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第二章『神皇篇』
第五十二話『散華』 破
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皇國皇宮内、巨大企業「帝嘗」本社ビル中腹の屋上庭園で勃発した頂上決戦は、早くも魅琴に絶望的な現実を思い知らせていた。
圧倒的な暴力を恃みにしてきた彼女にとって、無防備な神皇に直撃した渾身の拳が、蹴りが、一切のダメージを与えず神皇を微動だにさせることすら出来なかったことは初めての体験だった。
しかし、予め神皇の強大な力を祖父から聞かされていた魅琴にとって、それは想定の範囲内だった。
父の死によって挫折を経験した彼女は、劣勢の、弱者の挑戦・抵抗という立場の戦いを既に受け容れている。
凜とした構え、立ち姿、視線は尚も揺るぎ無い。
(さっきまでの攻防ではっきりと解った。単純な力のぶつけ合いでは到底勝てない。此方の攻撃が多少なり効いてくれれば楽だったけれど、やはり現実は甘くない……)
魅琴が神皇に打ち込んだ拳と蹴りは合計五発、それらの感触は鉄壁に泥球をぶつけるような試みだった。
到底破壊には至るべくもない。
逆に、神皇から受けたたった一発の反撃、破壊エネルギーとしての神為の解放は、魅琴に死を予感させた。
見た目とは逆に、両者の力量差は大人と子供を通り越して恐竜と蟻、月と鼈である。
私は死ぬ――泥だらけの魅琴はそれでも構えている。
力量差は想定内――つまり、一矢報いる当てはまだある。
魅琴は今初めて、生まれて初めて自らの術識神為――特殊な術理に己が命運を託す。
人生の終わり、その集大成にと練り上げてきた能力が、今その封印を解かれる。
対する神皇は魅琴の様子から何かを察した様だが、顔色一つ変えない。
「手を隠し持っておるようだな。だが、神為を極めし皇族は己に掛けられし異能の制約――手枷足枷を難なく引き千切り、敵の纏いし異能の狡獪――抜道隠蓑を事も無く看破する。況してや朕は皇國に於ける全ての神為の真祖。稚拙な術理で己の絶対なる勝利、敵の絶対なる敗北を作り上げようなどという浅はかな考えは赤子の手を捻るより容易く捻じ伏せてくれようぞ」
神皇の小さな体が山よりも大きく見える。
魅琴は生前の祖父から一つの恐ろしい仮説を聞かされていた。
皇國の社会構造の根幹を成す「神為」という概念は、あまりにも血統に対して有利に働く構造をしている。
そして神皇の神為は、皇國全土に影響を及ぼしている。
祖父・麗真魅射が推察するに、皇國に於ける神為という概念自体が神皇によって操作され、都合良く再構築されたものではないか。
ならば、通常の枠組みどおりの神為で神皇を斃すことは到底不可能ではないか。
神皇は間違い無く巨星、不世出の傑物。
しかしそれは魅琴もまた同じである。
魅琴もまた神皇が構築した枠組みを逸脱すべく、この日この時の為の能力を自らの意志で構築した。
神為の第三段階「術識神為」、その更なる深淵へ。
己が内なる神性を識るだけでなく、更なる理解を深め、思い通りに構築する。
それは宛ら、世界の支配を脱し己の在り方を己で定めるということ。
謂わば、神皇の支配からの自由。
「全て承知の上ですよ、陛下。では御覧頂きましょう。貴方様を殺す為の、私の私に因る日本国の為の術識神為を!」
