日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第四章『朝敵篇』

第八十七話『取引』 急

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 ふたは強い不安を押し殺す様に歯を食い縛り、おとを見ていた。

 今、手を差し伸べているこの男が味方でないことは百も承知である。
 それこそ、こうこくでは自分達に襲い掛かってきたのだ。
 そんなおとが、生半可な条件で助けてくれる訳が無い。
 ようかげの解放に協力して、この男に何の利も無いはずだ。

 裏を返せば、そんな無意味なことをする代償に、単に私利私欲を満たす様な下らないことを求めるとは考えづらい。
 どうじょうの様に、体を求める様な下衆な条件ではないだろう。
 何かをてる覚悟があれば、期待には応えられる筈だ。

「そう身構えなくとも大丈夫だよ。きみの人生に深刻な影響を与えるようなひどい要求をするつもりは無いさ」

 おとは不気味なほど優しくほほんだ。
 それはまるで、ふたの胸の内に巣くう不安を見透かしているかの様だった。
 おとには人間心理を知り尽くす程の重厚な経験を感じさせる奇妙な風格がある。
 そういえばこの男、少年の様な姿をしているが、千年以上も前の奈良時代に生きたなどと語っていた。

きみは一時期、特別警察特殊防衛課の一員として戦っただけでなく、元国会議員、すめらぎかな防衛大臣の下でも働いたそうじゃないか」
「はい……」
「ならば見ているだろう? すめらぎかなこうこくとの戦いで日本を守るためという名目のもと多くの違法行為に手を染めている。拉致被害者の法的根拠無き軟禁に、違法薬物であるとうえいがん服用の推奨、じんかいという国権とは別に存在する暴力装置との濃厚な関係、そのいかわしい秘密政治結社を特殊防衛課として採用するという国権の私物化……。それらの不正を今から紹介する記者にばくし、彼女の政治生命を完全に絶ってほしい」

 おとは手に何者かの名刺を持っていた。
 そこにはおそらく、政治的に皇を追い落としたくて仕方が無い報道関係者の連絡先が記されているのだろう。
 確かに、ふたはその人物にとってすいぜんものの情報をいくつも持っている。

 ふたは前線から外された後、一時的にすめらぎかな直々の預かりとなっていた。
 その中で、今おとが並べ立てた皇の悪行を目の当たりにしてきた。
 それらは全て、すめらぎが閣僚という権力者であったからこそ押し通せたことである。

 しかし、与党は衆議院選挙で大敗し、すめらぎは落選した。
 今、選挙に勝った野党は早期の国会召集を求めている。
 それが実現すれば首班指名が行われ、政権が変わることになるのだが、特殊防衛課は新政権の意向で動きを止められてしまう可能性が濃厚だった。

 その為、総理大臣は今野党や世論の圧力に耐えどうにか国会召集を先延ばしにしている。
 しかし、この状況ですめらぎの不正行為がばくされれば、おそらくたないだろう。
 それこそがそうせんたいおおかみきばの首領補佐・おとせいの狙う確信的利益だった。

 ここでおとの条件をめばどうなるか、それはふたにもわかる。
 だがふたが抱いた感想は実に簡単なものだった。

(何だ、そんなことで良いんだ)

 彼女はすめらぎかばおうとも、おおかみきばの捜査を続けさせようとも全く思っていなかった。
 はや国家に協力する義理など無い――それがふたの答えである。

「そんなことで良いなら喜んで」
「ククク、良い答えだね」

 ふたにとって、すめらぎかなけんの対象の一人でしかない。
 確かに、ふたはこの社会にうごめく「男の欲望」に思うところが有る。
 すめらぎはそんな苛酷な環境で戦ってきた女なのだろう。
 しかし、に彼女が出世しようが、総理大臣になろうが、それは既存の社会規範に乗っかった結果に過ぎない。

