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第一章『脱出篇』
第二十一話『狼と鴉』 序
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時を一日遡り、七月二日木曜日。
丁度、碧森支部から拉致被害者が脱走した翌日。
岬守航と第二皇女・龍乃神深花が出会った日。
八卦衆・鍛冶谷群護と土生十司暁が拉致被害者を一網打尽にすべく、奸計を巡らせた日。
屋渡倫駆郎は二人の八卦衆と合流すべく、碧森支部の近傍――訓練期間中に宿泊していた高級旅館を出発しようとしていた。
「全く、手間取らせる……。土生・鍛冶谷……足止めは出来ているんだろうな?」
元はといえば自分の不手際であるにも拘わらず、屋渡はすっかり土生の失敗を尻拭いする気分でいた。
土生が航に撃墜されなければ態々自分が出張ることは無かったのに、とでも言いたげである。
「岬守……他の連中も……鏖だ……!」
屋渡は両腕から槍を生やした。
腕のみを変形させるのは、彼の術識神為が見せる変形の内「形態壱」と名付けた姿だ。
ここから伸縮自在の槍を蜿り撓らせる「形態弐」へと移行する。
槍の伸び縮みの速度は凄まじく、これを利用した移動方法で屋渡は碧森支部から雲野研究所へと向かおうとしていた。
その距離は二千粁以上にもなるが、彼はこれを半日と掛からず移動出来るのだ。
偏に、八卦衆でも首領Дに次ぐ戦闘能力を持つ屋渡だからこそ為せる業である。
今居る地点から限界まで槍を伸ばし、適当な場所へ突き刺してから収縮させる。
それを繰り返すという大道芸的な離れ業が逃亡者達を追い詰めようとしていた。
「む、何だ?」
しかしその時、屋渡が暫定的に強奪した電話に着信が入った。
「この番号は……」
屋渡は驚いて目を瞠った。
知らない番号であるが、予め符丁で示し合わせておいた法則が読み取れる。
それを解き明かせば、電話の主が浮かび上がるのだ。
屋渡が読み解いたのは、非常に珍しい相手であった。
「……もしもし?」
『やあ、久方振りだね、屋渡』
「や、八社女首領補佐……!」
『ククク、酷いじゃないか。この僕を除け者にするなんて……』
武装戦隊・狼ノ牙、首領補佐・八社女征一千。
八卦衆のみが存在を知る、謎に満ちた影の大幹部である。
「何か御用でしょうか、首領補佐」
屋渡はこの男が苦手であった。
電話の向こうで顔は見えないが、互いに面識はある。
その印象は、どう見ても十代にしか見えない。
しかし、それにしては異様な貫禄が八社女にはあるのだ。
まるで、何百年も生きているかの様な……。
屋渡はそんな八社女を不気味に思っていた。
『実は、君に折り入って頼みたいことがあるんだ』
「頼みたいこと……ですか」
屋渡にとっては内心迷惑だった。
彼は今、自身の進退を懸けた瀬戸際に居るのだ。
それに、性格上面倒事が嫌いで、自分で動きたくない男でもある。
しかし、その怠惰には一つだけ例外となる仕事がある。
『君が今その手を煩わせている騒動、その不幸中の幸いにやっと炙り出されたのだがね、どうやら八卦衆の中に裏切り者が居るようなんだ』
「この騒動で発覚した裏切り者……。扇小夜は八卦衆ではない。では、他に怪しい動きをした者……」
流石の屋渡も、こう言われて誰も浮かばない程に勘が悪くはない。
「仁志旗……!」
『その通り。そしてどうやら仁志旗の奴、最初から間諜だったらしくてね。一寸拙いことを知り過ぎてしまったんだよ』
屋渡は頭を掻き毟った。
許容量を超える事態に、彼の頭はパンクしそうになっていた。
しかし、断ることは出来ない。
「大方お察ししました。私に仁志旗を消せと仰りたいのでしょう。しかし、どうやって為せば良いのですか? あの男、どさくさ紛れに逃げ出して消息が一切掴めませんよ?」
『それは心配要らない。抑も、僕が彼に危険を感じた理由は、彼の現在地が判ったからなんだ。そして、今その場所へ最速で行けるのは他ならぬ君だ。君にしか頼めない』
「成程。して、それは何処です?」
『北界道十四州最北は想谷州、我々の旧総本部・第一天極楼――武装戦隊・狼ノ牙始まりの地だ』
「旧総本部?」
屋渡は首を捻った。
