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第一章『脱出篇』
第八話『剛腕』 破
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次の日の正午、魅琴は母・皇奏手の許を訪ねていた。
防衛大臣と国家公安委員長を兼任する彼女は皇國関連の事案に忙殺されているらしく、昼食は外食の時間を惜しみ弁当を取り寄せていた。
「伴藤」
「はい?」
「これ、要らないわ」
「あ、すみませんそうでした。人参は御嫌いでしたね」
「これも」
「すみません、椎茸もですね」
「後これ」
「はい。うう、幕の内弁当が幕下弁当になっていく……」
因みに幕の内弁当の語源は諸説あり、必ずしも幕内力士を表すとは限らないらしい。
ただ、嫌いなおかずを弁当の蓋に除けて秘書に処分させる姿は、とても身内以外に見せられるものではない。
「御母様、相変わらず偏食家なんですね。早死にしますよ」
「あら、私はまだまだ死ぬつもりなど無いわよ」
娘の忠告を笑って受け流す皇は、幕の内弁当をさも全て平らげたかの如く箸を置いた。
「扨て、じゃあ話を始めましょうか」
指を絡める皇の塵は秘書の伴藤明美が片付ける。
魅琴は毎度、伴藤の事を秘書というよりは小間使いだと思って見ていた。
「魅琴ちゃん、先ずは貴女を安心させてあげるわ。結論から云うと貴女のお友達は今、皇國で生きています」
「やはり、そうですか……」
「拉致したのは『武装戦隊・狼ノ牙』。皇國でも最大の反政府組織で、最悪の過激派だと云われている。というより、皇國では穏便な反政府活動など出来ない、と言った方が良いかしら」
下手人の情報をどこから掴んだのか、と魅琴が問おうとすると、皇は先手を取る様に秘書の伴藤へ何かを魅琴に見せるよう促した。
「ええ? 先生、良いんですか? 個人情報ですよ?」
「問題解決の為なのだから、目的内利用よ」
なんの事か、と魅琴が思っていると、伴藤は一枚の写真を魅琴の前へ差し出した。
そこに映っていたのは、愛犬と戯れ合う中学生くらいの少女だった。
小柄ながらも肉付きが良く、朗らかな性格が写真からも見て取れるような、そんな愛くるしい少女だった。
「先日、少し仕事の合間を縫って神社へお参りに行った時の事よ」
「あら意外。てっきり神頼みなどせず自分の力だけで人生を切り開こうとする御方かと思っていましたけれど、夢とやらに自信が無くなってきたのかしら」
「御祈りくらいは昔からするわよ。人間世界の最強なのだから、神様に御縋りするのは何の問題も無し。逆に、神仏への畏れを失って道が遠退いても困るでしょう?」
そう敬虔な素振りを見せるなら、肉を頂き野菜を残すという偏食は直したらどうか――と、魅琴は皮肉を付け加えたくなる。
「ま、そこの神主さんが私の熱心な支持者だから、御挨拶に伺った面が大きいのだけれどね」
やはり、純粋な信心から参った訳ではなかった、そんなものだ。
「その神社は、或る御家族が犬の散歩で通るルートだったのよ。一人の女性がリードを取って、何だか浮かない顔で鳥居の前を通り掛かったわ。そこで私と偶然出会った。彼女は閣僚として顔の広い私に、追い縋る様に相談を持ち掛けてきたわ。『娘が行方不明で、外国に攫われたかも知れない』とね」
「それが、この娘ですか……」
「二井原雛火、十五歳。二週間前に犬の散歩へ行った切り消息を絶った。事故にでも遭ったのか、愛犬だけが気絶していたところを、夕方のジョギング中だった近隣住民に発見された。そしてその後、現場付近の目撃証言によって、彼女が何者かに攫われた疑いが濃厚になった」
皇の眼が鋭い光が帯びる。
「そしてその手口は、嘗て日本海側で頻発していた或る一連の事件、国家的犯罪と酷似していた」
その事件の始まりは、日本に於いては七十年代に遡るという。
