169 / 315
第二章『神皇篇』
第五十二話『散華』 急
しおりを挟む
庭園はボロボロになっていた。
神為による攻撃は、破壊したい対象以外に影響を及ぼさない。
従って、仮令地球そのものを破壊する程のエネルギーを放出したとしても、破壊する対象が一人の人間であれば、その人間以外は一切破壊しない。
よって、神皇の攻撃そのものは魅琴だけにダメージを与えているが、攻撃によって吹き飛ばされた魅琴の体が庭園に叩き付けられた為、その損傷を三回負ったのだ。
魅琴は今、傷だらけで神皇を前に構えている。
右拳は増大させすぎた自らの破壊力に耐え切れず、既に拉げてしまっている。
ここから先は、一発毎に攻撃を繰り出した手や足が使い物にならなくなるだろう。
だがそれでも、魅琴に戦いをやめる選択肢は無い。
壊れた右拳をも動員し、彼女は神皇に最後の攻撃を掛けようとしていた。
(私の戦術が破綻したと、そう思っているのか。とんでもない。ここまではまだ想定の範囲内。こんなこともあろうかと、私はまだ奥の手を残している)
神皇に指摘された、拳や蹴りの破壊力が術識神為の能力による反動の無効化の許容量を超える可能性など、魅琴はとうに承知していた。
この能力は彼女自身が自分の意志で組み上げたものである。
故にその欠点も熟知しているし、対策として更なる手段も組み上げていた。
(十、百、百、千ってところか……)
魅琴は自身の四肢と相談し、一つの方針を立てた。
彼女が心の中で唱えた数字が何を意味するのか、それはこれから判るだろう。
唯一つ、これが玉砕覚悟、捨て身の攻撃になることだけは確かだ。
(右腕はもう駄目だ。最初に棄てる。そこから先は左拳、右脚、左脚で私の全てを出し尽くす!)
魅琴は今まで世話になった人々の顔を一人ずつ思い浮かべる。
御爺様、貴方の宿願は必ず果たします。
私の命に代えても偽りの帝を討ち、日本を守ります。
務めを立派に全うして散華する様をどうか見届けてください。
御父様、貴方は私をこんな場所へ送りたくなどなかった、その愛情を注いでくださってありがとうございます。
ごめんなさい。
でも私はこれを選んで後悔が無い程に、貴方の御陰で幸せだったのです。
御母様、反発ばかりの我儘娘でごめんなさい。
最後まで貴女には頼りっぱなしでした。
御父様を蔑ろにしたことは許せないけれど、貴女の生き方への尊敬の念は確かにありました。
根尾さん、白檀さん、こんな私を気に掛けてくれて、色々助けてくださってありがとうございます。
常識知らずの莫迦娘が散々振り回してごめんなさい。
水徒端さん、龍乃神殿下、十桐さん、灰祇院さん、私の大切な人達を帰国させる為に御尽力くださってありがとうございます。
その御恩、仇で返してしまうことを許せとは言いません。
私には私の守るべきものがある。
全てが終わった後、どうか皆さんに幸多き人生があらんことを。
虎駕君、早く帰国させてあげられなくて本当にごめんなさい。
私は貴方を責めることなんて出来ないわ。
私にとって貴方は今でも世界を広げてくれた大切な人の一人よ。
その貴方を守れなかったこと、悔やんでも悔やみきれない。
久住さん、私と仲良くしてくれて、色々な話をしてくれて本当にありがとう。
貴女が航に思いを寄せていること、何となく気付いていたわ。
私の為に遠慮させてしまってごめんなさい。
どうか彼のことを支えてあげてね。
そして、航。
貴方への感謝はもう何度も何度も繰り返したけれど、最後にもう一度だけ。
私、貴方を守る為なら死んだって構わないの。
あんなことをしておいて難だけれど、この想いだけは真実よ。
貴方のことを想えば、私はいくらでも強くなれるから、何だって出来るから。
だから航、私に最後の、貴方達を守る為の最後の力を貸して!
