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第三章『争乱篇』
第六十話『内憂外患』 急
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伴藤は背後から怖ず怖ずと、皇は正面からまじまじと、突如顕れた皇國第一皇女・麒乃神聖花の姿を見詰めていた。
それは一瞬本物と見紛う程の精度と鮮明さを持った立体映像であった。
『皇奏手大臣、随分と敵対勢力に手を焼いているようですね』
麒乃神は小さく笑みを零した。
表に出さずとも、此方を見下す心の内が透けて見えるかの様な笑みである。
皇は不快感に眉を顰めながら、敢えて皮肉を込めて笑みを返す。
「皇族ともあろう御方が随分と不躾なのですね。今まで多くの外国首脳と会談してきましたが、これ程非常識な態度で臨まれたことは唯の一度もありませんでしたよ」
確かに、突然相手の許へ問答無用で押し掛け、机の上に乗って一方的に会談を試みるなど、外交欠礼以前の態度である。
雅な笑みを浮かべているが、その傲慢極まる振る舞いはある意味皇族らしいかも知れない。
しかし同時に、皇は麒乃神のこの態度を裏付ける一つの事実にも気が付いていた。
「この映像は末級為動機神体を使って投影しているのですか?」
麒乃神は満足気に笑みを深めた。
その背後では伴藤が顔を蒼くしている。
皇の推測通りだとすれば、今この部屋で起きていることは二人のみならず日本国そのものの危機を意味している。
『察しが良くて助かりますよ。その通り、今御前の部屋に私の姿を映し出しているのは全長六塵米の末級為動機神体です。輪田衛士少佐が特級為動機神体・ツハヤムスビから弐級・参級・小級を展開したのと同時に放たれ、破壊を免れたものを自己増殖させ、そしてそれらの機体を使って私の姿を投影し、声を伝えているのです』
麒乃神の言葉は皇國の技術力が大型機械のみならず精密機械分野に置いても驚異的であることを示していた。
今の世界の技術では同じサイズの半導体を作るのが精一杯であり、制御可能なロボットを作るなど夢のまた夢だろう。
『そんなに訝しげな顔をせずとも良いでしょう。私は御前にとって素晴らしい話を持って来たのですから』
「素晴らしい話?」
皇は表情を崩さずに素気無く問い掛けた。
「果たして、私の期待に応えられるのかしら?」
『皇奏手、聞くところに拠ると御前は世界最高の権力を欲しているとか。その願い、叶えてやっても良いですよ』
「ほう……」
皇の目の色が変わった。
「詳しくお聞かせ願えますか?」
『簡単な話です。明治日本の所有する三種の神器を此方に明け渡しなさい。そうすれば、神皇陛下恢復の暁に御前を皇國の内閣総理大臣に推挙しましょう。陛下は寛大な御方、恭順の意思を示した者は過去に拠らず無限の豊穣を賜ることが出来るのです』
麒乃神は皇を見下ろしながら、鈴を転がすような声で言い聞かせてきた。
だがその中身は決して穏やかなものではない。
「要するに、降伏勧告ですか。奇妙ですね。此度の戦いに於いて、貴国の戦果は我が国にそれを要求出来るようなものだったでしょうか?」
『言っておきますが、御前達は緒戦の防衛にて首の皮一枚繋がった程度。四方や二国間の絶望的な国力差を忘れ果て、既に勝った気でいるのですか?』
張り裂けそうな程に険悪な空気の中、二人の高慢な女の視線が暗い火花を飛ばしている。
その傍らで、伴藤は肩身狭そうに縮こまっていた。
『それに、今の状況をもう少し深く考えて御覧なさい。御前達は未だ、輪田隊から国家の防衛に成功した訳ではないという事実に思い至りませんか?』
