日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第二章『神皇篇』

第三十一話『幸福な休日』 破

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 七月五日の夜、十人乗りのワゴン車がこうこくの一般道を南下していた。

 運転手のびやくだんあげひまつぶしの気分転換にと掛けたラジオから、こうこくのヒットソングが流れている。
 どうやら和楽器をフィーチャーしたダンスポップや、和音階を導入したヘヴィロックチューンが流行しているらしい。
 歌手達の歌唱力は皆かなりのもので、日本国はもちろんのこと世界でも充分に通用し、世をせつけん出来るポテンシャルを備えている様に聞こえる。

「なんか意外とこうこくの流行って普通なんだな……」

 あぶしんそつちよくな感想を述べた。
 田舎いなかは極端に未開発で寂れているが、街中に出てしまえば風景も日本と変わらない。
 公用語も日本語なので、気を抜くとが海外だと忘れてしまいそうだ。

「日本と全然代わり映えしない国だよね」
「確かに、わざわざ海外に出てまで来る所じゃないわね」

 女二人、ずみふたまゆづきはつまらなさそうにつぶやいた。
 特にまゆづきは海外出張経験があり、異文化ともよく遭遇している。
 そんな彼女にとっては、なおさら物足りないだろう。

 と、ここでラジオが切り替わった。
 白地あからさまに放送の空気感が変わる。

『栄えある臣民の皆様。愛国唱歌のお時間です』
「あらら、もうそんな頃ですかー。一寸ちよつと長くラジオを掛け過ぎたかも知れませんねー」

 ミラーにびやくだんの苦笑いが映った。
 ラジオの曲が先程までとは打って変わってレトロな音源に変わったことから、その理由は察せられる。
 伸びやかな声で、日本の国柄を恥ずかしい程に称揚する歌が聞こえてくる。

「眠たいゆ……」
「これは……一寸ちょっと古臭過ぎますです……」

 くもたか兄妹は、退屈の余り目蓋を擦っている。

びやくだん、ラジオを止めてくれないか?」
「駄目ですよーさん。放送の受信は監視されているんですから。これが流れ出したら途中で止められませんねー」
「成程な、だから『長く掛け過ぎた』ということか……」

 きゅうはうんざりした様子で外の景色へ目を遣った。
 他の者達もおおむね同じ様な様子だ。

 ただ一人、けんしんだけは感極まって涙を流していた。
 これ程までに素直に、臆面も無く、堂々と国家をたたえる歌など、祖国では絶対に聞けないように思えたのだろう。
 それも、同じ日本の名を冠する国で、日本という国の素晴らしさ、誇らしさをうたい上げているのだ。

 日本は良い国、清い国だと。
 日本は良い国、強い国だと。

 此処はしんせいだいにっぽんこうこくである。
 日本国とは似ている様で、ほとんど同じの様で、全く異質な国なのだ。



    ⦿⦿⦿



 同じ夜、あかさか御用地内かみ邸。

 この宮殿の主の寝室は、南の壁一面に大きな窓が備え付けられており、日が沈むとみなと区の夜景が一望出来る。
 この窓は時間帯によって自動的に透過率が変わり、酷暑の時間帯にも必要以上に室内が熱せられることは無い。
 また、当然に分厚い強化材であり、破って侵入することは通常不可能だ。

 この日は満点のきらぼしと月明かりが差し込み、小卓に置かれた酒瓶と杯を鮮やかに照らしている。
 近衛侍女の一人・りゆういんしらゆきが第一皇子・かみえいに酌をした。
 年代物の葡萄酒ワイン紅玉ルビーの様に輝いている。

「良き夜だ。来たる七夕もさわしき満天となるだろう」

 かみは降り注ぐ夜空の光を浴び、その心地を堪能するようにほほみを浮かべている。
 人並み外れた大柄な体格に似合わぬ眉目秀麗な顔立ちを、浪漫的感性ロマンティシズムほころばせるその姿は、さながとぎばなしの魔王がつかの憩いを楽しむかの如しだ。

 こうこくの皇族は、日本国の様に国家の法制上で認められた存在ではない。
 扱いの上では、「唯一の爵位を持たない貴族」とされ、憲法に固有の地位を謳われている訳ではない。
 よって、じんのうを含む七人は皆、おのおのが社会的地位を築いている。
 もつともそこには法制度だけでは語れない、かんともし難い絶対的な権威の裏付けが、確実に存在するが。

