日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第一章『脱出篇』

第十二話『青血』 序

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 しんせいだいにっぽんこうこく首都・とうきょう特別行政区は、バベルの塔が如き摩天楼が林立する巨大都市である。
 軒高二百メートル、三百メートル級のビルがひしめきい、特に高いものとなると一キロ、二キロに迫る。
 その都市の姿は、こうこくの国土の広大さや災害の少なさを物語っている。

 そんな超高層建築物の数々に切り刻まれた夜空の下、人混みをけんそうが駆け抜けた。
 大の男が女の細腕にはじばされて倒れ込んだからである。
 日に焼けた端整な顔立ち・屈強な体格をしたなりの良い男が尻餅をき、さながあめだまを受け取ろうとしてお預けにされた子供の様に目をみはって女を見上げていた。

「いい加減にしなさい、うっとうしい。おん便びんに済ませてやろうという仏心がわからないの?」

 うることはこの男に声を掛けられ、しつこくまとわれてうんざりしていた。
 それだけではことの手も出なかったのだが、男は彼女の腕をつかんで強引に連れて行こうとした挙げ句、警告を無視して肩を組み、乳房までもわしづかみにした。
 そこまでされては、怒るなという方が無理だろう。

「女ァ、わたしを誰だと思っている……」
あきれた、この期に及んでまだ事態がめていないのね。そんな頭の悪い人間として覚えられる恥すら理解出来ないとは……下半身にしか血が巡っていないのかしら」

 怒りから額に青筋を浮き立たせる男は勢い良く立ち上がった。
 恵まれた長身、鍛え抜かれたたいは、ことの知り合いでいうときゅう以上だろうか。
 そのる事情からこの場に不在であり、トラブルを止める人間が居ない、かに思われた。

よるあき様、なにとぞお抑えくださいませ。せんの者の挑発に乗ってはたかつがい家の名折れに御座います」
「旦那様のお眼鏡にかなぎょうこうの解らぬ者に、どのみちろくな未来があろうはずも御座いません」

 男の使用人らしき者達が何とかなだめようとするが、けんもほろろに振り払われる。
 彼らでは力不足らしい。

「女、優しくしている内に従っていれば良かったのは貴様の方だ。あらゆる雌は強い雄になびく、これは自然の摂理なのだ。すぐに後悔しながらわたしびることになる」
「そうかしら? さぞ自信がおありのようね。でも、やめておいた方が良いわよ。つくばって命乞いをしたいのなら話は別だけれど」

 ことは拳をもてあそび、男に対して一歩も退かない。
 今にも飛び掛からんとする男とまさに一触即発の様相だった。

 しかし、その瞬間二人の周囲をごくさいしきの幻覚が包み込んだ。
 男とその付き人達は目がくらみ顔を伏せる。

うるさん、今のうちに逃げましょう」

 極めて背の高い女がことの手を引き、衝突する一方を連行することで場を収めた。

    ⦿

 ことは女に裏通りへ連れて来られた。

「ごめんなさい、びゃくだんさん。助かりました」

 女は帽子を取り、真っ赤に染め上げられた派手な長髪をあらわにした。
 彼女の名はびゃくだんあげといい、日本国の防衛大臣兼国家公安委員長・すめらぎかなこうこくに送り込んだちょうほういんである。
 しかし、その姿はおおよそ役柄に似つかわしくない、非常に目立つものだ。

うるさん、あまり目立つ行動は控えてくださいね」
「あ、はい……」

 びゃくだんの言は今回のことの行動に対してもっともな忠告だが、彼女は装いからして説得力に欠ける。
 ただでさえ一九〇センチ以上の長身女なのに、服装までたら幻覚的サイケデリックで派手なのだ。
 多種多様な装いの人物が行き交うとうきょうの街中でも、彼女の姿は一際異様だった。

「さっき貴女あなためていた男はたかつがいよるあきといって、こうこくでも有数の大貴族です。若くしてお父上から当主の座を引き継いだせいか、嫡男時代のほうとう癖がいまだに抜けていないようなのです。なおつ、非常に女癖が悪いことで有名でして、わたしも近寄らないようにしていたのですよ。それで貴女あなたと近付けてしまったのはわたしの不手際でしょうか」

 どうやらこうこくの情報を集める仕事はそれなりに果たせているらしく、無能というわけではなさそうだ。

(まあ、じゅつしきしんちょうほうに向いているのかも知れないわね……)

 ことを逃がした幻惑の能力がびゃくだんじゅつしきしんであり、充分に使いこなせていると言えるだろう。
 しかしそれでも、びゃくだんは、ことがイメージする間諜スパイとはかけ離れていた。
 こうこくの空港で合流した時のちには、指揮するも頭を抱えていたものだった。