大気が震える。
魅琴の放つ威圧感が地球そのものを戦慄かせるかのようだ。
そんな中でも、神皇は相変わらず泰然、超然として佇んでいる。
魅琴は超速で神皇に飛び掛かった。
刹那にして、瞬間移動の如く間合いを詰める。
繰り出した攻撃は先ず、拳が二発。
更に、斜め上から回し蹴りと、前への蹴放しの反動で距離を取った。
四発の攻撃は相変わらず神皇に何らダメージを与えていない。
唯、彼は感心した様に嘆息した。
「ほう、こういう術理か」
「はい」
「一発目の拳より、一発目の蹴りより、二発目の拳、蹴りがそれぞれ明らかに威力を増している。察するに、前回の攻撃の破壊力を新しい攻撃に都度都度上乗せしておるな?」
「然様で御座います、陛下」
先程の四連撃は右拳・左拳・回し蹴り・蹴放しの順に繰り出された。
魅琴の術識神為はこれらの攻撃の威力を増す能力である。
つまり、二発目の左拳には一発目の右拳の威力が上乗せされ、一発分に一発分が加わり二発分の威力となる。
三発目の蹴りには一発目の右拳と二発目の左拳の威力が上乗せされ、拳一発分と二発分の威力が加わり、蹴り一発と拳三発分の威力となる。
単純化の為に十発の拳を同じ力で放ったと仮定しよう。
一発目の拳は当然拳一発分、一倍の破壊力である。
二発目の拳は一発目の一倍が加算され、二倍の破壊力となる。
三発目は一発目の一倍と二発目の二倍が加算され、四倍の破壊力となる。
計算を続けると、破壊力は倍々になっていくことが解る筈だ。
四発目は八倍、五発目は十六倍、六発目は三十二倍、と繰り返され、十発目の拳の破壊力は五百十二倍になっている。
唯でさえ強力無比な魅琴の暴力が、指数関数的に凶悪化していくのだ。
「爾は世界を壊すつもりか?」
「それまでに自分が斃れることは無い、とでも言いたげですね」
「ならばやめるか?」
「まさか。私が壊したいのは世界よりも貴方様ですよ、陛下」
魅琴は再び仕掛ける。
十数発の拳が、蹴りが、流れる様な動きで神皇に浴びせられる。
「成程、武術の心得と天稟がありおる。それも超一流、超特級の水準で」
しかし相変わらず神皇は眉一つとして微動だにしない。
それでも魅琴は打撃を叩き込み続ける。
拳速が、蹴速が、連射が段違いに加速し、機関銃の如く数十発の打撃が容赦無く降り注ぐ。
だがやはり、神皇は揺るがない。
再び掌を動かし、反撃の挙動に出る。
が、神皇の掌から光の柱が放出される瞬間、魅琴は神皇の背後に素早く回り込んだ。
そして十数発の連撃。
神皇は振り向かずにゆっくりと浮上し、宙を舞ってその場から離れた。
「躱しおったか。ならば朕も多少なり攻撃の出方を練らねばなるまい」
神皇は魅琴の遥か頭上で振り向き、両掌に光を纏う。
「爾が地上で藻掻くのみなら、朕は此処から一方的に爾を攻撃するが?」
神皇の挑発に応えず、魅琴は黙ってその場で跳び上がった。
神為で強化された跳躍力は、地上から容易く三階に飛び込む。
況してや元々の膂力が規格外の魅琴にとって、神皇の浮かぶ高さまで到達することなど訳は無い。
魅琴は拳を振るった。
だが神皇は身を翻して攻撃を躱し、回り込んで掌から力を解放して反撃する。
中空で身動きが取れなければ躱せないという算段だ。
「舐めるな!」
神皇の攻撃は魅琴に中らなかった。
