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第一章『脱出篇』
幕間三『泥に咲く徒花』 上
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神聖大日本皇國に於いて「新華族」という言葉は、文字通り「新たに貴族として遇された一族」を意味する。
革命政府から政権を奪還し、二度目の王政復古を成し遂げた功績を称えられてのことであり、伯爵・子爵・男爵の位を授爵している。
水徒端家は男爵位を授爵された新華族だが、その二人の令嬢は大変に美しい姉妹との評判であった。
特に姉・早芙子は文武両道・才色兼備な上、弱きを助け強きを挫く誇り高き人格者として、周囲の憧憬と羨望を集めていた。
それは同じく美しいと評判の妹・早辺子にとっても同じで、彼女は実の姉・早芙子に対して道ならぬ想いを抱いていた。
早芙子が叛逆の思想に傾倒し、反政府組織「武装戦隊・狼ノ牙」に身を寄せたのも、早辺子が姉を止めるべく愛国の思想に傾倒し、取り戻すべく狼ノ牙に潜入したのも、必然の成り行きだったのだろう。
水徒端早辺子は軍人を中心とした極右政治団体に身を寄せ、その伝に依って軍の兵器を扱う技術を身に付けた。
そしてその技能に訴求して武装戦隊・狼ノ牙に「扇小夜」の偽名で潜り込んだ。
最高幹部の一人・屋渡倫駆郎に近付き、信用を得るまでに筆舌に尽くしがたい苦労があったことは推して知れよう。
屋渡という男は支配欲が異常に強く、事ある毎に早辺子のことを嬲った。
また新隊員の世話や、粛正・総括という名のリンチで命を落とした者の死体処理など、面倒事は悉く彼女に押し付けた。
全ては姉を取り戻したい一心で、早辺子は屋渡の横暴に耐えてきた。
だがそんな彼女も、皇國とは別の世界線に於けるもう一つの日本から強引に攫ってきた者達に無理矢理訓練を付け、革命戦士に仕立て上げるやり方は、看過出来なかった。
これまでの狼ノ牙のやり方は洗脳染みた勧誘に限られていた。
しかし、年々警戒と啓蒙が広がって皇國内では殆ど人員を確保出来なくなっていた。
そんな彼らが目を付けたのが、皇國が世界線を転々として別の日本との遭遇を繰り返していたことだった。
狼ノ牙にとって、岬守航を初めとした日本国民を拉致したのは、謂わば苦肉の策だった。
早辺子にとって、狼ノ牙は姉を誑かして悪の道へ堕とした憎き犯罪組織である。
何の罪もない日本国民を、本人達の意思に反して第二第三の姉になどしたくはなかった。
なんとか逃がしたかった。
しかし、拉致被害者の中心となって脱出を企てた岬守航は、どうにも頼りない。
それが余計に、早辺子を使命感に駆り立てた。
弱きを助け強きを挫くという姉の理念は、今尚妹の中で確かに息衝いていた。
⦿⦿⦿
そんな訳で、早辺子は航に脱出の要となる巨大ロボット「為動機神体」の操縦を教えることにした。
これこそは、彼女が狼ノ牙に潜入する際に最も売りとした技能である。
早辺子は、一つ自らに強く戒めていた。
苟且にも、自分は狼ノ牙の活動に加担してきたのであり、それは犯罪行為の片棒を担いできたも同然である。
喩えテロに直接的な加担はしていなくとも、彼女が無謬とは到底言えまい。
故に、そんな自分が恩人として感謝されることなどあってはならない。
これはあくまで当然の義務であり、罪滅ぼしにもなりはしないのだ。
――早辺子が航に対して、敢えて辛辣な言葉をぶつけるのはそういう理由からである。
利害の一致から一時的に手を借りるだけのいけ好かない女として、忘れて欲しかった。