「行くぞ! 神皇ォォォッッ!!」
魅琴は気勢を上げて神皇に向かって飛び掛かった。
玉砕の覚悟を決めた、凄まじい気迫と速度だ。
大気が震え、魅琴の潰れた右拳が唸りを上げる。
『十倍速!!』
ここへ来て、魅琴は奥の手を使った。
魅琴の繰り出した右拳は唯の一撃ではない。
十倍速の名の通り、これは十発分の拳の前借りである。
同じ攻撃を既に九発繰り出したものとして、十発分の威力がこの右拳には乗せられる。
この右拳の破壊力は、前回の二倍ではなく二の十乗――一〇二四倍。
当然、神皇に炸裂した瞬間、右腕は唯では済まない。
魅琴の右腕は肘まで圧し折れ、無残な形に曲がって其処彼処から血が噴き出している。
通常、この様なことをする意味は無い。
同じ破壊力が欲しければ、十回攻撃すれば良いだけだ。
これは今の様に、魅琴の四肢が壊れてしまう程に破壊力が増してしまった場合を想定したものだ。
魅琴は苦痛に顔を歪めたが、それでも手を緩めない。
すぐさま左拳を繰り出し更に無茶な上乗せを決行する。
『百倍速!!』
衝撃の瞬間、魅琴の左腕は肩まで御釈迦になった。
百倍ということは、百発分の前借りである。
威力は単純計算で一二六七六五〇六〇〇二二八二二九四〇一四九六七〇三二〇五三七六倍――丸めて百穣倍以上――即ち一千兆倍のそのまた一千兆倍以上である。
「成程、こういう手で来おるか……」
だがそれでも、神皇は一切調子を変えない。
ここまでやっても尚、神皇の命までは光年単位の距離があるというのか。
「アアアアアアアッッ!!」
魅琴は叫びながら跳び上がって右の回し蹴りを繰り出す。
この一発で右脚も壊れてしまうので、最後の蹴りは軸足で支えられない。
そこで、最後の左脚を使う為に予め連続攻撃の予備動作にも既に出ている。
『百倍速!!』
右腿がズタズタに引き裂かれ、大量の血が噴き出す。
腿には大腿動脈といって大動脈から直接枝分かれした重要な血管が通っている。
おそらく、これは致命傷。
この最後の三発だけで、攻撃の破壊力は一千那由他倍に達している。
「ガアアアアアアアアッッ!!」
魅琴は人間離れした声を張り上げ、空中で腰を捻って最後の攻撃に出る。
残された左脚の蹴り、これに己の命・愛・誇り・生き様……その全てを込めて舞う。
『千倍速!!』
筆舌に尽くし難い破壊の暴が神皇に叩き付けられた。
しかしその代償はあまりにも絶大にして、生み出される光景の酸鼻もまた、如何なる筆致によっても描き切るには及ばないだろう。
蹴撃が炸裂する瞬間、魅琴の全身が破裂する様に血を打ち撒けた。
彼女の人生の千秋樂に、万雷の喝采と共に投げ込まれた大量の薔薇の花束。
鮮血に紅く染まる視界の中、魅琴は何一つ変わらぬ神皇の顔を見ながら彼の足元に崩れ落ちた。
大量の血溜りが神皇の足下を避けて拡がっていく。
「爾が朕を討つ為、如何程の研鑽を積み力を鍛え上げたか見てみたかった……」
まだ息がある魅琴に対し、神皇は餞の言葉を贈るにしては実に冷めた口調で言い聞かせる。
「結果、想像以上であった。美事と言う他無い。誠に天晴れである」
称賛の言葉、それは裏を返せば余裕の表われた上から目線の言葉である。
その態度自体が魅琴の人生を、使命を、覚悟を、全てを虚無へと追い遣る残酷極まり無いものだ。
魅琴の開かれた目から大粒の涙が流れ、血と混ざり合う。
神皇はそんな彼女を見下ろしつつ、言葉を続ける。