魅琴は空を蹴ってその反動で移動するという、通常ではあり得ない離れ業をやってのけた。
物体の速度が音速に近付くと、空気が圧縮されて抵抗力が増す――所謂「音速の壁」と呼ばれる現象である。
魅琴はこれを利用し、音速程度に「加減した」蹴りで意図的に圧縮された空気の壁を作り、衝撃の瞬間にタイミングを合わせて足首の曲げ伸ばしでその壁を蹴ったのだ。
一発に見えた蹴りは、実は二発。
魅琴は神為を用いず、生身で自在に空中を駆け回ることが出来るのだ。
「中々に面白い曲芸だ」
「それはどうも!」
神皇はもう一方の掌から光の柱を放出したが、魅琴は体を捻ってこれを躱し、そのまま神皇の蟀谷に蹴りを浴びせた。
更に、空中でも自在に動ける魅琴はそこから再び目にも留まらぬ連撃を繰り出す。
空中に圧縮空気の足場を作れるということは、空中でも攻撃に充分な力が伝わるということだ。
拳の、蹴りの威力はこの間も指数関数的に増大する。
「ふむ……」
防戦一方、というよりされるがままの神皇だが、尚も澄まし顔から余裕が消えていない。
既に魅琴から食らった拳・蹴りの数は百を超えている筈だが、それでも一向に崩れる様子を見せない。
それでも、次に繰り出す攻撃は今までとは比較にならない過去最大の一撃である。
十発後には千倍を超える威力になるのだ、いつかはその命に届くだろう――それが魅琴の勝算だった。
しかし、それは神皇からの反撃が魅琴に届かない場合に限る。
回し蹴りを放つ魅琴は神皇の異変に気付いた。
神皇は全身に光を纏っている。
魅琴の蹴りが到達する瞬間、その光は全方位に向けて放射され、魅琴の体を激しく屋上庭園に叩き付けた。
「ぐっ……うぅ……!」
罅割れた窪みに倒れて天を仰ぐ魅琴を、神皇は宙に浮かんだまま冷酷に見下ろしている。
百を超える、しかも都度倍々以上になっていく攻撃を受けて尚も無傷の神皇に対して、たった二発の攻撃を受けただけで魅琴は満身創痍といった様相だった。
「爾に一つ言っておこう。朕にとって、爾に止めを刺すことなど容易い」
既に神為に因る恢復も遅くなり、傷が癒えきっていない。
神皇の言葉には一切の誇張も無い、唯単なる事実なのだろう。
だが魅琴はそれでも立ち上がる。
「それでも諦めぬか」
「知り合いにどうしようも無く諦めの悪い男がいてね、私はその男に何一つとして負けることなんか無いのよ」
魅琴は傷だらけの体に鞭打ち、再び宙を舞って神皇に向かって行った。
そして機関銃の如き速度で一気に数十発もの攻撃を叩き込む。
その表情は次第に悪鬼羅刹が如き歪んだ笑みに変わっていく。
魅琴は自分の胸に強く言い聞かせ、昔の自分に戻ろうとしていた。
私は暴力の化身。
人間を壊す遊戯を至上の悦楽とする邪悪な獣。
だからもっと昂ぶれ、私の胸よ。
目の前に居るのはこの世の誰よりも壊し甲斐のある究極の玩具。
もっと残酷に、情け容赦の無い拳を。
もっと苛烈に、人道を逸脱する蹴りを。
もっと悪辣に、嗜虐を極めた連続技を。
この男の澄まし顔を崩す為に全てを注ぎ込め。
神皇・大智よ、早くその竜顔を苦痛に歪ませろ。
暴虐に屈した哀願の表情を拝ませろ。
お前の返り血の生温い感触を早く全身に浴びたい。
死の恐怖に沈むお前の絶望を見たいのだ!
早く! 早く! 早く! 早く!
秒刻み、囃される。
早く!! 早く!! 早く!! 早く!!
瞳を開け。
泣け! 叫べ!!