だが、どうにも調子が狂う。
航は、早辺子の冷たい態度にもあまり堪えていない、満更でもなさそうに思える。
不思議に思って、彼女は一度操縦訓練後に訊ねてみたことがある。
いつも通り、休憩室で回復薬を一杯差し出す序での質問だった。
「岬守様、いつも私に素っ気無く遇われているにも拘わらず、どこか嬉しそうに見えるのは気のせいなのでしょうか」
「んー、やっぱりそう見えます?」
自覚があったらしい。
歳の割に幼さを感じさせる稚い顔で照れ笑いを浮かべられても、早辺子は困ってしまう。
「まさか肯定されるとは思いませんでしたよ」
早辺子は呆れて溜息を吐いた。
航は頭を掻きながら頬を薄らと紅潮させていた。
「なんていうか、知り合いを思い出して懐かしく感じちゃうんですよね。失礼な話なんですが……」
全くだ――早辺子は航から顔を背けた。
勝手に知り合いの面影を重ねても、航は早辺子の事など何も分からないだろうし、早辺子としてもその人物の顔さえ知らないのだ。
「成程、岬守様は心に決められた御方の尻に敷かれるのがお好みという訳ですか……」
「うぐ……。まあ、そんな感じでは……ありますが……」
早辺子の胸に罪悪感が去来する。
気が許せる、楽しい――彼女は航と過ごす時間に安らぎを感じていた。
屹度、叛逆者の一味として罪も無い者達を苦しめる日々に疲弊していた為だろう。
屹度、敬愛する主君や忠愛する国家に対し、心にも無い敵意を向けさせられる日々に嫌気が差していた為だろう。
屹度、この時間だけが唯一、本来の水徒端早辺子に戻れる時間だからだろう。
屹度、二人で一つの目的の為に秘密を共有しているからだろう。
だが、それは許されない。
彼らを元居た故郷に帰すのは、早辺子にとって謂わば義務である。
にも拘わらず、彼女はそれを姉の捜索という目的の為に利用し、自分の都合でこの場に縛り続けてしまっている。
本来ならば今すぐにでも彼らを脱出させなければならないのに、姉の居場所を知るであろう狼ノ牙の首領に近付くべく、彼らの脱出計画を屋渡の失脚に利用してしまっている。
嗚呼、こんな汚い私を、そんな奇麗な眼で見ないで欲しい。
その瞳に映るべき女は別に居るのでしょう。
その瞳はその女のものなのでしょう。
だからその為に、私は成すべきことを必ず果たしましょう。
喩えそれが、どれ程に耐え難い屈辱であろうとも――早辺子は強く心に誓ったのだった。
⦿⦿⦿
引き摺られる様に廊下を連れられた早辺子は、昇り階段に足を取られて転んだ。
自室で屋渡に散々嬲られた彼女は既にボロボロで、その有様は一目見ただけで憐れみを誘うだろう。
だが屋渡ときたらそんな彼女に目も呉れずに二階へ上がるものだから、彼女は動物の様に四つん這いで付いて行く事を強いられた。
(こいつ、何を思って二階などへ……?)
なんとか階段を昇り切った早辺子は尚も屋渡に引かれる。
「ほぉら、ここだ。お前のカードキーで開けられる筈だな?」
屋渡が立ち止まった部屋の扉を見上げ、早辺子は一気に血の気が引くのを感じた。
確かに、宿を管理する彼女はマスターキーとなるカードを所持している。
そこは岬守航と虻球磨新兒の相部屋、二人が早辺子の能力でぐっすりと眠る寝室の扉の前だった。
「い、嫌……! は、放して……! 何故このような場所へ?」
「んんー? どうせお前が深く深く眠らせて、絶対に目は覚めんのだろう? だったら何の問題がある? ただ岬守の部屋で続きと洒落込もう、というだけだろうが」
屋渡は既に早辺子の衣服からマスターとなるカードキーを奪っていた。
(絶対に起きない筈、でも……!)
