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第二章『神皇篇』
第三十四話『天竺牡丹』 急
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陽子に通電された木が光を放ち、薄闇を照らす。
木の内部では煙状になって吸引された公殿が悲鳴を上げている。
『あがあああああッッ!!』
「体内から爆破する能力が徒になったね、公殿! 体内でも起爆する為に酸素を奪ってしまう能力のせいで、貴女を閉じ込めているこの木は深刻な酸欠状態にある! これだけの高圧で通電しても発火しない程に! 貴女自身が起爆出来ない以上、貴女に脱出の目は無くなっている!」
このまま公殿が絶命するまで通電し続ければ双葉と陽子の勝利である。
だが、その条件は言葉程簡単ではない。
というのも、強大な神為を持つ公殿を相手に有効な規模の高圧電流を浴びせ続けるには、陽子の全力を振り絞らなければならない。
最初、陽子が公殿を無理矢理起爆する為に力を溜めたのもそれが理由だ。
「はぁ……はぁ……」
陽子は尋常ではなく疲労している。
それもその筈、今の陽子は既に何十秒も、一分を超えて全力疾走するに等しい芸当をやってのけているのだ。
因みに、五輪陸上競技の徒競走最短距離である百メートル走ですらも本当の意味で全力疾走出来るのは半分の距離にも満たないと云われている。
『ぐううううぎいいいいいいいっっ!!』
公殿のダメージも小さい筈は無い。
陽子の電撃は、たった一発一瞬浴びせるだけで折野菱を戦闘不能に追い込んだように、全力で長時間掛け続けるようなものではないのだ。
通電され続ける公殿の悲鳴は已まないが、それは逆に異常なことである。
「しぶといんだよこの化物婆っ! さっさと死れぇぇぇっっ!!」
陽子は木の根を力一杯握り締め、全身全霊を込めて通電し続ける。
既に二分、三分……五分以上もこの我慢比べは続いている。
公殿の悲鳴はか細く、断続的になっていった。
だが、攻撃を受ける公殿は唯されるがままでいた訳ではなかった。
『早く……早くっ……!』
「な、何をする気だ!?」
か細くなった公殿の悲鳴が謎の言葉を囁いていることに陽子が気が付いたその瞬間、通電していた木が炎上した。
炎はあっという間に人間大の木全体を焼き、立ち上がった煙から公殿が分離してそのまま人間の姿に戻った。
「くっ……逃した……。何故……?」
「間に合うた……流石の此身も死ぬかと思た……」
それぞれ死力を尽くした陽子と公殿は双方その場で崩れ落ちた。
公殿は木の中に吸引されていた状態で、それでも可能な限り元の姿に戻ろうとした。
当然そのようなことは不可能なのだが、この試みは拡散状態での能力に因る酸化還元効果を徐々に弱め、木の中に少しずつ酸素を戻したのだ。
とはいえ、陽子も公殿も神為と体力を使い果たしている。
更に、炎上した木も倒壊した。
既に倒れ伏している双葉にも余力は無い。
「はぁ……はぁ……。公殿に……止めを……」
ただ一人、鍛練を積んでいる陽子だけが辛うじて立ち上がり、動くことが出来た。
一方、強力な神為を失えば単に若作りなだけの老婆でしかない公殿は青褪めて狼狽する。
「ああ……あああ殺されてまうっ……! お、お助けぇ……!」
「そうさ、私は武術を身に付けている。それは本来、力弱き者が強き者の暴力に対抗する為の手段だ。体力を使い果たした状態でも、貴女みたいなか弱い老婆の命を殺ることなど容易い」
陽子は公殿の完全に迫り、立ち上がれず地に手を突く公殿を見下ろした。
「と、十桐卿! 聞こえてますよね十桐卿ぉ! 此身をお助けください! 早うこの場から此身を逃がしてぇっ!」