 独占巨大穀物企業「ていじょう」の会長としてこうこく全ての食の背景に君臨するじんのう、貴族院議員として独立した別格の地位を築き上げた第一皇女・かみせい
 そんな二人と比較してなお、次期じんのうたるかみえいの活躍は目覚ましいものがある。

 数学者として、数々の難問に解や証明を示し始めたのは中等教育の頃からで、高等教育に入ってからは新たな定理の発見と証明を、最高学府では新規の概念すらも提唱している。
 また、工学分野にいてはしんを用いた技術の大半は彼が特許を持っている。
 とりけ、こうこくの軍で主力となっているどうしんたいは全てが彼の設計にるものなのだから、その天才性のすさまじさがこうこくでも類を見ないものだということは推して知れよう。

 かみえいは、学術書の印税と特許料の不労所得で悠々自適の生活を送っている。
 そのような事情を背景に、彼はごと日近衛侍女二人を連れて遊び歩いては、自室に戻ってからも晩酌を共にしているのだ。

しきしま、何をしている。なれちこう寄りすわれ」

 かみは、うっとりとした表情で杯を傾けるりゆういんの肩を抱きつつ、もう一人の近衛侍女・しきしまの方へ視線を遣った。
 しきしまは二人の為に酒瓶の近くで待機している。

ことですが殿下、わたくしりゆういん殿とは違います。本来、貴方あなた様と同じ卓を囲う身分では御座いません」
ようなこと、時と場所をわきまえておれば問題ではあるまい。おれが気にせぬと言っておる。さ、此方こちらへ参れ」

 しきしまは観念したのか、りゆういんと二人で挟むように主の脇へ腰掛けた。

「ほれ、なれも飲め。りゆういんしきしまにも酒を注いでやれ」

 りゆういんかみから差し出された杯へ言われるままに酒を注ぐ。
 先程までのとろけた表情から打って変わり真顔になった彼女に気付いているのは、酌を受けるしきしまだけだ。
 しきしまは居心地が悪そうに目を背けた。
 かみにそんな二人の様子を気に掛ける様子は無い。

「さあ、三人でこの美しき夜に乾杯だ。りゆういんよ、音頭を取れ」
「乾杯」

 素っ気無く呟いた一言と共に、三人の杯が窓の月へと掲げられた。
 葡萄酒ワインを口に含んだかみは、そのほうじゆんな味わいを堪能してむと、感嘆の溜息を漏らす。

「二人共見よ、窓の外に広がるこの絶景を。この下で臣民達は憩いの夜を過ごしている。そして明日からはまた己の為、家族の為、そしてこうこくの為に額に汗して働き、光り輝く未来を築き上げるのだ」

 深紅とりゅうりょく、その色違いのこうさいが潤んだ輝きをたたえ、深夜にもかかわらずがいとうの絶えないとうきようの夜景を見渡している。

おれはそんな、臣民達が日々を営む街に出るのが好きだ。空から降る輝きと風に乗せられた薫りに触れれば、そこには皆の幸福な未来・過去・現在いまが満ち満ちているから……」

 杯の中で葡萄酒ワインが揺れる。
 硝子ガラス杯に縁取られたその色合いは、まさ浪漫ロマンの宝石である。

おれは間違い無く、世界一の果報者であろう。世界で最も強大なる国の君主、世界で最も偉大なる民族のあらひとがみ、その血統を受け継ぐ嫡男として生まれ、誰もに愛されることを約束されている。それは敬愛する父上、りつな姉上、素晴らしき弟妹達を一人家族とする毎に万倍、しきしまりゆういんを始めとする良き従者達を一人伴う毎にまた万倍、そして美しき臣民達を一人加える毎にまた万倍となり、幸福は無限大へと発散するのだ」

 かみの重瞳は夢を見る様に澄んでいる。
 彼はおそらく、本心からそう思っているのだ。
 そもそも、絶対強者と謳われるかみえいには己を偽るという発想そのものが無いかも知れない。

おれおもう。幸福というものは皆で分かち合えば会う程、無限に膨れ上がっていくものなのだ。皆に幸福を分け与えることとは、皆から幸福を分け与えられることと同じなのだ。この時、おれは皆であり、皆はおれであると言えるだろう。既に臣民はその円環の中へと含まれている。おれはその対象を、三千世界の全部へと至らしめたいと考えているのだ」

