日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第一章『脱出篇』

第十七話『奸計』 序

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 脱走した拉致被害者達が野宿した地点より二十五キロ程下流の、少し離れた場所にひっそりと研究所が建っている。
 三階建て二棟からなるその施設は「くも研究所」といい、かつてはしんを利用した生物工学が研究されていた。
 だが今は移管に伴って廃棄され、設備だけが反政府テロ組織「そうせんたいおおかみきば」に利用されている。

 七月二日の朝、さきもりわたるたつかみと別れて二時間程度った頃、一人の巨漢が怒髪天を突くといった形相でそこの所長室へ入って来た。

じがァ!! 貴様このおれを閉め出して一晩野宿させるとはどういう了見だ!!」

 モヒカン頭の巨漢・土生はぶあきは所長席の机を両手でたたき、目の前で咖哩カレーを口に運ぶ男に怒鳴り付けた。
 じがと呼ばれた男は土生はぶとは対照的に痩せた小柄な体格で、黄ばんだ博衣と重く脂っこい長髪がやや不潔な印象を与える。

「我が研究所は労働時間じゅんしゅが原則なのでね。早番六時から十五時、中番九時から十八時、遅番十二時から二十一時、各一時間休憩込み。その時間を過ぎてしまうと誰も応対出来ないから翌日までお待ちいただくしか無いよ。きみが昨晩辿たどいたのは二十二時以降だろう?」

 土生はぶの怒りにも動じないこの男はじがむらもり
 くも研究所の所長であり、おおかみきば最高幹部「はっしゅう」の一人である。
 澄ました様子で朝食をじがの態度に、土生はぶいらちを募らせる。

「この研究所は二十四時間稼働してるんじゃなかったのか?」
「確かに、厳密には宿直が毎晩泊まり込んでいるよ。でも、彼らの業務は実験試料の監視であって、来客対応は契約範囲外なんだ。きみも革命戦士なら、労働者の権利は尊重しなさいよ」
「ふざけやがってえッッ!!」

 土生はぶじがの胸倉を両手でつかげた。
 じがの表情が恐怖ともんゆがむ。

「ぼ、暴力はしなさいよきみィ!」
五月蠅うるせえ! 革命は暴力じゃ! この小市民が!」

 激しい怒りが土生はぶの額に青筋を浮き上がらせた、その時だった。
 血が上った頭の中にじがの声が響く。

じゅつしきしん比丘尼鋳人ビクニート――熱源を感知しました』

 突如、土生はぶの両腕がズタズタに傷付き激しく出血した。
 たまらずじがから手を放した土生はぶは、両腕をだらりと垂らして恨めしそうににらんでいる。
 対するじがはほっとした様に一息吐くと、血の滴った机を見て眉をしかめた。

「あーあ、きみのそのすぐに我を忘れる癖はどうにかならないのかい? 資料に血が付いちゃったよ……っておい! 咖哩カレーにも垂れてるじゃないか! これじゃ食えたもんじゃない! どうしてくれるんだよ!」
「ふん、自動発動型のじゅつしきしだな。い気味だ」

 一見ひ弱な研究者然としているじがだが、彼もまたしっかりとじゅつしきしんの深みに至り、覚醒している。
 はっしゅうの一員としてわたりりんろう土生はぶあきと肩を並べている訳ではないのだ。

「まあ、要件はわたりから聞いているよ。あきてる限りだが、ぼくも革命戦士の一人だ、協力する事もやぶさかではない」
「のんびり朝まで待ったせいでもう手遅れかも知れねえがな」

 野宿を強いられたいやを垂れる土生はぶだが、じがは意に介さずに咖哩カレーごみばこて、皿を流しで洗う。

「そう慌てる必要は無いさ。どうせ相手は明日まで動かない」
何故なぜ分かる?」
「同志わたりから結構詳しく事情をき出したからね。やつら、今はとうえいがんの効果切れなんでしょう? だったら、再服用には一日空ける必要がある。それまで不用意に動き出すとは思えない」

 洗い終わった皿を立てたじがは、窓を開けて外の景色を眺める。
 遠くに細長く、一本の川が横切っている。

「相手の落下地点は確認したんだろうね」
「ああ、間違い無く川岸の森林地帯に落ちた。此処から二十五キロってところだ」
「つまり、上流だろ? その距離だと下流はもう街だからね。だったら、普通は人里に向かって川を下るはずだ。ならば明日の昼頃以降、脱走者達は自分からこのくも研究所に接近する。それを狙って川辺で待ち伏せすれば良いという訳だよ」

 じがは窓を閉めると、冷蔵庫を開けてゼリー飲料を二つ取り出した。

「だから、きみも明日までのんびりすると良い。あ、でも研究の邪魔はしないでくれよ。腹が減っているだろう、飲みたまえよ」
「伊達に頭脳派を気取ってる訳じゃ無さそうだ、と言いたいところだが、おれの腕の状態を忘れる鳥頭だったか」
「嫌がらせをわからない莫迦は困ったもんだね。しんがあるんだから一時間もあれば修復されるだろう?」
「フン……」