「その絶望こそ、朕に仇なす者が等しく与えられるべきものである。爾の戦い振り、命を懸けた想いは必ずや称賛と共に語り広めよう。その中で、明治日本の民は爾の計り知れぬ無念をも察するであろう。矜持の崩壊をも知るであろう。人生の虚無をも感ずるであろう。そして朕の臣民として繁栄に取り込まれる中で、爾は愚昧の象徴となるのだ」
月明かりが逆行となり、神皇の竜顔に暗い影が落ちる。
冷厳なる両の眼だけが金色の光を帯び、底知れぬ深淵の中から覗き込むが如く、死に往く魅琴に冷酷なる視線を注いでいた。
「朕の力を以てすれば、皇國の統治を善しとせぬ者共を誅するは容易きこと。その気になれば今この瞬間にも叛逆者共を蟻の一匹とて残さず鏖殺出来る。だが、朕は敢えてそうはせぬ。叛逆者の始末は警察に、軍に、貴族に任せておる。そうすれば奴原は真綿の錦で首を絞むるが如く塗炭の苦しみに溺れ、臣民達の憎悪と侮蔑の中で一人また一人とひっそり消えていくであろう」
魅琴の耳に神皇の声がいやにはっきりと聞こえる。
聞かされているのだろうか。
「従う多くの者には夢幻の豊穣と安寧を与えて興し、その光明で照らし続ける。服わぬ僅かな者には無間の汚辱と絶望を与えて残し、その闇黒に沈め続ける。遍く民に恭順の利と叛逆の愚を知らしめ続け、千代に八千代に絶対不破の頑強なる國體にて統治することこそ、朕の君主論である。爾もまた、その一例として皇國の礎となり、漆黒の絶望を存分に噛み締めながら死ぬが良い」
神皇はゆっくりと右手を挙げた。
大量出血で死を待つばかりの魅琴に、敢えて止めを刺そうというのか。
だが、その掌は真横に向けられた。
丁度、帝嘗本社の屋内へと向けられている。
「ところで、爾は気付いておらぬようだが、頼もしい助っ人がこの場に潜んでおった様だぞ。今の様に危うくなった折に助け船を出すつもりであったか?」
魅琴にはまるで見当が付かない。
神皇は無情に、右掌から光の柱を放出して庭園の出入り口を攻撃した。
建物は破壊されないが、潜んでいた何者かが餌食となったようだ。
魅琴はここで初めて、小さな一つの命が一気に風前の灯火へと追い込まれる気配を感じた。
「ふむ……」
神皇は魅琴の首根っこを掴むと、高々と彼女の体を担ぎ上げた。
まるで見せ付ける様に、見るも無残な姿となった彼女が伏兵に対して曝される。
魅琴は呻き声を漏らしながら、倒れ伏す小さな少年の姿を眼に焼き付けた。
潜んでいたのは雲野幽鷹――その小さな身体が煙を上げ、瀕死の重傷を負って倒れていた。
「幽鷹……君……。どうし……て……?」
「どうやら朕の複製人間のようだな。あわよくば爾に神為を貸与し、希望を繋ごうと考えたか。生み出されし所業の悍ましきこと不届千万。存在そのものが不愉快極まる」
神皇は襤褸雑巾の様な魅琴の体を乱暴に放り投げ、幽鷹の傍らに打ち捨てた。
確実な死を待つばかりの二人の目が互い違いに見詰め合う。
そんな二人に、神皇は情け容赦無く追い打ちを掛けんと、今一度右掌を突き出した。
「纏めて消えよ。己が守らんと冀う想い、叶わぬという漆黒の絶望を胸に抱いて」
神皇の非情な死刑宣告の中、魅琴と幽鷹の両眼は溢れる涙で潤んでいた。
神為による攻撃は、破壊したい対象以外に影響を及ぼさない。
従って、仮令地球そのものを破壊する程のエネルギーを放出したとしても、破壊する対象が一人の人間であれば、その人間以外は一切破壊しない。
