、それで妹さんが喜ぶとでも思っているの?」
繭月の問い掛けに、沙華は眉根を寄せて苦悶の表情を見せた。
しかし、すぐに口角を釣り上げ、歪んだ笑みを作り上げる。
「今日日、そんな黴の生えた説教を聞けるとは思わなかったよ。答えはやり尽くされた反論と同じだ。別に妹の為じゃない、あいつがそうしてくれと望もうが望むまいが関係無いんだよ。これは私の復讐だ! 私が私の為に、私がやりたいからやってるんだよ!」
「そう……それが貴女の答えなんだ……」
繭月は静かに、しかし強い意志を込めて沙華を睨む。
「貴女が他人を傷付けるのは誰の為でも無く自分の為だと、自分がやりたいから他人を傷付けるって言うのね。そんなのは最早ただの愉快犯、快楽殺人鬼と変わらない。だったらもう、貴女に容赦はしない!」
繭月は背中から勢い良く焔の翼を噴き出させた。
沙華は驚愕に目を見開いている。
「莫迦な、何を考えている!」
突然の火の手に院内の警報装置が鳴り、天井の噴水装置が作動する。
大量の水飛沫が繭月と沙華を打ち付けた。
折角形成した焔の翼は一瞬で消えてしまう。
しかし、沙華もまた追撃どころではない。
「ぐっ!」
何せ、能力の為に髪の毛を伸ばしていたところに突然の放水である。
前髪と水飛沫が沙華の目に掛かり、彼女は一瞬視界を失う。
その隙に繭月は沙華へと体当たりを敢行した。
「ぐおおおおっ……!?」
繭月は沙華の体にしがみ付き、無人の病室へと体を突っ込む。
更にそのまま窓の方へと沙華を押し込んでいき、遂には二人して窓から飛び出した。
この瞬間、沙華は繭月の狙いと自身の敗北を察したらしく、目を皿の様に見開いて狼狽する。
繭月は再度焔の翼を纏った。
沙華は鞭を振るって悪足掻きをするが、自在に宙空を飛び回れる繭月にとって回避は容易かった。
「く、糞おォッッ!!」
自由落下に抗えない沙華の決定的不利は、文字通り火を見るより明らかだ。
ただ落ちるしかない沙華に向けて、繭月は無数の結晶弾を放った。
加減無し、燃え盛る結晶の火力は最大級である。
その射撃を真面に受けた沙華の身体は地面に激しく叩き付けられた。
「ぐっ……、ぐはッ……!」
沙華は身動きが取れない。
四肢の筋が千切れ腱が切れ穴が開き、修復もままならない。
それは彼女の神為が尽きてしまったことを明瞭に表していた。
繭月はゆっくりと沙華の傍らに着地する。
「だ、駄目なのかッ!? 私は……!」
「急所は外してあるわ。今度こそお縄についてもらう」
「何故ッ!? どうして!? 私はどうすれば良かったんだ! 妹すら幸せになれない世界に生まれて! その世界を壊す事すら絶望的で! 私の人生は一体何だったんだぁ!!」
繭月は悪態を吐く沙華に憐れみを覚え、諭す様に小さく答えた。
「貴女には貴女の幸せが無かったの? 幸せになる権利は誰にでもあるのに。幸せになれたのは貴女の方だったかもしれないのに……。貴女は自分の為の復讐を、他人を平気で傷付ける道を選んだ。その選択の結果、報いとして今がある」
沙華の表情に憎しみの色が滲む。
歪んだ表情は、繭月の言葉を受け容れたものには程遠い。
「軽々しく言うなよ……! 私の分の幸せは全部妹に注がれたことも知らないでっ……! 誰も私に幸せなんかくれなかった……!」
「貴女は……本当は妹さんを憎みたかったのね……。でも、出来なかった。妹さんが素直な良い娘で、それを理解出来る善性が貴女には有ったから……」
繭月は考察する――沙華珠枝は妹を憎み切れなかったが、愛していた訳でもなかった。
自分の幸せが妹に吸われ、妹に全てを捧げる人生を押し付けられてきたという、運命への不公平感――それが沙華を支配していたのだ。
不公平感が妹の悲惨な死によって解消され、新しい人生が拓ければ良かったのだろうが、沙華は「自分が妹より幸せになることは無い」と思い込んでしまっていた。
軈てそれは妹さえ幸せにしなかった皇國社会への呪いに変わり、不毛な八つ当たりを続けてきた。
