日本と皇國の幻争正統記

第二章『神皇篇』

幕間六『知られざる前日譚』

　時を、彼女達がまだ囚とらわれていた頃まで遡さかのぼる。
　六月三十日夜、神しん聖せい大だい日にっ本ぽん皇こう國こく碧あお森もり州、公こう転てん館かんは久く住ずみ双ふた葉ばと椿つばき陽よう子この相部屋。
　この日は一日中雨が降り続いており、部屋の中の空気まで湿ってくる様な気さえする、そんな沈んだ日だった。

　翌日には一つ、拉致被害者達にとってはどうでも良いが、拉致した武ぶ装そう戦せん隊たい・狼おおかみノの牙きばにとっては重要な予定が入っている。
　最高指導者である首しゆ領りようДデーこと道成寺太が、他数名の最高幹部「八はっ卦け衆しゅう」を引き連れて視察訪問にやって来るのだ。

　自分のベッドに腰掛ける陽よう子こは、雨降り止やまぬ窓の外を忌々し気に見詰めつつ溜息を吐いた。

「いつまで降り続けるんだ、この雨は……」
「そうだね。皇こう國こくも今の時期は梅雨なのかな？」

　風呂から上がった双ふた葉ばは体を拭きながら答えた。
　ドライヤーの類は用意されていない為ため、タオルで確しつかりと水滴を取らなければならない。
　彼女達が囚われている環境は決して良いとは言えなかった。

「明日の天気を知る手段も無いんだ、私あたしらには……」
「不便だよね。外部の情報を知られたくないってことかな？」

　言葉を返しながら、ふと双ふた葉ばは考える。
　こうして、陽よう子こが自分達の置かれた境遇に愚痴を言うのは珍しい。
　一箇月近く経たち、流さ石すがに参ってきたのだろうか。

　だがどうも、それだけではなさそうだ。
　陽よう子こは普段と比べてそわそわしていて落ち着きが無い。
　頻しきりに外の様子を見渡しては、溜息ばかり吐いている。

「どうかしたの、陽よう子こさん？」
「ん……いや、ね……」

　見たところ、陽よう子こは双ふた葉ばに何かを言いたそうにしているが、同時に躊ため躇らっている。
　再び、陽よう子この大きな溜息が響いた。
　落ち着きを取り戻さないあたり、躊躇ってはいるが同時に伝えたいという思いもありそうだ。
　双ふた葉ばは陽よう子この隣に腰掛けた。

「相談があるなら遠慮無く言って。今まで陽よう子こさんには色々助けて貰もらったし、もう他人じゃ無いと思ってるから」
「そうか……ありがとう……」

　陽よう子こは申し訳無さそうに小さく微ほほ笑えんだ。
　そして一つ深呼吸すると、意を決した様に話し始めた。

「双ふた葉ば、大事な話だから落ち着いて聴いてほしいんだ」
「何、陽よう子こさん？」
「以前、私あたしに弟が居ると話したことがあったよね？」

　陽よう子こは双ふた葉ばを真まっ直すぐ見詰めていた。
　その眼めはいつになく真剣だった。
　何かわからないが、気を張っているのならばなるべくリラックスさせてあげなければ――双ふた葉ばはそう考え、努めて自然に微笑んで見せた。

「うん。大事な弟さんなんだよね？」
「ああ。世界で一番、誰よりも大切な弟だ」

　陽よう子この視線が双ふた葉ばから逸それる。
　その眼は何かを恐れているようにも、後ろめたさに苦しんでいるようにも見える。

「明日、此こ処こへ来ることになっている。親おや父じと、首しゆ領りようДデーと一緒に……」
「え？」

　その時、窓の外で雷が鳴った。
　双ふた葉ばは陽よう子この言葉に理解が追い付かない。

「どういうこと？　何を言っているの？」
「ごめん、双ふた葉ば。私あたし、本当はあっち側なんだ。狼おおかみノの牙きばとはずっと通じていた。貴女アンタ達を監視する為に送り込まれた間諜スパイなんだよ……」