屋渡によって、航と新兒の部屋は開け放たれた。
不躾に錠を解かれた扉から、招かれざる全裸の客が眠れる青年達の領域を侵す。
航と新兒はそれぞれの寝台で死人の様に寝かされ、丁寧に布団を掛けられている。
冷房の温度も、安眠を妨げないよう心地良い設定にされている。
早辺子の能力で眠る二人はそのような配慮など無くとも朝まで目を覚ますことなど無いのだが、これは彼女なりの誠意だった。
今、それがこの支配したがる男によって土足で踏み躙られようとしている。
早辺子の地獄は守るべき男の部屋で再開されようとしていた。
革命政府から政権を奪還し、二度目の王政復古を成し遂げた功績を称えられてのことであり、伯爵・子爵・男爵の位を授爵している。
水徒端家は男爵位を授爵された新華族だが、その二人の令嬢は大変に美しい姉妹との評判であった。
特に姉・早芙子は文武両道・才色兼備な上、弱きを助け強きを挫く誇り高き人格者として、周囲の憧憬と羨望を集めていた。
それは同じく美しいと評判の妹・早辺子にとっても同じで、彼女は実の姉・早芙子に対して道ならぬ想いを抱いていた。
早芙子が叛逆の思想に傾倒し、反政府組織「武装戦隊・狼ノ牙」に身を寄せたのも、早辺子が姉を止めるべく愛国の思想に傾倒し、取り戻すべく狼ノ牙に潜入したのも、必然の成り行きだったのだろう。
水徒端早辺子は軍人を中心とした極右政治団体に身を寄せ、その伝に依って軍の兵器を扱う技術を身に付けた。
そしてその技能に訴求して武装戦隊・狼ノ牙に「扇小夜」の偽名で潜り込んだ。
最高幹部の一人・屋渡倫駆郎に近付き、信用を得るまでに筆舌に尽くしがたい苦労があったことは推して知れよう。
屋渡という男は支配欲が異常に強く、事ある毎に早辺子のことを嬲った。
また新隊員の世話や、粛正・総括という名のリンチで命を落とした者の死体処理など、面倒事は悉く彼女に押し付けた。
全ては姉を取り戻したい一心で、早辺子は屋渡の横暴に耐えてきた。
だがそんな彼女も、皇國とは別の世界線に於けるもう一つの日本から強引に攫ってきた者達に無理矢理訓練を付け、革命戦士に仕立て上げるやり方は、看過出来なかった。
これまでの狼ノ牙のやり方は洗脳染みた勧誘に限られていた。
しかし、年々警戒と啓蒙が広がって皇國内では殆ど人員を確保出来なくなっていた。
そんな彼らが目を付けたのが、皇國が世界線を転々として別の日本との遭遇を繰り返していたことだった。
狼ノ牙にとって、岬守航を初めとした日本国民を拉致したのは、謂わば苦肉の策だった。
早辺子にとって、狼ノ牙は姉を誑かして悪の道へ堕とした憎き犯罪組織である。
何の罪もない日本国民を、本人達の意思に反して第二第三の姉になどしたくはなかった。
なんとか逃がしたかった。
しかし、拉致被害者の中心となって脱出を企てた岬守航は、どうにも頼りない。
それが余計に、早辺子を使命感に駆り立てた。
弱きを助け強きを挫くという姉の理念は、今尚妹の中で確かに息衝いていた。
⦿⦿⦿
そんな訳で、早辺子は航に脱出の要となる巨大ロボット「為動機神体」の操縦を教えることにした。
これこそは、彼女が狼ノ牙に潜入する際に最も売りとした技能である。
早辺子は、一つ自らに強く戒めていた。
苟且にも、自分は狼ノ牙の活動に加担してきたのであり、それは犯罪行為の片棒を担いできたも同然である。
喩えテロに直接的な加担はしていなくとも、彼女が無謬とは到底言えまい。
故に、そんな自分が恩人として感謝されることなどあってはならない。
これはあくまで当然の義務であり、罪滅ぼしにもなりはしないのだ。
――早辺子が航に対して、敢えて辛辣な言葉をぶつけるのはそういう理由からである。
利害の一致から一時的に手を借りるだけのいけ好かない女として、忘れて欲しかった。
だが、どうにも調子が狂う。
航は、早辺子の冷たい態度にもあまり堪えていない、満更でもなさそうに思える。
不思議に思って、彼女は一度操縦訓練後に訊ねてみたことがある。
