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第二章『神皇篇』
第五十二話『散華』 急
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庭園はボロボロになっていた。
神為による攻撃は、破壊したい対象以外に影響を及ぼさない。
従って、仮令地球そのものを破壊する程のエネルギーを放出したとしても、破壊する対象が一人の人間であれば、その人間以外は一切破壊しない。
よって、神皇の攻撃そのものは魅琴だけにダメージを与えているが、攻撃によって吹き飛ばされた魅琴の体が庭園に叩き付けられた為、その損傷を三回負ったのだ。
魅琴は今、傷だらけで神皇を前に構えている。
右拳は増大させすぎた自らの破壊力に耐え切れず、既に拉げてしまっている。
ここから先は、一発毎に攻撃を繰り出した手や足が使い物にならなくなるだろう。
だがそれでも、魅琴に戦いをやめる選択肢は無い。
壊れた右拳をも動員し、彼女は神皇に最後の攻撃を掛けようとしていた。
(私の戦術が破綻したと、そう思っているのか。とんでもない。ここまではまだ想定の範囲内。こんなこともあろうかと、私はまだ奥の手を残している)
神皇に指摘された、拳や蹴りの破壊力が術識神為の能力による反動の無効化の許容量を超える可能性など、魅琴はとうに承知していた。
この能力は彼女自身が自分の意志で組み上げたものである。
故にその欠点も熟知しているし、対策として更なる手段も組み上げていた。
(十、百、百、千ってところか……)
魅琴は自身の四肢と相談し、一つの方針を立てた。
彼女が心の中で唱えた数字が何を意味するのか、それはこれから判るだろう。
唯一つ、これが玉砕覚悟、捨て身の攻撃になることだけは確かだ。
(右腕はもう駄目だ。最初に棄てる。そこから先は左拳、右脚、左脚で私の全てを出し尽くす!)
魅琴は今まで世話になった人々の顔を一人ずつ思い浮かべる。
御爺様、貴方の宿願は必ず果たします。
私の命に代えても偽りの帝を討ち、日本を守ります。
務めを立派に全うして散華する様をどうか見届けてください。
御父様、貴方は私をこんな場所へ送りたくなどなかった、その愛情を注いでくださってありがとうございます。
ごめんなさい。
でも私はこれを選んで後悔が無い程に、貴方の御陰で幸せだったのです。
御母様、反発ばかりの我儘娘でごめんなさい。
最後まで貴女には頼りっぱなしでした。
御父様を蔑ろにしたことは許せないけれど、貴女の生き方への尊敬の念は確かにありました。
根尾さん、白檀さん、こんな私を気に掛けてくれて、色々助けてくださってありがとうございます。
常識知らずの莫迦娘が散々振り回してごめんなさい。
水徒端さん、龍乃神殿下、十桐さん、灰祇院さん、私の大切な人達を帰国させる為に御尽力くださってありがとうございます。
その御恩、仇で返してしまうことを許せとは言いません。
私には私の守るべきものがある。
全てが終わった後、どうか皆さんに幸多き人生があらんことを。
虎駕君、早く帰国させてあげられなくて本当にごめんなさい。
私は貴方を責めることなんて出来ないわ。
私にとって貴方は今でも世界を広げてくれた大切な人の一人よ。
その貴方を守れなかったこと、悔やんでも悔やみきれない。
久住さん、私と仲良くしてくれて、色々な話をしてくれて本当にありがとう。
貴女が航に思いを寄せていること、何となく気付いていたわ。
私の為に遠慮させてしまってごめんなさい。
どうか彼のことを支えてあげてね。
そして、航。
貴方への感謝はもう何度も何度も繰り返したけれど、最後にもう一度だけ。
私、貴方を守る為なら死んだって構わないの。
あんなことをしておいて難だけれど、この想いだけは真実よ。
貴方のことを想えば、私はいくらでも強くなれるから、何だって出来るから。
だから航、私に最後の、貴方達を守る為の最後の力を貸して!