そして……。
「死ねええええええッッ!!」
魅琴は渾身の拳を神皇の人中に叩き込んだ。
が、衝突の瞬間に魅琴の右拳が拉げ、激しく血を噴き出した。
皮肉にも、苦痛に表情を歪ませたのは魅琴の方だった。
神皇は相変わらずの涼しい無表情で、無慈悲に掌から光を放出して魅琴を三度庭園に叩き付けた。
「ここまでのようだな」
倒れたまま息を切らす魅琴の側に、神皇はゆっくりと着地した。
「抑も、本来高い威力の拳や蹴りには相応の反発力が伴うもの。拳で顔面を殴るということは、同じ力によって顔面で拳を叩かれるに等しい。にも拘わらず、爾がこれほどまでに攻撃の威力を増大させることが出来たのは何故か。それは爾の能力に、上乗せした分の反作用力を無効化する術理が含まれていたからだ」
魅琴は壊れた自分の右手を見詰めていた。
修復される様子は無く、既に神為も尽きかけている。
そんな彼女へ、神皇は冷酷に事実を告げる。
「一方で、全ての術理とはその束縛を受け付けぬ圧倒的な力の前に破られてしまうもの。朕を始めとした皇族に術識神為の能力が通じぬのはこの論理に拠る。ではもし、そんな朕に対して一矢報いるべく、際限無く拳の威力を高め続ければどうなるか。爾自身の拳の威力は、爾の『上乗せ分の反作用力を無効化する』という能力では束縛しきれぬ程に増大し、決壊して破綻するという訳だ」
異能力による縛りを無視出来る程に強大な力を持つ神皇に対し、単純な力で凌駕しようとした魅琴の戦力は概ね正しかった。
だが一つ綻びがあったとすれば、自分の限界を、器を遙かに超える力を発揮する為には何処かでどうしても術理の補助を必要としてしまったことだろう。
だが魅琴は、それでも尚立ち上がる。
壊れた右拳は無理矢理握り、構えを取って神皇に立ち向かおうとする。
「それでも諦めぬか」
「同じ質問をされても、答えは同じに決まっている」
魅琴の瞳には尚も闘志の青い焔が燃えていた。
それは決して勝算無き捨て鉢の眼ではない。
「まだ奥の手を残しておるということか。面白い、爾の全てを此処で出し尽くしてから死ぬが良い」
神皇の挑発に応えず、魅琴はゆっくりと息を整えた。
圧倒的な暴力を恃みにしてきた彼女にとって、無防備な神皇に直撃した渾身の拳が、蹴りが、一切のダメージを与えず神皇を微動だにさせることすら出来なかったことは初めての体験だった。
しかし、予め神皇の強大な力を祖父から聞かされていた魅琴にとって、それは想定の範囲内だった。
父の死によって挫折を経験した彼女は、劣勢の、弱者の挑戦・抵抗という立場の戦いを既に受け容れている。
凜とした構え、立ち姿、視線は尚も揺るぎ無い。
(さっきまでの攻防ではっきりと解った。単純な力のぶつけ合いでは到底勝てない。此方の攻撃が多少なり効いてくれれば楽だったけれど、やはり現実は甘くない……)
魅琴が神皇に打ち込んだ拳と蹴りは合計五発、それらの感触は鉄壁に泥球をぶつけるような試みだった。
到底破壊には至るべくもない。
逆に、神皇から受けたたった一発の反撃、破壊エネルギーとしての神為の解放は、魅琴に死を予感させた。
見た目とは逆に、両者の力量差は大人と子供を通り越して恐竜と蟻、月と鼈である。
私は死ぬ――泥だらけの魅琴はそれでも構えている。
力量差は想定内――つまり、一矢報いる当てはまだある。
魅琴は今初めて、生まれて初めて自らの術識神為――特殊な術理に己が命運を託す。
人生の終わり、その集大成にと練り上げてきた能力が、今その封印を解かれる。
対する神皇は魅琴の様子から何かを察した様だが、顔色一つ変えない。
「手を隠し持っておるようだな。だが、神為を極めし皇族は己に掛けられし異能の制約――手枷足枷を難なく引き千切り、敵の纏いし異能の狡獪――抜道隠蓑を事も無く看破する。況してや朕は皇國に於ける全ての神為の真祖。稚拙な術理で己の絶対なる勝利、敵の絶対なる敗北を作り上げようなどという浅はかな考えは赤子の手を捻るより容易く捻じ伏せてくれようぞ」