公殿はこの空間を作り出した術識神為の主である十桐綺葉に助命を嘆願した。
その言葉に陽子の表情が強張った。
もし十桐が公殿を逃がし、代わりの六摂家当主を寄越せば二人は一巻の終わりである。
そんな彼女たちに向けてか、薄闇の空間に別の女の声が響き渡る。
『聞こえておるぞ、公殿卿。我はこの空間内の全ての遣り取りを把握しておる』
「と、十桐卿! 良かった、早くお助けをぉ!」
『全て聞いておったぞ。貴様が国賊であったという下りも全てな』
十桐の言葉に、公殿は青褪めた。
一方で陽子はこの展開を予測していたのか、特に表情を変えずに冷めた目で公殿を見下ろし続けている。
態々公殿の過去を暴露して挑発したのは、六摂家当主達から公殿を見放させるという狙いもあったのだ。
「ご、誤解です十桐卿! あの時代は仕方無かったんです! まだ生まれてない十桐卿は御存知ないかも知れませんが、か弱い乙女が生きる為に残された唯一の手段やったんですよ!」
『諄い! 他の者ならいざ知らず、貴様がそう言って通じるものか! 道成寺公爵家や久地縄子爵家を始め、ヤシマの賊共に協力した旧華族の名家を次々と取り潰したのは甲卿と先代鷹番公爵、そして貴様ではないか!』
弁解の言葉を必死に並べる公殿だったが、怒りの十桐は取り付く島も無かった。
全ては公殿が自分自身で撒いた種である。
ベタな話ではあるが、敵を平気で裏切って味方になる者、況してやそれを繰り返す者は、味方として信用を得られないのだ。
『思えば一桐卿と違い、貴様は決して自分からヤシマ時代の過去を語ろうとしなかった。帝を裏切った過去を知られると我らが許さんと解っておったのだろう』
「そ、そんな御無体なぁ……。過去はそないでも、今は誰よりも神皇陛下の御代に尽くしてきたやないですかぁ……」
『諄いと言っておる。そう偽りなく自負しておるなら、その場の叛逆者程度、己の力のみで始末してみよ。そうすれば、過去の件は不問にしてやるわ』
「ううぅぅぅ……っ!」
完全に見放された公殿はただ俯くしかなかった。
陽子は冷たく溜息を吐いた。
「さて、自分の立場が解ったら覚悟を決めなよ、婆さん。もう充分生きただろ?」
「あ、あのぉ……」
年貢の納め時を告げる陽子だったが、一方で公殿はまだなにか言いたげだった。
作り笑いを浮かべた顔を上げ、今度は陽子に嘆願する。
「此身の過去を御存知なら、もう一度道成寺家と寄りを戻せませんかねぇ?」
「は、はぁ?」
陽子は我が耳を疑ったという様にあんぐりと口を開けた。
人間はここまで恥という概念をかなぐり捨てて都合良の良い言葉を吐けるのかと、誰が聞いてもそう思うだろう。
「ほ、ほら! 此身の力は充分に味わいはったでしょう? 味方に付けられたら、この上ない戦力になる思うんですよねぇ」
「言うに事欠いて貴女って女は……。この流れで貴女を信用する人間が何処に居るんだ……」
「そないなこと仰らんといてぇ……。大局的に見たら、この場で此身を殺すよりも取れる利益いうものが色々あるでしょう?」
「確かに、親父だったら革命の為なら一時的に利用するなんてことも考えるかもね……」
公殿の作り笑いの表情が柔らかくなった。
陽子の言葉に希望を見たのだろう。
だが、それは贋である。
「でもごめんね。私、親父と違って革命とか、蚊程も興味が無いんだ。だから、私達の命を狙ってきた貴女を見逃す理由は無い」
「うぐぐ、そうですかぁ……」
公殿は顔を顰めた。
観念したかに見えたが、すぐにその表情は歪んだ笑みに変わった。
「でも、時間稼ぎに付き合うてくれたんは感謝しますよぉ!」
「何っ!?」
公殿は再び煙状の拡散状態となった。
これ以上の戦いを想定していなかった陽子はうっかり息を吸ってしまい、公殿に体内への侵入を許してしまう。