ひとず騒ぎが収まるまで身を潜めましょう。近くに打って付けの場所を知っています」

 びゃくだんことを裏道へと誘い込んだが、ことは不安を拭えなかった。

    ⦿

 ことびゃくだんの二人は料亭の個室で膝を突き合せていた。
 といっても、びゃくだんが連れ込んだ「身を潜めるに打って付けの場所」はではない。

「いやーすみません。まさかうるさんがああいう騒がしい場所をお嫌いだとは思いもしませんでした」

 二人が最初に訪れたのは、所謂いわゆるディスコだった。
 びゃくだんは既に何度も訪れている常連だったらしく、顔見知りらしき男達に声を掛けられていた。
 強引なナンパ男から逃げてきた筈のことはまたしても、今度は複数の男に絡まれる羽目になった。
 すがに嫌気が差したことは、びゃくだんに言って場所を変えてもらったのだ。

「あと、お酒飲めないんですね、意外です」
「ええ、まあ……」

 ことは下戸というわけではないが、酒癖が悪いため、自主的に控えている。
 だがそうでなくとも、拉致された知り合いを取り戻しに来た立場で酒を飲むものではないだろう。

「あれ、料理食べないんですか? けんたんだと伺っておりますが」

 びゃくだんことの料理に箸を伸ばしてきた。
 助けてもらっておいて難だが、ことはここ数日でびゃくだんに対するる印象を固めつつあった。

「いやー、ここの料理は本当にしいんですよねー。諜報活動の一環として色々な人から食事に誘われて訪れてましてね。今回、せっかくだからうるさんにもごそうしようかと思いまして」
「は、はぁ……」

 ふすまとびらの向こうまで聞こえる大声で自分が諜報活動していると言ってしまった。
 やはり、彼女はどこか抜けている、とことが確信を深めた。

「そうそう。さっきのたかつがいよるあきなんですが、わたしが密かにこうこくの三大放蕩者と呼んでいる一人でしてね。彼の他には、皇族ようたしの宝石商の息子さんでふみという男が居て、色々やらかした挙げ句行方不明なんですよ。そしてあと一人がとっておきでしてね……」

 とその時、びゃくだんの電話が鳴った。

「おや?」
「あ、どうぞお構い無く。出てください」
「げ、さんだ……」

 びゃくだんのスマートフォンに着信があった。
 実を云うと、二人はと待ち合わせをしていたのだ。
 約束の時刻はとうに過ぎている。

「あの、びゃくだんさん、出た方が……」
「また怒られる……」

 どうやらやり過ごすつもりらしい。
 しかし、びゃくだんの思いもむなしく、スマートフォンは「さっさと出ろ」と言わんばかりに鳴り続けている。

「出ましょうよ、上司でしょう?」
「あぅ……」

 びゃくだんは渋々電話に出た。
 案の定、電話からは明らかにいらの声が聞こえてきた。

びゃくだん、今何処どこで何をしている? うる君は一緒なんだろうな?』
「ちょ、一寸ちょっとトラブルに遭っちゃいまして、近くの店に身を隠しているんですぅ……」

 今にも泣きそうな声での質問に答えるびゃくだんだが、相手に見られていないのを良いことに隙を見て料理をほおっている。
 食い意地を張り過ぎである。

『トラブル? 何をやっているんだ、全く……。まあ良い、何処の店だ?』
「『かいゆうえん店』というお店です……」
? 待て、落ち合うのはしん宿じゅくの筈だろう?』
「はぇ!?」

 どうやらびゃくだんは待ち合わせの場所を間違えていたらしい。
 ことが巻き込まれたトラブル自体が無用だったといえる。
 電話の向こうからの大きなためいきが聞こえてきた。

かいゆうえんだな。分かった。今から向かうから、くれぐれもそこを動くなよ?』
「はい、すみません……」

 はや呆れて怒る気力も無いのか、は穏やかな口調でびゃくだんに言い聞かせた。
 しかし、電話を終えたびゃくだんには今一つ通じていない。

「あー良かった。今回はあまり怒られなくてほっとしました」

 おそらくの評価が底を突いたからで、何一つ良くはないだろう。
 しかし、その時ことは一つ良からぬ事に気が付いてしまった。

「待って、びゃくだんさん。かいゆうえんはさっきのディスコですよ?」
「あ……」

 びゃくだんあおめた。
 とっに間違えてしまったのだろう。

「急いであっちへ行かなきゃ! お会計! お会計お願いします!」

 ことは完全に理解した。

(やっぱりこの人、とんだポンコツだ……)

 しかし、ことの評価はまだ甘かった。
 この後、びゃくだんは財布を忘れていたので請求書をへ回してもらうことにしたのだ。
 流石に、ことは初めてに同情した。

 びゃくだんに連れられてディスコに戻ることは、道中で更なるトラブルに遭わぬよう祈り続けた。
 しかし、ことはこの時まだ気付いていなかった。
 その不安は、びゃくだんのポンコツ具合だけから来るものではなかったと、後になって知ることになる。
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