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第四章『朝敵篇』
第八十五話『無常』 序
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久住双葉が病院に搬送されたという事件は、翌日には特別警察特殊防衛課の知るところとなった。
実は、皇國との有事に向けた法改正に拠り、医療機関には「異常な回復力を持つ患者」の事例を警察に通報する義務が発生したのだ。
通報は特殊防衛課へと可及的速やかに伝えられ、迅速な対処へと繋げられる――神為の使い手による国民の被害を最小限に抑えることを目的とした法整備である。
そういう訳で、椿陽子から東瀛丸を与えられた双葉の病室に、三人の男女が訪れた。
岬守航・麗真魅琴・根尾弓矢――双葉と特に縁の深い友人達と、特殊防衛課の課長の三名である。
病室の双葉は、航達から顔を背けて外の景色を見ている。
「久住さん、どうして黙っていたの……?」
魅琴の問いにも、双葉は答えない。
不貞腐れた表情が窓に映っていた。
双葉が特殊防衛課としての契約終了までに飲んでいた東瀛丸の効果は既に切れている。
その彼女が神為を使えるとすれば、無関係の所で別の誰かに東瀛丸を与えられたとしか考えられない。
航達は皆、双葉が陽子に会っていたという結論に容易に達していた。
「久住君、はっきりと言おう」
根尾が双葉に厳しい言葉を投げ掛ける。
「君は今、非常に拙い立場にある。我々に黙って椿陽子と密通していたこともそうだが、何より君が倒れていた現場だ。昨日より、皇國側が派遣してきた新華族令嬢が二名、音信不通となっている。例の袋小路には椿の血痕と、二人の着ていた衣服の繊維が残されていた。これは、君が倒れていた現場で少なくとも椿と二名が交戦したことを明白に示しているのだ」
双葉の表情が険しくなった。
今この状況が心底気に食わない、といった様相だ。
否、おそらくそれも正確ではない。
屹度彼女は、帰国してからずっと気に食わないことだらけなのだろう。
「私をどうするつもりですか?」
双葉は漸く口を開いた。
酷く不機嫌な、軽く聞いただけで彼女の心の内が伝わってくる声色だった。
つい一月程前まで協力者だったとは思えない敵意が感じられる。
「先ずは事情聴取だな」
根尾は溜息を吐いた。
「既に担当医から許可は貰っている。君にはこれから我々と御同行願いたい。これまでどういった経緯で椿陽子と会っていたのか、そして昨日あの場で何があったのか……。先ずは話を聞かないことには何も決められない。どうするかはまあ、それからの話だ」
根尾の言葉に、今度は双葉が露骨な溜息を吐いた。
「任意ですよね?」
「何?」
「これって任意同行ですよね? あと、黙秘権は当然あるんですよね?」
双葉の言葉に、病室の空気が凍り付いた。
「久住さん、何を言っているんだ? ちゃんと説明して、君の疑いを晴らさないと」
「さっき根尾さんが言っていたでしょう。今、貴女の立場は悪いの。今ならまだ間に合うから、椿陽子との間に何があったか正直に話して。事情が判らないと、助けたくても助けられないわ」
双葉の態度に驚いた航と魅琴は彼女を説得しようとする。
しかし、双葉は頑なだった。
初めて航達の方へ振り向き、拒絶の棘を多分に含んだ言葉を返す。
「助けられなかったらどうするつもり? 私のことも狼ノ牙の一員ってことにするの?」
「成程……」
根尾は眉根を寄せて目を細めた。
双葉の言い種から、彼女の胸の内を見抜いたらしい。
「どうやら我々は信用を失っているようだな。自分のことを『どうするつもり』とはつまり、我々には既に規定のストーリーがあって、初めから君を陥れようとしていると認識しているらしい」
「そう言う貴方は、そう思われても仕方が無いという自覚がありそうですね」
普段は可愛らしい双葉の目が激しくつり上がる。
彼女は今、今にも導火線の火が間近に迫る爆弾の様な状態だった。
「しかし、この二人は君の友達だろう?」
「ええ、その筈ですよ。でも、今は貴方の部下じゃないですか……!」
双葉の声が怒りに歪んだ。
根尾の言葉が双葉にとって最後の一押しになってしまったらしい。
「この際だから言いますけどね、どう考えてもおかしいでしょう。私達、普通に生活していたのに突然皇國へ連れ去られた被害者なんですよ? なのに恰も当然の如くホテルに閉じ込めて、監視して、戦わせて……。人権無視も良い所じゃないですか。で、今度は警察ごっこですか? 本当、いい加減にしてくださいよ。岬守君と麗真さんもどうかしてるよ。なんで大人しく言いなりになってるの?」
それは、今まで溜め込んでいたものが堰を切って溢れ出したかの様な台詞の濁流だった。
航はふと、ホテルのロビーで双葉と交わした会話を思い出す。
今振り返ると、これこそあの時彼女が本当に言いたかったことだったのかも知れない。
航は双葉の待遇を改善しようと行動したが、彼女が望んでいたのは自分と同じ立場で根尾に抗議することだったのだ。
「返す言葉も無いな。申し訳無かった」
根尾は頭を下げた。
「確かに、我々は国家の非常時を言い訳にして無理を通し過ぎた。事態の収束と個人の私権との間に生じる摩擦の解決は、もっと慎重に模索すべきものだったのに、安易に進めてしまった。そしてそれが敗因となって、与党は近い内に政権を失うという事態に陥ってしまった。にも拘わらず、今尚そのやり方の象徴たる特別警察特殊防衛課を手放せないでいる。皆には理不尽を強いてしまって、申し訳無いと思っている」
「なんですか、それ? 開き直りですか?」
双葉は冷ややかな笑みを浮かべた。
根尾に、特別警察特殊防衛課という組織、その制度を制定した日本政府に対する強い蔑みが口元に滲んでいる。
「まあ、良いですよ。付いて行って、話してあげます。貴方達、一応警察なんですもんね。いつの間にか、何の研修も受けずに仕事してるみたいですけど。人を逮捕出来る職業に、随分簡単になれるようになったものですよね……」
航は胸を締め付ける様な痛みを感じていた。
何か双葉の言葉と睨み付ける視線に、針の様な正確さで肋骨を縫って心臓を刺された様な気がした。
双葉の言うことも尤もだと、そう認めざるを得ないところが確かにあった。
そう、何故航達はいつのまにか警察の真似事をしているのだろう。
高々紙切れ一枚の契約書と掌に収まる身分証明書で、治安維持の使命感を以て権力を振りかざしているのだろう。
今病室を訪れた三人は、何れも平時だとあり得ない状況を平然と受け容れてしまっている。
まさにそれこそが、双葉から敵意を向けられる理由なのだろう。
「僕達は……確かにおかしいのかも知れない……」
航は拳を握り締めた。
双葉はいつも、忘れてはいけないにも拘らず異常時には見失いがちな良識を気付かせる。
しかしだからこそ、航は双葉の味方でありたかった。
「ただ久住さん、僕達はみんな君を助けたいと思っている。どうかそれだけは誤解しないでほしいんだ」
航は双葉の眼を真直ぐ見詰める。
彼女から目を逸らしてはならないと思った。
だが逆に、双葉の方から航に目を背けられてしまった。
双葉は航とも魅琴とも敢えて向き合わず、冷めた表情のまま立ち上がった。
「さ、行きましょうよ。逮捕状を持ってくる手間、省いてあげますよ。特別警察特殊防衛課の皆さん」
双葉はわざとらしく両手を根尾に差し出した。
勿論、三人は彼女を逮捕しに来たのではないから、手錠など持ち合わせている筈が無い。
双葉の行動は、三人に対する不信感の意思表示である。
その証拠に、彼女は「冗談である」とでも言いたげに肩を竦めてすぐに手を引っ込めた。