「し、しまった!」
『ははははは! 神為の恢復を待っとったんにも気が付かんかったか! 再び拡散状態になれるだけの力は戻ったで! 起爆は出来んけど、このまま体内の酸素を奪い尽くして殺したる!』
まさかの逆転に、陽子は万事休すである。
だがその瞬間、前方に小さな光が煌めいた。
「き、来た! 助かった!」
『な、何言うて……?』
刹那、一筋の閃光が陽子の体を貫いた。
同時に、陽子の体は帯電して火花を散らす。
『ギャッ!!』
陽子の口から煙が吐き出され、黒焦げになった公殿の姿を模った。
先程まで以上にボロボロで、最早虫の息である。
「もう一人……居たんか……。おの……れ……」
公殿は力尽きて倒れ、そのまま息絶えた。
陽子の後方では、一人の青年が双葉に飲み物を与えている。
「陰斗、助かったよ」
「危なかったね、姉さん」
椿陽子の双子の弟・道成寺陰斗が姉のピンチに駆け付けたのだった。
彼の術識神為には、どれだけ離れた場所に居ても姉の元へ一瞬にして飛来する能力と、自身の体を雷光と化して相手にぶつける能力がある。
それを利用して、空間の隔たれた場所からこの場へ飛んで来たのだ。
「ん……」
双葉の目に生気が戻った。
陰斗が双葉に与えたのは東瀛丸の成分を極めて薄めて水に混ぜた恢復薬で、岬守航が為動機神体の操縦訓練を終えた時に水徒端早辺子から毎回貰っていたものと同じだ。
僅かな神為と体力を恢復させる効果がある。
双葉に薬を飲ませた陰斗は、陽子の許へも歩み寄って同じ物を小さなカップで差し出す。
「本当は一桐陶麿と共に閉じ込められていた。異空間だったから、飛んで来るのに時間が掛かった」
「陰斗、無事で良かったよ」
薬を飲んだ陽子は、無機質な声と無表情で状況を告げた陰斗を抱き締めた。
再開を喜び合う姉弟の脇で、双葉は二人の抱擁を少し羨ましげに見詰めていた。
そんな彼女の方へ、抱擁を終えた二人は同時に振り向いた。
陽子は双葉にも声を掛ける。
「双葉も、生きていてくれて本当に良かった。私は酷い人間だから、弟の陰斗以外はどうでも良いと思っていたんだよ。でも、貴女だけは違ったようだ。離れ離れになってから、貴女のことだけはずっと気掛かりだった。突然離れ離れになって、出来ればもう一度会って話がしたかった」
陽子は潤んだ目で双葉を見詰め、柔和な微笑みを浮かべている。
それは公殿の様に不気味な作り物ではなく、本物の情が籠った真実の微笑みだった。
双葉の両目に涙が滲む。
「陽子さん、その言葉が聞けただけで良かった。私、陽子さんを置いて脱出してから、あの日々は一体何だったのかと、ずっと悩んでいたんだよ」
「双葉、本当にごめんね」
今度は双葉と陽子が互いの体を抱き締めあった。
立場は違ってしまっても、互いを思う心は今もなお確かに続いていると、そう示す抱擁だった。
そんな二人の様子に構わず、やや空気を読まない陰斗が報告を続ける。
「此処へ来るまでの間、他の空間での様子を少しだけ見てきた。丹桐士糸は撃破済み、公殿句子はたった今絶命、残るは十桐綺葉と一桐陶麿だが、この二人を相手にする戦況はかなり厳しい。鷹番夜朗は岬守航と麗真魅琴が撃破済みと、彼を始末した逸見さんの報告にあり。甲夢黝に動きは見られない。六摂家当主の現状は、以上」
淡々と、陰斗は双葉と陽子に現状だけを告げた。
陽子との抱擁を終えた双葉は、彼に疑問をぶつける。
「ねえ、この空間から出る方法ってあるの?」
「この空間は十桐綺葉の能力。彼女に能力を解かせるか、彼女が絶命すれば出られる筈」
「多分、丹桐と公殿がしくじった今、十桐の幼女体型婆は自分か一桐をこっちにも差し向けなければならないと考えてる筈だ。自分の始末が付いたらこっちに来るかもね」