　はっきりと、理解したくなかった真意を告げられた双ふた葉ばは衝撃に言葉を失った。
　突然の、衝撃的な告白に、どうすれば良いか全く分からない。

「親父にはずっと言ってあったんだ。好いい加か減げんに弟と会わせろって。その為の条件として、今回の役割を引き受けた。つまり私あたしは、弟に会いたくて貴女アンタ達を騙だましていたんだよ。けど、明日を前にして騙し続けるのが辛くなった。特に貴女アンタには、もう無理かなって……」
「そんな……」

　双ふた葉ばは考える。
　陽よう子こはこういう冗談を言うタイプではなく、裏切っていたいう言葉に嘘は無いだろう。

　だが、それだけではなさそうだ。
　何な故ぜなら、陽よう子こは罪悪感に苛さいなまれており、今その事実を双ふた葉ばに告白した。
　その行動には間諜スパイとして何のメリットも無く、ただ自分の立場を危うくするだけだ。
　双ふた葉ばの情を当てにしたのかもしれないが、それにしても態わざ々わざ言う必要は無い。

「陽よう子こさん、つまり弟さんは人質にされているの？」

　双ふた葉ばはそう結論した。
　そう考えるのが一番自然だった。

「まあ、そんなようなもんだ。ありがとう、察してくれて……」

　双ふた葉ばは考える。
　先程、陽よう子こへ「もう他人では無い」と言った言葉には今いま尚なお嘘うそ偽りは無い。
　ならば、陽よう子こを助けてあげたい。
　陽よう子こが何を求めているか、一緒に考えて叶かなえてあげたい。

「じゃあ、明日みんなで弟さんを取り戻す？」
「やめて。全員で束になっても親父にはまず勝てない。それで誰かに死なれたら寝覚めが悪いよ。私あたしはただ、見逃してほしい。弟に会った時、感情が昂たかぶって不自然な行動を取ってしまうかも知れない。どうかその時、双ふた葉ばには私あたしがみんなに疑われないようにフォローしてほしい。願わくはただ、無事に弟との再会を果たし、人知れず無事を喜びたい」

　双ふた葉ばは悩んでいた。
　助けたいというのが本音ではあるが、本来ならば見逃すべきではないだろう。
　このことを誰かに、例えば岬さき守もり航わたるに告げるのが仲間に通す筋だろう。

　だが、双ふた葉ばには陽よう子こが切れなかった。
　この一箇月で陽よう子こと結んだ絆きずなを、何かと助けてくれた行動を、打ち明けてくれた勇気を信じていたかった。
　その為に、双ふた葉ばは陽よう子こに確認しなければならない。

「陽よう子こさんは私わたし達の敵なの？　それとも、味方なの？」

　陽よう子こは首を横に振った。

「味方とまで断言は出来ない。でも、敵対してまで狼おおかみノの牙きばに尽くしたくもない。娘に言うことを聞かせる為に、息子を人質に取るような親だ。こんなことでも無けりゃ、縁なんか持つことも無かった……！」

　怒りの滲にじんだ様この言葉を聞き、双ふた葉ばは確信した。
　二人の絆は切れていない。
　あとは、自分の気持ちに整理を付けるだけだ。

「私わたし達のことはこれからどうするの？」
「勿もち論ろん、このままにしておくつもりはないさ。遠くない未来、機を見て必ず自由にして見せる。弟と一緒にね。それまでみんなが無事乗り切れるように手も尽くす」

　陽よう子この言葉に、双ふた葉ばは胸を撫なで下おろした。
　今、陽よう子この告白に納得した。
　双ふた葉ばは再び、陽よう子こに努めて優しく微笑みかけた。

「じゃあ、やっぱり味方だってことじゃない」
「そうかな？」
「そうだよ。解わかった、みんなには内緒にしておくから、どうか安心して」
「ありがとう。お礼はみんなに、必ず返すから……」

　窓の外では雨の音が小さくなっていた。
　この分だと、翌朝には晴れるかも知れない。

　二人は少し気き不ま味ずくなったが、一ひと先まずは明日に備えて眠りに就くことにした。

　二人は知らない。
　明日は岬さき守もり航わたるの脱出計画の決行日である。
　運命が二人を引き裂いてしまうことを、この時二人は知る由も無かった。