日本人の被害者は十七人、事件は今なお解決の灯を見ていない。
自分の娘が同じ様な事件に巻き込まれたのかも知れないとなると、屹度藁にも縋る思いだったに違いない。
「それで、彼女を攫った組織と同じ一味に航達も拉致された、ということですか」
「そうよ」
愛犬のドーベルマンに抱き付く写真の少女はこの時、自らが巻き込まれる運命など知る由も無かったことだろう。
「で……?」
今度は魅琴が皇に鋭い視線を向ける。
「貴女はどうやって犯人の情報を掴み、私の大切な友人達も拉致されていると知ったのですか?」
皇の口角が歪んで上がった。
そして腹黒さをたっぷりと含んだ笑い声が漏れる。
「昨今の世界情勢、皇國を警戒していない国は世界を見渡して殆ど無いでしょう。大敗を喫した米中露ですら、復活を図りながら虎視眈々と弱みを探っている。勿論、我が国も例外ではないわ」
「貴重なお時間を頂いているのだから、勿体ぶらないでくださいませんか、防衛大臣兼国家公安委員長閣下」
魅琴は苛立ちから皮肉をぶつけた。
しかし、皇には通じない。
「寧ろ、その肩書きでははっきりと言えないこともあるのよ。それくらいは想定しておいてほしいわね」
「だからといって、何も察することが出来ない話し方をされては意味がありませんよ」
魅琴は大体察している。
決して褒められた手段ではないからこそ、皇はこうしてはぐらかしているのだ。
「先程話した国家的犯罪だけれど、恐ろしいのは我が国に対して工作員が送り込まれていたこと。彼らはどれだけの情報を我が国から得て、国益を損ねてきたのでしょうね。逆に、我が国はそういう点で遅れているわ。御義父様もそういった点を懸念して『崇神會』を作ったのでしょう。廻天派と違って本流の方は表向き合法的な団体だから、私もある程度は懇意にさせてもらっているけれどね」
やっぱり――魅琴は確信した。
つまり、逆に彼女の方から皇國に諜報員を送り込んでいるのだ。
尤も、公式に存在する役職ではない。
その非合法な活動の一環として、皇は狼ノ牙とも繋がったのだ。
「と、いうわけで、魅琴ちゃん」
皇は「愈々本題」とばかりに笑みを消して身を乗り出してきた。
「私のコネを使えば交渉することも可能よ。まあ、拉致されたメンバーの中から何人か解放してもらうことくらいなら出来るかも知れないわねえ……」
母の言葉に魅琴は眉間に皺を寄せた。
「何を……お望みですか?」
魅琴の声に怒りと侮蔑が混じる。
皇はそんな娘を意に介さず、要求を突き付けてきた。
「一つ、このことは決して他言しないこと。事件として明るみには出さず、内々で処理します。皇國に恩を売り、貸しを作る為に、これはとても良い材料になる。それともう一つ、いい加減に私の世継ぎとなりなさい。この黒い政治取引に貴女自身も傍観者ではなく当事者として関わりなさい」
「嫌だ、と言ったら?」
「そんな選択肢があるとでも思っていることに驚くわね。貴女、お友達を見棄てるの?」
魅琴は目を剥いて皇を睨み付ける。
怒りが隠しきれずに溢れ出た、といった様相だ。
「個人的な要求を通す為に、罪も無い国民を人質に取るんですか貴女は……!」
「おお怖い、母親じゃなければ殴り殺されそうな風情ね」
クールに取り澄ました仮面はすっかり剥げている。
皇はそんな娘の態度を鼻で笑った。
「自制が効く様になったのは褒めてあげるわ。でも、まだまだ感情を剥き出しにし過ぎね」
「逆ですよ。昔の私なら無情に暴力で捻じ伏せています」
「御託は良いから選びなさい。私の世継ぎになるか、お友達を見棄てるか、どっち?」
娘の怒りもどこ吹く風、と、皇は魅琴に二者択一の最後通牒を突き付けてきた。
航や双葉、虎駕を救う為に此処へ来た魅琴は、母親の策略に追い詰められた、かに見えた。
しかし、魅琴は一つ深呼吸をすると、僅かに口角を上げた。