陰斗の話に拠ると、どうやら十桐の相手をしている者は苦境に立たされているらしい。
ということは、その相手が殺されれば今度は此方に牙を剥いてくるかも知れない。
そうなれば、此方の体力と神為さえ恢復していれば、逆にチャンスとなって訪れることを意味する。
「で、でもそんなの駄目だよ! 誰かが殺されちゃう!」
双葉の懸念は当然だった。
仲間が死んでも自分達が生きて出られれば良し、とは出来ない。
そんな彼女の願いに対し、陽子は冷淡だった。
「さっきも言ったけど、私はどうでも良いね。私が心配するのは陰斗と貴女だけだ」
「そんな……」
顔を伏せる双葉を尻目に、今度は陽子が陰斗に尋ねる。
「因みに陰斗、沙華さんは?」
「今、繭月百合菜と共に十桐綺葉と交戦中」
「そうか。繭月さんはなあ……。あの人、脱走者じゃ一番役に立たないし、六摂家当主相手に一人じゃ確かに厳しいね」
繭月百合菜に対する陽子の認識は脱走前で止まっている。
故に、繭月が目覚めた術識神為について陽子は何も知らないのだ。
「そんなことないよ、陽子さん。今のあの女、私達の中だと一番強いから。あの女が十桐って女と戦っているなら、屹度大丈夫だよ」
双葉は信頼に満ちた力強い笑みを陽子に見せた。
陽子は怪訝そうに首を傾げている。
何にせよ、六摂家当主のうち半分が斃れた。
木の内部では煙状になって吸引された公殿が悲鳴を上げている。
『あがあああああッッ!!』
「体内から爆破する能力が徒になったね、公殿! 体内でも起爆する為に酸素を奪ってしまう能力のせいで、貴女を閉じ込めているこの木は深刻な酸欠状態にある! これだけの高圧で通電しても発火しない程に! 貴女自身が起爆出来ない以上、貴女に脱出の目は無くなっている!」
このまま公殿が絶命するまで通電し続ければ双葉と陽子の勝利である。
だが、その条件は言葉程簡単ではない。
というのも、強大な神為を持つ公殿を相手に有効な規模の高圧電流を浴びせ続けるには、陽子の全力を振り絞らなければならない。
最初、陽子が公殿を無理矢理起爆する為に力を溜めたのもそれが理由だ。
「はぁ……はぁ……」
陽子は尋常ではなく疲労している。
それもその筈、今の陽子は既に何十秒も、一分を超えて全力疾走するに等しい芸当をやってのけているのだ。
因みに、五輪陸上競技の徒競走最短距離である百メートル走ですらも本当の意味で全力疾走出来るのは半分の距離にも満たないと云われている。
『ぐううううぎいいいいいいいっっ!!』
公殿のダメージも小さい筈は無い。
陽子の電撃は、たった一発一瞬浴びせるだけで折野菱を戦闘不能に追い込んだように、全力で長時間掛け続けるようなものではないのだ。
通電され続ける公殿の悲鳴は已まないが、それは逆に異常なことである。
「しぶといんだよこの化物婆っ! さっさと死れぇぇぇっっ!!」
陽子は木の根を力一杯握り締め、全身全霊を込めて通電し続ける。
既に二分、三分……五分以上もこの我慢比べは続いている。
公殿の悲鳴はか細く、断続的になっていった。
だが、攻撃を受ける公殿は唯されるがままでいた訳ではなかった。
『早く……早くっ……!』
「な、何をする気だ!?」
か細くなった公殿の悲鳴が謎の言葉を囁いていることに陽子が気が付いたその瞬間、通電していた木が炎上した。
炎はあっという間に人間大の木全体を焼き、立ち上がった煙から公殿が分離してそのまま人間の姿に戻った。
「くっ……逃した……。何故……?」
「間に合うた……流石の此身も死ぬかと思た……」
それぞれ死力を尽くした陽子と公殿は双方その場で崩れ落ちた。
公殿は木の中に吸引されていた状態で、それでも可能な限り元の姿に戻ろうとした。
当然そのようなことは不可能なのだが、この試みは拡散状態での能力に因る酸化還元効果を徐々に弱め、木の中に少しずつ酸素を戻したのだ。
