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第四章『朝敵篇』
第八十五話『無常』 破
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ホテルに到着した航達は白檀揚羽と合流し、いつもの会議室で事情聴取の続きに入った。
同じホテルに宿泊する水徒端早辺子に十桐綺葉、そして鬼獄東風美も同席している。
中でも東風美は激しい敵意を剥き出しにした視線を双葉へと向けていた。
「扨て、もう一度確認しておこう」
そんな重い空気の中、根尾が切り出した。
「君は帰国してから何度か椿陽子と密会し、相手側の事情を聞かされている。間違い無いか?」
「ええ、そうですよ」
「それで、昨日も会ったんだな?」
「はい」
「そしてその現場を皇國新華族令嬢の二人、枚辻埜愛瑠と別府幡黎子に押さえられた」
根尾は一つ一つ、双葉のみに起きたこ事を読み上げていく。
しかし、新華族令嬢の名前が出たところで、双葉の眼に再び反抗的な光が点った。
「ええ。それで、向こうから襲ってきたんですよ!」
「何? それは妙だ。椿陽子と道成寺陰斗に関しては我が国側で解決する為、皇國側の手出しは無用と言ってあった筈だし、合意も得ていた筈だが……。水徒端嬢、どういうことか説明願いたい」
新華族令嬢の指揮を任されていた水徒端早辺子に白羽の矢が立てられた。
「仰るとおりに御座います。しかし、申し訳御座いません」
「根尾殿、水徒端のみの責任では御座いません。我も彼女の後楯として二人の同行に眼を光らせておくべきでした」
早辺子と共に、十桐も深々と頭を下げた。
「そりゃこうなるに決まってますよ」
東風美が怒りを孕んだ溜息と共に割って入った。
「どうして伯爵令嬢たる私や子爵令嬢たる埜愛瑠と黎子を男爵令嬢に過ぎない水徒端早辺子の下に付けたんですか? そんなの、気分が悪いに決まっています! 適当な口実で自己判断するなんて、目に見えているじゃないですか!」
「鬼獄お前、口が過ぎるぞ。水徒端はお前達より年長者じゃろうが」
「関係ありません! 旧華族の上級貴族方は新華族の家格を軽く見過ぎです! この際ですから、十桐様、私からはっきりと抗議させていただきます!」
鬼獄はこれまでの不満が堰を切った様に、六摂家の公爵たる十桐に口答えした。
だがこの流れに任せては話が脱線してしまう。
根尾が一つ、咳払いして二人を諫めた。
「話を戻そう。つまり、二人は何か我々の意向を無視する理由を付けて襲い掛かってきたから、君は椿陽子と協力して応戦したと、こういうことかな?」
「ええ、そうですよ!」
双葉は根尾を、そして周囲を睨んだ。
その眼は政府関係者の白檀だけでなく、航と魅琴にも向けられた。
彼女は明らかに、友人二人に対しても怒りを見せていた。
「あの二人が言っていたのはこうです。『椿陽子には日本側と通じている人間がいる。それを明らかにするために、日本側だけで捜査をしたいと言われた。でも、今その内通者が明らかになった以上ここで始末しても問題ない』とね! つまり、こういうことでしょう? 初めから私は疑われていた! 岬守君も麗真さんも友達面して近づいて、結局のところこっちの懐の内を探っていたんだ!」
「久住さんっ……!」
航は双葉の怒りの理由に漸く気付いた。
埜愛瑠と黎子の言葉から、特殊防衛課が双葉を敵として見ていると思ってしまった。
それだけではない。
友達だと思っていた航と魅琴も、それに加担して自分に探りを入れてきたと考えた。
双葉は二人に自分達の友情を、気に入らないこの組織の為に利用されたと思って怒っていたのだ。
「聴いてくれ、久住さん。そうじゃないんだ。誤解なんだよ」
「何が?」