 それどころか、すめらぎは「公の為の滅私の奉仕」という社会の規範を押し付け過ぎる。
 すめらぎは女性であっても、女性の為の社会の味方などではない。
 よって、庇う理由など無いばかりか、むしろ積極的に除かなくてはならない。
 ――ふたすめらぎを売ることにいささかのためいも、後悔も罪悪感も無かった。

「今の答えで契約は成立した。この番号に電話して、る女性記者と会う約束をするが良い。ぼくから話は通してあるから、喜んで取材してくれる筈さ。そこで彼女にあらざらいを話してしまうんだ。ぼくは彼女からの連絡を待ち、取材が終わった時点で首領に話しに行こう」
「解りました」

 おとふたに名刺を渡すと、その場からこつぜんと消えてしまった。
 ふたはその名詞を胸にむと、わざとらしい早足で歩き出した。

    ⦿

 ふたが歩き出す様子を、物陰からまみれの男が見ていた。
 鍛えられた肉体に、短いひげと濃い眉毛を特徴とした中年男だった。

「はぁ……はぁ……なんということだ……。あの女、すめらぎ先生を裏切るつもりか……! このままでは……おのれ……」

 男の背後には固太りした中年男の死体が転がっている。
 どうやら二人は何者かに襲われてしまったらしい。

さき、悪いが置いて行くぞ。このままずみふたを行かせる訳にはいかん……!」

 男は体にむちを打ち、ふたの尾行を続けようとする。
 しかし、そんな彼の背後に一人の大男が迫っていた。

「元じんかい三代目そうすいいきりゅうろうだな?」

 いきりゅうろうは声に驚いて振り返った。
 瞬間、一本のながやりが生きたの心臓を突き刺して貫通した。
 いききょうがくの表情のまま固まり、物言わぬしかばねとなって体を宙に掲げられた。
 即死である。

「やれやれ、詰めが甘いのだ、ぞうじょうてんやつめ」
「おやおや、いきは生きていたのか。悪かったね、もんてん

 いきを殺したしゅにんに、おとが親しげに話し掛けた。

「しかし、あのいきりゅうろうを一撃か。すがは本職だね、つきしろぼくはデブのさきじんぞうしか殺し切れなかったよ」
「ふん、よく言う。本気でやっていなかっただけだろう」

 おとの仲間・つきしろさくの手からやりが消え、いきの死体は土瀝青に落ちて血の花を咲かせた。

あっいものだね。これであのこくてんの息子が作り上げたじんかいは完全消滅か」
「元々かいてんとかいう裏切り者集団との戦いで二代目総帥を始めとした主力がうしなわれ、更にこうこくとの戦争でほとんどの戦力が喪われていたからな。残りの始末など、所詮はごみそうの様なものだろう」
「それをいうなら、おおかみきばはどうだろうね?」
「期待はしていないのだろう?」
「まあね。だが思わぬ手柄を立てるかもよ。どうじょうまがつひんでいてね」
「それと、息子のかげか。残るこの国の守り手を一人や二人程度始末してくれるかも知れんな……」
「その間に、ぼくらはひめさまの本命の願いをかなえるべく動くだけさ」
「それが今の一手か。まあこうもくてんがあの女を欲しがるのも解るがな……」

 おとつきしろは不穏な会話をしながら、昼下がりの路地裏へと消えていった。



    ⦿⦿⦿



 同日夕刻、ようは再びビルの中へと呼び戻された。
 その場には父親と弟だけでなく、もう一人の男が待ち構えていた。

「やあ、久しぶりだねようさん」
「や、おと首領補佐……」

 おとようを挟んでかげと向き合い、不敵な笑みを浮かべて立っていた。
 かげの隣にはどうじょうが、首輪でつながれた金髪の美女をはべらせて椅子にすわっている。

びゅまんれい……。すっかり調教されてしまったらしいな。無理も無い。今のおやは異常だ……)