とはいえ、陽子も公殿も神為と体力を使い果たしている。
更に、炎上した木も倒壊した。
既に倒れ伏している双葉にも余力は無い。
「はぁ……はぁ……。公殿に……止めを……」
ただ一人、鍛練を積んでいる陽子だけが辛うじて立ち上がり、動くことが出来た。
一方、強力な神為を失えば単に若作りなだけの老婆でしかない公殿は青褪めて狼狽する。
「ああ……あああ殺されてまうっ……! お、お助けぇ……!」
「そうさ、私は武術を身に付けている。それは本来、力弱き者が強き者の暴力に対抗する為の手段だ。体力を使い果たした状態でも、貴女みたいなか弱い老婆の命を殺ることなど容易い」
陽子は公殿の完全に迫り、立ち上がれず地に手を突く公殿を見下ろした。
「と、十桐卿! 聞こえてますよね十桐卿ぉ! 此身をお助けください! 早うこの場から此身を逃がしてぇっ!」
公殿はこの空間を作り出した術識神為の主である十桐綺葉に助命を嘆願した。
その言葉に陽子の表情が強張った。
もし十桐が公殿を逃がし、代わりの六摂家当主を寄越せば二人は一巻の終わりである。
そんな彼女たちに向けてか、薄闇の空間に別の女の声が響き渡る。
『聞こえておるぞ、公殿卿。我はこの空間内の全ての遣り取りを把握しておる』
「と、十桐卿! 良かった、早くお助けをぉ!」
『全て聞いておったぞ。貴様が国賊であったという下りも全てな』
十桐の言葉に、公殿は青褪めた。
一方で陽子はこの展開を予測していたのか、特に表情を変えずに冷めた目で公殿を見下ろし続けている。
態々公殿の過去を暴露して挑発したのは、六摂家当主達から公殿を見放させるという狙いもあったのだ。
「ご、誤解です十桐卿! あの時代は仕方無かったんです! まだ生まれてない十桐卿は御存知ないかも知れませんが、か弱い乙女が生きる為に残された唯一の手段やったんですよ!」
『諄い! 他の者ならいざ知らず、貴様がそう言って通じるものか! 道成寺公爵家や久地縄子爵家を始め、ヤシマの賊共に協力した旧華族の名家を次々と取り潰したのは甲卿と先代鷹番公爵、そして貴様ではないか!』
弁解の言葉を必死に並べる公殿だったが、怒りの十桐は取り付く島も無かった。
全ては公殿が自分自身で撒いた種である。
ベタな話ではあるが、敵を平気で裏切って味方になる者、況してやそれを繰り返す者は、味方として信用を得られないのだ。
『思えば一桐卿と違い、貴様は決して自分からヤシマ時代の過去を語ろうとしなかった。帝を裏切った過去を知られると我らが許さんと解っておったのだろう』
「そ、そんな御無体なぁ……。過去はそないでも、今は誰よりも神皇陛下の御代に尽くしてきたやないですかぁ……」
『諄いと言っておる。そう偽りなく自負しておるなら、その場の叛逆者程度、己の力のみで始末してみよ。そうすれば、過去の件は不問にしてやるわ』
「ううぅぅぅ……っ!」
完全に見放された公殿はただ俯くしかなかった。
陽子は冷たく溜息を吐いた。
「さて、自分の立場が解ったら覚悟を決めなよ、婆さん。もう充分生きただろ?」
「あ、あのぉ……」
年貢の納め時を告げる陽子だったが、一方で公殿はまだなにか言いたげだった。
作り笑いを浮かべた顔を上げ、今度は陽子に嘆願する。
「此身の過去を御存知なら、もう一度道成寺家と寄りを戻せませんかねぇ?」
「は、はぁ?」
陽子は我が耳を疑ったという様にあんぐりと口を開けた。
人間はここまで恥という概念をかなぐり捨てて都合良の良い言葉を吐けるのかと、誰が聞いてもそう思うだろう。
「ほ、ほら! 此身の力は充分に味わいはったでしょう? 味方に付けられたら、この上ない戦力になる思うんですよねぇ」
「言うに事欠いて貴女って女は……。この流れで貴女を信用する人間が何処に居るんだ……」