神皇の小さな体が山よりも大きく見える。
魅琴は生前の祖父から一つの恐ろしい仮説を聞かされていた。
皇國の社会構造の根幹を成す「神為」という概念は、あまりにも血統に対して有利に働く構造をしている。
そして神皇の神為は、皇國全土に影響を及ぼしている。
祖父・麗真魅射が推察するに、皇國に於ける神為という概念自体が神皇によって操作され、都合良く再構築されたものではないか。
ならば、通常の枠組みどおりの神為で神皇を斃すことは到底不可能ではないか。
神皇は間違い無く巨星、不世出の傑物。
しかしそれは魅琴もまた同じである。
魅琴もまた神皇が構築した枠組みを逸脱すべく、この日この時の為の能力を自らの意志で構築した。
神為の第三段階「術識神為」、その更なる深淵へ。
己が内なる神性を識るだけでなく、更なる理解を深め、思い通りに構築する。
それは宛ら、世界の支配を脱し己の在り方を己で定めるということ。
謂わば、神皇の支配からの自由。
「全て承知の上ですよ、陛下。では御覧頂きましょう。貴方様を殺す為の、私の私に因る日本国の為の術識神為を!」
大気が震える。
魅琴の放つ威圧感が地球そのものを戦慄かせるかのようだ。
そんな中でも、神皇は相変わらず泰然、超然として佇んでいる。
魅琴は超速で神皇に飛び掛かった。
刹那にして、瞬間移動の如く間合いを詰める。
繰り出した攻撃は先ず、拳が二発。
更に、斜め上から回し蹴りと、前への蹴放しの反動で距離を取った。
四発の攻撃は相変わらず神皇に何らダメージを与えていない。
唯、彼は感心した様に嘆息した。
「ほう、こういう術理か」
「はい」
「一発目の拳より、一発目の蹴りより、二発目の拳、蹴りがそれぞれ明らかに威力を増している。察するに、前回の攻撃の破壊力を新しい攻撃に都度都度上乗せしておるな?」
「然様で御座います、陛下」
先程の四連撃は右拳・左拳・回し蹴り・蹴放しの順に繰り出された。
魅琴の術識神為はこれらの攻撃の威力を増す能力である。
つまり、二発目の左拳には一発目の右拳の威力が上乗せされ、一発分に一発分が加わり二発分の威力となる。
三発目の蹴りには一発目の右拳と二発目の左拳の威力が上乗せされ、拳一発分と二発分の威力が加わり、蹴り一発と拳三発分の威力となる。
単純化の為に十発の拳を同じ力で放ったと仮定しよう。
一発目の拳は当然拳一発分、一倍の破壊力である。
二発目の拳は一発目の一倍が加算され、二倍の破壊力となる。
三発目は一発目の一倍と二発目の二倍が加算され、四倍の破壊力となる。
計算を続けると、破壊力は倍々になっていくことが解る筈だ。
四発目は八倍、五発目は十六倍、六発目は三十二倍、と繰り返され、十発目の拳の破壊力は五百十二倍になっている。
唯でさえ強力無比な魅琴の暴力が、指数関数的に凶悪化していくのだ。
「爾は世界を壊すつもりか?」
「それまでに自分が斃れることは無い、とでも言いたげですね」
「ならばやめるか?」
「まさか。私が壊したいのは世界よりも貴方様ですよ、陛下」
魅琴は再び仕掛ける。
十数発の拳が、蹴りが、流れる様な動きで神皇に浴びせられる。
「成程、武術の心得と天稟がありおる。それも超一流、超特級の水準で」
しかし相変わらず神皇は眉一つとして微動だにしない。
それでも魅琴は打撃を叩き込み続ける。
拳速が、蹴速が、連射が段違いに加速し、機関銃の如く数十発の打撃が容赦無く降り注ぐ。
だがやはり、神皇は揺るがない。
再び掌を動かし、反撃の挙動に出る。
が、神皇の掌から光の柱が放出される瞬間、魅琴は神皇の背後に素早く回り込んだ。
そして十数発の連撃。
神皇は振り向かずにゆっくりと浮上し、宙を舞ってその場から離れた。
「躱しおったか。ならば朕も多少なり攻撃の出方を練らねばなるまい」
