日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第二章『神皇篇』

第五十二話『散華』 破

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 こうこく皇宮内、巨大企業「ていじよう」本社ビル中腹の屋上庭園で勃発した頂上決戦は、早くもことに絶望的な現実を思い知らせていた。
 圧倒的な暴力をたのみにしてきた彼女にとって、無防備なじんのうに直撃したこんしんの拳が、蹴りが、一切のダメージを与えずじんのうを微動だにさせることすら出来なかったことは初めての体験だった。

 しかし、あらかじじんのうの強大な力を祖父から聞かされていたことにとって、それは想定の範囲内だった。
 父の死によって挫折を経験した彼女は、劣勢の、弱者の挑戦・抵抗という立場の戦いを既にれている。
 りんとした構え、立ち姿、視線はなおも揺るぎ無い。

(さっきまでの攻防ではっきりとわかった。単純な力のぶつけ合いでは到底勝てない。ちらの攻撃が多少なり効いてくれれば楽だったけれど、やはり現実は甘くない……)

 ことじんのうに打ち込んだ拳と蹴りは合計五発、それらの感触は鉄壁に泥球をぶつけるような試みだった。
 到底破壊には至るべくもない。
 逆に、じんのうから受けたたった一発の反撃、破壊エネルギーとしてのしんの解放は、ことに死を予感させた。
 見た目とは逆に、両者の力量差は大人と子供を通り越して恐竜とあり、月とすつぽんである。

 わたしは死ぬ――泥だらけのことはそれでも構えている。
 力量差は想定内――つまり、一矢報いる当てはまだある。

 ことは今初めて、生まれて初めて自らのじゆつしきしん――特殊な術理に己が命運を託す。
 人生の終わり、その集大成にと練り上げてきた能力が、今その封印を解かれる。

 対するじんのうことの様子から何かを察した様だが、顔色一つ変えない。

「手を隠し持っておるようだな。だが、しんを極めし皇族は己に掛けられし異能の制約――かせあしかせを難なく引き千切り、敵のまといし異能のこうかい――ぬけみちかくれみのを事も無く看破する。してやちんこうこくける全てのしんの真祖。稚拙な術理で己の絶対なる勝利、敵の絶対なる敗北を作り上げようなどという浅はかな考えは赤子の手をひねるよりやすせてくれようぞ」

 じんのうの小さな体が山よりも大きく見える。
 ことは生前の祖父から一つの恐ろしい仮説を聞かされていた。

 こうこくの社会構造の根幹を成す「しん」という概念は、あまりにも血統に対して有利に働く構造をしている。
 そしてじんのうしんは、こうこく全土に影響を及ぼしている。
 祖父・うるいるが推察するに、こうこくに於けるしんという概念自体がじんのうによって操作され、都合良く再構築されたものではないか。
 ならば、通常の枠組みどおりのしんじんのうたおすことは到底不可能ではないか。

 じんのうは間違い無く巨星、不世出の傑物。
 しかしそれはこともまた同じである。
 こともまたじんのうが構築した枠組みを逸脱すべく、この日この時のための能力を自らの意志で構築した。

 しんの第三段階「じゆつしきしん」、その更なるしんえんへ。
 己が内なる神性をるだけでなく、更なる理解を深め、思い通りに構築する。
 それはさながら、世界の支配を脱し己の在り方を己で定めるということ。
 わば、じんのうの支配からの自由。

「全て承知の上ですよ、陛下。では御覧頂きましょう。貴方あなた様を殺す為の、わたしわたしる日本国の為のじゆつしきしんを!」

 大気が震える。
 ことの放つ威圧感が地球そのものをおのかせるかのようだ。
 そんな中でも、じんのうは相変わらず泰然、超然としてたたずんでいる。

 ことは超速でじんのうに飛び掛かった。
 刹那にして、瞬間移動の如く間合いを詰める。

 繰り出した攻撃はず、拳が二発。
 更に、斜め上から回し蹴りと、前への蹴放しの反動で距離を取った。

 四発の攻撃は相変わらずじんのうに何らダメージを与えていない。
 唯、彼は感心した様に嘆息した。

「ほう、こういう術理か」
「はい」
「一発目の拳より、一発目の蹴りより、二発目の拳、蹴りがそれぞれ明らかに威力を増している。察するに、前回の攻撃の破壊力を新しい攻撃に都度都度上乗せしておるな?」
ようで御座います、陛下」