 杯を月明かりにかざかみの姿を、二人の近衛侍女が仰ぎ見ていた。
 しきしまは意味深に口を閉ざしながらも体を主へと寄せる。
 一方でりゆういんは己の杯を両手で持ち、潤んだ瞳で感銘を語る。

嗚呼ああ殿下、かみ様、我が神聖至尊なる御主人様よ! なんというえんだいきゅうなるこころで御座いましょう! 恥ずかしながらあたくし貴方あなた様にお仕え出来るぎようこうしきしまちゃんが割り込んできたと、ほんの少し嫉妬の毒を胸に秘めておりました。しかし、なんと詰まらないことに煩わされてきたことでしょうか。これこそが、尊きかたの賢徳による感化というものなのですね! あたくしは誠に感無量で御座います」

 りゆういんは熱のこもった視線を主へと向け、己の感慨をおおに告げた。
 そんな従者を全く疑いもせず、かみは屈託の無い笑みをりゆういんへと向ける。

わかってくれて良かった。しきしまよ、聞いての通り何の遠慮も要らん。おれなれを仲間外れにすることなど、決して望まんのだ」
「恐縮に御座います」
「何も恐縮することなどあるまいと言うに。まあ良い。そのつつましさもまたなれの美点だ。やつよ」

 かみは杯を卓上に置くと、両腕でしきしまりゆういんを抱き寄せた。

「誠に、美しき夜だな」
「はい、殿下」
あたくしも心よりそう思いますわ、殿下」

 二人の従者の反応は、それぞれ毛色が異なる。
 顔色をうかがいながらも淡々と肯定を返すしきしまに対し、りゆういんはわざとらしい程に心酔する様を見せている。
 だがその差異を、かみまとめて呑み込んでは笑みをこぼす。

て、実はな。今日の昼食会にて、父上より一つ御言葉を頂いた。なれら二人には話しておこうと思う」
「どういったお話しで御座いましょう」
「陛下から皇太子たるかみ殿下に……ですか……」
「うむ。この度の転移にて、めいひのもとに三種のじんが確認されたと、のうじようから上奏があったそうだ。これをもつて、陛下があまのひつぎを譲受されしあかつきには、直ちにそれをこのおれへとつたたまうとのことだ」

 近衛侍女達は二人とも目を見開いた。
 主の言葉の意味するところは、こうこくにとって何よりの特報である。

「なんと! それではめいひのもとの『救済』を以て、陛下は殿下に御譲位遊ばされると!」
「そういうことだ」
「おめでとう御座います! 素晴らしいおしらせですわ!」
「そうだろうそうだろう。但し、一つ懸案も併せて伝えられた」

 かみしきしまが注ぎ、りゆういんから差し出された葡萄酒ワインに一口付け、言葉を続ける。

おれには長らく、きさきとなるべき者がおらん。天日嗣が手に入り、しん継承の問題が解決すれども、肝心の子をす相手が居らねばどうにもならんからな。そこでおれは、一つ素晴らしいことを思い付いたのだ」

 窓の外の夜景に三人の像が重なる。
 その中で、かみうぬれに蕩けた笑みを浮かべていた。

あらゆる世界線の日本を統合するその象徴として、きさきには明治の民が相応しかろう。しくも先日、芯が強く万民の上に立つに申し分無い麗人に出会えた。これは僥倖に違いない」
「確か、名は……」
うることだ」

 かみは唐突に、突拍子もない名前を婚約者の候補として告げた。
 しきしまかみの機微を読み、あいづちを打って話を聞いていた。
 りゅういんは表情を消して主の言葉に質問を挟む。

「しかし殿下、めいひのもとでは貴族制がめになり、くだんの方も一庶民に過ぎないとお伺いしております。皇位を継がれたま貴方あなた様のはんりよとして、あたくし達はかく、他の華族の方々が納得なさるでしょうか」
「ふむ。つまり、うることの血筋に由緒があれば問題は無いと言うことだな。当然、それも考慮してある。うるという名について、おれはあれから気になって調べたのだ」

 りゅういんの顔が、徐々に陰りを見せ始めていた。
 まるで、主が婚約者の選定を行うという話題が気に食わない様子だ。
 かみは構わず続ける。

うる家はこうこくの新華族伯爵家・ごく家の近縁だ」

 しきしまりゅういんきようがくに目を見開いていた。
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