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第一章『脱出篇』
第十六話『颯爽たる姫騎士』 急
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思わぬ出会いだった。
何処とも知れぬ森の中の川辺で、皇族に巡り会うと想定出来る者など誰も居まい。
航は龍乃神との接し方に迷ったが、一先ず失礼にならないように挨拶を返さなくてはならないと思った。
「初めまして、御丁寧にありがとうございます、龍乃神殿下。僕は航、岬守航です」
「うーん、まだ堅いなあ……。せめてその『龍乃神殿下』っていうのは止してくれないかい? 称号で呼ばれるのって、相手との距離を感じて好きではないんだ」
龍乃神は肩を竦めた。
何気ない仕草が一々絵になる。
しかしそう言われると、航は却って困ってしまう。
距離を感じるも何も、初対面の相手に馴れ馴れしく接するのは憚られるし、第一気安く接して良い相手ではない。
だが、だからこそ龍乃神がそういう扱いにうんざりしているのも解らぬではない。
航は考えた末、こう返す。
「じゃあ、僕の国の呼び方に倣って『深花様』で」
「……まあ、それならまだ良いか」
龍乃神は手を腰に当てて口を尖らせた。
不満はあるが、取り敢えずそれで妥協しよう、というところだろうか。
「ところで深花様、さっき僕のことを誰かに聞いていた風に仰ってましたが……」
「ああ、兄が明治日本政府の人と酒の席で引接したらしくてね。君達のことを色々と聞かされたらしいんだ。正直、君の国の機密意識はどうなっているのかと思ったけれどね」
日本の、というよりは龍乃神の兄に何でもかんでも話してしまった白檀揚羽の機密意識だろうが、知る由も無い航は苦笑いを浮かべるしか無かった。
しかし、航にとっては大きな朗報である。
「そうか、僕らを助ける為に政府も動いているんだ……」
「兄の話によると、君達を奪還する為の人材も既に皇國入りしているらしい。此方としては余り歓迎出来る話ではないが、取締りを怠った不届き者が迷惑を掛けてしまった以上、多少は致し方あるまいね」
龍乃神の言葉で、航は帰国に大きく近付いている実感が湧いた。
互いの国の上層部が合意し、動いてくれているという情報が心強かった。
そして、祖国に思いを馳せる。
心に浮かぶのは、やはり恋い焦がれる幼馴染・麗真魅琴であった。
「待っていてくれ、魅琴。もう少しで帰る、必ず帰るから」
空を仰ぎ、航は拳を握り締めた。
そんな航の横顔を、龍乃神は興味深そうに見詰めている。
そして、薄らと笑みを浮かべて声を掛けてきた。
「岬守君、モテるだろう?」
「はい?」
唐突に揶揄われ、航は困惑を隠せなかった。
「君は魅力的だと、そう言っているんだよ」
「深花様、突然どうしたんですか?」
蠱惑的な眼で見据えられた航は慣れない事態に目を泳がせる。
そんな反応が、龍乃神は面白いらしく、揶揄いがエスカレートする。
革手袋越しに、彼女の掌が航の頬に触れた。
「意外と初心なんだね。若い燕になれそうな顔をしている癖に、女慣れしていないのかい? 可愛いね、仔猫ちゃん」
若い燕、確か水徒端早辺子にもそんなことを言われた気がする。
年の離れた大人の女の愛人になっている若い男を指す言葉だが、年上から見てそれを思わせる何かが航にあるのだろうか。
一応、航はそれなりに童顔の美形で甘え上手な自覚はあり、心当たりを問われれば否定しない。
「どうかな、世界一の大国のお姫様を射止めてみようとは思わないかい?」
「いや、それは……」
