日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第四章『朝敵篇』

第八十六話『理想の崩壊』 急

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 東京都内、とるビルの内部。
 薄暗い部屋の内部には数人の死体が転がっている。
 
 そうせんたいおおかみきばは日本国内へあらかじ椿つばきようどうじょうかげを送り込んだ後、二人に根城となるアパートを二つ契約させた。
 一つはようが、もう一つはかげが、新生活を始める若者を装って契約した根城で、この二人だけで契約可能な物件・不動産屋は拉致工作段階で末端の構成員が調べて上げていた。
 その後、こうこくから日本国へ逃亡したおおかみきばは一旦はようの契約したアパートに潜伏していたが、この場所とかげが契約したアパートはあくまで仮の根城であり、本命となるアジトを手に入れるまでのつなぎであった。

 本来ならば、動き始めるのはくも兄妹を確保し、日本国内の左翼過激派と協力関係を結んだ後になるはずだった。
 だがおおかみきばくも兄妹の確保に失敗し、わたりりんろうはなたまを喪失。
 挙げ句、なわげんをもうしない、首領のどうじょうふとしは狂気にまれた。

 そんなどうじょうは強硬手段に出た。
 左翼団体が拠点としていたビルで虐殺を敢行し、場所を乗っ取ったのだ。
 今彼がアジトとしているのは、そういう場所である。
 転がる死体はかつてこの場所を拠点としていた者達の成れの果てという訳だ。

「あぐあああああっっ!!」

 そんな中、ビルの一室が青白いせんこうと放電の雑音、そして女の悲鳴で満たされた。
 光と音が収まり、背の高い女が床に倒れ伏す。
 その様子を、二人の男が見下ろしていた。

きみはこんな話を知っているかね、びゅまんれい?」

 さんくさひげを蓄えた、加特力カトリックの神父然とした壮年の男――どうじょうふとしは、そのそうぼうらんらんと輝かせて、足下の女へと問い掛ける。

「元々日本の土地、嘗てしまと呼ばれたとうしょは、現在の皇室の祖神とされるあまてらすおおみかみのものではなかった。本来は出雲の神々のものだったが、その美しさに欲を出した女神が配下の神を引き連れ、力で脅して奪い取ったのだ」

 どうじょうは金髪の女・びゅまんれいを踏み付けにした。

「あぐっ……!」
「その際、本来の出雲の神々を脅したのが、雷の神の力であったとわれている。そのあまてらすおおみかみの子孫をかたる皇族に忠誠を誓う貴族が、今まさに雷の力で仕置きを受けているというのは、中々に皮肉な話と思わないかね? それを使役しているのが、神代ならばぐも、維新政府の頃ならば朝敵と呼ばれていたであろう我輩であるというのも……」

 肉の焦げる臭いが立ち上がる。
 それはどうじょうさつりくの果てにこの場を奪われた者達の死体の腐臭と混ざり合い、おぞましい悪臭を漂わせていた。

「元は欧米人のきみにはわからないかも知れないがね、しかしきみ達の歴史も同じ様なものだろう。罪に塗れた血染めの、殺戮と略奪の歴史だ。欲望のままに他人の土地を奪い、生ける者達を駆逐する……そんな身勝手で残虐な先祖の血が、神話の時代から受け継がれているのが、『日本人』などと言う虚構にすがいぬの民族なのだよ」

 どうじょうれいの腹に蹴りを入れ、側に控える息子に顎で合図を送る。
 息子・どうじょうかげれいの頭上に手をかざし、てのひらから放電。
 死体に集るはえの羽音にも似た雑音と共に火花が飛び、れいは再び絶叫した。

て、そろそろ我輩の言うことを聞く気になったかね?」
「うぅ……どうかこれ以上は……これ以上は……」

 どうやられいは何かを強要され、少しでも逆らったり機嫌を損ねたりすると罰を与えられているらしい。
 この場を支配しているのはどうじょうふとしの命令と、息子・かげの暴力だった。
 ただ、かげは死んだ魚の様な眼でれいを見下ろしており、そこには一切の自由意志が認められない。

 れいおびえながらそのへきがんで二人の男を見上げていた。
 彼女の身長は小柄なかげよりも高いが、その肉付きの良い抜群のスタイルを持った白く美しい裸体はすすに塗れている。
 れいかげの度重なる通電にって逆らう気力・心を折られていた。
 こうこく新華族の一角、びゅまん家の令嬢であるれいは今、下劣なはんぎゃく者の虜囚となる辱めを受けているのだ。

何故なぜ我輩がきみに制裁を加えているか、解るかね?」
「それは……」
「まあ、連座というやつだよ。きみの友人であるひらつじきみを置いて一人で逃げ出した。ならばその罪はきみが背負う、常識だろう? 親の罪は子に、先祖の罪は今を生きる者に、組織の罪は構成員に、そして友の罪は共に……」
「そんなっ……!」