「どちらも選びませんよ、御母様」
魅琴の表情は打って変わり、何か勝利を確信したように余裕の笑みを浮かべていた。
防衛大臣と国家公安委員長を兼任する彼女は皇國関連の事案に忙殺されているらしく、昼食は外食の時間を惜しみ弁当を取り寄せていた。
「伴藤」
「はい?」
「これ、要らないわ」
「あ、すみませんそうでした。人参は御嫌いでしたね」
「これも」
「すみません、椎茸もですね」
「後これ」
「はい。うう、幕の内弁当が幕下弁当になっていく……」
因みに幕の内弁当の語源は諸説あり、必ずしも幕内力士を表すとは限らないらしい。
ただ、嫌いなおかずを弁当の蓋に除けて秘書に処分させる姿は、とても身内以外に見せられるものではない。
「御母様、相変わらず偏食家なんですね。早死にしますよ」
「あら、私はまだまだ死ぬつもりなど無いわよ」
娘の忠告を笑って受け流す皇は、幕の内弁当をさも全て平らげたかの如く箸を置いた。
「扨て、じゃあ話を始めましょうか」
指を絡める皇の塵は秘書の伴藤明美が片付ける。
魅琴は毎度、伴藤の事を秘書というよりは小間使いだと思って見ていた。
「魅琴ちゃん、先ずは貴女を安心させてあげるわ。結論から云うと貴女のお友達は今、皇國で生きています」
「やはり、そうですか……」
「拉致したのは『武装戦隊・狼ノ牙』。皇國でも最大の反政府組織で、最悪の過激派だと云われている。というより、皇國では穏便な反政府活動など出来ない、と言った方が良いかしら」
下手人の情報をどこから掴んだのか、と魅琴が問おうとすると、皇は先手を取る様に秘書の伴藤へ何かを魅琴に見せるよう促した。
「ええ? 先生、良いんですか? 個人情報ですよ?」
「問題解決の為なのだから、目的内利用よ」
なんの事か、と魅琴が思っていると、伴藤は一枚の写真を魅琴の前へ差し出した。
そこに映っていたのは、愛犬と戯れ合う中学生くらいの少女だった。
小柄ながらも肉付きが良く、朗らかな性格が写真からも見て取れるような、そんな愛くるしい少女だった。
「先日、少し仕事の合間を縫って神社へお参りに行った時の事よ」
「あら意外。てっきり神頼みなどせず自分の力だけで人生を切り開こうとする御方かと思っていましたけれど、夢とやらに自信が無くなってきたのかしら」
「御祈りくらいは昔からするわよ。人間世界の最強なのだから、神様に御縋りするのは何の問題も無し。逆に、神仏への畏れを失って道が遠退いても困るでしょう?」
そう敬虔な素振りを見せるなら、肉を頂き野菜を残すという偏食は直したらどうか――と、魅琴は皮肉を付け加えたくなる。
「ま、そこの神主さんが私の熱心な支持者だから、御挨拶に伺った面が大きいのだけれどね」
やはり、純粋な信心から参った訳ではなかった、そんなものだ。
「その神社は、或る御家族が犬の散歩で通るルートだったのよ。一人の女性がリードを取って、何だか浮かない顔で鳥居の前を通り掛かったわ。そこで私と偶然出会った。彼女は閣僚として顔の広い私に、追い縋る様に相談を持ち掛けてきたわ。『娘が行方不明で、外国に攫われたかも知れない』とね」
「それが、この娘ですか……」
「二井原雛火、十五歳。二週間前に犬の散歩へ行った切り消息を絶った。事故にでも遭ったのか、愛犬だけが気絶していたところを、夕方のジョギング中だった近隣住民に発見された。そしてその後、現場付近の目撃証言によって、彼女が何者かに攫われた疑いが濃厚になった」
皇の眼が鋭い光が帯びる。
「そしてその手口は、嘗て日本海側で頻発していた或る一連の事件、国家的犯罪と酷似していた」
その事件の始まりは、日本に於いては七十年代に遡るという。
日本人の被害者は十七人、事件は今なお解決の灯を見ていない。
自分の娘が同じ様な事件に巻き込まれたのかも知れないとなると、屹度藁にも縋る思いだったに違いない。