冗談ぽく嘯く龍乃神だが、このアプローチはお姫様というより王子様だろう。
航でなくとも、麗しの皇女様にこう迫られて気後れしない男は居まい。
「まあ、君にとって今はそれどころではないだろうね」
「え、ええまあ……」
龍乃神に翻弄されてタジタジになる航だったが、ふと考えたことがある。
彼女が皇族いう皇國に於いて比類無き権威を持っているのなら、航達を帰国させることなど訳無いのではないか。
ひょっとすると、このまま龍乃神を仲間のところへ案内出来れば、脱出の道程は一気に完結してしまうのではないか。
だが、そんな航の心を見透かしたのか、龍乃神は申し訳無さそうに眉尻を下げ、溜息を吐いた。
「君の期待していることは解る。しかし悪いが、君達を直接助けることは出来ないんだ」
「え? どうしてですか?」
「本来、皇族はあまり勝手な動きをすべきでない、とされている。何気ない一挙手一投足の影響が大き過ぎるからだ。まあ、約一名それを無視して政治的影響力を行使して憚らない人も居るけれどね。だが妾の場合、それは何かと問題になる。実は此処へも、思うところあってお忍びで来ているんだよ」
そんなものか、と航は納得せざるを得なかった。
日本に於いても、皇室の方々は様々に配慮を尽くされている――そんなことを航も聞いたことがある。
皇國の皇族も同じ様なものだと考えれば理解は出来る。
「本来は今すぐにでも君達を然るべき場所へ送り届けるべきだとは思うんだが、妾にも第二皇女としての色々な柵がある。解ってくれ」
「……まあお供も無しに来ているとなると、僕達と一緒に行動するのは危険でしょうしね。というか、一刻も早く此処から離れた方が良いですよ。狼ノ牙が僕達を諦めたとは思えない。奴らに身柄を確保されたら、何をされるか分かったもんじゃない」
航の本心からの気配りに、龍乃神は目を丸くする。
「君は妾の心配をしてくれるのかい?」
「いや、しますよそりゃ。唯でさえ女性の一人歩きなんですから」
龍乃神は口角を上げ、込み上げる可笑しみを堪えられないとばかりに含み笑いを零した。
「岬守君は面白いなあ。やっぱり君、モテるだろう?」
「そんな変なこと言いました? 普通の考えだと思いますけど」
「変だね。だって、皇族たる妾が叛逆者の破落戸如きに後れを取る訳が無いじゃないか」
「そ、そうですか……」
胸を張って己を誇示する龍乃神の姿は、自信と誇りに溢れた高貴な女騎士を思わせた。
「ではそんな岬守君の心遣いに免じて、支障の無い範囲で良い事を教えてあげようかな」
龍乃神はそう言うと、再び電話端末を弄り、航に画面を見せてきた。
そこにはこの辺り一帯と思しき地図が映し出されている。
「御覧、妾達の現在地が此処だ。此処から川沿いに三十粁ほど下って行くと、少し大きな道に出る。更に途次二十粁歩くと、大きな街に出る。後は、此処の角を曲がって西に五粁、この宿を目指すと良い。此処は妾がお忍びで出掛ける時に重用していてね。明治日本政府の人間と落ち合えるよう、宿と役人に話を通しておいてあげよう」
航の胸から顔に喜びが込み上げる。
これから米国大使館を目指して何日も歩く覚悟をしていた航にとって、目的地が明確になった上に六十粁以内にまで距離が短縮されたのは朗報だ。
即座に帰国させては貰えずとも、これは充分過ぎる程大きな助力だった。
「凄い! これならかなり頑張れば明日にも辿り着ける! ありがとうございます。本当にありがとうございます!」
「礼には及ばないよ。結局、直接助けてはあげられないんだから」
「いいえ、とんでもない! これは凄い助けですよ!」
と、興奮していたものの、航は一つ重大な懸念点を思い出した。