「そないなこと仰らんといてぇ……。大局的に見たら、この場で此身を殺すよりも取れる利益いうものが色々あるでしょう?」
「確かに、親父だったら革命の為なら一時的に利用するなんてことも考えるかもね……」
公殿の作り笑いの表情が柔らかくなった。
陽子の言葉に希望を見たのだろう。
だが、それは贋である。
「でもごめんね。私、親父と違って革命とか、蚊程も興味が無いんだ。だから、私達の命を狙ってきた貴女を見逃す理由は無い」
「うぐぐ、そうですかぁ……」
公殿は顔を顰めた。
観念したかに見えたが、すぐにその表情は歪んだ笑みに変わった。
「でも、時間稼ぎに付き合うてくれたんは感謝しますよぉ!」
「何っ!?」
公殿は再び煙状の拡散状態となった。
これ以上の戦いを想定していなかった陽子はうっかり息を吸ってしまい、公殿に体内への侵入を許してしまう。
「し、しまった!」
『ははははは! 神為の恢復を待っとったんにも気が付かんかったか! 再び拡散状態になれるだけの力は戻ったで! 起爆は出来んけど、このまま体内の酸素を奪い尽くして殺したる!』
まさかの逆転に、陽子は万事休すである。
だがその瞬間、前方に小さな光が煌めいた。
「き、来た! 助かった!」
『な、何言うて……?』
刹那、一筋の閃光が陽子の体を貫いた。
同時に、陽子の体は帯電して火花を散らす。
『ギャッ!!』
陽子の口から煙が吐き出され、黒焦げになった公殿の姿を模った。
先程まで以上にボロボロで、最早虫の息である。
「もう一人……居たんか……。おの……れ……」
公殿は力尽きて倒れ、そのまま息絶えた。
陽子の後方では、一人の青年が双葉に飲み物を与えている。
「陰斗、助かったよ」
「危なかったね、姉さん」
椿陽子の双子の弟・道成寺陰斗が姉のピンチに駆け付けたのだった。
彼の術識神為には、どれだけ離れた場所に居ても姉の元へ一瞬にして飛来する能力と、自身の体を雷光と化して相手にぶつける能力がある。
それを利用して、空間の隔たれた場所からこの場へ飛んで来たのだ。
「ん……」
双葉の目に生気が戻った。
陰斗が双葉に与えたのは東瀛丸の成分を極めて薄めて水に混ぜた恢復薬で、岬守航が為動機神体の操縦訓練を終えた時に水徒端早辺子から毎回貰っていたものと同じだ。
僅かな神為と体力を恢復させる効果がある。
双葉に薬を飲ませた陰斗は、陽子の許へも歩み寄って同じ物を小さなカップで差し出す。
「本当は一桐陶麿と共に閉じ込められていた。異空間だったから、飛んで来るのに時間が掛かった」
「陰斗、無事で良かったよ」
薬を飲んだ陽子は、無機質な声と無表情で状況を告げた陰斗を抱き締めた。
再開を喜び合う姉弟の脇で、双葉は二人の抱擁を少し羨ましげに見詰めていた。
そんな彼女の方へ、抱擁を終えた二人は同時に振り向いた。
陽子は双葉にも声を掛ける。
「双葉も、生きていてくれて本当に良かった。私は酷い人間だから、弟の陰斗以外はどうでも良いと思っていたんだよ。でも、貴女だけは違ったようだ。離れ離れになってから、貴女のことだけはずっと気掛かりだった。突然離れ離れになって、出来ればもう一度会って話がしたかった」
陽子は潤んだ目で双葉を見詰め、柔和な微笑みを浮かべている。
それは公殿の様に不気味な作り物ではなく、本物の情が籠った真実の微笑みだった。
双葉の両目に涙が滲む。
「陽子さん、その言葉が聞けただけで良かった。私、陽子さんを置いて脱出してから、あの日々は一体何だったのかと、ずっと悩んでいたんだよ」
「双葉、本当にごめんね」
今度は双葉と陽子が互いの体を抱き締めあった。
立場は違ってしまっても、互いを思う心は今もなお確かに続いていると、そう示す抱擁だった。