 じがは机の上にゼリー飲料のパックを一つ置き、もう一つをさっと飲み干した。
 ほぼ同時に、午前九時の鐘が鳴り中番勤務時間の開始がしらされる。

「所長!」

 その時、部屋の扉が開き一人の女が入室してきた。
 時間が来るのを待ち構えていた、といった様子だ。

「なんだい、朝から騒々しい」
「『彼ら』が目を覚ましました!」
「なんだって?」

 じがは特段焦るでもなく、机の脇に置いてある液晶画面を表示させた。
 そこには人間大のカプセルを思わせる装置が二つ並び、その周囲を何名かの研究員が困った様子で取り囲む光景が映し出されていた。

「ふむ……」

 じがはマウスを操作し、画面を装置に向かって拡大していく。
 カーソルを合わせてクリックすると、微動する数字の羅列がポップアップされた。
 じがはその振る舞いを注意深く観察している。

「眠りが浅くなっているな。鎮静剤を投与するんだ」
「しかし、早番勤務の開始から既に規定回数を超えています」
「多少は構わない。目を覚ましてしまったら大変だからね。それに比べたら、検体の健康リスクなど軽微なものだよ」
「り、了解しました……」

 女はじがの指示を受け、急ぎ所長室を後にした。

「全く、この程度の判断を一々所長に上げないでほしいね」
「何だ、じが、お前の預かっている案件も綱渡りのようだな。これは新人育成やどうしんたいよりもはるかに重要な、首領のきもりだろ? 事故ったらお前に落ちる雷はわたりの比じゃないだろうぜ」

 土生はぶは所内の動揺を鼻で笑った。
 じがは心外といった様子で自席の椅子に踏ん反り返る。

「あの間抜けとぼくを一緒にしないでもらえるかな。きみも大概だが、わたりなんか暴力しか取り柄の無い脳筋じゃないか。首領もあいつに役割を与えるのには苦心しただろう。ぼくきみと違って、何の特殊技能も無いんだからね。その結果、何とかあてがわれた新人育成に失敗してこのざまだろう? あきれて物が言えないね」

 土生はぶの顔に露骨な不快感がにじんだ。
 じがはそれを見て思い出した様に嘲笑する。

「ああ、そういえばきみは特技のどうしんたいで大ポカをやらかしたんだったっけ。なんだ、どいつもこいつも、はっしゅうちたものだね」
「やっぱりこの場でぶち殺してやろうか、じが?」

 土生はぶは震える手で拳を握り締めた。
 いつの間にか腕の傷から流れる血が止まっている。
 しんの使い手は傷の治りが早いのだ。

「き、きみじゅつしきしんか……。そりゃまずいね」

 じがは薄笑いをらせ、姿勢を正した。

「ま、まあ誰にでも調子の浮き沈みはあるさ。それに、どうしんたい操縦士の戦い方はちょうきゅういっきゅうに乗り込んでの派手な大立ち回りだけじゃない。知ってのとおり、きみが名誉をばんかいする為におあつらきの兵器がこの研究所にはある」
「ああ、おれもそいつを当てにしていたところだ。で、明日はどうする? 川岸で一気に仕留めるか?」
「あまり外で騒ぎを起こしたくはないね。出来れば、此処に誘い込みたい。明日はきゅうきょ、研究所を臨時休業にして最低限の監視要員だけを出勤させよう。今から全従業員に連絡して、有休申請を促しておかないとね」

 じがはキーボードを叩いた。
 土生はぶはそんな彼をらかう。

「お優しい所長様だな」
「研究者は貴重な人材だ。本来はこれくらい大切に扱うべきものだよ。だというのにこの社会は、あまりにも研究者に過重労働と心理的負荷を掛けてはばからない。ぼくはあの解らず屋共とは違うんだよ」

 じがに濁った光が宿る。
 それは液晶画面が瞳に映っているせいばかりではないだろう。

「解った。じゃあ明日、この研究所が処刑場になるわけだな」
「聞こえは悪いが、まあそういうことで良いだろう」
「ところで、わたりの奴は来てないのか? あいつのじゅつしきしんの速度なら、一晩でここまで辿り着けるだろうに」
「あいつにも明日決戦になるという見込みは伝えたよ。今日は休んで、明日の朝にこっちへ着くんじゃないか?」

 土生はぶの表情がまた険しくなった。
 今度の怒りの対象はじがではない。

わたりの野郎、手前テメエの失敗でおれ達を駆り出しておいて、自分はのんなもんだぜ」
「そうだね。こっちは良い迷惑だ」

 二人とも、わたりが気に食わないという点では一致していた。
 何はともあれ、新たな目標を見付けたわたる達にはっしゅうの邪悪なたくらみが牙をこうとしていた。
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