「行くぞ! 神皇ォォォッッ!!」
魅琴は気勢を上げて神皇に向かって飛び掛かった。
玉砕の覚悟を決めた、凄まじい気迫と速度だ。
大気が震え、魅琴の潰れた右拳が唸りを上げる。
『十倍速!!』
ここへ来て、魅琴は奥の手を使った。
魅琴の繰り出した右拳は唯の一撃ではない。
十倍速の名の通り、これは十発分の拳の前借りである。
同じ攻撃を既に九発繰り出したものとして、十発分の威力がこの右拳には乗せられる。
この右拳の破壊力は、前回の二倍ではなく二の十乗――一〇二四倍。
当然、神皇に炸裂した瞬間、右腕は唯では済まない。
魅琴の右腕は肘まで圧し折れ、無残な形に曲がって其処彼処から血が噴き出している。
通常、この様なことをする意味は無い。
同じ破壊力が欲しければ、十回攻撃すれば良いだけだ。
これは今の様に、魅琴の四肢が壊れてしまう程に破壊力が増してしまった場合を想定したものだ。
魅琴は苦痛に顔を歪めたが、それでも手を緩めない。
すぐさま左拳を繰り出し更に無茶な上乗せを決行する。
『百倍速!!』
衝撃の瞬間、魅琴の左腕は肩まで御釈迦になった。
百倍ということは、百発分の前借りである。
威力は単純計算で一二六七六五〇六〇〇二二八二二九四〇一四九六七〇三二〇五三七六倍――丸めて百穣倍以上――即ち一千兆倍のそのまた一千兆倍以上である。
「成程、こういう手で来おるか……」
だがそれでも、神皇は一切調子を変えない。
ここまでやっても尚、神皇の命までは光年単位の距離があるというのか。
「アアアアアアアッッ!!」
魅琴は叫びながら跳び上がって右の回し蹴りを繰り出す。
この一発で右脚も壊れてしまうので、最後の蹴りは軸足で支えられない。
そこで、最後の左脚を使う為に予め連続攻撃の予備動作にも既に出ている。
『百倍速!!』
右腿がズタズタに引き裂かれ、大量の血が噴き出す。
腿には大腿動脈といって大動脈から直接枝分かれした重要な血管が通っている。
おそらく、これは致命傷。
この最後の三発だけで、攻撃の破壊力は一千那由他倍に達している。
「ガアアアアアアアアッッ!!」
魅琴は人間離れした声を張り上げ、空中で腰を捻って最後の攻撃に出る。
残された左脚の蹴り、これに己の命・愛・誇り・生き様……その全てを込めて舞う。
『千倍速!!』
筆舌に尽くし難い破壊の暴が神皇に叩き付けられた。
しかしその代償はあまりにも絶大にして、生み出される光景の酸鼻もまた、如何なる筆致によっても描き切るには及ばないだろう。
蹴撃が炸裂する瞬間、魅琴の全身が破裂する様に血を打ち撒けた。
彼女の人生の千秋樂に、万雷の喝采と共に投げ込まれた大量の薔薇の花束。
鮮血に紅く染まる視界の中、魅琴は何一つ変わらぬ神皇の顔を見ながら彼の足元に崩れ落ちた。
大量の血溜りが神皇の足下を避けて拡がっていく。
「爾が朕を討つ為、如何程の研鑽を積み力を鍛え上げたか見てみたかった……」
まだ息がある魅琴に対し、神皇は餞の言葉を贈るにしては実に冷めた口調で言い聞かせる。
「結果、想像以上であった。美事と言う他無い。誠に天晴れである」
称賛の言葉、それは裏を返せば余裕の表われた上から目線の言葉である。
その態度自体が魅琴の人生を、使命を、覚悟を、全てを虚無へと追い遣る残酷極まり無いものだ。
魅琴の開かれた目から大粒の涙が流れ、血と混ざり合う。
神皇はそんな彼女を見下ろしつつ、言葉を続ける。
「その絶望こそ、朕に仇なす者が等しく与えられるべきものである。爾の戦い振り、命を懸けた想いは必ずや称賛と共に語り広めよう。その中で、明治日本の民は爾の計り知れぬ無念をも察するであろう。矜持の崩壊をも知るであろう。人生の虚無をも感ずるであろう。そして朕の臣民として繁栄に取り込まれる中で、爾は愚昧の象徴となるのだ」
月明かりが逆行となり、神皇の竜顔に暗い影が落ちる。
冷厳なる両の眼だけが金色の光を帯び、底知れぬ深淵の中から覗き込むが如く、死に往く魅琴に冷酷なる視線を注いでいた。