神皇は魅琴の遥か頭上で振り向き、両掌に光を纏う。
「爾が地上で藻掻くのみなら、朕は此処から一方的に爾を攻撃するが?」
神皇の挑発に応えず、魅琴は黙ってその場で跳び上がった。
神為で強化された跳躍力は、地上から容易く三階に飛び込む。
況してや元々の膂力が規格外の魅琴にとって、神皇の浮かぶ高さまで到達することなど訳は無い。
魅琴は拳を振るった。
だが神皇は身を翻して攻撃を躱し、回り込んで掌から力を解放して反撃する。
中空で身動きが取れなければ躱せないという算段だ。
「舐めるな!」
神皇の攻撃は魅琴に中らなかった。
魅琴は空を蹴ってその反動で移動するという、通常ではあり得ない離れ業をやってのけた。
物体の速度が音速に近付くと、空気が圧縮されて抵抗力が増す――所謂「音速の壁」と呼ばれる現象である。
魅琴はこれを利用し、音速程度に「加減した」蹴りで意図的に圧縮された空気の壁を作り、衝撃の瞬間にタイミングを合わせて足首の曲げ伸ばしでその壁を蹴ったのだ。
一発に見えた蹴りは、実は二発。
魅琴は神為を用いず、生身で自在に空中を駆け回ることが出来るのだ。
「中々に面白い曲芸だ」
「それはどうも!」
神皇はもう一方の掌から光の柱を放出したが、魅琴は体を捻ってこれを躱し、そのまま神皇の蟀谷に蹴りを浴びせた。
更に、空中でも自在に動ける魅琴はそこから再び目にも留まらぬ連撃を繰り出す。
空中に圧縮空気の足場を作れるということは、空中でも攻撃に充分な力が伝わるということだ。
拳の、蹴りの威力はこの間も指数関数的に増大する。
「ふむ……」
防戦一方、というよりされるがままの神皇だが、尚も澄まし顔から余裕が消えていない。
既に魅琴から食らった拳・蹴りの数は百を超えている筈だが、それでも一向に崩れる様子を見せない。
それでも、次に繰り出す攻撃は今までとは比較にならない過去最大の一撃である。
十発後には千倍を超える威力になるのだ、いつかはその命に届くだろう――それが魅琴の勝算だった。
しかし、それは神皇からの反撃が魅琴に届かない場合に限る。
回し蹴りを放つ魅琴は神皇の異変に気付いた。
神皇は全身に光を纏っている。
魅琴の蹴りが到達する瞬間、その光は全方位に向けて放射され、魅琴の体を激しく屋上庭園に叩き付けた。
「ぐっ……うぅ……!」
罅割れた窪みに倒れて天を仰ぐ魅琴を、神皇は宙に浮かんだまま冷酷に見下ろしている。
百を超える、しかも都度倍々以上になっていく攻撃を受けて尚も無傷の神皇に対して、たった二発の攻撃を受けただけで魅琴は満身創痍といった様相だった。
「爾に一つ言っておこう。朕にとって、爾に止めを刺すことなど容易い」
既に神為に因る恢復も遅くなり、傷が癒えきっていない。
神皇の言葉には一切の誇張も無い、唯単なる事実なのだろう。
だが魅琴はそれでも立ち上がる。
「それでも諦めぬか」
「知り合いにどうしようも無く諦めの悪い男がいてね、私はその男に何一つとして負けることなんか無いのよ」
魅琴は傷だらけの体に鞭打ち、再び宙を舞って神皇に向かって行った。
そして機関銃の如き速度で一気に数十発もの攻撃を叩き込む。
その表情は次第に悪鬼羅刹が如き歪んだ笑みに変わっていく。
魅琴は自分の胸に強く言い聞かせ、昔の自分に戻ろうとしていた。
私は暴力の化身。
人間を壊す遊戯を至上の悦楽とする邪悪な獣。
だからもっと昂ぶれ、私の胸よ。
目の前に居るのはこの世の誰よりも壊し甲斐のある究極の玩具。
もっと残酷に、情け容赦の無い拳を。
もっと苛烈に、人道を逸脱する蹴りを。
もっと悪辣に、嗜虐を極めた連続技を。
この男の澄まし顔を崩す為に全てを注ぎ込め。
神皇・大智よ、早くその竜顔を苦痛に歪ませろ。
暴虐に屈した哀願の表情を拝ませろ。
お前の返り血の生温い感触を早く全身に浴びたい。
死の恐怖に沈むお前の絶望を見たいのだ!