よって、神皇の攻撃そのものは魅琴だけにダメージを与えているが、攻撃によって吹き飛ばされた魅琴の体が庭園に叩き付けられた為、その損傷を三回負ったのだ。
魅琴は今、傷だらけで神皇を前に構えている。
右拳は増大させすぎた自らの破壊力に耐え切れず、既に拉げてしまっている。
ここから先は、一発毎に攻撃を繰り出した手や足が使い物にならなくなるだろう。
だがそれでも、魅琴に戦いをやめる選択肢は無い。
壊れた右拳をも動員し、彼女は神皇に最後の攻撃を掛けようとしていた。
(私の戦術が破綻したと、そう思っているのか。とんでもない。ここまではまだ想定の範囲内。こんなこともあろうかと、私はまだ奥の手を残している)
神皇に指摘された、拳や蹴りの破壊力が術識神為の能力による反動の無効化の許容量を超える可能性など、魅琴はとうに承知していた。
この能力は彼女自身が自分の意志で組み上げたものである。
故にその欠点も熟知しているし、対策として更なる手段も組み上げていた。
(十、百、百、千ってところか……)
魅琴は自身の四肢と相談し、一つの方針を立てた。
彼女が心の中で唱えた数字が何を意味するのか、それはこれから判るだろう。
唯一つ、これが玉砕覚悟、捨て身の攻撃になることだけは確かだ。
(右腕はもう駄目だ。最初に棄てる。そこから先は左拳、右脚、左脚で私の全てを出し尽くす!)
魅琴は今まで世話になった人々の顔を一人ずつ思い浮かべる。
御爺様、貴方の宿願は必ず果たします。
私の命に代えても偽りの帝を討ち、日本を守ります。
務めを立派に全うして散華する様をどうか見届けてください。
御父様、貴方は私をこんな場所へ送りたくなどなかった、その愛情を注いでくださってありがとうございます。
ごめんなさい。
でも私はこれを選んで後悔が無い程に、貴方の御陰で幸せだったのです。
御母様、反発ばかりの我儘娘でごめんなさい。
最後まで貴女には頼りっぱなしでした。
御父様を蔑ろにしたことは許せないけれど、貴女の生き方への尊敬の念は確かにありました。
根尾さん、白檀さん、こんな私を気に掛けてくれて、色々助けてくださってありがとうございます。
常識知らずの莫迦娘が散々振り回してごめんなさい。
水徒端さん、龍乃神殿下、十桐さん、灰祇院さん、私の大切な人達を帰国させる為に御尽力くださってありがとうございます。
その御恩、仇で返してしまうことを許せとは言いません。
私には私の守るべきものがある。
全てが終わった後、どうか皆さんに幸多き人生があらんことを。
虎駕君、早く帰国させてあげられなくて本当にごめんなさい。
私は貴方を責めることなんて出来ないわ。
私にとって貴方は今でも世界を広げてくれた大切な人の一人よ。
その貴方を守れなかったこと、悔やんでも悔やみきれない。
久住さん、私と仲良くしてくれて、色々な話をしてくれて本当にありがとう。
貴女が航に思いを寄せていること、何となく気付いていたわ。
私の為に遠慮させてしまってごめんなさい。
どうか彼のことを支えてあげてね。
そして、航。
貴方への感謝はもう何度も何度も繰り返したけれど、最後にもう一度だけ。
私、貴方を守る為なら死んだって構わないの。
あんなことをしておいて難だけれど、この想いだけは真実よ。
貴方のことを想えば、私はいくらでも強くなれるから、何だって出来るから。
だから航、私に最後の、貴方達を守る為の最後の力を貸して!