そんな二人の様子に構わず、やや空気を読まない陰斗が報告を続ける。
「此処へ来るまでの間、他の空間での様子を少しだけ見てきた。丹桐士糸は撃破済み、公殿句子はたった今絶命、残るは十桐綺葉と一桐陶麿だが、この二人を相手にする戦況はかなり厳しい。鷹番夜朗は岬守航と麗真魅琴が撃破済みと、彼を始末した逸見さんの報告にあり。甲夢黝に動きは見られない。六摂家当主の現状は、以上」
淡々と、陰斗は双葉と陽子に現状だけを告げた。
陽子との抱擁を終えた双葉は、彼に疑問をぶつける。
「ねえ、この空間から出る方法ってあるの?」
「この空間は十桐綺葉の能力。彼女に能力を解かせるか、彼女が絶命すれば出られる筈」
「多分、丹桐と公殿がしくじった今、十桐の幼女体型婆は自分か一桐をこっちにも差し向けなければならないと考えてる筈だ。自分の始末が付いたらこっちに来るかもね」
陰斗の話に拠ると、どうやら十桐の相手をしている者は苦境に立たされているらしい。
ということは、その相手が殺されれば今度は此方に牙を剥いてくるかも知れない。
そうなれば、此方の体力と神為さえ恢復していれば、逆にチャンスとなって訪れることを意味する。
「で、でもそんなの駄目だよ! 誰かが殺されちゃう!」
双葉の懸念は当然だった。
仲間が死んでも自分達が生きて出られれば良し、とは出来ない。
そんな彼女の願いに対し、陽子は冷淡だった。
「さっきも言ったけど、私はどうでも良いね。私が心配するのは陰斗と貴女だけだ」
「そんな……」
顔を伏せる双葉を尻目に、今度は陽子が陰斗に尋ねる。
「因みに陰斗、沙華さんは?」
「今、繭月百合菜と共に十桐綺葉と交戦中」
「そうか。繭月さんはなあ……。あの人、脱走者じゃ一番役に立たないし、六摂家当主相手に一人じゃ確かに厳しいね」
繭月百合菜に対する陽子の認識は脱走前で止まっている。
故に、繭月が目覚めた術識神為について陽子は何も知らないのだ。
「そんなことないよ、陽子さん。今のあの女、私達の中だと一番強いから。あの女が十桐って女と戦っているなら、屹度大丈夫だよ」
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シントが唯一使えたのは〝創造魔法〟といういままでまともに使えた試しのないもの。
それでも森の中でこのまま死ぬよりはまだいいだろうと考え魔法をかける。
すると新木は一気に生長し、天をつくほどの巨木にまで変化しそこから新木に宿っていたという聖霊まで姿を現した。
〝この地はあなたが創造した聖地。あなたがこの地を去らない限りこの地を必要とするもの以外は誰も踏み入れませんよ〟
そんな言葉から始まるシントののんびりとした生活。
同じように行き場を失った少女や幻獣や精霊、妖精たちなど様々な面々が集まり織りなすスローライフの幕開けです。
※この小説はカクヨム様でも連載しています。アルファポリス様とカクヨム様以外の場所では公開しておりません。
最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。
みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。
高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。
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しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。
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