日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第三章『争乱篇』

第六十一話『心労』 序

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 夜更けのこうこく
 二人の皇族と首相、遠征・国防軍大臣の集まりは解散となった。

「姉様」

 国防軍参謀本部前、議員会館へ戻ろうとするかみせいを弟のしやちかみが呼び止めた。

「どうしました?」
らんの件です。まだ見付かりませんか?」

 皇族の末妹、第三皇女・こまかみらんじんのう襲撃の夜に消息を絶っている。
 警察組織は総力を挙げて行方を追っているが、いまだに捜査の進展は無い。

「いいえ、残念ながら」
「そうですか……」

 しやちかみけんしわを寄せた。
 普段、こまかみしやちかみのことを白地あからさまに軽んじた態度を取っている。
 それに思うところはあるだろうが、しやちかみはそれでも妹の身を案じていた。

「全く、心配と手間を掛けさせて……。帰ったらお仕置きですね」

 かみもまた同じ気持ちらしい。
 しかし、二人の中にはもう一つ懸念があった。

「早急に見つけ出すべく警察組織外からも人員を割かせましょう。有力貴族にも声を掛けなくては。えいしびれを切らしてしまう前に、何としても取り戻さなくては……」
「そうですね。取り返しの付かないことになる前に……」

 今、第一皇子・かみえいは付きっきりでじんのうの看病をしている。
 未だに意識の戻らない父、帰らない妹という状況下で、彼が何を思っているかは肉親とはいえ計りかねるものがある。
 姉・かみと弟・しやちかみかみの心情をかでうれいているようだった。
 何やら切迫した事情があるらしい。

らんには……何としても無事帰ってもらわなくては……」

 しやちかみは沈痛な表情でつぶやいた。
 そんな弟に、かみはもう一つ言い聞かせる。

「それはまえも同じですよ、

 しやちかみは黙ってうなずいた。



    ⦿⦿⦿



 災禍に見舞われた長い一日が終わり、一夜明けた翌日。
 日本国は東京都、とある病院の一室で、二人の男女が隣同士の寝台ベツドで横になっていた。
 といっても、二人共目はえている。

「お帰りなさい。早かったのね」

 窓側の寝台ベツドで、うることはやや意地の悪い口調で隣のさきもりわたるに声を掛けた。
 昨日の激闘の後、気を失ったわたることと同じ病院に運び込まれた。
 当初は別室だったが、夜のうちに意識を取り戻したわたることと相部屋に移された。
 代わりに、一昨日の帰国時からずっとこんすい状態の続いているくもたかは集中治療室に移されていた。

「別に帰って来た訳じゃないんだけどな」

 わたるの中にい心持ちが無いと言えばうそになる。
 格好良く別れた翌日にこの様な形で顔を合わせるとは思っていなかった。
 ことはそんなわたるの心境を見透かす様にらかいの笑みを浮かべている。

「あら、貴方あなたにとってこの病院はある意味実家の様なものでしょう?」
「それは確かにそうかも知れないけど、あの時は他ならぬきみたたまれたんだよ」
「そうだったわね」

 二人が入院しているこの場所は、出会ったばかりの頃にことに散々殴られたわたるが入院した病院と同じである。
 十五年の時が流れ、そこで二人が寝台ベツドを並べているというのも随分奇妙な巡り合わせだ。

つくづくわたし達って離れられないのね」
「そうかもね」
「それとも、一日もたない内にわたしのことが恋しくなっちゃったのかしら? 貴方あなたって、わたし無しじゃ生きていけないものね」
「うん、まあ、それはそう」

 別々の寝台ベツドから二人は互いに顔を見合わせ、ほほみ合った。

「そ、なら今のわたしと一緒ね」

 瞬間、わたるに映ることの姿に出会ったばかりの頃の幼かった彼女の姿が重なった。
 ことのことだ、自分がかつてこの病院でわたるに同じ言葉を掛けたことは覚えているだろう。
 二人の積み重ねた歳月、おもいが、互いに相手無しには生きていけないという比喩に真理の軸を与える。
 二人は強力な磁性にって互いに引き合い、離れていてもまた互いのところへ戻って来る運命なのかも知れない。

「ただ、残念ながらぼくは明日退院なんだよね。その後はまた戦場に行くかも知れない」
「そう……なのね」

 ことの笑みにうれいを帯びた影が差した。
 しかし昨日の様に嘆くことも取り乱すことも無く、ただ静かにもうとしている様に見える。

「引き留めないんだね……」
「そうしたくないと言えば嘘になるわね。でも、貴方あなたと同じでわたしも覚悟を決めたのよ。必ず無事帰ってくると信じる覚悟を……」
「そうか……」