「後は折野が大人しく付いて来てくれれば良いんだが……。絶対、素直には帰国しないよなあ……」
折野は何件もの殺人容疑にて裁判中であり、帰国後に待っているのはほぼ確実な死刑判決である。
当然、彼はこのまま皇國にとどまって姿を眩まそうとするだろう。
今や折野には航達に協力する理由など無い。
いつ裏切って襲い掛かってくるか分からないのだ。
「折野? ああ、確か君達の中に一人、殺人犯が居るんだったね。君達にとっては孰れ炸裂する爆弾であり、皇國にとっては心許ない鎖に繋がれた猛獣というわけか。あいわかった。ではその者だけ妾が始末しておこう」
そう告げた龍乃神は、先程までの気さくな言動からは打って変わって厳しい表情を浮かべていた。
打ち解けてきたように思えていた航は、別人の様な鋭い視線に思わず面食らってしまう。
航は慌てて龍乃神を制止する。
「ち、一寸待ってください! それは駄目だ!」
「どうして? 厄介払いしたくはないのかい?」
「駄目なんですよ。あいつには、ちゃんと法に基づいた裁きを受けさせないといけない。その為にも、絶対に一緒に帰国しないといけない」
「それは其方の都合だろう。君達だけが危ないんじゃない。野に放たれた獣が皇國臣民に牙を剥いたらどう責任を取る?」
今の龍乃神には皇族としての威厳さえ感じられる。
しかし、怯んではいられない。
航は胸ポケットに手を入れ、東瀛丸の包装を掴んだ。
最悪、全ての恩恵を捨ててでも龍乃神と戦わなくてはならない。
「貴女の言う事も一理あるかも知れない。だけど、僕はそれでも貴女を止めなくちゃならない」
「君が? それは無理だ。仮令万全であろうが、君は妾に万に一つも勝てないよ」
「折野には命を助けられ、大切な誓いを果たす手伝いもしてもらった。その為に、あいつは大きな利益を手放してもいる。今、そんなあいつを売る事は出来ない」
「一人の罪人の為に、折角の機会を棒に振り、剰え命をも棄てると?」
折野が自分の東瀛丸を航に飲ませていなければ、今頃は皆ミロクサーヌ改の墜落で死んでいる。
また、そのミロクサーヌ改の直靈彌玉を破壊し、早辺子との約束を守る事が出来たのも折野のお陰だ。
一歩も退かない航に根負けしたのか、龍乃神は肩の力を抜いて息を吐いた。
「君は損な性格だね。あいわかった。そこまで言うなら君の覚悟を見せてもらうとするよ。その男、見事連れ帰ってみせるが良い」
龍乃神の纏う空気が変わった。
元の雰囲気に戻った彼女に、航は少し安心した。
「あ、でも一寸後悔し始めたかも知れません。結局あいつの問題は残る訳ですし」
「あはは、駄目駄目じゃないか。でも、もう遅いからね」
何はともあれ、少し拗れかけた場は丸く収まったようだ。
航は改めて龍乃神に謝意を述べる。
「本当に、ありがとうございます」
「どういたしまして。じゃあ、妾は失礼するよ。無事帰れると良いね」
龍乃神は一つ伸びをして航に別れを告げた。
そして最後に、再び蠱惑的に揶揄う様な笑みを航へ近付け、小声で囁く。
「妾のことを本気で射止めたくなったら、また皇國に遊びにおいで。皇族には下の立場の相手しか居ないから、君の身の上は気にしないよ。婚約の成り行き次第だけれど、何なら真実の愛を教えてくれても構わないからね」
自身の魅力を確信した誘惑の眼差しに、航は思わずドギマギしてしまう。
航はずっと龍乃神に翻弄されっぱなしだ。
そんな反応を愉しんだ龍乃神は、にっこりと微笑んで航の頬を小突いた。
「なんてね。では、また会おう!」
龍乃神はそう告げて、航の前から忽然と姿を消した。
「凄い女だったな……。白馬の王子様……いや、姫騎士か? さて、すっかり遅くなっちゃったし戻るか。虎駕の奴、時間は守れって怒るだろうな……」