「行くぞ! 神皇ォォォッッ!!」
魅琴は気勢を上げて神皇に向かって飛び掛かった。
玉砕の覚悟を決めた、凄まじい気迫と速度だ。
大気が震え、魅琴の潰れた右拳が唸りを上げる。
『十倍速!!』
ここへ来て、魅琴は奥の手を使った。
魅琴の繰り出した右拳は唯の一撃ではない。
十倍速の名の通り、これは十発分の拳の前借りである。
同じ攻撃を既に九発繰り出したものとして、十発分の威力がこの右拳には乗せられる。
この右拳の破壊力は、前回の二倍ではなく二の十乗――一〇二四倍。
当然、神皇に炸裂した瞬間、右腕は唯では済まない。
魅琴の右腕は肘まで圧し折れ、無残な形に曲がって其処彼処から血が噴き出している。
通常、この様なことをする意味は無い。
同じ破壊力が欲しければ、十回攻撃すれば良いだけだ。
これは今の様に、魅琴の四肢が壊れてしまう程に破壊力が増してしまった場合を想定したものだ。
魅琴は苦痛に顔を歪めたが、それでも手を緩めない。
すぐさま左拳を繰り出し更に無茶な上乗せを決行する。
『百倍速!!』
衝撃の瞬間、魅琴の左腕は肩まで御釈迦になった。
百倍ということは、百発分の前借りである。
威力は単純計算で一二六七六五〇六〇〇二二八二二九四〇一四九六七〇三二〇五三七六倍――丸めて百穣倍以上――即ち一千兆倍のそのまた一千兆倍以上である。
「成程、こういう手で来おるか……」
だがそれでも、神皇は一切調子を変えない。
ここまでやっても尚、神皇の命までは光年単位の距離があるというのか。
「アアアアアアアッッ!!」
魅琴は叫びながら跳び上がって右の回し蹴りを繰り出す。
この一発で右脚も壊れてしまうので、最後の蹴りは軸足で支えられない。
そこで、最後の左脚を使う為に予め連続攻撃の予備動作にも既に出ている。
『百倍速!!』
右腿がズタズタに引き裂かれ、大量の血が噴き出す。
腿には大腿動脈といって大動脈から直接枝分かれした重要な血管が通っている。
おそらく、これは致命傷。
この最後の三発だけで、攻撃の破壊力は一千那由他倍に達している。
「ガアアアアアアアアッッ!!」
魅琴は人間離れした声を張り上げ、空中で腰を捻って最後の攻撃に出る。
残された左脚の蹴り、これに己の命・愛・誇り・生き様……その全てを込めて舞う。
『千倍速!!』
筆舌に尽くし難い破壊の暴が神皇に叩き付けられた。
しかしその代償はあまりにも絶大にして、生み出される光景の酸鼻もまた、如何なる筆致によっても描き切るには及ばないだろう。
蹴撃が炸裂する瞬間、魅琴の全身が破裂する様に血を打ち撒けた。
彼女の人生の千秋樂に、万雷の喝采と共に投げ込まれた大量の薔薇の花束。
鮮血に紅く染まる視界の中、魅琴は何一つ変わらぬ神皇の顔を見ながら彼の足元に崩れ落ちた。
大量の血溜りが神皇の足下を避けて拡がっていく。
「爾が朕を討つ為、如何程の研鑽を積み力を鍛え上げたか見てみたかった……」
まだ息がある魅琴に対し、神皇は餞の言葉を贈るにしては実に冷めた口調で言い聞かせる。
「結果、想像以上であった。美事と言う他無い。誠に天晴れである」
称賛の言葉、それは裏を返せば余裕の表われた上から目線の言葉である。
その態度自体が魅琴の人生を、使命を、覚悟を、全てを虚無へと追い遣る残酷極まり無いものだ。
魅琴の開かれた目から大粒の涙が流れ、血と混ざり合う。
神皇はそんな彼女を見下ろしつつ、言葉を続ける。
「その絶望こそ、朕に仇なす者が等しく与えられるべきものである。爾の戦い振り、命を懸けた想いは必ずや称賛と共に語り広めよう。その中で、明治日本の民は爾の計り知れぬ無念をも察するであろう。矜持の崩壊をも知るであろう。人生の虚無をも感ずるであろう。そして朕の臣民として繁栄に取り込まれる中で、爾は愚昧の象徴となるのだ」
月明かりが逆行となり、神皇の竜顔に暗い影が落ちる。
冷厳なる両の眼だけが金色の光を帯び、底知れぬ深淵の中から覗き込むが如く、死に往く魅琴に冷酷なる視線を注いでいた。