航の思いは届かなかった。
彼らは重苦しい空気を引き摺ったまま河岸を変え、皇國の面々が滞在しているホテルへと場所を移す。
実は、皇國との有事に向けた法改正に拠り、医療機関には「異常な回復力を持つ患者」の事例を警察に通報する義務が発生したのだ。
通報は特殊防衛課へと可及的速やかに伝えられ、迅速な対処へと繋げられる――神為の使い手による国民の被害を最小限に抑えることを目的とした法整備である。
そういう訳で、椿陽子から東瀛丸を与えられた双葉の病室に、三人の男女が訪れた。
岬守航・麗真魅琴・根尾弓矢――双葉と特に縁の深い友人達と、特殊防衛課の課長の三名である。
病室の双葉は、航達から顔を背けて外の景色を見ている。
「久住さん、どうして黙っていたの……?」
魅琴の問いにも、双葉は答えない。
不貞腐れた表情が窓に映っていた。
双葉が特殊防衛課としての契約終了までに飲んでいた東瀛丸の効果は既に切れている。
その彼女が神為を使えるとすれば、無関係の所で別の誰かに東瀛丸を与えられたとしか考えられない。
航達は皆、双葉が陽子に会っていたという結論に容易に達していた。
「久住君、はっきりと言おう」
根尾が双葉に厳しい言葉を投げ掛ける。
「君は今、非常に拙い立場にある。我々に黙って椿陽子と密通していたこともそうだが、何より君が倒れていた現場だ。昨日より、皇國側が派遣してきた新華族令嬢が二名、音信不通となっている。例の袋小路には椿の血痕と、二人の着ていた衣服の繊維が残されていた。これは、君が倒れていた現場で少なくとも椿と二名が交戦したことを明白に示しているのだ」
双葉の表情が険しくなった。
今この状況が心底気に食わない、といった様相だ。
否、おそらくそれも正確ではない。
屹度彼女は、帰国してからずっと気に食わないことだらけなのだろう。
「私をどうするつもりですか?」
双葉は漸く口を開いた。
酷く不機嫌な、軽く聞いただけで彼女の心の内が伝わってくる声色だった。
つい一月程前まで協力者だったとは思えない敵意が感じられる。
「先ずは事情聴取だな」
根尾は溜息を吐いた。
「既に担当医から許可は貰っている。君にはこれから我々と御同行願いたい。これまでどういった経緯で椿陽子と会っていたのか、そして昨日あの場で何があったのか……。先ずは話を聞かないことには何も決められない。どうするかはまあ、それからの話だ」
根尾の言葉に、今度は双葉が露骨な溜息を吐いた。
「任意ですよね?」
「何?」
「これって任意同行ですよね? あと、黙秘権は当然あるんですよね?」
双葉の言葉に、病室の空気が凍り付いた。
「久住さん、何を言っているんだ? ちゃんと説明して、君の疑いを晴らさないと」
「さっき根尾さんが言っていたでしょう。今、貴女の立場は悪いの。今ならまだ間に合うから、椿陽子との間に何があったか正直に話して。事情が判らないと、助けたくても助けられないわ」
双葉の態度に驚いた航と魅琴は彼女を説得しようとする。
しかし、双葉は頑なだった。
初めて航達の方へ振り向き、拒絶の棘を多分に含んだ言葉を返す。
「助けられなかったらどうするつもり? 私のことも狼ノ牙の一員ってことにするの?」
「成程……」
根尾は眉根を寄せて目を細めた。
双葉の言い種から、彼女の胸の内を見抜いたらしい。
「どうやら我々は信用を失っているようだな。自分のことを『どうするつもり』とはつまり、我々には既に規定のストーリーがあって、初めから君を陥れようとしていると認識しているらしい」
「そう言う貴方は、そう思われても仕方が無いという自覚がありそうですね」
普段は可愛らしい双葉の目が激しくつり上がる。
彼女は今、今にも導火線の火が間近に迫る爆弾の様な状態だった。
「しかし、この二人は君の友達だろう?」
「ええ、その筈ですよ。でも、今は貴方の部下じゃないですか……!」