颯爽たる彼女は航に強力な援助と鮮烈な印象を残し、朝の川辺を通り過ぎて往った。
何処とも知れぬ森の中の川辺で、皇族に巡り会うと想定出来る者など誰も居まい。
航は龍乃神との接し方に迷ったが、一先ず失礼にならないように挨拶を返さなくてはならないと思った。
「初めまして、御丁寧にありがとうございます、龍乃神殿下。僕は航、岬守航です」
「うーん、まだ堅いなあ……。せめてその『龍乃神殿下』っていうのは止してくれないかい? 称号で呼ばれるのって、相手との距離を感じて好きではないんだ」
龍乃神は肩を竦めた。
何気ない仕草が一々絵になる。
しかしそう言われると、航は却って困ってしまう。
距離を感じるも何も、初対面の相手に馴れ馴れしく接するのは憚られるし、第一気安く接して良い相手ではない。
だが、だからこそ龍乃神がそういう扱いにうんざりしているのも解らぬではない。
航は考えた末、こう返す。
「じゃあ、僕の国の呼び方に倣って『深花様』で」
「……まあ、それならまだ良いか」
龍乃神は手を腰に当てて口を尖らせた。
不満はあるが、取り敢えずそれで妥協しよう、というところだろうか。
「ところで深花様、さっき僕のことを誰かに聞いていた風に仰ってましたが……」
「ああ、兄が明治日本政府の人と酒の席で引接したらしくてね。君達のことを色々と聞かされたらしいんだ。正直、君の国の機密意識はどうなっているのかと思ったけれどね」
日本の、というよりは龍乃神の兄に何でもかんでも話してしまった白檀揚羽の機密意識だろうが、知る由も無い航は苦笑いを浮かべるしか無かった。
しかし、航にとっては大きな朗報である。
「そうか、僕らを助ける為に政府も動いているんだ……」
「兄の話によると、君達を奪還する為の人材も既に皇國入りしているらしい。此方としては余り歓迎出来る話ではないが、取締りを怠った不届き者が迷惑を掛けてしまった以上、多少は致し方あるまいね」
龍乃神の言葉で、航は帰国に大きく近付いている実感が湧いた。
互いの国の上層部が合意し、動いてくれているという情報が心強かった。
そして、祖国に思いを馳せる。
心に浮かぶのは、やはり恋い焦がれる幼馴染・麗真魅琴であった。
「待っていてくれ、魅琴。もう少しで帰る、必ず帰るから」
空を仰ぎ、航は拳を握り締めた。
そんな航の横顔を、龍乃神は興味深そうに見詰めている。
そして、薄らと笑みを浮かべて声を掛けてきた。
「岬守君、モテるだろう?」
「はい?」
唐突に揶揄われ、航は困惑を隠せなかった。
「君は魅力的だと、そう言っているんだよ」
「深花様、突然どうしたんですか?」
蠱惑的な眼で見据えられた航は慣れない事態に目を泳がせる。
そんな反応が、龍乃神は面白いらしく、揶揄いがエスカレートする。
革手袋越しに、彼女の掌が航の頬に触れた。
「意外と初心なんだね。若い燕になれそうな顔をしている癖に、女慣れしていないのかい? 可愛いね、仔猫ちゃん」
若い燕、確か水徒端早辺子にもそんなことを言われた気がする。
年の離れた大人の女の愛人になっている若い男を指す言葉だが、年上から見てそれを思わせる何かが航にあるのだろうか。
一応、航はそれなりに童顔の美形で甘え上手な自覚はあり、心当たりを問われれば否定しない。
「どうかな、世界一の大国のお姫様を射止めてみようとは思わないかい?」
「いや、それは……」
冗談ぽく嘯く龍乃神だが、このアプローチはお姫様というより王子様だろう。
航でなくとも、麗しの皇女様にこう迫られて気後れしない男は居まい。
「まあ、君にとって今はそれどころではないだろうね」