「朕の力を以てすれば、皇國の統治を善しとせぬ者共を誅するは容易きこと。その気になれば今この瞬間にも叛逆者共を蟻の一匹とて残さず鏖殺出来る。だが、朕は敢えてそうはせぬ。叛逆者の始末は警察に、軍に、貴族に任せておる。そうすれば奴原は真綿の錦で首を絞むるが如く塗炭の苦しみに溺れ、臣民達の憎悪と侮蔑の中で一人また一人とひっそり消えていくであろう」
魅琴の耳に神皇の声がいやにはっきりと聞こえる。
聞かされているのだろうか。
「従う多くの者には夢幻の豊穣と安寧を与えて興し、その光明で照らし続ける。服わぬ僅かな者には無間の汚辱と絶望を与えて残し、その闇黒に沈め続ける。遍く民に恭順の利と叛逆の愚を知らしめ続け、千代に八千代に絶対不破の頑強なる國體にて統治することこそ、朕の君主論である。爾もまた、その一例として皇國の礎となり、漆黒の絶望を存分に噛み締めながら死ぬが良い」
神皇はゆっくりと右手を挙げた。
大量出血で死を待つばかりの魅琴に、敢えて止めを刺そうというのか。
だが、その掌は真横に向けられた。
丁度、帝嘗本社の屋内へと向けられている。
「ところで、爾は気付いておらぬようだが、頼もしい助っ人がこの場に潜んでおった様だぞ。今の様に危うくなった折に助け船を出すつもりであったか?」
魅琴にはまるで見当が付かない。
神皇は無情に、右掌から光の柱を放出して庭園の出入り口を攻撃した。
建物は破壊されないが、潜んでいた何者かが餌食となったようだ。
魅琴はここで初めて、小さな一つの命が一気に風前の灯火へと追い込まれる気配を感じた。
「ふむ……」
神皇は魅琴の首根っこを掴むと、高々と彼女の体を担ぎ上げた。
まるで見せ付ける様に、見るも無残な姿となった彼女が伏兵に対して曝される。
魅琴は呻き声を漏らしながら、倒れ伏す小さな少年の姿を眼に焼き付けた。
潜んでいたのは雲野幽鷹――その小さな身体が煙を上げ、瀕死の重傷を負って倒れていた。
「幽鷹……君……。どうし……て……?」
「どうやら朕の複製人間のようだな。あわよくば爾に神為を貸与し、希望を繋ごうと考えたか。生み出されし所業の悍ましきこと不届千万。存在そのものが不愉快極まる」
神皇は襤褸雑巾の様な魅琴の体を乱暴に放り投げ、幽鷹の傍らに打ち捨てた。
確実な死を待つばかりの二人の目が互い違いに見詰め合う。
そんな二人に、神皇は情け容赦無く追い打ちを掛けんと、今一度右掌を突き出した。
「纏めて消えよ。己が守らんと冀う想い、叶わぬという漆黒の絶望を胸に抱いて」
神皇の非情な死刑宣告の中、魅琴と幽鷹の両眼は溢れる涙で潤んでいた。
0
あなたにおすすめの小説
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
マンションのオーナーは十六歳の不思議な青年 〜マンションの特別室は何故か女性で埋まってしまう〜
美鈴
ファンタジー
ホットランキング上位ありがとうございます😊
ストーカーの被害に遭うアイドル歌羽根天音。彼女は警察に真っ先に相談する事にしたのだが…結果を言えば解決には至っていない。途方にくれる天音。久しぶりに会った親友の美樹子に「──なんかあった?」と、聞かれてその件を伝える事に…。すると彼女から「なんでもっと早く言ってくれなかったの!?」と、そんな言葉とともに彼女は誰かに電話を掛け始め…
※カクヨム様にも投稿しています
※イラストはAIイラストを使用しています
女神の白刃
玉椿 沢
ファンタジー
どこかの世界の、いつかの時代。
その世界の戦争は、ある遺跡群から出現した剣により、大きく姿を変えた。
女の身体を鞘とする剣は、魔力を収束、発振する兵器。
剣は瞬く間に戦を大戦へ進歩させた。数々の大戦を経た世界は、権威を西の皇帝が、権力を東の大帝が握る世になり、終息した。
大戦より数年後、まだ治まったとはいえない世界で、未だ剣士は剣を求め、奪い合っていた。