 再び、通電。
 悲痛な絶叫がこだまする。

「民族とは、国家とは、家族とは、人間関係とはそういうものだ。その罪から逃れるためには、全てのしがらみてた完全なる一個人となる他無い。虚構に縋る者は虚構の罪も背負わねばならない、当然だ。つまり、人間は本来一人でなければならないのだよ。あらゆる歴史も文化も伝統も亡き者にして、国家に拠らずに生きていかなければならないのだ。我輩はそれをこのいぬの民族に与えてやろうというのだよ」

 どうじょうゆがんだ笑みを浮かべていた。
 かげはそんな父親に黙々と従っている。
 その姿は、まさに個人としての人格を奪われた人形の様だ。
 つまり、通電が行われるかいなかは全て父親であるどうじょうふとしの裁量次第である。

 れいの瞳にどうじょうの凶相が映り込む。
 彼女は必死でその足にすがいた。

「お願いいたします……。もうお許しくださいまし……。何でも……何でも言うことを聞きます故、どうかこれ以上は……」
「ほう、そうかね。調教も進んできたようだね」

 どうじょうは下劣に歪んだ口元から歯をのぞかせた。
 そして、自らの足に縋るれいを振り払う。

「では、いつもの様に態度で示したまえ」
「うぅ……はい……」

 れいどうじょうの要求に従い、手と膝を床に着けて頭を下げた。
 黒ずんだ煤に塗れて額を床に擦り付ける姿には、貴族令嬢らしい高慢さなどじんも感じられない。
 びゅまん子爵家の誇りをかざした彼女の人格的個性は今、仮死状態にあった。
 そこに在る惨めでざまな姿は、気位の高いびゅまんれいの残骸に成り果てようとしていた。

「では、服従の誓いを唱え給え」
「はい。わたしびゅまんれいは革命の為にそうせんたいおおかみきばの備品としてどうじょうふとし様に服従を誓います……」
「ふはははは、そうだよ! それこそがきみの本来在るべき姿というものだよ! 心の外側にまとった虚飾を脱ぎ去り、ぜいじゃくな本性をさらけ出す! 今きみが見せているそれこそがきみの、否、いぬの民族の本質というものだ! 今我輩の手できみは偽物を脱却して本物となり、女性としての真の魅力を引き出されたといえよう!」

 どうじょうの言葉は、彼の女性観というものを端的に表していた。
 彼は女性がそれぞれ持つ本来の個性というものに興味が無い。
 ただ、自分の為に利用する肉の器としか思っていない。
 彼にとって、全ての男と女は単に雄と雌なのだ。
 それは人間を動物としているということに他ならない。
 彼にとって、日本人とは正しく「いぬ」なのだ。

「まあ、すがに自らのしんを自由に出来ないとあっては素直に従う他無いよねえ? 逃げ出したお友達もすぐにようが見つけ出すだろう。その時はあのひらつじ家の娘にもあれこれ仕込んでやらなくては……なあかげ……」

 かげは答えない。
 だがその冷酷なまなしは、父の指示があればいつでも放電により彼女に苦痛を与えると物語っていた。

て、ではそろそろ調教も次の段階に進もうかね」
「次の段階……?」
「何、簡単なことだよ。きみには我輩の子を産んでもらう。そもそでのきみの役割とは、その為の道具となることなのだから」
「そんなっ……!」

 次の瞬間、父親の合図とともにかげの手から電撃が放たれ、れいは悲鳴を上げた。

「ひぎゃああああっっ!!」
「この程度の事で一々息子の手を煩わせないでくれ給え。素直になったと思ったが、まだ少し反抗的だね。この分ならば、通電時間を倍にすることも考えねばなるまい」
「ごめんなさい!! ごめんなさい!! 産みます!! 産ませて頂きますからぁっ!!」

 れいは泣きながら懇願し、額を床に擦り付けた。
 そんな彼女の目の前に、どうじょうの足が差し出される。

「では、いつもの様にめ給え。そして、自分から宣言するのだ。我輩の元気な子を沢山産ませてください、とね」
「は、はい!! 言います!! わたしびゅまんれいどうじょうふとし様の元気なお子様を沢山産ませてくださいまし!!」

 どうじょうは身の毛のつ様な悍ましい高笑いをあげた。
 きっ彼は今、自らの支配欲を満足の絶頂に高めているのだろう。
 れいあおい両目からは涙がこぼちていた。

「今後は我輩のことはしゅりょうДデー、首領様と呼びなさい」
「ふぁい……」

 このビルは悪徳が支配していた。
 悍ましい絶叫の響く入り口前には、一人の少女が息を潜めている。

「今は駄目。せめてどうじょうが一人にならないと……」

 人形の様に小柄な少女、ひらつじである。
 彼女は逃げ出した訳ではなく、一度どうじょうの支配から逃れてれいを救う算段をしていたのだ。

れい……待ってて。すぐに助けるから……」

 は銀髪をなびかせ、死臭漂うそのふちの奥底をにらけていた。
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