日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第二章『神皇篇』

第四十一話『皇族』 急

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 わたるは大きく深呼吸した。
 彼とて、皇族に意見する意味が、それも彼自身の立場を守る計らいに異を唱えることの意味がわからない訳ではない。
 それでも彼の中の何かがこのまま流されるのを良しとしなかった。
 わたるかみに自らの考えを述べる。

「殿下、きのえさんに対してひどい事をしたのも、ちようきゆうを出してちやちやしようとしたのも、それらに関してはぼくさんが実際に見て体験した事実です。しかし、ほんに関してはつきしろのうじよう首相がそう言っているだけでしょう。のうじようきのえと政治的に対立していると聞きます。その筋からのきのえの情報って、みにするのは危険ではないでしょうか」
「それで、きのえは謀叛をくわだてていないと、首相たるのうじようが皇族たるわたくしたばかっていると、そう言いたいのですかまえは?」

 かみが鋭い視線でわたるを見て問い返す。
 思わずたじろぐわたるだったが、もう吐いた唾は飲めない。
 ならば言いたいことを言い切ってしまうまでである。

「まだ早計じゃないですか、ってだけですよ。証拠が挙がったら、その時は気兼ねなく裁けば良い」

 かみなおも納得せず、げんそうな表情でわたるに問い続ける。

何故なぜきのえかばてするのですか? この男は既にこうこく貴族にあるまじき行いをしており、またまえにとって益があると思えませんが」
「それはそうですけど、悪人であれば何でもかんでも罪をかぶせても良いという訳じゃない。窃盗と強盗じゃ意味が違うし、どうせ罪人だからと殺人犯に仕立て上げたらぎぬだ。ぼくだって助けてもらえるなら有難いですが、それと引き換えにこんな道理に合わないことを見過ごす訳には行きませんよ」

 二人の間に沈黙が流れる。
 わたるの方はこの時、強く出過ぎたのではないかと少し己の行いを悔い始めていた。
 一方で、かみの様子には不興を買ったという兆候は感じられない。
 ただ何か、これはどうしたものかと考えている様な、そんな沈黙だった。

 わたるの背後ではきのえひざまずいたままである。
 は最初、わたるの行動が理解出来ずに困惑と怒りを見せていたが、今はあきてた様にほほんでいる。
 皇族に食って掛かることも助かる流れをふいにすることも賢いとは言えないが、人としての道理を通そうという姿は決して間違っていない。

 の隣では、きのえが顔を伏せて震えている。
 それは裁かれる恐怖からの震えではなさそうだ。

「貴様……。貴様の如き下郎が……だいこうに手を差し伸べようというのか……! どこまでも思い上がりおって……」

 きのえは屈辱から絞り出す様にわたるへの罵声を吐き捨てた。
 それは温情に対して唾を吐く行いである。
 しかしわたるはこの時、不思議ときのえに不快感を覚えなかった。

「貴様如きにかばわれる程、だいこうおちれておらんわ!」
「へえ、りつじゃないか」

 わたるきのえの方へ向き直った。

貴方アンタはどこまでも貴族としてのプライドにこだわるんだな。それを貫き通すんなら、それはそれで一つの生き方じゃないか。ある意味すがすがしいよ。しかし悪いが、こっちには最初から貴方アンタへつらうつもりなんて無いんでな」

 きのえは驚いた様に目を見開いた。
 そして顔を伏せ、やや強い声で呼び掛ける。

かみ殿下……!」
「良いでしょう」

 わたるかみの方へ目を遣った。
 彼女は考えが決まった様に背を向け、わたる達から遠ざかる。

さきもりはこのままきのえを謀反人として裁くを良しとせず、きのえさきもりに庇われるを良しとせず。この一件、どうやらわたくしが預かるには手に余るようです。しからば裁定を仰ぐべきはただひとかたのみ……」

 周囲の空気が一気に重くなった。
 わたるは思わず膝を屈してしまった。
 何かてつもない存在がこの場にあらわれようとしている。
 心做しか、空の色も薄明るく感じる。

「うぅっ……」

 きのえは縮こまった。
 何が起こるのか、彼は理解しているらしい。
 そんな彼らに背を向け、かみは高らかに告げる。

「陛下にせいだんを仰ぎましょう!」

 かみの言葉と共に、空の雲が桃色の渦となって彼女の前方に集まり始めた。
 皇族達が二手に分かれ、渦の中心の前を開ける。
 桃色の渦雲は小さく収束し、人の形をしていく。
 そしてけたたましい爆発音と共にはじび、光りが周囲を一瞬、包み込んだ。

 目がくらんだわたるが視力を取り戻すと、その場には一人の小柄な男が浮かんでいた。
 少年とまがう男は桜色の髪をなびかせ、静かにその場へ着地した。

「う……」

 わたるはその顔に見覚えがあった。
 いつかうる家の写真で見た、桜色の髪の少年その人である。
 但し、その姿は写真とは比べものにならない威厳に満ちあふれている。
 かつに立ち上がることもままならない圧力と心地良い清涼感が辺りを包み込んでいる。

じんのう……陛下……」

 わたるの背後ではきようがくつぶやいた。
 その言葉で、わたるはこの男こそがこうこくに君臨する「じんのう」なる存在だと知った。
 いな、その姿を見た段階で予感はしていた。
 今、目の前に居る男は明らかに超常の雰囲気をまとっている。

 二手に分かれた六人の皇族達もまた一様に跪いた。
 桜色の髪の男――じんのうはその間をちらへゆっくりと歩み寄って来る。

「皆の者、面を上げよ」

 じんのうは口を開いた。
 少年の様な姿に似つかわしくない、深く渋みのある声だった。
 そのまま、じんのうきのえの眼前で足を止めた。

きのえよ……」
「へ、陛下……」

 きのえの声は震えていた。
 わたるにも気持ちは理解出来る。
 かみせいとは全然、その威容が違うのだ。
 さしものわたるも、じんのうに詰問されればあらがうことは出来ないだろう。