双葉の冷たい視線が航に突き刺さる。
しかし、航は退けなかった。
そう、双葉は一つ思い違いをしている。
その理由は特殊防衛課側にあるのだが、兎に角彼女が誤解しているというのは確かなのだ。
「根尾さん、言っても良いですよね?」
「……この際だ、已むを得ん」
根尾も渋々頷いた。
「抑も、僕達は初めから内通者が居ると思っていた訳じゃないんだ。皇國側にそう言ったのは、椿とその弟を日本側だけで追う為の方便だったんだよ」
「は? 何を言ってるの?」
双葉の眼からは疑いの色が消えていない。
襲われた翌日にその理由が嘘だったと言われて、納得がいく筈も無いだろう。
そしてそれは、皇國側も同じだった。
「それはどういうことでしょう?」
早辺子の声色にも怒りが混じっている。
彼女と東風美もまた、根尾に詰め寄った。
「詳しく説明していただきたいですね。私達にも納得出来るように」
「珍しく良い事を言いますね、水徒端さん。私も知りたいです」
気不味い空気が会議室内に充満していた。
「謝罪せねば……ならないでしょうね……」
根尾は全員に距離を取り、向き直って一息吐いた。
そして頭を下げる……のではなく、その前に床に膝を突いた。
「ちょっと、根尾さん!?」
航は動揺した。
根尾が何をしようとしているのかは明らかだった。
結果的に、自分の判断で彼にとんでもないことをさせようとしている。
そして、やはり根尾は額を床に着けて全員に土下座をした。
「申し訳御座いません。自分は勝手な憶測と個人的な心情で嘘を吐いたのです。その結果、二人の新華族令嬢にあらぬ誤解をさせ、結果的に久住双葉さんを危険な目に遭わせ、二人の消息が絶たれるという事態を呼び込んでしまいました。その咎、この通り心よりお詫び申し上げます」
航は言葉を失った。
この場をどう保たせれば良いのか見当も付かなかった。
自分も根尾と一緒になって謝るべきだろうか。
しかし、それを実行する前に東風美が根尾に早足で歩み寄った。
そして、彼を見下ろしてこう告げる。
「頭を上げてください」
その言葉には有無を言わさぬ迫力があった。
今この瞬間だけ、顔の似た魅琴が彼女に乗り移ったかの様だった。
根尾は苦い表情でゆっくりと頭を上げる。
その顔に、東風美の平手が飛んだ。
「なっ!」
「東風美……」
大きな音に驚く航、その隣に居る魅琴は冷静だった。
勝手な行動で自分の親しい人間に手を挙げた東風美に対し、咎めることもしない。
今回、東風美にそうする理由と根尾にそうされる理由が充分有ると判断したのだろう。
「貴方の謝罪はどうでも良いです。ちゃんと説明してください」
これも、尤もな言葉だった。
ある意味、彼女の御陰で話を本筋に戻すことが出来る。
根尾は立ち上がると、再び双葉に視線を投げ掛けた。
「先程岬守君から説明があったとおり、内通者の話は出任せです。それは椿陽子の捜査を日本国側だけで行いたかったが為です。そしてその理由は、自分よりも久住さんの方がお詳しいでしょう」
「は? どういうことですか?」
「我々は椿陽子と道成寺陰斗について、他の連中とは違って何らかの事情があって狼ノ牙に協力させられていると踏んでいたのです。二人に帰国を助けて貰ったこと、そしてその中で、他ならぬ久住双葉さんが仰っていた言葉を信じた。だから椿陽子と道成寺陰斗に関しては日本国側で捕縛し、国内に留めるつもりだった。皇國側に引き渡してしまえば、国家叛逆罪として確定死罪となってしまいますからね」
「え……?」
双葉は瞠目し、根尾から目を逸らした。
「久住さん、教えてくれ」
航も双葉に問い掛ける。
「君は椿から、あいつの抱える事情を聞かされたんだろう? 僕達は椿を助けたいんだ。君だってそうだろう? だから、密かに会っていたんじゃないか?」
「それは……そうだけど……」