麒乃神の言葉に、皇は苦虫を噛み潰した様に顔を顰めた。
そのようなこと、言われるまでもない。
この映像を生み出しているのが末級為動機神体だと察した時から、当然相手の意図にも気付いている。
「末級為動機神体は自己増殖する、と仰りましたね。それらを自在に操縦出来るということは……貴女は今、我が国民を人知れず始末することが出来る。それも無作為に、何人でも……。謂わばこれは、国民を人質に取った脅迫……」
恐ろしい真意を解き明かした皇の向かい側で伴藤が息を呑んだ。
皇を見下ろす麒乃神の笑みに邪悪な陰影が帯びている。
末級為動機神体は肉眼で到底確認出来ない程に小さく、その位置と数を把握することは不可能だ。
である以上、大袈裟な言い方をすれば日本国はいつの間にか人知れず占領されてしまったとさえ解釈出来てしまう。
『御前達とて武力衝突で徒に民を死なせたくはないでしょう。幸い、明治日本は戦争を放棄した平和主義国家。緒戦での犠牲を憂いて降伏を選んだとしても、御前が責められる道理など無い筈です。私は今、その道筋を作って差し上げたのですよ。感謝してもらいたいですね』
「一方で、其方の要求を呑めば私の夢は実現させてもらえ、薔薇色の人生を保証してもらえると、こういう訳ですか……」
皇は頬杖を突いて俯いた。
その素振りを、伴藤が不安げに見詰めている。
好機と見たのか、麒乃神は更に畳み掛ける。
『何も案ずることはありません。皇國は何も、明治日本を植民地にするつもりもその民を奴隷や二等国民として扱うつもりも無いのです。皇國の国策はあくまで、全ての世界線に於ける日本人を神皇陛下の名に於いて統合し、誇り高き皇民として共に繁栄を謳歌することなのです。ですから御前が世界を手に入れたいというなら喜んで手を貸しましょう』
「成程……」
皇は小さく北叟笑んだ。
「確かに、私の悲願を成就する為にはそれが一番の近道なのでしょうね。本当に私の地位は保証してくれるのでしょうね?」
『勿論。約束した以上は果たされなければなりません』
「そうですか……」
麒乃神は勝利を確信して口角を上げた。
しかし、皇は一転して眉根を寄せた。
「ですがお断りします」
『何?』
麒乃神の表情から初めて笑みが消えた。
手に持った扇で口元を隠すのは、知る人ぞ知る彼女の不快感表明である。
彼女が真っ向から反対されるなどということは、神皇と皇太子以外にあり得ない反応であった。
『聞き間違いかしら? 私の手を振り払ったかの様に思えましたが?』
「いいえ、貴女の耳は正常に機能していますよ。しかし、私の夢についての伝聞には問題があるようです。私は世界最高の権力が欲しいのではありません。世界最強の人間になりたいのですよ」
『それは私が約束する地位と何が違うのです?』
「知れたこと!」
皇は机を拳で叩いた。
「貴女の様な権威主義国家の高慢女から見下されて施される地位の何が世界最強か! 私の悲願は私の覇道を歩む果てに辿り着くもの! 誰に軽んじられることも、侮られることも、憐れまれることも無い、一片の瑕疵も無き頂!」
『そんな大それた願望が叶うとでも? 覇権国家たる皇國臣民としての地位を獲得せず、皇國の最高権力者の椅子を蹴って、どうやってその妄言を為すというのです?』
「日本国をそこまで押し上げれば済むこと! そうすれば日本国首相こそ世界最強!」
麒乃神は弓なりに目を細めた。
皇の吠えた狂気染みた言葉が余程滑稽に思えたのか。
しかし、扇はまだ口の前に置かれている。
つまり、尚も彼女の不快感は消えていない。
『莫迦なことを。今の明治日本は衰退し始めているのでしょう? その有様で、皇國を差し置いて覇権国家になれるなどと、本気で思っているのですか?』