 ようは今のびゅまんれいが自分に重なる用に思えた。
 かげを助け出すと、ふただけは傷付けないと、そう心に決めた筈なのに、状況に絶望して命惜しさにそれを曲げてしまい、父親の操り人形に成り下がった。
 今の自分は、れいと同じく「かつ椿つばきようだった者の残骸」に過ぎないのだろう。
 そんな自己嫌悪にさいなまれるように、おとは穏やかな声で語り掛ける。

ようさん、もうずみふたを呼び出す必要は無いよ」
「ど、どういうことですか?」
「彼女はぼくおおかみきばにとっての最大の障害を取り除くために動いてくれた」
「ふむ……」

 しゅりょうДデーどうじょう太はあごひげいじっている。

「それに免じて、ようかげを解放して欲しい、というのがずみふたの願いという訳だね、同志おと?」
「そういうこと。だがまあ、首領としてもおいそれと首を縦に振れないのは解る。そこで、こういう取引はどうだろう?」

 話に付いて行けないようの頭越しに、おとどうじょうに提案する。
 それはこういうものらしい。

「今後、ようさんとかげ君はぼくが預かろう。どうじょう、君のもとからは離れるのでずみふたとの取引には反しないし、首領補佐のぼくが従えれば組織との繋がりが切れるわけじゃない。きみは一人になってしまうが、敵の組織も間もなく動けなくなるだろう。在野の個人としてきみを狩りに来るかもしれないが、今のきみならば力でせられるだろう?」
「確かにな……。我輩の力は刻一刻と増大している。権力にしがみ付くいぬ共の反動分子など物の数ではないわ。手始めにこの国から亡国に追い込み、今度こそいぬの民族から日本という虚構を取り上げてやる」
「そういうこと。一応女も用意できているみたいだし、前と同じように社会への不満分子をあおれば人員は集まるだろう? その時、最早姉弟が必要無くなっていれば……」
「……まあいいだろう。そういうことならね」

 どうじょうは嘗てこうこくから革命することにこだわっていたことも忘れているらしい。
 最早彼は狂気の闇にどっぷりとかり切ってしまっていた。
 おと以外の人間の言うことなどまとに聞きはしないだろう。

 しかしどうやら、ようにとってはそれが物事をく運んだらしい。
 彼女のほほに涙が伝った。
 自分はふたを差し出すつもりだったのに、そのふたが呑んだ取引のお陰で道がひらけた。

「ごめんふたあたし……。ありがとう……」
「ではようさんにかげ君、ぼくと一緒においで」

 おとようかげの手を取り、二人を引いて歩き出した。

「ではどうじょう、何かあれば先程渡した連絡先に電話してくれ。願わくは次に会う時は、きみが立派に組織を立て直して願いを叶えていれば良いね」
「フン、一応感謝しておいてやろう。精々、我輩の子供らに寝首をかれんようにな」

 おとようかげが部屋を出て行き、場にはどうじょうれいだけが残された。

て、ではひとず次の種を仕込むとしようか。この体に流れる忌まわしき狗の民族の血を薄めるのも悪くはない。れい君、そこにつんいになりたまえ」
「はい、首領様……」

 れいは今、完全にどうじょうとりことなっていた。
 それは相手を魅了するというどうじょうの能力の効果である。
 れいは本能でどうじょうを求め、逆らうことなど考えられなくなっているのだ。

「良い光景だ。随分従順になったことだし、御褒美をあげないとね」
「ありがとうございます……」

 死臭漂うおぞましい場所で如何わしい行為が行われようとしている。
 しかしその時、窓の外で小さな人影が動いた。

どうじょうッッ!!」

 突如、窓の外から無数の短剣の嵐がどうじょうに襲い掛かった。
 どうじょうはそれを軽く振り払い、窓の外をまがまがしい眼でにらける。

「ほう、逃げた訳ではなかったのか。我輩に挑むとは良い度胸だ。良いだろう、外へ出て行ってやるから待ってい給え」

 どうじょうれいの首輪を引き、割れた窓に足を掛けた。
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