早く! 早く! 早く! 早く!
秒刻み、囃される。
早く!! 早く!! 早く!! 早く!!
瞳を開け。
泣け! 叫べ!!
そして……。
「死ねええええええッッ!!」
魅琴は渾身の拳を神皇の人中に叩き込んだ。
が、衝突の瞬間に魅琴の右拳が拉げ、激しく血を噴き出した。
皮肉にも、苦痛に表情を歪ませたのは魅琴の方だった。
神皇は相変わらずの涼しい無表情で、無慈悲に掌から光を放出して魅琴を三度庭園に叩き付けた。
「ここまでのようだな」
倒れたまま息を切らす魅琴の側に、神皇はゆっくりと着地した。
「抑も、本来高い威力の拳や蹴りには相応の反発力が伴うもの。拳で顔面を殴るということは、同じ力によって顔面で拳を叩かれるに等しい。にも拘わらず、爾がこれほどまでに攻撃の威力を増大させることが出来たのは何故か。それは爾の能力に、上乗せした分の反作用力を無効化する術理が含まれていたからだ」
魅琴は壊れた自分の右手を見詰めていた。
修復される様子は無く、既に神為も尽きかけている。
そんな彼女へ、神皇は冷酷に事実を告げる。
「一方で、全ての術理とはその束縛を受け付けぬ圧倒的な力の前に破られてしまうもの。朕を始めとした皇族に術識神為の能力が通じぬのはこの論理に拠る。ではもし、そんな朕に対して一矢報いるべく、際限無く拳の威力を高め続ければどうなるか。爾自身の拳の威力は、爾の『上乗せ分の反作用力を無効化する』という能力では束縛しきれぬ程に増大し、決壊して破綻するという訳だ」
異能力による縛りを無視出来る程に強大な力を持つ神皇に対し、単純な力で凌駕しようとした魅琴の戦力は概ね正しかった。
だが一つ綻びがあったとすれば、自分の限界を、器を遙かに超える力を発揮する為には何処かでどうしても術理の補助を必要としてしまったことだろう。
だが魅琴は、それでも尚立ち上がる。
壊れた右拳は無理矢理握り、構えを取って神皇に立ち向かおうとする。
「それでも諦めぬか」
「同じ質問をされても、答えは同じに決まっている」
魅琴の瞳には尚も闘志の青い焔が燃えていた。
それは決して勝算無き捨て鉢の眼ではない。
「まだ奥の手を残しておるということか。面白い、爾の全てを此処で出し尽くしてから死ぬが良い」
神皇の挑発に応えず、魅琴はゆっくりと息を整えた。
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淡々と世話をしてくれるリンリーに、アッシュは次第に心を開いていった。
神樹の里で暮らす創造魔法使い ~幻獣たちとののんびりライフ~
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貧乏な田舎村を追い出された少年〝シント〟は森の中をあてどなくさまよい一本の新木を発見する。
それは本当に小さな新木だったがかすかな光を帯びた不思議な木。
彼が不思議そうに新木を見つめているとそこから『私に魔法をかけてほしい』という声が聞こえた。
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〝この地はあなたが創造した聖地。あなたがこの地を去らない限りこの地を必要とするもの以外は誰も踏み入れませんよ〟
そんな言葉から始まるシントののんびりとした生活。
同じように行き場を失った少女や幻獣や精霊、妖精たちなど様々な面々が集まり織りなすスローライフの幕開けです。
※この小説はカクヨム様でも連載しています。アルファポリス様とカクヨム様以外の場所では公開しておりません。
最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。
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高校2年の夏。
高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。
地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。
しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。
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