「え、ええまあ……」
龍乃神に翻弄されてタジタジになる航だったが、ふと考えたことがある。
彼女が皇族いう皇國に於いて比類無き権威を持っているのなら、航達を帰国させることなど訳無いのではないか。
ひょっとすると、このまま龍乃神を仲間のところへ案内出来れば、脱出の道程は一気に完結してしまうのではないか。
だが、そんな航の心を見透かしたのか、龍乃神は申し訳無さそうに眉尻を下げ、溜息を吐いた。
「君の期待していることは解る。しかし悪いが、君達を直接助けることは出来ないんだ」
「え? どうしてですか?」
「本来、皇族はあまり勝手な動きをすべきでない、とされている。何気ない一挙手一投足の影響が大き過ぎるからだ。まあ、約一名それを無視して政治的影響力を行使して憚らない人も居るけれどね。だが妾の場合、それは何かと問題になる。実は此処へも、思うところあってお忍びで来ているんだよ」
そんなものか、と航は納得せざるを得なかった。
日本に於いても、皇室の方々は様々に配慮を尽くされている――そんなことを航も聞いたことがある。
皇國の皇族も同じ様なものだと考えれば理解は出来る。
「本来は今すぐにでも君達を然るべき場所へ送り届けるべきだとは思うんだが、妾にも第二皇女としての色々な柵がある。解ってくれ」
「……まあお供も無しに来ているとなると、僕達と一緒に行動するのは危険でしょうしね。というか、一刻も早く此処から離れた方が良いですよ。狼ノ牙が僕達を諦めたとは思えない。奴らに身柄を確保されたら、何をされるか分かったもんじゃない」
航の本心からの気配りに、龍乃神は目を丸くする。
「君は妾の心配をしてくれるのかい?」
「いや、しますよそりゃ。唯でさえ女性の一人歩きなんですから」
龍乃神は口角を上げ、込み上げる可笑しみを堪えられないとばかりに含み笑いを零した。
「岬守君は面白いなあ。やっぱり君、モテるだろう?」
「そんな変なこと言いました? 普通の考えだと思いますけど」
「変だね。だって、皇族たる妾が叛逆者の破落戸如きに後れを取る訳が無いじゃないか」
「そ、そうですか……」
胸を張って己を誇示する龍乃神の姿は、自信と誇りに溢れた高貴な女騎士を思わせた。
「ではそんな岬守君の心遣いに免じて、支障の無い範囲で良い事を教えてあげようかな」
龍乃神はそう言うと、再び電話端末を弄り、航に画面を見せてきた。
そこにはこの辺り一帯と思しき地図が映し出されている。
「御覧、妾達の現在地が此処だ。此処から川沿いに三十粁ほど下って行くと、少し大きな道に出る。更に途次二十粁歩くと、大きな街に出る。後は、此処の角を曲がって西に五粁、この宿を目指すと良い。此処は妾がお忍びで出掛ける時に重用していてね。明治日本政府の人間と落ち合えるよう、宿と役人に話を通しておいてあげよう」
航の胸から顔に喜びが込み上げる。
これから米国大使館を目指して何日も歩く覚悟をしていた航にとって、目的地が明確になった上に六十粁以内にまで距離が短縮されたのは朗報だ。
即座に帰国させては貰えずとも、これは充分過ぎる程大きな助力だった。
「凄い! これならかなり頑張れば明日にも辿り着ける! ありがとうございます。本当にありがとうございます!」
「礼には及ばないよ。結局、直接助けてはあげられないんだから」
「いいえ、とんでもない! これは凄い助けですよ!」
と、興奮していたものの、航は一つ重大な懸念点を思い出した。
「後は折野が大人しく付いて来てくれれば良いんだが……。絶対、素直には帰国しないよなあ……」
折野は何件もの殺人容疑にて裁判中であり、帰国後に待っているのはほぼ確実な死刑判決である。
