日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第一章『脱出篇』

第八話『剛腕』 序

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 六月十五日月曜日、日本国。

 うることは腕を組み、いらまぎれにためいきを吐いた。
 アパートのポストにまってあふれた郵便物は、部屋の住人が長期間不在である事を示している。
 ことは眉尻を小刻みに釣り上げていた。

 さきもりわたると最後に連絡を取り合ったのは、もう二週間も前になる。
 とげとげしい言葉で詮索を拒んで以来、メッセージには既読が付かず、電話も圏外だ。
 幸いポストの奥から腐臭は無く、中で死体になっているという事態は無さそうだ。

 ならば、外で何かトラブルにでも遭ったのだろうか――ことは扉の前を行ったり来たりして苛立ちを抑える、

「あのは……」

 ことは吐き捨てる様につぶやいた。
 二週間前に突き放した時は、こんな事になるなどと思ってもいなかった。

 月曜日からけんしんと飲んでいた事は知っている。
 そのに当日の出来事を問い合わせる――そんなことは真っ先に思い付いた。
 だが、もまた消息がつかめない。

 二人して何かに巻き込まれたのかと考えたことは、店に問い合わせることにした。
 もっとも、当の店には出禁で入れないため、ゼミの知り合いに頼み、彼らが何事も無く帰路に就いた事を確認した。

 その後で何かに巻き込まれたのだとしたら、二人して深夜の街をほっつき歩いていたということか、二十歳はたちを超えてどういう危機管理意識なのか――そんな事を思う内に、足取りは速くなっていく。

 更に奇妙なのは、二人の他に高校時代の友人・ずみふたもまた消息不明になっていることだ。
 わたるの音信不通に際し、ことは知り合いに片っ端から心当たりを尋ねていた。
 その中で、ずみふたとも連絡が取れなかったのだ。
 ここ最近は連絡がまばらになったとはいえ、最後に簡単なメッセージのりを交わしたのはまだ二カ月前の事で、連絡先が変わったとは考えがたい。

(どういうこと、何が起こっている?)

 捜索願は出してあるが、彼らのケースだと警察はすぐに動かない。
 事件性が強いと判断できる場合でないと、とても全ての行方不明に対応出来るリソースは無いからだ。

 ことは卒業研究も就職活動も全てを放り出してわたるを探していたが、その消息は雲の様に掴めない。
 苛立ちのあまり、目の前の扉を殴りたい衝動に駆られてしまうが、必死に抑えていた。

 そんなことの背後に、人の気配が近寄って来た。
 限界に近付いた焦燥から過敏になっていた彼女は勢い良く振り返った。
 人の良さそうな小太りの中年男が、やや吃驚びっくりしたように一瞬震えた。
 わたるの様なそれなりの美青年も、歳を取ればこんな見た目になるのだろうか。

「あ、あの、お嬢さん、ひょっとしてここの部屋の人とお知り合いですか?」
「……貴方あなたは?」
「いや、わたしはしがないただのタクシードライバーなのですが……」

 聞けばこの男、わたるを海浜公園まで載せて行ったのだが、同じ頃の時刻に海浜公園内で事件があったことを聞き、気になって訪ねて来たのだそうだ。

「事件、ですか?」
「なんでも、男女二人が何者かに拉致されそうになったそうなんですわ。丁度その頃、わたしも現場の近くに居たということで、警察に事情をかれましてね。寸での所で一人の青年が割って入ったんで間一髪助かったんだとか」
「それ、いつ頃の事ですか?」
「丁度二週間前ですかねえ……。いや、日付は変わっていたかな?」

 もしその青年がわたるだとしたら――ことわたるがこういうときに余計な首を突っ込みがちだと良く知っている。
 それで帰って来られなくなる事態になったのだとしたら、完全につじつまが合う。

「なんでそんな時間、そんな場所に……」
「お嬢さん、特に貴女アンタはそれを訊かんでやってください。男には色々あるんですよ」

 中年男はしわの入った目を閉じ、染み染みと何かに感じ入っていた。
 その感傷にはおそらくことが大いに関係しているのだろうが、彼女のあずかる所ではない。
 自分の世界に浸り込む男に対し、ことは海浜公園の場所を聞くと、丁重に礼を告げてアパートを後にした。