「誰かに本音を言えていれば……貴女の運命は変わったかも知れない……。自分の中にある不条理な、醜い感情を曝け出すことが出来ていれば……」
「そう……か……」
月明かりに照らされた沙華の表情が、次第に険しさが失せていく。
少しずつ、繭月の言わんとすることを理解してきたらしい。
「お前は本音を誰かに言えたのか?」
「過去形だけどね。そう考えると、私は恵まれていたのかも知れない」
「恋人が狼ノ牙の犠牲になったんだったか……。そいつが死んだ今、それでもお前はもう一度幸せになれるのか?」
「さあ? でも、また一から探し直すしかないじゃない。自分の手で幸せを……」
沙華は目を閉じた。
今度こそ、彼女は自分の運命と罪を受け止められたようだ。
しかしその時、闇夜の空に無数の短剣が閃いた。
天使の様な装飾を施されたそれは、悪魔の様に禍々しい殺意を沙華に向けていた。
「あれはッ!!」
沙華が瞠目した瞬間、それらの短剣は彼女の体を滅多刺しにした。
これでは最早助からない。
「戦闘一族……枚辻家の『殺戮人形』……枚辻……埜愛瑠……!」
沙華は吐血しながら自身を殺害した人物の名を呟き、絶命した。
同時に、銀髪色白の小柄な少女・枚辻埜愛瑠が、漆黒の衣装を纏って闇空から降り立った。
枚辻家は戦闘一族として名高い新華族であり、一族の者には幼少期から厳しい戦闘訓練が課されている。
十五歳にして国防軍鯱乃神隊に所属し、撃墜王の一人に名を連ねる枚辻磊人少尉もその一人である。
そして埜愛瑠は、そんな枚辻家の中でも最高傑作と評されている。
狼ノ牙などの叛逆勢力は彼女を畏れ、「殺戮人形」の異名で呼んでいるのだ。
「何故殺したの?」
繭月は埜愛瑠に問質した。
埜愛瑠は人形の様な無表情をぴくりとも動かさず、淡白に答える。
「生かす理由が無いから」
「貴女、何を言っているの?」
「普通のことを言っている。叛逆者と蛮族は理由があれば生かす。沙華珠枝は叛逆者。足跡を辿って狼ノ牙の隠れ処を探すには死体があれば充分。だから殺した」
埜愛瑠の回答に、繭月は背筋の凍る様な思いをした。
それは凡そ、常識からかけ離れたものだった。
嘗て皇國に奔ろうとした虎駕憲進に根尾弓矢が喝破したとおり、皇國貴族は叛逆者と見做した者を平然と殺す。
その価値観に基づいた殺人が、皇國ではなく日本国で行われたのだ。
これは後に禍根を残すことになる。
それが武装戦隊・狼ノ牙との、本来負ける筈が無い戦いを極めて不利なものにしてしまうのだ。
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〝この地はあなたが創造した聖地。あなたがこの地を去らない限りこの地を必要とするもの以外は誰も踏み入れませんよ〟
そんな言葉から始まるシントののんびりとした生活。
同じように行き場を失った少女や幻獣や精霊、妖精たちなど様々な面々が集まり織りなすスローライフの幕開けです。
※この小説はカクヨム様でも連載しています。アルファポリス様とカクヨム様以外の場所では公開しておりません。
最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。
みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。
高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。
地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。
しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。
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