「久住さん、一つ」
今度は魅琴が話に加わる。
「正直に言うわ。実を言うと、貴女から椿陽子に情報が漏れている可能性を考えなかった訳じゃない。でも、信じていた。それを確かめたかったの。それを『疑われた』と言われれば、反論は出来ないわね……。けれども貴女を敵だと思ったことは一度も、一瞬たりとも無いわ。それだけはどうか信じて頂戴」
双葉は俯いたまま黙っている。
疑われたことに反感を見せてはいたが、実際彼女は陽子と密会し、病院についてうっかり話してしまっているのだ。
その後ろめたさはどうしてもあるだろう。
とまれ、これで双葉との関係が回復すれば言うことは無い。
しかし、事はそう簡単にいく程単純ではなかった。
「さっきから随分勝手なことを言ってくれますね」
不服げに口を挟んだのは東風美だった。
「要は、叛逆者の一員たる椿陽子に配慮して私達に不当な指示を出していたってことでしょう。私達は狼ノ牙を根刮ぎ始末する為に此処に居るんです。貴方達の指示が無ければ私だって二人に付いて行きました。それなら、其処の女や椿陽子に後れを取ることも無かったんです」
「おい鬼獄、言葉を慎め。抑も、あの二人の独断専行がこの事態を招いたんじゃろうが」
咎める十桐の言うことも聞かず、東風美は双葉に詰め寄った。
「というか、こいつが椿陽子と内通していたのは事実でしょう? 魅琴様の手前堪えていますが、本来ならこの場でぶちのめしてやるところです」
「東風美」
「はいすみません出過ぎた真似でした!」
東風美は魅琴の言葉にだけは素直に従い、その場で引いて背筋を伸ばした。
「それで皆様、久住様の処遇、如何なさるおつもりですか?」
早辺子がこの場を収めるよう根尾に促した。
そんな彼女を受けて、根尾が双葉に歩み寄る。
「東瀛丸を飲まされてしまった以上、このままにしておく訳には行かない。申し訳無いが、こればかりは此方も譲れない」
「また……軟禁生活ですか?」
双葉の顔に再び嫌悪感が浮かび上がる。
どうやら心の奥底にある不信感は最早どうにもならないらしい。
根尾もそれを汲み取ったらしく、懐から小瓶を取り出した。
「君がそれを受け容れられないであろうことは能く解った。これは最終手段だったが、この錠剤を飲んでもらえれば、一日だけ此方に滞在するだけで帰宅してもらって構わない」
「何ですか、それ?」
「扶桑丸と呼ばれるものでな、東瀛丸とは逆に神為を打ち消す薬剤だ」
「へええ……」
双葉は再び根尾を睨み上げた。
「神為を消す薬、ですか。つまり、わざわざ一箇月も軟禁生活をする必要なんて無かったんですね」
「済まない。これは東瀛丸以上に貴重で、おいそれと投与出来るものではなかったんだ。それに、副作用もあってな。服用から二十四時間は、強い発熱に苦しむことになる。一日だけ滞在してほしいというのは、それに備えてのことだ」
「あーはいはい、解りましたよ。上手いこと言って、結局私達を利用したことには変わりないでしょ。岬守君も麗真さんも、よくこんな人の言うこと聞いてるよね」
「お叱りは甘んじて受けよう。しかしこれを飲むか、それともこのまま東瀛丸の効果が切れるまで待つか、この場で選んでくれ」
「決まってるでしょ。もう二度と軟禁生活なんて御免です。また貴方と一箇月も一緒なんて、うんざりします。この際もう一つ言っておきますけど、私、貴方のことずっと嫌いでしたよ。初めて会った時からね」
「そうか……」
双葉は差し出された扶桑丸を受け取ると、そのまま口の中へ放り込んだ。
「白檀、彼女を部屋へ案内してやってくれ」
「アイアイ。さ、久住さん此方へどうぞー。ご気分が優れないなど、不調があったらすぐに連絡してくださいねー」
白檀に連れられ、双葉は会議室から出て行こうとする。
そんな彼女へ、最後に根尾が声を掛ける。