魔物が出ようと、町も村も知った事かと剣を求める愚かな世界で、赤茶けた大地を畑や町に、煤けた顔を笑顔に変えたいという脳天気な一団が現れる。
*表紙絵は五月七日ヤマネコさん(@yamanekolynx_2)の作品です*
ブラック国家を制裁する方法は、性癖全開のハーレムを作ることでした。
タカハシヨウ
ファンタジー
ヴァン・スナキアはたった一人で世界を圧倒できる強さを誇り、母国ウィルクトリアを守る使命を背負っていた。
しかし国民たちはヴァンの威を借りて他国から財産を搾取し、その金でろくに働かずに暮らしている害悪ばかり。さらにはその歪んだ体制を維持するためにヴァンの魔力を受け継ぐ後継を求め、ヴァンに一夫多妻制まで用意する始末。
ヴァンは国を叩き直すため、あえてヴァンとは子どもを作れない異種族とばかり八人と結婚した。もし後継が生まれなければウィルクトリアは世界中から報復を受けて滅亡するだろう。生き残りたければ心を入れ替えてまともな国になるしかない。
激しく抵抗する国民を圧倒的な力でギャフンと言わせながら、ヴァンは愛する妻たちと甘々イチャイチャ暮らしていく。
優しい世界のシリウスさん
みなと劉
ファンタジー
ギルドで毎日仕事をコツコツとこなす青年シリウスは
今日も掲示板とにらめっこ。
大抵は薬草採取とか簡単なものをこなしていく。
今日も彼は彼なりに努力し掲示板にある依頼書の仕事をこなしていく
異世界帰りのハーレム王
ぬんまる兄貴
ファンタジー
俺、飯田雷丸。どこにでもいる普通の高校生……だったはずが、気づいたら異世界に召喚されて魔王を倒してた。すごいだろ?いや、自分でもびっくりしてる。異世界で魔王討伐なんて人生のピークじゃねぇか?でも、そのピークのまま現実世界に帰ってきたわけだ。
で、戻ってきたら、日常生活が平和に戻ると思うだろ?甘かったねぇ。何か知らんけど、妖怪とか悪魔とか幽霊とか、そんなのが普通に見えるようになっちまったんだよ!なんだこれ、チート能力の延長線上か?それとも人生ハードモードのお知らせか?
異世界で魔王を倒した俺が、今度は地球で恋と戦いとボールを転がす!最高にアツいハーレムバトル、開幕!
異世界帰りのハーレム王
朝7:00/夜21:00に各サイトで毎日更新中!
【完結】帝国滅亡の『大災厄』、飼い始めました
綾雅(りょうが)要らない悪役令嬢
ファンタジー
大陸を制覇し、全盛を極めたアティン帝国を一夜にして滅ぼした『大災厄』―――正体のわからぬ大災害の話は、御伽噺として世に広まっていた。
うっかり『大災厄』の正体を知った魔術師――ルリアージェ――は、大陸9つの国のうち、3つの国から追われることになる。逃亡生活の邪魔にしかならない絶世の美形を連れた彼女は、徐々に覇権争いに巻き込まれていく。
まさか『大災厄』を飼うことになるなんて―――。
真面目なようで、不真面目なファンタジーが今始まる!
【同時掲載】アルファポリス、カクヨム、エブリスタ、小説家になろう
※2022/05/13 第10回ネット小説大賞、一次選考通過
※2019年春、エブリスタ長編ファンタジー特集に選ばれました(o´-ω-)o)ペコッ
【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~
ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。
王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。
15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。
国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。
これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる