日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第二章『神皇篇』

第三十一話『幸福な休日』 序

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 さん麓はだいろくてんごくろう――こうこくの反政府テロ組織「そうせんたいおおかみきば」本部。
 薄気味悪いロビーで、加特力カトリツクの神父を思わせる黒ずくめの老紳士、しゆりようДデーことどうじようふとしは電話端末をにらんでいた。

「相変わらず連絡が付かない……。おうぎ君は一体何をしているんだね……」

 しゆりようДデーおうぎという女に連絡を取ろうとしていた。
 その正体ははたという新華族の男爵令嬢であり、姉の居場所を探すために身分を偽って潜入捜査していたに過ぎない。
 そしてさきもりわたる達の脱出に協力し、事をした後はおおかみきばから離れていった。
 そうとも知らずに、しゆりようДデーは彼女を最高幹部「はつしゆう」に昇進させようとしていたのだ。

「結局こうなったのか……」

 しゆりようДデーの娘・椿つばきようが意味深につぶやいた。
 彼女は休憩拠点サービスエリアの電話を盗み聞きし、その正体を知っている。
 しかしようはそれを他の者達には黙っていた。
 当然、しゆりようДデーは娘をただす。

「どういうことだね?」
「彼女を信じていたから黙っていたけど、どうやら彼女もさんと同じく間諜スパイだったみたいだ。彼女、本当の名前ははたというらしい。自分で名乗っているところを偶然聞いちゃったんだ」
はただと……?」

 しゆりようДデーは怒りに顔をしかめた。

「道理で姉のことをしつよういてきた訳だ。しかしよう、知っていたならどうして黙っていた?」
「姉の志を継いだと思いたかったのさ」

 ようは口から出任せを言った。
 実際には、が裏切っていようと気にしなかったから見逃しただけだ。
 ようにとって、革命の成否などはどうでも良かった。
 だが彼女は今、少しまずい状況に置かれていた。

「成程。おうぎ君の正体がそういうことなら、例の脱走者も彼女の仕込みか。同志わたりむしろ被害者で、同志土生はぶや同志じがを失ったのも彼女の仕業ということになる。ならばよう、一つペナルティを与えよう」
「ペナルティ?」

 ようは肩を少し震わせて身構えた。
 その表情は恐怖からか少し硬くなっている。

「思惑はどうあれ、お前は重大な情報を伝えなかった。その埋め合わせとして、脱走者共の掃討と、はたの粛正を任せる」
あたし一人でか? 戦力的にはいざ知らず、能力的には難しいよ」

 ようじゆつしきしんは戦闘に特化した放電能力である。
 はや行方の分からなくなったわたる達やを見つけ出すことは不可能に近い。
 だが、はつしゆうにはこんなときに打って付けの人材が居る。

「同志
「はい、首領様」

 背の高い、女装した男が呼び掛けに応えた。
 はつしゆうの一人・いつき
 この日、たかつがいよるあきを殺害して本部へ戻ってきたところである。
 標的の居場所を的確に見つけ出し、しずおか州からとち州までの約七百キロを一日で往復出来たのは、彼の能力にる。

ようを脱走者のもとへ転送させられるかね?」
「遺伝子情報があれば。ただ、今日はもう疲れちゃいました。明日まで休んでしんを回復しないと……」
「そうか。では今夜のご褒美は無しだね。せつかく久々に抱いてやろうと思ったのだが」
「そんなっ……!」

 しゆりようДデーには肉体関係がある。
 しゆりようДデーの性技のとりこなのだ。
 ようはそんな二人の様子に眉を顰める。
 父親の情事をほのめかされたのだから当然である。

「待って。ぼくも行く」

 その会話へ、ようの双子の弟であるどうじようかげが割って入った。
 普段無感情な彼には珍しく、強い意志を感じさせるをしていた。

「脱走されたのはぼくにも責任がある」
「ああ、そういえばそうとも言えるね……」

 わたる達がちようきゆうどうしんたい・ミロクサーヌ改であおもり支部を脱出する際、かげおりりょうに狙われたことで更なる混乱が引き起こされた。
 これが決定打となり、拉致被害者全員の脱出が成されたと見ることも出来る。