「久住双葉さん。今まで大変ご迷惑をお掛けしました。どうか御達者で」
双葉は頭を下げる根尾に目も呉れず、会議室を出て行った。
「根尾さん、済みません……」
航は居た堪れなくなって根尾に謝った。
自分言葉が切掛で土下座までさせてしまったこと、酷く気が重かった。
「気にしないでくれ、岬守君。俺のやり方がいけなかっただけだ。君は悪くない」
根尾は溜息を吐くと、スマートフォンを取り出した。
彼はこのまま双葉をただ帰してしまう程甘くはない。
「もしもし、息田さん、お願いがあります」
彼は元崇神會総帥・息田琉次郎に電話を掛けた。
息田を始めとした崇神會の面々は現在、特殊防衛課のB班として根尾の指揮下に置かれている。
「B班は貴方含め残り四名、でしたね。その全員で或る人物を影から護衛してください。同時に、当該人物が誰かと密会するようでしたら、此方に報告願います。ええ、どうか宜しくお願いします」
先の病院襲撃で人員を喪い、残り四人にまで数を減らした元崇神會ことB班――その全員を、根尾は双葉の尾行に回した。
こうして、双葉から狼ノ牙の新たな隠れ処を暴こうというのだ。
「私も部屋に戻りますね。言っておきますけど、椿陽子も始末しますから、私」
東風美も会議室を出て行った。
それに続くように、早辺子と十桐も続々とこの場を後にする。
先日旧交を温めて一転、航・魅琴と双葉の間柄は一気に険悪なものとなってしまった。
同じホテルに宿泊する水徒端早辺子に十桐綺葉、そして鬼獄東風美も同席している。
中でも東風美は激しい敵意を剥き出しにした視線を双葉へと向けていた。
「扨て、もう一度確認しておこう」
そんな重い空気の中、根尾が切り出した。
「君は帰国してから何度か椿陽子と密会し、相手側の事情を聞かされている。間違い無いか?」
「ええ、そうですよ」
「それで、昨日も会ったんだな?」
「はい」
「そしてその現場を皇國新華族令嬢の二人、枚辻埜愛瑠と別府幡黎子に押さえられた」
根尾は一つ一つ、双葉のみに起きたこ事を読み上げていく。
しかし、新華族令嬢の名前が出たところで、双葉の眼に再び反抗的な光が点った。
「ええ。それで、向こうから襲ってきたんですよ!」
「何? それは妙だ。椿陽子と道成寺陰斗に関しては我が国側で解決する為、皇國側の手出しは無用と言ってあった筈だし、合意も得ていた筈だが……。水徒端嬢、どういうことか説明願いたい」
新華族令嬢の指揮を任されていた水徒端早辺子に白羽の矢が立てられた。
「仰るとおりに御座います。しかし、申し訳御座いません」
「根尾殿、水徒端のみの責任では御座いません。我も彼女の後楯として二人の同行に眼を光らせておくべきでした」
早辺子と共に、十桐も深々と頭を下げた。
「そりゃこうなるに決まってますよ」
東風美が怒りを孕んだ溜息と共に割って入った。
「どうして伯爵令嬢たる私や子爵令嬢たる埜愛瑠と黎子を男爵令嬢に過ぎない水徒端早辺子の下に付けたんですか? そんなの、気分が悪いに決まっています! 適当な口実で自己判断するなんて、目に見えているじゃないですか!」
「鬼獄お前、口が過ぎるぞ。水徒端はお前達より年長者じゃろうが」
「関係ありません! 旧華族の上級貴族方は新華族の家格を軽く見過ぎです! この際ですから、十桐様、私からはっきりと抗議させていただきます!」
鬼獄はこれまでの不満が堰を切った様に、六摂家の公爵たる十桐に口答えした。
だがこの流れに任せては話が脱線してしまう。
根尾が一つ、咳払いして二人を諫めた。
「話を戻そう。つまり、二人は何か我々の意向を無視する理由を付けて襲い掛かってきたから、君は椿陽子と協力して応戦したと、こういうことかな?」
「ええ、そうですよ!」
双葉は根尾を、そして周囲を睨んだ。