「それで、彼女を攫った組織と同じ一味に航達も拉致された、ということですか」
「そうよ」
愛犬のドーベルマンに抱き付く写真の少女はこの時、自らが巻き込まれる運命など知る由も無かったことだろう。
「で……?」
今度は魅琴が皇に鋭い視線を向ける。
「貴女はどうやって犯人の情報を掴み、私の大切な友人達も拉致されていると知ったのですか?」
皇の口角が歪んで上がった。
そして腹黒さをたっぷりと含んだ笑い声が漏れる。
「昨今の世界情勢、皇國を警戒していない国は世界を見渡して殆ど無いでしょう。大敗を喫した米中露ですら、復活を図りながら虎視眈々と弱みを探っている。勿論、我が国も例外ではないわ」
「貴重なお時間を頂いているのだから、勿体ぶらないでくださいませんか、防衛大臣兼国家公安委員長閣下」
魅琴は苛立ちから皮肉をぶつけた。
しかし、皇には通じない。
「寧ろ、その肩書きでははっきりと言えないこともあるのよ。それくらいは想定しておいてほしいわね」
「だからといって、何も察することが出来ない話し方をされては意味がありませんよ」
魅琴は大体察している。
決して褒められた手段ではないからこそ、皇はこうしてはぐらかしているのだ。
「先程話した国家的犯罪だけれど、恐ろしいのは我が国に対して工作員が送り込まれていたこと。彼らはどれだけの情報を我が国から得て、国益を損ねてきたのでしょうね。逆に、我が国はそういう点で遅れているわ。御義父様もそういった点を懸念して『崇神會』を作ったのでしょう。廻天派と違って本流の方は表向き合法的な団体だから、私もある程度は懇意にさせてもらっているけれどね」
やっぱり――魅琴は確信した。
つまり、逆に彼女の方から皇國に諜報員を送り込んでいるのだ。
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その非合法な活動の一環として、皇は狼ノ牙とも繋がったのだ。
「と、いうわけで、魅琴ちゃん」
皇は「愈々本題」とばかりに笑みを消して身を乗り出してきた。
「私のコネを使えば交渉することも可能よ。まあ、拉致されたメンバーの中から何人か解放してもらうことくらいなら出来るかも知れないわねえ……」
母の言葉に魅琴は眉間に皺を寄せた。
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「一つ、このことは決して他言しないこと。事件として明るみには出さず、内々で処理します。皇國に恩を売り、貸しを作る為に、これはとても良い材料になる。それともう一つ、いい加減に私の世継ぎとなりなさい。この黒い政治取引に貴女自身も傍観者ではなく当事者として関わりなさい」
「嫌だ、と言ったら?」
「そんな選択肢があるとでも思っていることに驚くわね。貴女、お友達を見棄てるの?」
魅琴は目を剥いて皇を睨み付ける。
怒りが隠しきれずに溢れ出た、といった様相だ。
「個人的な要求を通す為に、罪も無い国民を人質に取るんですか貴女は……!」
「おお怖い、母親じゃなければ殴り殺されそうな風情ね」
クールに取り澄ました仮面はすっかり剥げている。
皇はそんな娘の態度を鼻で笑った。
「自制が効く様になったのは褒めてあげるわ。でも、まだまだ感情を剥き出しにし過ぎね」
「逆ですよ。昔の私なら無情に暴力で捻じ伏せています」
「御託は良いから選びなさい。私の世継ぎになるか、お友達を見棄てるか、どっち?」
娘の怒りもどこ吹く風、と、皇は魅琴に二者択一の最後通牒を突き付けてきた。
航や双葉、虎駕を救う為に此処へ来た魅琴は、母親の策略に追い詰められた、かに見えた。
しかし、魅琴は一つ深呼吸をすると、僅かに口角を上げた。
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