旧総本部は、度重なる皇國政府との抗争の末に放棄され、現在では無人の廃墟となっている筈だ。
何故そんな場所に仁志旗蓮が居るのか、またそれが何の問題なのか、屋渡には不可解だった。
「あそこに一体何があるというのです? 見当も付きませんが」
『屋渡、こればかりはいくら君でも教えられない。本当に、極秘中の極秘なんだ。その意をどうにか汲み取って、ただ旧総本部へと赴いて仁志旗の口を永久に封じてもらいたい』
上役の指示であれば、屋渡に断るという選択肢は無い。
彼が組織を家族と見做すならば、首領Дは父親で首領補佐は兄である。
その序列は絶対であり、逆らうことは屋渡の信条に反することだった。
それに、この内容は屋渡にとって満更でもない仕事だ。
抑も、彼は他人を指導して成長を促すような類の人間ではない。
屋渡倫駆郎の本分とは、暴力に他ならないのだ。
そして、八社女は屋渡が抱える最後の懸念も汲み取ってくれた。
『勿論、大変な時期に面倒事を引き受けてもらうからには見返りも用意しよう。抑も、僕は今回の一件で君の信頼に一片の揺らぎも無い。君は本来純粋な戦士で、他の要因から地位を脅かされること自体あってはならないことだと思っている。だから、今回の仕事の手柄は君の総取りで構わない』
「首領補佐は私の降格に反対してくださる、と? それに、手柄を総取り、ですと?」
屋渡は食い付いた。
『仁志旗の件は、裏切りと間諜という事実の発覚から粛正、その一から十までを君の為した仕事として扱っても良いと言っているのだよ。君は確かに失態を犯しはした。だが、君はそれにより仁志旗の重大な背信行為を掴んだ。そして独自に動き、これを迅速に粛正することで、結果的に奴を泳がせていた場合に生じ得た最悪の情報漏洩を防ぎ、真に致命的な損害から組織を守った、という形に収めよう』
「な、なんという……! それでは……!」
今の屋渡にとって、まさに垂涎の餌が眼前にぶら下げられた。
電話の向こうで八社女は小さく笑みを零す。
『勿論、首領には君の八卦衆残留を説得しよう。超級為動機神体回収の成否に拘わらず、ね。尤も、仁志旗に加えて始末すべき者をきっちり始末したら、の話だが』
「つまり、仁志旗と脱走者――北界道の総本部と栃樹の雲野研究所の二箇所で全ての粛正を完遂することが条件、と……」
屋渡の表情に歪んだ笑みが浮かび上がる。
『そういうことだ。君の本分に於いて尚も実力に疑いないことさえ証明出来れば、首領も僕の口添えを無下にはしないだろう。どうだ、やってもらえるかな?』
「お安い御用です、八社女首領補佐」
屋渡の眼に殺意の光が宿る。
願ってもいない僥倖に、屋渡の心は晴れ渡っていた。
『では、宜しく頼むよ。君の移動速度なら、今日中に旧総本部へ辿り着いて仁志旗を粛正。その後で雲野研究所へ向かえば、明日中には全ての仕事を完遂出来るだろう。幸運を祈る』
電話が切れた。
屋渡は歓喜に震えている。
「はい。では、直ちに旧総本部へ向かいます」
屋渡は振り向きざまに右腕の槍を伸ばした。
電話の前まで向かおうとしていた方向の反対側、遙か彼方に二重螺旋状の槍頭を突き刺す。
そして槍の収縮を利用して、彼は北へと物凄い速度で飛んで行った。
⦿⦿⦿
何処かの闇の中、三人の男が佇んでいる。
古代の朝服に似た衣装を着た小柄な少年と、中世武士の裃を思わせる服装を着た長身の偉丈夫、そして近代日本の軍服に背身頃を羽織り手袋を嵌めた老翁の三人だ。
「これで良いかい、推城?」
総角髪の少年は電話を懐に仕舞い、長髪を髷の様に結った偉丈夫に尋ねた。
「随分と口が上手いな、八社女。電話の相手は本当に信用出来るのか?」
「彼にとっては簡単な仕事だよ」
三人の内、一人は先程屋渡に指示を出した武装戦隊・狼ノ牙の首領補佐・八社女征一千。
もう一人は、皇道保守黨の青年部長・推城朔馬である。
一見、無関係に思える二人が、何故かこの闇の中で結託していた。
「此方も此方で連絡したい相手が居るのだが、電話が圏外なのだ」
「ああ、水徒端男爵家の御令嬢か。確かに、あまり姉のことを探られたくはないね」
推城が翌日に水徒端早辺子へ電話を掛け、姉の捜索を中止させることにも裏があるらしい。
「御二人とも、媛様がお出でですぞ」
軍服の老翁が更にもう一人の到着を八社女と推城に報せた。