その眼は政府関係者の白檀だけでなく、航と魅琴にも向けられた。
彼女は明らかに、友人二人に対しても怒りを見せていた。
「あの二人が言っていたのはこうです。『椿陽子には日本側と通じている人間がいる。それを明らかにするために、日本側だけで捜査をしたいと言われた。でも、今その内通者が明らかになった以上ここで始末しても問題ない』とね! つまり、こういうことでしょう? 初めから私は疑われていた! 岬守君も麗真さんも友達面して近づいて、結局のところこっちの懐の内を探っていたんだ!」
「久住さんっ……!」
航は双葉の怒りの理由に漸く気付いた。
埜愛瑠と黎子の言葉から、特殊防衛課が双葉を敵として見ていると思ってしまった。
それだけではない。
友達だと思っていた航と魅琴も、それに加担して自分に探りを入れてきたと考えた。
双葉は二人に自分達の友情を、気に入らないこの組織の為に利用されたと思って怒っていたのだ。
「聴いてくれ、久住さん。そうじゃないんだ。誤解なんだよ」
「何が?」
双葉の冷たい視線が航に突き刺さる。
しかし、航は退けなかった。
そう、双葉は一つ思い違いをしている。
その理由は特殊防衛課側にあるのだが、兎に角彼女が誤解しているというのは確かなのだ。
「根尾さん、言っても良いですよね?」
「……この際だ、已むを得ん」
根尾も渋々頷いた。
「抑も、僕達は初めから内通者が居ると思っていた訳じゃないんだ。皇國側にそう言ったのは、椿とその弟を日本側だけで追う為の方便だったんだよ」
「は? 何を言ってるの?」
双葉の眼からは疑いの色が消えていない。
襲われた翌日にその理由が嘘だったと言われて、納得がいく筈も無いだろう。
そしてそれは、皇國側も同じだった。
「それはどういうことでしょう?」
早辺子の声色にも怒りが混じっている。
彼女と東風美もまた、根尾に詰め寄った。
「詳しく説明していただきたいですね。私達にも納得出来るように」
「珍しく良い事を言いますね、水徒端さん。私も知りたいです」
気不味い空気が会議室内に充満していた。
「謝罪せねば……ならないでしょうね……」
根尾は全員に距離を取り、向き直って一息吐いた。
そして頭を下げる……のではなく、その前に床に膝を突いた。
「ちょっと、根尾さん!?」
航は動揺した。
根尾が何をしようとしているのかは明らかだった。
結果的に、自分の判断で彼にとんでもないことをさせようとしている。
そして、やはり根尾は額を床に着けて全員に土下座をした。
「申し訳御座いません。自分は勝手な憶測と個人的な心情で嘘を吐いたのです。その結果、二人の新華族令嬢にあらぬ誤解をさせ、結果的に久住双葉さんを危険な目に遭わせ、二人の消息が絶たれるという事態を呼び込んでしまいました。その咎、この通り心よりお詫び申し上げます」
航は言葉を失った。
この場をどう保たせれば良いのか見当も付かなかった。
自分も根尾と一緒になって謝るべきだろうか。
しかし、それを実行する前に東風美が根尾に早足で歩み寄った。
そして、彼を見下ろしてこう告げる。
「頭を上げてください」
その言葉には有無を言わさぬ迫力があった。
今この瞬間だけ、顔の似た魅琴が彼女に乗り移ったかの様だった。
根尾は苦い表情でゆっくりと頭を上げる。
その顔に、東風美の平手が飛んだ。
「なっ!」
「東風美……」
大きな音に驚く航、その隣に居る魅琴は冷静だった。
勝手な行動で自分の親しい人間に手を挙げた東風美に対し、咎めることもしない。
今回、東風美にそうする理由と根尾にそうされる理由が充分有ると判断したのだろう。
「貴方の謝罪はどうでも良いです。ちゃんと説明してください」
これも、尤もな言葉だった。
ある意味、彼女の御陰で話を本筋に戻すことが出来る。
根尾は立ち上がると、再び双葉に視線を投げ掛けた。