「朕の力を以てすれば、皇國の統治を善しとせぬ者共を誅するは容易きこと。その気になれば今この瞬間にも叛逆者共を蟻の一匹とて残さず鏖殺出来る。だが、朕は敢えてそうはせぬ。叛逆者の始末は警察に、軍に、貴族に任せておる。そうすれば奴原は真綿の錦で首を絞むるが如く塗炭の苦しみに溺れ、臣民達の憎悪と侮蔑の中で一人また一人とひっそり消えていくであろう」
魅琴の耳に神皇の声がいやにはっきりと聞こえる。
聞かされているのだろうか。
「従う多くの者には夢幻の豊穣と安寧を与えて興し、その光明で照らし続ける。服わぬ僅かな者には無間の汚辱と絶望を与えて残し、その闇黒に沈め続ける。遍く民に恭順の利と叛逆の愚を知らしめ続け、千代に八千代に絶対不破の頑強なる國體にて統治することこそ、朕の君主論である。爾もまた、その一例として皇國の礎となり、漆黒の絶望を存分に噛み締めながら死ぬが良い」
神皇はゆっくりと右手を挙げた。
大量出血で死を待つばかりの魅琴に、敢えて止めを刺そうというのか。
だが、その掌は真横に向けられた。
丁度、帝嘗本社の屋内へと向けられている。
「ところで、爾は気付いておらぬようだが、頼もしい助っ人がこの場に潜んでおった様だぞ。今の様に危うくなった折に助け船を出すつもりであったか?」
魅琴にはまるで見当が付かない。
神皇は無情に、右掌から光の柱を放出して庭園の出入り口を攻撃した。
建物は破壊されないが、潜んでいた何者かが餌食となったようだ。
魅琴はここで初めて、小さな一つの命が一気に風前の灯火へと追い込まれる気配を感じた。
「ふむ……」
神皇は魅琴の首根っこを掴むと、高々と彼女の体を担ぎ上げた。
まるで見せ付ける様に、見るも無残な姿となった彼女が伏兵に対して曝される。
魅琴は呻き声を漏らしながら、倒れ伏す小さな少年の姿を眼に焼き付けた。
潜んでいたのは雲野幽鷹――その小さな身体が煙を上げ、瀕死の重傷を負って倒れていた。
「幽鷹……君……。どうし……て……?」
「どうやら朕の複製人間のようだな。あわよくば爾に神為を貸与し、希望を繋ごうと考えたか。生み出されし所業の悍ましきこと不届千万。存在そのものが不愉快極まる」
神皇は襤褸雑巾の様な魅琴の体を乱暴に放り投げ、幽鷹の傍らに打ち捨てた。
確実な死を待つばかりの二人の目が互い違いに見詰め合う。
そんな二人に、神皇は情け容赦無く追い打ちを掛けんと、今一度右掌を突き出した。
「纏めて消えよ。己が守らんと冀う想い、叶わぬという漆黒の絶望を胸に抱いて」
神皇の非情な死刑宣告の中、魅琴と幽鷹の両眼は溢れる涙で潤んでいた。
神為による攻撃は、破壊したい対象以外に影響を及ぼさない。
従って、仮令地球そのものを破壊する程のエネルギーを放出したとしても、破壊する対象が一人の人間であれば、その人間以外は一切破壊しない。
よって、神皇の攻撃そのものは魅琴だけにダメージを与えているが、攻撃によって吹き飛ばされた魅琴の体が庭園に叩き付けられた為、その損傷を三回負ったのだ。
魅琴は今、傷だらけで神皇を前に構えている。
右拳は増大させすぎた自らの破壊力に耐え切れず、既に拉げてしまっている。
ここから先は、一発毎に攻撃を繰り出した手や足が使い物にならなくなるだろう。
だがそれでも、魅琴に戦いをやめる選択肢は無い。
壊れた右拳をも動員し、彼女は神皇に最後の攻撃を掛けようとしていた。
(私の戦術が破綻したと、そう思っているのか。とんでもない。ここまではまだ想定の範囲内。こんなこともあろうかと、私はまだ奥の手を残している)
神皇に指摘された、拳や蹴りの破壊力が術識神為の能力による反動の無効化の許容量を超える可能性など、魅琴はとうに承知していた。
この能力は彼女自身が自分の意志で組み上げたものである。
故にその欠点も熟知しているし、対策として更なる手段も組み上げていた。
(十、百、百、千ってところか……)
魅琴は自身の四肢と相談し、一つの方針を立てた。
彼女が心の中で唱えた数字が何を意味するのか、それはこれから判るだろう。
唯一つ、これが玉砕覚悟、捨て身の攻撃になることだけは確かだ。
(右腕はもう駄目だ。最初に棄てる。そこから先は左拳、右脚、左脚で私の全てを出し尽くす!)