一人の背の高い女の影が背後に顕れる。
『狼が、八咫の鴉を、食む悪夢』
女はただ一句の歌を詠み、甲高い笑い声を闇の中に響かせた。
丁度、碧森支部から拉致被害者が脱走した翌日。
岬守航と第二皇女・龍乃神深花が出会った日。
八卦衆・鍛冶谷群護と土生十司暁が拉致被害者を一網打尽にすべく、奸計を巡らせた日。
屋渡倫駆郎は二人の八卦衆と合流すべく、碧森支部の近傍――訓練期間中に宿泊していた高級旅館を出発しようとしていた。
「全く、手間取らせる……。土生・鍛冶谷……足止めは出来ているんだろうな?」
元はといえば自分の不手際であるにも拘わらず、屋渡はすっかり土生の失敗を尻拭いする気分でいた。
土生が航に撃墜されなければ態々自分が出張ることは無かったのに、とでも言いたげである。
「岬守……他の連中も……鏖だ……!」
屋渡は両腕から槍を生やした。
腕のみを変形させるのは、彼の術識神為が見せる変形の内「形態壱」と名付けた姿だ。
ここから伸縮自在の槍を蜿り撓らせる「形態弐」へと移行する。
槍の伸び縮みの速度は凄まじく、これを利用した移動方法で屋渡は碧森支部から雲野研究所へと向かおうとしていた。
その距離は二千粁以上にもなるが、彼はこれを半日と掛からず移動出来るのだ。
偏に、八卦衆でも首領Дに次ぐ戦闘能力を持つ屋渡だからこそ為せる業である。
今居る地点から限界まで槍を伸ばし、適当な場所へ突き刺してから収縮させる。
それを繰り返すという大道芸的な離れ業が逃亡者達を追い詰めようとしていた。
「む、何だ?」
しかしその時、屋渡が暫定的に強奪した電話に着信が入った。
「この番号は……」
屋渡は驚いて目を瞠った。
知らない番号であるが、予め符丁で示し合わせておいた法則が読み取れる。
それを解き明かせば、電話の主が浮かび上がるのだ。
屋渡が読み解いたのは、非常に珍しい相手であった。
「……もしもし?」
『やあ、久方振りだね、屋渡』
「や、八社女首領補佐……!」
『ククク、酷いじゃないか。この僕を除け者にするなんて……』
武装戦隊・狼ノ牙、首領補佐・八社女征一千。
八卦衆のみが存在を知る、謎に満ちた影の大幹部である。
「何か御用でしょうか、首領補佐」
屋渡はこの男が苦手であった。
電話の向こうで顔は見えないが、互いに面識はある。
その印象は、どう見ても十代にしか見えない。
しかし、それにしては異様な貫禄が八社女にはあるのだ。
まるで、何百年も生きているかの様な……。
屋渡はそんな八社女を不気味に思っていた。
『実は、君に折り入って頼みたいことがあるんだ』
「頼みたいこと……ですか」
屋渡にとっては内心迷惑だった。
彼は今、自身の進退を懸けた瀬戸際に居るのだ。
それに、性格上面倒事が嫌いで、自分で動きたくない男でもある。
しかし、その怠惰には一つだけ例外となる仕事がある。
『君が今その手を煩わせている騒動、その不幸中の幸いにやっと炙り出されたのだがね、どうやら八卦衆の中に裏切り者が居るようなんだ』
「この騒動で発覚した裏切り者……。扇小夜は八卦衆ではない。では、他に怪しい動きをした者……」
流石の屋渡も、こう言われて誰も浮かばない程に勘が悪くはない。
「仁志旗……!」
『その通り。そしてどうやら仁志旗の奴、最初から間諜だったらしくてね。一寸拙いことを知り過ぎてしまったんだよ』
屋渡は頭を掻き毟った。
許容量を超える事態に、彼の頭はパンクしそうになっていた。
しかし、断ることは出来ない。
「大方お察ししました。私に仁志旗を消せと仰りたいのでしょう。しかし、どうやって為せば良いのですか? あの男、どさくさ紛れに逃げ出して消息が一切掴めませんよ?」
『それは心配要らない。抑も、僕が彼に危険を感じた理由は、彼の現在地が判ったからなんだ。そして、今その場所へ最速で行けるのは他ならぬ君だ。君にしか頼めない』
「成程。して、それは何処です?」
『北界道十四州最北は想谷州、我々の旧総本部・第一天極楼――武装戦隊・狼ノ牙始まりの地だ』
「旧総本部?」
屋渡は首を捻った。
旧総本部は、度重なる皇國政府との抗争の末に放棄され、現在では無人の廃墟となっている筈だ。
何故そんな場所に仁志旗蓮が居るのか、またそれが何の問題なのか、屋渡には不可解だった。