双葉の声が怒りに歪んだ。
根尾の言葉が双葉にとって最後の一押しになってしまったらしい。
「この際だから言いますけどね、どう考えてもおかしいでしょう。私達、普通に生活していたのに突然皇國へ連れ去られた被害者なんですよ? なのに恰も当然の如くホテルに閉じ込めて、監視して、戦わせて……。人権無視も良い所じゃないですか。で、今度は警察ごっこですか? 本当、いい加減にしてくださいよ。岬守君と麗真さんもどうかしてるよ。なんで大人しく言いなりになってるの?」
それは、今まで溜め込んでいたものが堰を切って溢れ出したかの様な台詞の濁流だった。
航はふと、ホテルのロビーで双葉と交わした会話を思い出す。
今振り返ると、これこそあの時彼女が本当に言いたかったことだったのかも知れない。
航は双葉の待遇を改善しようと行動したが、彼女が望んでいたのは自分と同じ立場で根尾に抗議することだったのだ。
「返す言葉も無いな。申し訳無かった」
根尾は頭を下げた。
「確かに、我々は国家の非常時を言い訳にして無理を通し過ぎた。事態の収束と個人の私権との間に生じる摩擦の解決は、もっと慎重に模索すべきものだったのに、安易に進めてしまった。そしてそれが敗因となって、与党は近い内に政権を失うという事態に陥ってしまった。にも拘わらず、今尚そのやり方の象徴たる特別警察特殊防衛課を手放せないでいる。皆には理不尽を強いてしまって、申し訳無いと思っている」
「なんですか、それ? 開き直りですか?」
双葉は冷ややかな笑みを浮かべた。
根尾に、特別警察特殊防衛課という組織、その制度を制定した日本政府に対する強い蔑みが口元に滲んでいる。
「まあ、良いですよ。付いて行って、話してあげます。貴方達、一応警察なんですもんね。いつの間にか、何の研修も受けずに仕事してるみたいですけど。人を逮捕出来る職業に、随分簡単になれるようになったものですよね……」
航は胸を締め付ける様な痛みを感じていた。
何か双葉の言葉と睨み付ける視線に、針の様な正確さで肋骨を縫って心臓を刺された様な気がした。
双葉の言うことも尤もだと、そう認めざるを得ないところが確かにあった。
そう、何故航達はいつのまにか警察の真似事をしているのだろう。
高々紙切れ一枚の契約書と掌に収まる身分証明書で、治安維持の使命感を以て権力を振りかざしているのだろう。
今病室を訪れた三人は、何れも平時だとあり得ない状況を平然と受け容れてしまっている。
まさにそれこそが、双葉から敵意を向けられる理由なのだろう。
「僕達は……確かにおかしいのかも知れない……」
航は拳を握り締めた。
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しかしだからこそ、航は双葉の味方でありたかった。
「ただ久住さん、僕達はみんな君を助けたいと思っている。どうかそれだけは誤解しないでほしいんだ」
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彼女から目を逸らしてはならないと思った。
だが逆に、双葉の方から航に目を背けられてしまった。
双葉は航とも魅琴とも敢えて向き合わず、冷めた表情のまま立ち上がった。
「さ、行きましょうよ。逮捕状を持ってくる手間、省いてあげますよ。特別警察特殊防衛課の皆さん」
双葉はわざとらしく両手を根尾に差し出した。
勿論、三人は彼女を逮捕しに来たのではないから、手錠など持ち合わせている筈が無い。
双葉の行動は、三人に対する不信感の意思表示である。
その証拠に、彼女は「冗談である」とでも言いたげに肩を竦めてすぐに手を引っ込めた。
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