「先程岬守君から説明があったとおり、内通者の話は出任せです。それは椿陽子の捜査を日本国側だけで行いたかったが為です。そしてその理由は、自分よりも久住さんの方がお詳しいでしょう」
「は? どういうことですか?」
「我々は椿陽子と道成寺陰斗について、他の連中とは違って何らかの事情があって狼ノ牙に協力させられていると踏んでいたのです。二人に帰国を助けて貰ったこと、そしてその中で、他ならぬ久住双葉さんが仰っていた言葉を信じた。だから椿陽子と道成寺陰斗に関しては日本国側で捕縛し、国内に留めるつもりだった。皇國側に引き渡してしまえば、国家叛逆罪として確定死罪となってしまいますからね」
「え……?」
双葉は瞠目し、根尾から目を逸らした。
「久住さん、教えてくれ」
航も双葉に問い掛ける。
「君は椿から、あいつの抱える事情を聞かされたんだろう? 僕達は椿を助けたいんだ。君だってそうだろう? だから、密かに会っていたんじゃないか?」
「それは……そうだけど……」
「久住さん、一つ」
今度は魅琴が話に加わる。
「正直に言うわ。実を言うと、貴女から椿陽子に情報が漏れている可能性を考えなかった訳じゃない。でも、信じていた。それを確かめたかったの。それを『疑われた』と言われれば、反論は出来ないわね……。けれども貴女を敵だと思ったことは一度も、一瞬たりとも無いわ。それだけはどうか信じて頂戴」
双葉は俯いたまま黙っている。
疑われたことに反感を見せてはいたが、実際彼女は陽子と密会し、病院についてうっかり話してしまっているのだ。
その後ろめたさはどうしてもあるだろう。
とまれ、これで双葉との関係が回復すれば言うことは無い。
しかし、事はそう簡単にいく程単純ではなかった。
「さっきから随分勝手なことを言ってくれますね」
不服げに口を挟んだのは東風美だった。
「要は、叛逆者の一員たる椿陽子に配慮して私達に不当な指示を出していたってことでしょう。私達は狼ノ牙を根刮ぎ始末する為に此処に居るんです。貴方達の指示が無ければ私だって二人に付いて行きました。それなら、其処の女や椿陽子に後れを取ることも無かったんです」
「おい鬼獄、言葉を慎め。抑も、あの二人の独断専行がこの事態を招いたんじゃろうが」
咎める十桐の言うことも聞かず、東風美は双葉に詰め寄った。
「というか、こいつが椿陽子と内通していたのは事実でしょう? 魅琴様の手前堪えていますが、本来ならこの場でぶちのめしてやるところです」
「東風美」
「はいすみません出過ぎた真似でした!」
東風美は魅琴の言葉にだけは素直に従い、その場で引いて背筋を伸ばした。
「それで皆様、久住様の処遇、如何なさるおつもりですか?」
早辺子がこの場を収めるよう根尾に促した。
そんな彼女を受けて、根尾が双葉に歩み寄る。
「東瀛丸を飲まされてしまった以上、このままにしておく訳には行かない。申し訳無いが、こればかりは此方も譲れない」
「また……軟禁生活ですか?」
双葉の顔に再び嫌悪感が浮かび上がる。
どうやら心の奥底にある不信感は最早どうにもならないらしい。
根尾もそれを汲み取ったらしく、懐から小瓶を取り出した。
「君がそれを受け容れられないであろうことは能く解った。これは最終手段だったが、この錠剤を飲んでもらえれば、一日だけ此方に滞在するだけで帰宅してもらって構わない」
「何ですか、それ?」
「扶桑丸と呼ばれるものでな、東瀛丸とは逆に神為を打ち消す薬剤だ」
「へええ……」
双葉は再び根尾を睨み上げた。
「神為を消す薬、ですか。つまり、わざわざ一箇月も軟禁生活をする必要なんて無かったんですね」
「済まない。これは東瀛丸以上に貴重で、おいそれと投与出来るものではなかったんだ。それに、副作用もあってな。服用から二十四時間は、強い発熱に苦しむことになる。一日だけ滞在してほしいというのは、それに備えてのことだ」