魅琴は今まで世話になった人々の顔を一人ずつ思い浮かべる。
御爺様、貴方の宿願は必ず果たします。
私の命に代えても偽りの帝を討ち、日本を守ります。
務めを立派に全うして散華する様をどうか見届けてください。
御父様、貴方は私をこんな場所へ送りたくなどなかった、その愛情を注いでくださってありがとうございます。
ごめんなさい。
でも私はこれを選んで後悔が無い程に、貴方の御陰で幸せだったのです。
御母様、反発ばかりの我儘娘でごめんなさい。
最後まで貴女には頼りっぱなしでした。
御父様を蔑ろにしたことは許せないけれど、貴女の生き方への尊敬の念は確かにありました。
根尾さん、白檀さん、こんな私を気に掛けてくれて、色々助けてくださってありがとうございます。
常識知らずの莫迦娘が散々振り回してごめんなさい。
水徒端さん、龍乃神殿下、十桐さん、灰祇院さん、私の大切な人達を帰国させる為に御尽力くださってありがとうございます。
その御恩、仇で返してしまうことを許せとは言いません。
私には私の守るべきものがある。
全てが終わった後、どうか皆さんに幸多き人生があらんことを。
虎駕君、早く帰国させてあげられなくて本当にごめんなさい。
私は貴方を責めることなんて出来ないわ。
私にとって貴方は今でも世界を広げてくれた大切な人の一人よ。
その貴方を守れなかったこと、悔やんでも悔やみきれない。
久住さん、私と仲良くしてくれて、色々な話をしてくれて本当にありがとう。
貴女が航に思いを寄せていること、何となく気付いていたわ。
私の為に遠慮させてしまってごめんなさい。
どうか彼のことを支えてあげてね。
そして、航。
貴方への感謝はもう何度も何度も繰り返したけれど、最後にもう一度だけ。
私、貴方を守る為なら死んだって構わないの。
あんなことをしておいて難だけれど、この想いだけは真実よ。
貴方のことを想えば、私はいくらでも強くなれるから、何だって出来るから。
だから航、私に最後の、貴方達を守る為の最後の力を貸して!
「行くぞ! 神皇ォォォッッ!!」
魅琴は気勢を上げて神皇に向かって飛び掛かった。
玉砕の覚悟を決めた、凄まじい気迫と速度だ。
大気が震え、魅琴の潰れた右拳が唸りを上げる。
『十倍速!!』
ここへ来て、魅琴は奥の手を使った。
魅琴の繰り出した右拳は唯の一撃ではない。
十倍速の名の通り、これは十発分の拳の前借りである。
同じ攻撃を既に九発繰り出したものとして、十発分の威力がこの右拳には乗せられる。
この右拳の破壊力は、前回の二倍ではなく二の十乗――一〇二四倍。
当然、神皇に炸裂した瞬間、右腕は唯では済まない。
魅琴の右腕は肘まで圧し折れ、無残な形に曲がって其処彼処から血が噴き出している。
通常、この様なことをする意味は無い。
同じ破壊力が欲しければ、十回攻撃すれば良いだけだ。
これは今の様に、魅琴の四肢が壊れてしまう程に破壊力が増してしまった場合を想定したものだ。
魅琴は苦痛に顔を歪めたが、それでも手を緩めない。
すぐさま左拳を繰り出し更に無茶な上乗せを決行する。
『百倍速!!』
衝撃の瞬間、魅琴の左腕は肩まで御釈迦になった。
百倍ということは、百発分の前借りである。
威力は単純計算で一二六七六五〇六〇〇二二八二二九四〇一四九六七〇三二〇五三七六倍――丸めて百穣倍以上――即ち一千兆倍のそのまた一千兆倍以上である。
「成程、こういう手で来おるか……」
だがそれでも、神皇は一切調子を変えない。
ここまでやっても尚、神皇の命までは光年単位の距離があるというのか。
「アアアアアアアッッ!!」
魅琴は叫びながら跳び上がって右の回し蹴りを繰り出す。
この一発で右脚も壊れてしまうので、最後の蹴りは軸足で支えられない。
そこで、最後の左脚を使う為に予め連続攻撃の予備動作にも既に出ている。
『百倍速!!』
右腿がズタズタに引き裂かれ、大量の血が噴き出す。
腿には大腿動脈といって大動脈から直接枝分かれした重要な血管が通っている。
おそらく、これは致命傷。
この最後の三発だけで、攻撃の破壊力は一千那由他倍に達している。
「ガアアアアアアアアッッ!!」
魅琴は人間離れした声を張り上げ、空中で腰を捻って最後の攻撃に出る。
残された左脚の蹴り、これに己の命・愛・誇り・生き様……その全てを込めて舞う。
『千倍速!!』