  ⦿⦿⦿



 どんてんの下、ことはその足をすぐに海浜公園まで運んだ。
 一つ予感があったから、それを確認したかったのだ。
 デッキの上を歩くことを海風が包むが、今の彼女にとって潮の香りなどどうでも良かった。
 事件など初めから無かったかの様ににぎわう観光スポットで、ことる感覚を研ぎ澄ます。

「やっぱりか……」

 結果は予感的中だった。
 決して当たって欲しくはなかったが、ことは確信した。

「運転手さんの話にるともう二週間なのに、まだこれ程のしんが残存しているとは……」

 こうこくの人間が使うという、内なる神の力『しん』。
 ことはそれをこの海浜公園から気取ったのだ。

 その残存状態から、ことは海浜公園で事件を起こしたしゅにんじんかいではないと確信した。
 じんかいやそのかいてんなら、ここまでしんを感じる事無いだろう、と。
 想像通りだった。

 予感の根拠は分からない。
 だがこの六年間、ずっと奇妙な感覚があった。

 時が来たことはわかって居たはずだった。
 あの日、余命いくばくも無かった祖父にもきちんと答えた筈だった。
 しかし、彼の死後も事態は動かなかった。
 このまま何事も無く一生が続けば良いと、かで思っていた。

 自分の見知った人間が三人も同時に消えたのは、運命がことに思い出させようとしているのか。
 を背け続けた運命が、付けの支払いを要求してきたのか。

(とうとう来たのか、こうこくたいしなければならない時が、まさかこんな形で……)

 ことは一つ深呼吸をすると、スマートフォンを取り出して電話を掛けた。
 腹をくくらなければ到底交渉など出来ない相手の応答を待つ。

『はい』
かあさま、今お話、出来ますか?」

 電話の相手は母・すめらぎかな――内閣で防衛大臣と国家公安委員長を兼任する有力政治家である。

『手短にお願いするわ』
「一つ、娘のままを聞いて頂きたいのです」

 出来ればすめらぎに頼るのは避けたかった。
 ことは母親を良く思っていないのだ。
 自らの野心を優先して病弱な夫をないがしろにし、寂しい晩年を過ごさせたと思っているからだ。
 中学時代にわたるを家へ呼んだのは、そんな父親の寂しさを少しでも紛らわせる為でもあった。

 ことは母親の返事を待つ。
 刹那の一時が随分長く感じる。

『用件は分かっています。そろそろ掛けてくる頃だと思っていたわ』
「どういう事ですか?」

 ことのうに母親のほくそ笑む顔が浮かんだ。
 見透かしたような口振りが気に入らず、苛立ちと同様から声がわずかに乱れた。

『一言で説明する事は到底出来ないから、改めてお話ししましょう。しかし事は急を要するでしょうから、明日の十二時に議員会館のわたくしの事務所に来なさい。息の付く間も無い程忙しくて中々時間は取れないけれど、娘の貴女あなたなら昼食中に会っても構わないでしょう』

 ことは直感した。
 母は今、相手の要望を聞くために無理をして時間を作った、という体で恩を売り、早くも今後の話を優位に進めようとしているのだ。
 世界最強の存在を目指すすめらぎかなはマウント気質かたぎであり、有能な反面敵も多い。
 政界で生馬の目を抜く母に交渉を仕掛ける意味を、ことは早くも覚悟せざるを得なかった。

「……ありがとうございます」

 えずこの場は素直に礼を言っておいた。
 変に反抗する方が自分の不利益になると感じたのだ。

『ふふ、大人になった娘の顔を見るのを楽しみにしているわね』
「はい。では明日、よろしくお願いします」

 電話を終えたことは一つ溜息を吐き、じっと海をにらむ。
 六月中旬のよどんだ空が、水平線の向こうから不穏な影を運んで来るようだった。

わたる……いつまでも世話の焼ける男……」

 いつ以来か、ことまなじりを決した表情を浮かべて海浜公園を後にする。

(あの狂犬、この機会にしっかりしつけ直しておかないと……)

 取り敢えず、明日すめらぎの話を聞かなければならない。
 今日の口振りから、母は十中八九、娘のおさなじみの消息を知っている。
 おそらく、その身は無事だと考えているのだろう。
 しかし、急を要すると言っていたことから、あまり楽観視していられる状況でもなさそうだ。

「やれやれ、絶対にただじゃ済まさない……」

 ことわたるへの苛立ちを胸に、明日不仲の母親と対峙する。
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