 先程の四連撃は右拳・左拳・回し蹴り・蹴放しの順に繰り出された。
 ことじゆつしきしんはこれらの攻撃の威力を増す能力である。
 つまり、二発目の左拳には一発目の右拳の威力が上乗せされ、一発分に一発分が加わり二発分の威力となる。
 三発目の蹴りには一発目の右拳と二発目の左拳の威力が上乗せされ、拳一発分と二発分の威力が加わり、蹴り一発と拳三発分の威力となる。

 単純化の為に十発の拳を同じ力で放ったと仮定しよう。
 一発目の拳は当然拳一発分、一倍の破壊力である。
 二発目の拳は一発目の一倍が加算され、二倍の破壊力となる。
 三発目は一発目の一倍と二発目の二倍が加算され、四倍の破壊力となる。

 計算を続けると、破壊力は倍々になっていくことが解るはずだ。
 四発目は八倍、五発目は十六倍、六発目は三十二倍、と繰り返され、十発目の拳の破壊力は五百十二倍になっている。
 ただでさえ強力無比なことの暴力が、指数関数的に凶悪化していくのだ。

なんじは世界を壊すつもりか?」
「それまでに自分がたおれることは無い、とでも言いたげですね」
「ならばやめるか?」
「まさか。わたしが壊したいのは世界よりも貴方あなた様ですよ、陛下」

 ことは再び仕掛ける。
 十数発の拳が、蹴りが、流れる様な動きでじんのうに浴びせられる。

「成程、武術の心得とてんぴんがありおる。それも超一流、超特級の水準で」

 しかし相変わらずじんのうは眉一つとして微動だにしない。
 それでもことは打撃をたたみ続ける。
 拳速が、蹴速が、連射が段違いに加速し、機関銃マシンガンの如く数十発の打撃が容赦無く降り注ぐ。

 だがやはり、じんのうは揺るがない。
 再びてのひらを動かし、反撃の挙動に出る。

 が、じんのうの掌から光の柱が放出される瞬間、ことじんのうの背後に素早く回り込んだ。
 そして十数発の連撃。
 じんのうは振り向かずにゆっくりと浮上し、宙を舞ってその場から離れた。

かわしおったか。ならばちんも多少なり攻撃の出方を練らねばなるまい」

 じんのうことはるか頭上で振り向き、両掌に光を纏う。

なんじが地上でくのみなら、ちんから一方的になんじを攻撃するが?」

 じんのうの挑発に応えず、ことは黙ってその場で跳び上がった。
 しんで強化された跳躍力は、地上から容易く三階に飛び込む。
 況してや元々のりよりよくが規格外のことにとって、じんのうの浮かぶ高さまで到達することなど訳は無い。

 ことは拳を振るった。
 だがじんのうは身を翻して攻撃を躱し、回り込んで掌から力を解放して反撃する。
 中空で身動きが取れなければ躱せないという算段だ。

めるな!」

 じんのうの攻撃はことあたらなかった。
 ことは空を蹴ってその反動で移動するという、通常ではあり得ない離れ業をやってのけた。

 物体の速度が音速に近付くと、空気が圧縮されて抵抗力が増す――所謂いわゆる「音速の壁」と呼ばれる現象である。
 ことはこれを利用し、音速程度に「加減した」蹴りで意図的に圧縮された空気の壁を作り、衝撃の瞬間にタイミングを合わせて足首の曲げ伸ばしでその壁を蹴ったのだ。
 一発に見えた蹴りは、実は二発。
 ことしんを用いず、生身で自在に空中を駆け回ることが出来るのだ。

「中々に面白い曲芸だ」
「それはどうも!」

 じんのうはもう一方の掌から光の柱を放出したが、ことは体を捻ってこれを躱し、そのままじんのう蟀谷こめかみに蹴りを浴びせた。
 更に、空中でも自在に動けることはそこから再び目にもとどまらぬ連撃を繰り出す。
 空中に圧縮空気の足場を作れるということは、空中でも攻撃に充分な力が伝わるということだ。
 拳の、蹴りの威力はこの間も指数関数的に増大する。

「ふむ……」

 防戦一方、というよりされるがままのじんのうだが、尚も澄まし顔から余裕が消えていない。
 既にことから食らった拳・蹴りの数は百を超えている筈だが、それでも一向に崩れる様子を見せない。
 それでも、次に繰り出す攻撃は今までとは比較にならない過去最大の一撃である。
 十発後には千倍を超える威力になるのだ、いつかはその命に届くだろう――それがことの勝算だった。

 しかし、それはじんのうからの反撃がことに届かない場合に限る。
 回し蹴りを放つことじんのうの異変に気付いた。
 じんのうは全身に光を纏っている。
 ことの蹴りが到達する瞬間、その光は全方位に向けて放射され、ことの体を激しく屋上庭園にたたけた。