筆舌に尽くし難い破壊の暴が神皇に叩き付けられた。
しかしその代償はあまりにも絶大にして、生み出される光景の酸鼻もまた、如何なる筆致によっても描き切るには及ばないだろう。
蹴撃が炸裂する瞬間、魅琴の全身が破裂する様に血を打ち撒けた。
彼女の人生の千秋樂に、万雷の喝采と共に投げ込まれた大量の薔薇の花束。
鮮血に紅く染まる視界の中、魅琴は何一つ変わらぬ神皇の顔を見ながら彼の足元に崩れ落ちた。
大量の血溜りが神皇の足下を避けて拡がっていく。
「爾が朕を討つ為、如何程の研鑽を積み力を鍛え上げたか見てみたかった……」
まだ息がある魅琴に対し、神皇は餞の言葉を贈るにしては実に冷めた口調で言い聞かせる。
「結果、想像以上であった。美事と言う他無い。誠に天晴れである」
称賛の言葉、それは裏を返せば余裕の表われた上から目線の言葉である。
その態度自体が魅琴の人生を、使命を、覚悟を、全てを虚無へと追い遣る残酷極まり無いものだ。
魅琴の開かれた目から大粒の涙が流れ、血と混ざり合う。
神皇はそんな彼女を見下ろしつつ、言葉を続ける。
「その絶望こそ、朕に仇なす者が等しく与えられるべきものである。爾の戦い振り、命を懸けた想いは必ずや称賛と共に語り広めよう。その中で、明治日本の民は爾の計り知れぬ無念をも察するであろう。矜持の崩壊をも知るであろう。人生の虚無をも感ずるであろう。そして朕の臣民として繁栄に取り込まれる中で、爾は愚昧の象徴となるのだ」
月明かりが逆行となり、神皇の竜顔に暗い影が落ちる。
冷厳なる両の眼だけが金色の光を帯び、底知れぬ深淵の中から覗き込むが如く、死に往く魅琴に冷酷なる視線を注いでいた。
「朕の力を以てすれば、皇國の統治を善しとせぬ者共を誅するは容易きこと。その気になれば今この瞬間にも叛逆者共を蟻の一匹とて残さず鏖殺出来る。だが、朕は敢えてそうはせぬ。叛逆者の始末は警察に、軍に、貴族に任せておる。そうすれば奴原は真綿の錦で首を絞むるが如く塗炭の苦しみに溺れ、臣民達の憎悪と侮蔑の中で一人また一人とひっそり消えていくであろう」
魅琴の耳に神皇の声がいやにはっきりと聞こえる。
聞かされているのだろうか。
「従う多くの者には夢幻の豊穣と安寧を与えて興し、その光明で照らし続ける。服わぬ僅かな者には無間の汚辱と絶望を与えて残し、その闇黒に沈め続ける。遍く民に恭順の利と叛逆の愚を知らしめ続け、千代に八千代に絶対不破の頑強なる國體にて統治することこそ、朕の君主論である。爾もまた、その一例として皇國の礎となり、漆黒の絶望を存分に噛み締めながら死ぬが良い」
神皇はゆっくりと右手を挙げた。
大量出血で死を待つばかりの魅琴に、敢えて止めを刺そうというのか。
だが、その掌は真横に向けられた。
丁度、帝嘗本社の屋内へと向けられている。
「ところで、爾は気付いておらぬようだが、頼もしい助っ人がこの場に潜んでおった様だぞ。今の様に危うくなった折に助け船を出すつもりであったか?」
魅琴にはまるで見当が付かない。
神皇は無情に、右掌から光の柱を放出して庭園の出入り口を攻撃した。
建物は破壊されないが、潜んでいた何者かが餌食となったようだ。
魅琴はここで初めて、小さな一つの命が一気に風前の灯火へと追い込まれる気配を感じた。
「ふむ……」
神皇は魅琴の首根っこを掴むと、高々と彼女の体を担ぎ上げた。
まるで見せ付ける様に、見るも無残な姿となった彼女が伏兵に対して曝される。
魅琴は呻き声を漏らしながら、倒れ伏す小さな少年の姿を眼に焼き付けた。
潜んでいたのは雲野幽鷹――その小さな身体が煙を上げ、瀕死の重傷を負って倒れていた。
「幽鷹……君……。どうし……て……?」
「どうやら朕の複製人間のようだな。あわよくば爾に神為を貸与し、希望を繋ごうと考えたか。生み出されし所業の悍ましきこと不届千万。存在そのものが不愉快極まる」
神皇は襤褸雑巾の様な魅琴の体を乱暴に放り投げ、幽鷹の傍らに打ち捨てた。
確実な死を待つばかりの二人の目が互い違いに見詰め合う。
そんな二人に、神皇は情け容赦無く追い打ちを掛けんと、今一度右掌を突き出した。
「纏めて消えよ。己が守らんと冀う想い、叶わぬという漆黒の絶望を胸に抱いて」
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