「あそこに一体何があるというのです? 見当も付きませんが」
『屋渡、こればかりはいくら君でも教えられない。本当に、極秘中の極秘なんだ。その意をどうにか汲み取って、ただ旧総本部へと赴いて仁志旗の口を永久に封じてもらいたい』
上役の指示であれば、屋渡に断るという選択肢は無い。
彼が組織を家族と見做すならば、首領Дは父親で首領補佐は兄である。
その序列は絶対であり、逆らうことは屋渡の信条に反することだった。
それに、この内容は屋渡にとって満更でもない仕事だ。
抑も、彼は他人を指導して成長を促すような類の人間ではない。
屋渡倫駆郎の本分とは、暴力に他ならないのだ。
そして、八社女は屋渡が抱える最後の懸念も汲み取ってくれた。
『勿論、大変な時期に面倒事を引き受けてもらうからには見返りも用意しよう。抑も、僕は今回の一件で君の信頼に一片の揺らぎも無い。君は本来純粋な戦士で、他の要因から地位を脅かされること自体あってはならないことだと思っている。だから、今回の仕事の手柄は君の総取りで構わない』
「首領補佐は私の降格に反対してくださる、と? それに、手柄を総取り、ですと?」
屋渡は食い付いた。
『仁志旗の件は、裏切りと間諜という事実の発覚から粛正、その一から十までを君の為した仕事として扱っても良いと言っているのだよ。君は確かに失態を犯しはした。だが、君はそれにより仁志旗の重大な背信行為を掴んだ。そして独自に動き、これを迅速に粛正することで、結果的に奴を泳がせていた場合に生じ得た最悪の情報漏洩を防ぎ、真に致命的な損害から組織を守った、という形に収めよう』
「な、なんという……! それでは……!」
今の屋渡にとって、まさに垂涎の餌が眼前にぶら下げられた。
電話の向こうで八社女は小さく笑みを零す。
『勿論、首領には君の八卦衆残留を説得しよう。超級為動機神体回収の成否に拘わらず、ね。尤も、仁志旗に加えて始末すべき者をきっちり始末したら、の話だが』
「つまり、仁志旗と脱走者――北界道の総本部と栃樹の雲野研究所の二箇所で全ての粛正を完遂することが条件、と……」
屋渡の表情に歪んだ笑みが浮かび上がる。
『そういうことだ。君の本分に於いて尚も実力に疑いないことさえ証明出来れば、首領も僕の口添えを無下にはしないだろう。どうだ、やってもらえるかな?』
「お安い御用です、八社女首領補佐」
屋渡の眼に殺意の光が宿る。
願ってもいない僥倖に、屋渡の心は晴れ渡っていた。
『では、宜しく頼むよ。君の移動速度なら、今日中に旧総本部へ辿り着いて仁志旗を粛正。その後で雲野研究所へ向かえば、明日中には全ての仕事を完遂出来るだろう。幸運を祈る』
電話が切れた。
屋渡は歓喜に震えている。
「はい。では、直ちに旧総本部へ向かいます」
屋渡は振り向きざまに右腕の槍を伸ばした。
電話の前まで向かおうとしていた方向の反対側、遙か彼方に二重螺旋状の槍頭を突き刺す。
そして槍の収縮を利用して、彼は北へと物凄い速度で飛んで行った。
⦿⦿⦿
何処かの闇の中、三人の男が佇んでいる。
古代の朝服に似た衣装を着た小柄な少年と、中世武士の裃を思わせる服装を着た長身の偉丈夫、そして近代日本の軍服に背身頃を羽織り手袋を嵌めた老翁の三人だ。
「これで良いかい、推城?」
総角髪の少年は電話を懐に仕舞い、長髪を髷の様に結った偉丈夫に尋ねた。
「随分と口が上手いな、八社女。電話の相手は本当に信用出来るのか?」
「彼にとっては簡単な仕事だよ」
三人の内、一人は先程屋渡に指示を出した武装戦隊・狼ノ牙の首領補佐・八社女征一千。
もう一人は、皇道保守黨の青年部長・推城朔馬である。
一見、無関係に思える二人が、何故かこの闇の中で結託していた。
「此方も此方で連絡したい相手が居るのだが、電話が圏外なのだ」
「ああ、水徒端男爵家の御令嬢か。確かに、あまり姉のことを探られたくはないね」
推城が翌日に水徒端早辺子へ電話を掛け、姉の捜索を中止させることにも裏があるらしい。
「御二人とも、媛様がお出でですぞ」
軍服の老翁が更にもう一人の到着を八社女と推城に報せた。
一人の背の高い女の影が背後に顕れる。
『狼が、八咫の鴉を、食む悪夢』
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