きのえよ、ちんかなしい」
「陛下っ……!」
なんじの祖父には大変世話になった。博識な人物で、当時最新の学説であった多元宇宙論マルチバースを教え聞かせてくれたのは彼であった。詩吟を愛する人物でもあり、花鳥風月をく解し、豊かな感受性を持った心穏やかな人であった。彼から聞かされた話を、若き日のおん公爵やなんじに語った日々を昨日のことの様に思い出す……」

 きのえは息を荒くしていた。

「そのなんじに謀叛の疑いが掛かっていること、ちんは誠に哀しい……」
「陛下、陛下……! きのえは断じて、断じて陛下にはんなど御座いません……!」
きのえよ、それでなくともなんじは捨て置けぬ不祥事を三つも抱えておる」

 じんのうきのえの前に三本の指を立てた手を差し出した。

「一つ、ちんはた家に男爵位を与えし裁量を不服とし、その令嬢に対し、尊厳にもとる扱いをしたこと」
「陛下、その点は申し開く言葉も御座いません。しかし……!」
「一つ、己が企てにちんの盟友たるいちどうを始めとした六摂家当主を巻き込み、いたずらにこれをうしなわせたこと」

 言葉に合わせ、じんのうの指が一本ずつ折られていく。

「一つ、ちんの臣民に対し、事もあろうにちようきゆうどうしんたいの暴威を、その恐るべきを充分知りながら向けたこと」

 きのえは言葉を失っていた。
 謀叛の疑いとは違い、事実に基づいてきゆうだんされているのだから無理も無い。
 じんのうは拳を差し出したまま続ける。

「これらだけで、既にがいたんを禁じ得ぬである。この上謀叛までもが事実だと信じたくはない」

 じんのうの拳がひろげられた。
 そのてのひらおぼろな光りがともる。

きのえよ、なんじがこれまで政治家として、こうこくの秩序の番人たる六摂家当主として、ちんに忠義を尽くしてきた功もまた事実である。故にそのなんじの名を皇統に弓を引きし大逆の徒として残すのはあまりにも忍びない」

 掌の光りは凝縮され、二つの粒となっていく。

「と、とうえいがん……!」

 きのえは差し出された掌に形成された二粒の錠剤を見て呟いた。
 そして震える両手を差し出し、掌を上にして受け皿を作る。

ちんの言いたいことが解ったか。きのえよ、なんじが尚もちんの臣下であるというならば、その忠誠をこの場で示せ。こうこく貴族の筆頭として、さいの誇りをちんに見せてみよ」

 きのえの掌に二粒のとうえいがんが置かれた。
 きのえじんのうの目を見上げ、再び掌を見てから意を決した様に立ち上がった。
 奇妙な静けさが辺りを覆う中、きのえじんのうに一礼すると、ゆっくりと歩き出す。

「何をやっているんだ……?」

 わたるには事態がめなかった。
 しかし他の者達は全てを承知しているかの様に落ち着いた様子できのえの行動を見守っている。
 そんな中、きのえは立ち止まってわたるの方を見た。
 屈辱と恨みの眼を向けるのかと思いきや、その表情はものが落ちた様に穏やかなものだった。

「な、なんだ……?」

 わたるは息をんだ。
 異様な静けさに、きのえから目を離せない。
 見届けなければいけない、まばたきすらも許されない――何故かそう思えた。

 きのえは二粒のとうえいがんを握り締めると、かたを呑んで天を仰いだ。

「じ、じんのう陛下万歳! こうこくいやさかあれ!」

 そう高らかに声を張り上げると、きのえは意を決した様に二粒のとうえいがんを呑み込んだ。
 程無くして、とうえいがんを複数同時に飲んだきのえは全身から血を噴き出してその場に崩れ落ちた。

「なっ……!?」

 わたるは驚愕し、絶句した。
 困惑して周囲の者達の方を見渡しても、誰一人としてわたるの様に慌てていない。
 わたるに、特に感情を乱すでもなく解説する。

とうえいがんの服用間隔が短すぎると健康に害が及ぶと説明しましたね。それが一切の間隔無く、二粒以上を同時に服用してしまった場合、あの様にしんが暴走して絶命するのです。こうこくの華族家当主は皆、いざという時の為にとうえいがんを懐に忍ばせているのですが、最大の理由は誇りある死を選ぶ為です」

 わたるはこの場の者達に気味の悪いものを感じていた。
 目の前で人が悲惨な死を遂げたのに、誰もが意に介せず落ち着き払っている。
 こうこくの倫理観が日本国とは全く違うと思い知らされる。
 そんな中、きのえの最期を見届けたじんのうが口を開く。

きのえよ、見事な最期であった」

 じんのうは来た道を歩き始め、途中でわたるとすれ違う。
 瞬間、わたるは電撃を浴びた様に動けなくなった。
 じんのうと同じ空間を共有していることそのものが耐え切れない程に畏れ多い。

 そんな中、じんのうは二手に並ぶ皇族達の間を通り抜けていく。

せい、後は任せる。良きに計らうように」

 じんのうはそう言い残すと、その場からこつぜんと姿を消した。
 うその様なせきりよう感が辺りに残されている、
 皇族達はそれぞれ立ち上がり、緊張感が霧散していく。
 この場を任されたかみじんのうが消えた空間に頭を下げた。

かしこまりました、陛下」

 そして、かみは再びわたる達の方へと顔を向ける。

てそこの二人、これからの話をしましょうか……」

 かみつややかでわくてきな微笑みを浮かべていた。
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