 わたることに微笑み返した。

「そういう覚悟なら大歓迎さ。必ず応えてみせるからね」
「ええ。待っているわ」

 ことはつい一昨日――いな、もっと前からじんのうと刺し違える覚悟を決めていた。
 そんな決死の覚悟と比べれば、今わたるに告げたものは真逆の、生きる希望の覚悟である。
 その心意気はわたるに力を与え、希望の源となるだろう。

「ま、わたし貴方あなたを待ちながら、退院した後のことを楽しみにしておくわ。丁度時間は沢山あるし、色々と調べ物や買い物をして準備しておこうと思っているの」
「調べ物や買い物?」
「ふふ……」

 問い掛けたわたるは、ことの表情に胸の高鳴りを感じた。
 その微笑みはどこか、初めて見せてくれた笑顔を想わせたのだ。
 あの時の気持ちが、感慨と共によみがえる。
 そしてことから返ってきたのは、わたるを更なる温かみに包み込む言葉だった。

「デート、するんでしょ? 恋人として」

 わたることの気持ちは今、確かにつながっている。
 日本国は切迫した情勢に見舞われ、わたるはその最前線にられている。
 しかし今だけは、この瞬間にだけは、つかの新たな平穏と幸福があった。

「覚悟しておきなさいね、わたる
「え? 覚悟?」
貴方あなたよろこびそうなこと、色々調べて考えておいてあげるわ」
「いや、はは……」

 スマートフォンな画面を見せることの微笑みが悪戯いたずらな輝きを帯びている。

「既にこういうのも買ってあるのよ」
「ちょっ……!」
「楽しみでしょ?」

 わたるあつにとられて苦笑いを浮かべる他無かった。
 ことに身も心も絡め取られた彼は、もうどうやっても逃れることなど出来ないのだ。



    ⦿⦿⦿



 病院から短髪とひげの中年男が出て来た。
 それを固太りした中年男が迎える。
 じんかいそうすいいきりゆうろうとその側近・さきじんぞうだ。
 総帥のいきは組織創始者の孫であることを見舞いに来ていたのだ。

じようさまはどういったようでしたか?」

 さきの問いに、いきは首を振った。
 一瞬、さきの表情が曇ったが、いきはすぐに力無く笑って見せた。

「何も問題無く、恋人と御歓談なさっていたよ。わたしが割り込んでは場違いだったから、会わずにそのまま引き返してきた程だ」
「総帥もひとが悪い。しかし、それならば一安心ですな」

 二人はゆっくりと歩き始めた。

「本来、御嬢様にはもっと早くあの様な青春を送る人生があったはずなのだがな」
「それは今言っても仕方が無いでしょう。それに、もう二度と戻らない人生もあるんです」
「……そうだな。緒戦で既に組織の人材を多くうしなってしまった」

 じんかいこうこくと戦うことを目的とした組織である。
 そのために構成員は戦士としてしんの訓練を積み、この時に備えてきた。
 しかし、その戦力がこうこくの侵略を止めるには程遠いこともまた初めからわかっていた。

「こういうことを繰り返していると、遠くない将来に組織は壊滅するだろうな」
「まあ、国家と戦うのは国家でなければならないとは初めからわかっていたことです」
「我々の役割はこの国がこうこくと渡り合える様にぜんてをすることと、その体制が整うまでの繋ぎだ、ということだな」
かいてんと分裂していなければもう少し戦えたかも知れませんね」
「あの様な、組織結成の本懐を忘れた者達と手など取り合える筈も無い。乗っ取られなかっただけマシだ」
「切り捨てた初代総帥の判断は正しかったのですかね……」

 いきは懐から煙草たばこを取り出した。

「滅びる前提で戦うというのは辛いものだな」
「総帥、路上喫煙禁止区域です」
わたしも含め、この戦争で組織の全員が星になるんだぞ? 一服くらい付けても良いだろう?」
「駄目です。条例は守ってください。もっと言うと歩き煙草は傷害になり得ますよ」

 取りつく島もないさきの様子に、いきは渋々煙草を懐に戻した。

「こういう心情には煙草がよく似合うのだがな……」
「本部に戻ったら思う存分吸ってください。健康に悪いとはすがに言いませんから」
「昔はもっと所構わず吸えたもんだがな……」
「もうそういう時代じゃないんですよ」
「世知辛い。我々が守ろうとしている日本の未来はあまり望ましいものではなさそうだ」
「そうですかね? じゃ、やめますか?」

 二人は静かな公園の前を通りがかった。
 十人の老人がゲートボールを楽しんでいる光景がチラリと二人の目に入った。
 自動車が二人と擦れ違う。
 彼らの行く道は随分と空気が良く、至って静かなものだった。

「まさか。未来が無いよりはるかにマシだ」
「ふ、冗談ですよ。ここでやめる訳にはいきませんよね」

 死を決意した二人が歩いて行く。
 おそらく、終戦までじんかいは残らないだろう。

 幸いなことに、この日こうこくの侵攻は無かった。
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