いつも通り、休憩室で回復薬を一杯差し出す序での質問だった。
「岬守様、いつも私に素っ気無く遇われているにも拘わらず、どこか嬉しそうに見えるのは気のせいなのでしょうか」
「んー、やっぱりそう見えます?」
自覚があったらしい。
歳の割に幼さを感じさせる稚い顔で照れ笑いを浮かべられても、早辺子は困ってしまう。
「まさか肯定されるとは思いませんでしたよ」
早辺子は呆れて溜息を吐いた。
航は頭を掻きながら頬を薄らと紅潮させていた。
「なんていうか、知り合いを思い出して懐かしく感じちゃうんですよね。失礼な話なんですが……」
全くだ――早辺子は航から顔を背けた。
勝手に知り合いの面影を重ねても、航は早辺子の事など何も分からないだろうし、早辺子としてもその人物の顔さえ知らないのだ。
「成程、岬守様は心に決められた御方の尻に敷かれるのがお好みという訳ですか……」
「うぐ……。まあ、そんな感じでは……ありますが……」
早辺子の胸に罪悪感が去来する。
気が許せる、楽しい――彼女は航と過ごす時間に安らぎを感じていた。
屹度、叛逆者の一味として罪も無い者達を苦しめる日々に疲弊していた為だろう。
屹度、敬愛する主君や忠愛する国家に対し、心にも無い敵意を向けさせられる日々に嫌気が差していた為だろう。
屹度、この時間だけが唯一、本来の水徒端早辺子に戻れる時間だからだろう。
屹度、二人で一つの目的の為に秘密を共有しているからだろう。
だが、それは許されない。
彼らを元居た故郷に帰すのは、早辺子にとって謂わば義務である。
にも拘わらず、彼女はそれを姉の捜索という目的の為に利用し、自分の都合でこの場に縛り続けてしまっている。
本来ならば今すぐにでも彼らを脱出させなければならないのに、姉の居場所を知るであろう狼ノ牙の首領に近付くべく、彼らの脱出計画を屋渡の失脚に利用してしまっている。
嗚呼、こんな汚い私を、そんな奇麗な眼で見ないで欲しい。
その瞳に映るべき女は別に居るのでしょう。
その瞳はその女のものなのでしょう。
だからその為に、私は成すべきことを必ず果たしましょう。
喩えそれが、どれ程に耐え難い屈辱であろうとも――早辺子は強く心に誓ったのだった。
⦿⦿⦿
引き摺られる様に廊下を連れられた早辺子は、昇り階段に足を取られて転んだ。
自室で屋渡に散々嬲られた彼女は既にボロボロで、その有様は一目見ただけで憐れみを誘うだろう。
だが屋渡ときたらそんな彼女に目も呉れずに二階へ上がるものだから、彼女は動物の様に四つん這いで付いて行く事を強いられた。
(こいつ、何を思って二階などへ……?)
なんとか階段を昇り切った早辺子は尚も屋渡に引かれる。
「ほぉら、ここだ。お前のカードキーで開けられる筈だな?」
屋渡が立ち止まった部屋の扉を見上げ、早辺子は一気に血の気が引くのを感じた。
確かに、宿を管理する彼女はマスターキーとなるカードを所持している。
そこは岬守航と虻球磨新兒の相部屋、二人が早辺子の能力でぐっすりと眠る寝室の扉の前だった。
「い、嫌……! は、放して……! 何故このような場所へ?」
「んんー? どうせお前が深く深く眠らせて、絶対に目は覚めんのだろう? だったら何の問題がある? ただ岬守の部屋で続きと洒落込もう、というだけだろうが」
屋渡は既に早辺子の衣服からマスターとなるカードキーを奪っていた。
(絶対に起きない筈、でも……!)
屋渡によって、航と新兒の部屋は開け放たれた。
不躾に錠を解かれた扉から、招かれざる全裸の客が眠れる青年達の領域を侵す。
航と新兒はそれぞれの寝台で死人の様に寝かされ、丁寧に布団を掛けられている。
冷房の温度も、安眠を妨げないよう心地良い設定にされている。
早辺子の能力で眠る二人はそのような配慮など無くとも朝まで目を覚ますことなど無いのだが、これは彼女なりの誠意だった。
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