よろしい。但し、二人で行動するのなら監視役に同志はなを付ける。良いね」
「今度はわたしわたりの尻拭いか……」

 ピンクのラメが入った派手な服を身にまとった女ははつしゆうの紅一点・はなたまである。
 彼女はわたりりんろうと犬猿の仲であるが、それは彼女がわたりに比肩する戦闘能力を持っているライバル関係にあることも影響している。
 戦士としての実力でナンバーワンがしゆりようДデー、ナンバーツーがわたりなら、ナンバースリーは間違い無くはなだった。

わかった。じゃあ明日、三人で行ってくるよ」
「うむ。革命の道理も解らぬ愚昧ないぬ共に思い知らせてやりなさい」

 人の寄り付かない山荘で、彼らは更なる毒牙を研いでいた。



    ⦿⦿⦿



 つのみやにある工事中のビルで、さきもりわたるうることは明日に備えて就寝しようとしていた。
 何度も述べるが、翌日の月曜には作業員が入って来る。
 遭遇を避ける為に、わたることは朝早く出発しなくてはならない。

 だが、二人は今一つ眠れなかった。
 異国の地は堅い混凝土コンクリートの上とはいえ、若い男女が一つ屋根の下で一夜を超すのだ。
 心の中に何の感慨も芽生えないはずが無いだろう。

 しかし、わたるにとってはここで大きな問題がふさがる。

「まだ動けないんだよなあ……」

 たかつがいの能力で低下したわたるの筋力は相変わらず戻っていない。
 少しずつ体に力が戻ってきてはいるが、依然として立ち上がれるには至っていない。
 これでは、折角の二人切りの夜に何も出来ることが無い。

「つまり、わたしも敵襲が無い限りは安心して眠れるという訳ね」

 壁にもたかっていることは、悪戯いたずらっぽいほほみを浮かべてわたるの独り言に応えた。

「ま、何かしようとしてきたら殺すけど」
「いやあ、素手でちようきゆうどうしんたいを解体出来る人が言うと迫力が違いますね……」

 わたるは顔にズキリと幻覚の痛みを感じた。
 初めて会った時に食らった竹篦しっぺ返しの痛みを、わたるは今でもく覚えている。
 あの時折れた歯が乳歯でなければ、今頃は差し歯だろう。

 しかし、そんなことよりも現状のわたるにはもう一つの問題があった。
 それに比べれば、一つ屋根の下でことに手を出せないことなど大した事ではない。

こと
「何?」
「おなか減った」
「我慢しなさい。今の貴方あなたを置いて買い物になんか行けないわよ。襲われたらどうするの?」

 そう、二人は夕食をっていないのだ。
 しんを身に着けていれば、飲まず食わずで長期間活動すること自体は可能だ。
 しかし、空腹感は依然として中枢神経を襲ってくる。
 けんたんこと噯気おくびにも出さないのが寧ろ不思議なくらいだ。

こと
「何?」
「喉渇いた」
「我慢しなさいって」

 わたるは天井を見上げたまま溜息を吐いた。
 我慢しているのはことも同じなのだから、あまり不平不満を言うのは悪い気はしている。
 だが、それでも辛いものは辛いのだ。

「どうにかならないかな? ビルの中に自販機が置いてあったりしない?」
「駄目よ。目を離す訳にはいかないわ」

 わたるを見ることの眼には窓から差し込むかすかな月明かりが帯び、うれいの色を浮かび上がらせていた。
 そんな彼女の様子に、わたるは考える。

(そうか。そりゃ心配だよな……)

 そもそも、わたるおおかみきばさらわれてに居るのだ。
 わざわざこうこくに乗り込んでまで取り返しに来たことは、もう二度と同じてつを踏みたくないという思いで一杯だろう。
 四六時中見張っていたい、というのも無理は無い。