「ぐっ……うぅ……!」

 罅割れたくぼみに倒れて天を仰ぐことを、じんのうは宙に浮かんだまま冷酷に見下ろしている。
 百を超える、しかも都度倍々以上になっていく攻撃を受けて尚も無傷のじんのうに対して、たった二発の攻撃を受けただけでことまんしんそうといった様相だった。

なんじに一つ言っておこう。ちんにとって、なんじに止めを刺すことなど容易い」

 既にしんに因るかいふくも遅くなり、傷が癒えきっていない。
 じんのうの言葉には一切の誇張も無い、唯単なる事実なのだろう。
 だがことはそれでも立ち上がる。

「それでも諦めぬか」
「知り合いにどうしようも無く諦めの悪い男がいてね、わたしはその男に何一つとして負けることなんか無いのよ」

 ことは傷だらけの体にむちち、再び宙を舞ってじんのうに向かって行った。
 そして機関銃マシンガンの如き速度で一気に数十発もの攻撃を叩き込む。

 その表情は次第に悪鬼羅刹が如きゆがんだ笑みに変わっていく。
 ことは自分の胸に強く言い聞かせ、昔の自分に戻ろうとしていた。

 わたしは暴力の化身。
 人間を壊す遊戯を至上の悦楽とする邪悪な獣。
 だからもっとたかぶれ、わたしの胸よ。
 目の前に居るのはこの世の誰よりも壊し甲斐がいのある究極の玩具おもちや

 もっと残酷に、情け容赦の無い拳を。
 もっと苛烈に、人道を逸脱する蹴りを。
 もっと悪辣に、ぎやくを極めた連続技を。
 この男の澄まし顔を崩す為に全てを注ぎ込め。

 じんのうだいよ、早くその竜顔を苦痛に歪ませろ。
 暴虐に屈した哀願の表情を拝ませろ。
 お前の返り血のなまぬるい感触を早く全身に浴びたい。
 死の恐怖に沈むお前の絶望を見たいのだ!

 早く! 早く! 早く! 早く!
 秒刻み、はやされる。
 早く!! 早く!! 早く!! 早く!!
 瞳を開け。

 泣け! 叫べ!!
 そして……。

「死ねええええええッッ!!」

 ことは渾身の拳をじんのうの人中に叩き込んだ。
 が、衝突の瞬間にことの右拳がひしやげ、激しく血を噴き出した。
 皮肉にも、苦痛に表情を歪ませたのはことの方だった。
 じんのうは相変わらずの涼しい無表情で、無慈悲に掌から光を放出してことたび庭園に叩き付けた。

「ここまでのようだな」

 倒れたまま息を切らすことの側に、じんのうはゆっくりと着地した。

そもそも、本来高い威力の拳や蹴りには相応の反発力が伴うもの。拳で顔面を殴るということは、同じ力によって顔面で拳をたたかれるに等しい。にもかかわらず、なんじがこれほどまでに攻撃の威力を増大させることが出来たのは何故なぜか。それはなんじの能力に、上乗せした分の反作用力を無効化する術理が含まれていたからだ」

 ことは壊れた自分の右手を見詰めていた。
 修復される様子は無く、既にしんも尽きかけている。
 そんな彼女へ、じんのうは冷酷に事実を告げる。

「一方で、全ての術理とはその束縛を受け付けぬ圧倒的な力の前に破られてしまうもの。ちんを始めとした皇族にじゆつしきしんの能力が通じぬのはこの論理にる。ではもし、そんなちんに対して一矢報いるべく、際限無く拳の威力を高め続ければどうなるか。なんじ自身の拳の威力は、なんじの『上乗せ分の反作用力を無効化する』という能力では束縛しきれぬ程に増大し、決壊してたんするという訳だ」

 異能力による縛りを無視出来る程に強大な力を持つじんのうに対し、単純な力でりようしようとしたことの戦力はおおむね正しかった。
 だが一つほころびがあったとすれば、自分の限界を、器をはるかに超える力を発揮する為にはかでどうしても術理の補助を必要としてしまったことだろう。

 だがことは、それでも尚立ち上がる。
 壊れた右拳は握り、構えを取ってじんのうに立ち向かおうとする。

「それでも諦めぬか」
「同じ質問をされても、答えは同じに決まっている」

 ことの瞳には尚も闘志の青いほのおが燃えていた。
 それは決して勝算無き捨て鉢のではない。

「まだ奥の手を残しておるということか。面白い、なんじの全てを此処で出し尽くしてから死ぬが良い」

 じんのうの挑発に応えず、ことはゆっくりと息を整えた。
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