「あーはいはい、解りましたよ。上手いこと言って、結局私達を利用したことには変わりないでしょ。岬守君も麗真さんも、よくこんな人の言うこと聞いてるよね」
「お叱りは甘んじて受けよう。しかしこれを飲むか、それともこのまま東瀛丸の効果が切れるまで待つか、この場で選んでくれ」
「決まってるでしょ。もう二度と軟禁生活なんて御免です。また貴方と一箇月も一緒なんて、うんざりします。この際もう一つ言っておきますけど、私、貴方のことずっと嫌いでしたよ。初めて会った時からね」
「そうか……」
双葉は差し出された扶桑丸を受け取ると、そのまま口の中へ放り込んだ。
「白檀、彼女を部屋へ案内してやってくれ」
「アイアイ。さ、久住さん此方へどうぞー。ご気分が優れないなど、不調があったらすぐに連絡してくださいねー」
白檀に連れられ、双葉は会議室から出て行こうとする。
そんな彼女へ、最後に根尾が声を掛ける。
「久住双葉さん。今まで大変ご迷惑をお掛けしました。どうか御達者で」
双葉は頭を下げる根尾に目も呉れず、会議室を出て行った。
「根尾さん、済みません……」
航は居た堪れなくなって根尾に謝った。
自分言葉が切掛で土下座までさせてしまったこと、酷く気が重かった。
「気にしないでくれ、岬守君。俺のやり方がいけなかっただけだ。君は悪くない」
根尾は溜息を吐くと、スマートフォンを取り出した。
彼はこのまま双葉をただ帰してしまう程甘くはない。
「もしもし、息田さん、お願いがあります」
彼は元崇神會総帥・息田琉次郎に電話を掛けた。
息田を始めとした崇神會の面々は現在、特殊防衛課のB班として根尾の指揮下に置かれている。
「B班は貴方含め残り四名、でしたね。その全員で或る人物を影から護衛してください。同時に、当該人物が誰かと密会するようでしたら、此方に報告願います。ええ、どうか宜しくお願いします」
先の病院襲撃で人員を喪い、残り四人にまで数を減らした元崇神會ことB班――その全員を、根尾は双葉の尾行に回した。
こうして、双葉から狼ノ牙の新たな隠れ処を暴こうというのだ。
「私も部屋に戻りますね。言っておきますけど、椿陽子も始末しますから、私」
東風美も会議室を出て行った。
それに続くように、早辺子と十桐も続々とこの場を後にする。
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〝この地はあなたが創造した聖地。あなたがこの地を去らない限りこの地を必要とするもの以外は誰も踏み入れませんよ〟
そんな言葉から始まるシントののんびりとした生活。
同じように行き場を失った少女や幻獣や精霊、妖精たちなど様々な面々が集まり織りなすスローライフの幕開けです。
※この小説はカクヨム様でも連載しています。アルファポリス様とカクヨム様以外の場所では公開しておりません。
最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。
みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。
高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。
地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。
しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。
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