「解ったよ。もうままは言わない」
「そ、助かるわ」

 ことはほっとした様にわたるに微笑みかけた。
 しかし、決意を表明した矢先、今度はわたるの腹が空腹を訴える様に鳴ってしまった。

「……ごめん」
「もう、しょうがないわね……」

 ことは溜息を吐いてわたるに歩み寄ると、彼の体を再び抱え上げて背負った。

「ちょっ……!?」
「そんなに辛いなら、買い物に連れて行ってあげるわ」
「待って待って! すがに恥ずかしい!」
「三度目よ。我慢しなさい」

 女にぶわれた姿を人に見られてしまう――これは男として、考えただけで穴があったら入りたくなる恥辱だろう。
 しかし、ことは意地悪くクスクスと笑っている。
 どうやら彼女の心は羞恥プレイモードにスイッチが切り替わったようだ。

「ま、えずはビルの中を見て回りましょう。食料の自販機があるかも知れないわ。無かったら、覚悟することね」
「このドS……」

 わたるはビルの中で食料が売っていることを祈りつつ、小声でことの意地悪を責めるしかなかった。

    ⦿

 二人は食料と飲料を調達して戻ってきた。
 ことはつまらなさそうにわたるを床へ寝かすと、ペットボトルのキャップを開ける。

(助かった……)

 幸い、ビルの中には食料を売る自販機もあった為、なんとか羞恥プレイは避けられた。
 不満げなことあおけに寝るわたるにペットボトルを傾け、口元に飲み口を近付ける。

「口を開けて。行くわよ」

 今のわたるは自分で飲み食い出来ない。
 こうやって、ことに口の中へ流し込んでもらわなければならないのだ。
 わたるえんに会わせ、ゆっくりとしたペースで等張液飲料スポーツドリンクが注がれる。

ひとずこれくらいで良いかしら?」
「ああ、ありがとう。生き返ったよ」

 おおではなく、わたるはその潤いだけで本当に生き返る思いだった。
 今度は、あんぱんの包装が開けられた。
 細く白い指先で細かく千切られたパンがわたるの口内へ運ばれる。

める?」

 わたるしやくしながらうなずいた。
 それを受けて、ことは優しい微笑みを浮かべた。

「そ。良かった」

 食事の世話を受けているせいか、わたるにはことがまるで天使の様に見えていた。
 それはそれは、とても幸せな一時だった。

 ふとわたるに一つ、よこしまな案が浮かんだ。
 今となっては後の祭りなのだが、咀嚼出来ない振りをすればことはどう対応してくれたのだろう。

「今、何か変なことを考えたわね?」
「え? ソンナコトナイヨ?」
とぼけても分かるわよ。何年一緒に居ると思っているの?」

 今度はことが自分のあんぱんと等張液飲料スポーツドリンクを摂取する。
 考えてみれば、この様な形で食事を共にするのは初めてかも知れない。
 手料理ではない既製品の軽食で、同じものを食べるのは新鮮な経験だ。

わたしも少し助かったかも知れないわ。なんだかんだ、空腹と渇きは辛いもの」
「だろ?」
「出来れば貴方あなたにはもっとしつかり食べさせたかったけれどね」
ためごかしだが、要するに外へ行きたかったということだろ?」

 わたるにとって、こうやってことと冗談を言い合える一時はたまらなくいとおしかった。
 出来ることなら、いつまでもこのような関係を続けていきたい。

 わたるは考える。
 今なら、ややもすれば思いを伝えられるのではないか。
 しかし、すぐに思い直した。

(いや、今はそう。こんな状態じゃ締まらないし、元々は帰国を成し遂げてから告白するつもりだったじゃないか。その時こそ、必ず言おう。今度こそ、ヘタレるもんか)

 わたるひそかにそう誓った。
 そんなわたるの胸の内など知る由も無いことは再びわたるにドリンクとあんぱんを与える。
 そうやって何度か互い違いに飲食を繰り返し、二人は一先ずのはらごしらえと水分補給を済ませた。

「さ、もう寝ましょう。明日は早いわ」
「ああ、助かったよ。どうもありがとう」
「どういたしまして」

 空腹と渇きを満たした二人に、窓から柔らかな月明かりが差し込んでいた。
 七月五日の日曜日は、わたるにとってささやかな幸せを感じられる休日となった。

 しかし、そうこうしている間にも、彼らには複数の勢力が刺客を送り込もうとしている。
 そしてわたることを脅かそうとしているのは、何も敵対者ばかりではなかった。
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