当然、彼はこのまま皇國にとどまって姿を眩まそうとするだろう。
今や折野には航達に協力する理由など無い。
いつ裏切って襲い掛かってくるか分からないのだ。
「折野? ああ、確か君達の中に一人、殺人犯が居るんだったね。君達にとっては孰れ炸裂する爆弾であり、皇國にとっては心許ない鎖に繋がれた猛獣というわけか。あいわかった。ではその者だけ妾が始末しておこう」
そう告げた龍乃神は、先程までの気さくな言動からは打って変わって厳しい表情を浮かべていた。
打ち解けてきたように思えていた航は、別人の様な鋭い視線に思わず面食らってしまう。
航は慌てて龍乃神を制止する。
「ち、一寸待ってください! それは駄目だ!」
「どうして? 厄介払いしたくはないのかい?」
「駄目なんですよ。あいつには、ちゃんと法に基づいた裁きを受けさせないといけない。その為にも、絶対に一緒に帰国しないといけない」
「それは其方の都合だろう。君達だけが危ないんじゃない。野に放たれた獣が皇國臣民に牙を剥いたらどう責任を取る?」
今の龍乃神には皇族としての威厳さえ感じられる。
しかし、怯んではいられない。
航は胸ポケットに手を入れ、東瀛丸の包装を掴んだ。
最悪、全ての恩恵を捨ててでも龍乃神と戦わなくてはならない。
「貴女の言う事も一理あるかも知れない。だけど、僕はそれでも貴女を止めなくちゃならない」
「君が? それは無理だ。仮令万全であろうが、君は妾に万に一つも勝てないよ」
「折野には命を助けられ、大切な誓いを果たす手伝いもしてもらった。その為に、あいつは大きな利益を手放してもいる。今、そんなあいつを売る事は出来ない」
「一人の罪人の為に、折角の機会を棒に振り、剰え命をも棄てると?」
折野が自分の東瀛丸を航に飲ませていなければ、今頃は皆ミロクサーヌ改の墜落で死んでいる。
また、そのミロクサーヌ改の直靈彌玉を破壊し、早辺子との約束を守る事が出来たのも折野のお陰だ。
一歩も退かない航に根負けしたのか、龍乃神は肩の力を抜いて息を吐いた。
「君は損な性格だね。あいわかった。そこまで言うなら君の覚悟を見せてもらうとするよ。その男、見事連れ帰ってみせるが良い」
龍乃神の纏う空気が変わった。
元の雰囲気に戻った彼女に、航は少し安心した。
「あ、でも一寸後悔し始めたかも知れません。結局あいつの問題は残る訳ですし」
「あはは、駄目駄目じゃないか。でも、もう遅いからね」
何はともあれ、少し拗れかけた場は丸く収まったようだ。
航は改めて龍乃神に謝意を述べる。
「本当に、ありがとうございます」
「どういたしまして。じゃあ、妾は失礼するよ。無事帰れると良いね」
龍乃神は一つ伸びをして航に別れを告げた。
そして最後に、再び蠱惑的に揶揄う様な笑みを航へ近付け、小声で囁く。
「妾のことを本気で射止めたくなったら、また皇國に遊びにおいで。皇族には下の立場の相手しか居ないから、君の身の上は気にしないよ。婚約の成り行き次第だけれど、何なら真実の愛を教えてくれても構わないからね」
自身の魅力を確信した誘惑の眼差しに、航は思わずドギマギしてしまう。
航はずっと龍乃神に翻弄されっぱなしだ。
そんな反応を愉しんだ龍乃神は、にっこりと微笑んで航の頬を小突いた。
「なんてね。では、また会おう!」
龍乃神はそう告げて、航の前から忽然と姿を消した。
「凄い女だったな……。白馬の王子様……いや、姫騎士か? さて、すっかり遅くなっちゃったし戻るか。虎駕の奴、時間は守れって怒るだろうな……」
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