「この戦争が終わる頃に同じ言葉が吐けるかしらね」
再び麒乃神は笑みを消した。
皇が言い放った言葉は明確な抗戦の意思表示に他ならない。
しかしながら、これでは話し合いの余地が無い。
現に、皇は既に交渉を打ち切るつもりでいた。
「精々今の内に覇権国家の座で胡坐を掻いているが良い! 話は終わり! 伴藤、お引き取り願いなさい!」
皇の言葉を受けるかの如く、今まで蚊帳の外だった伴藤の体が光った。
そして無数の光の筋が麒乃神の映像の周辺に向けて放たれ、何かと衝突して極小規模の爆発を連鎖させる。
麒乃神の映像はコンセントを抜かれたテレビ画面の様にぶっつりと消え失せた。
伴藤明美もまた、同僚の根尾弓矢と同じように術識神為を会得している。
その能力は戦闘用としては頼りないものの、或る用途に於いては無類の有用性を誇る。
「先生、この部屋中に探索網を張りましたが、今破壊した以上の末級為動機神体は侵入していないようですね」
「そう。御苦労」
皇は深い深い溜息を吐いて再びソファに横になった。
グラマラスな胸を上下させて呼吸するその姿からは相当な疲労が見て取れる。
「伴藤、無礼な女を相手にしてかなり疲れてしまったわ。このまま寝る」
「そうですか。災難でしたね」
「朝まで、皇國が我が国に侵入させた末級を探索して破壊し続けなさい」
「え!? それって徹夜でぶっ続けってことですか!?」
驚いた様子で問い返す伴藤だったが、皇から答えは無い。
既に皇は寝息を立てていた。
「ひーん! 鬼畜ブラック上司!」
嘆きながらも伴藤は再び体を光らせた。
伴藤はある程度対象を特定しさえすれば、極めて広範囲に亘って探索することが出来る。
対象を発見した後は光の筋で攻撃することも出来るが、引き続き対象の言動を密かに探り続けることも可能。
戦闘よりも捜査に非常に向いた能力といえるだろう。
⦿⦿⦿
皇國は国防軍参謀本部、人一人が入り込める大きさの球体がゆっくりと外殻を開いていく。
中では第一皇女・麒乃神聖花が無表情で椅子に坐っており、普段の雅な笑みも無くゆっくりと立ち上がった。
「皇奏手、取り敢えず緒戦の勝ちは譲ってあげましょう。しかし、後悔することになりますよ……」
麒乃神は球体から外へ出ると、輪田公爵の許へと歩み寄った。
「期待に添うことは出来ませんでした。御令息の件、残念です」
「そうですか……。いえ、殿下の御心遣いには感謝いたします」
輪田公爵は麒乃神に深々と頭を下げると、小木曽首相と鬼獄伯爵に怒りの籠った一瞥をくれて踵を返した。
「御二人とも、随分と不興を買ってしまわれましたな」
去り往く輪田公爵の背を見送りながら、縞田国防軍大臣は内心の可笑しみを覗かせつつ呟いた。
「緒戦で『金色の機体』を撃破して明治日本の心胆を寒からしめる計画は見事に失敗。遠征軍ご自慢の英雄を早々に喪い、これからどうなさるおつもりですかな?」
「くっ……!」
鬼獄は閉口せざるを得ない様子だ。
そんな政敵に対し、縞田は更に追い打ちを掛ける。
「鬼獄伯爵、遠征軍さえ宜しければ、国防軍の戦力をお貸ししましょうか?」
「縞田殿、それは結構」
「ほう、では輪田少佐ですら斃せなかった『金色の機体』をどうにかする当てが遠征軍にまだあるというのですか? 皇國最強の英雄である輪田少佐を喪った今尚」
「ぐっ……!」
鬼獄は歯噛みした。
一方で、緒戦の失態を挽回したい小木曽は縞田の言葉に飛び付いた。
「縞田殿、そういう国防軍にはあるというのですかな?」
「小木曽首相、何を恍けたことを。今この場にいらっしゃるではないですか」
縞田は国防軍人でもある第二皇子・鯱乃神那智の方を向いた。
彼は輪田衛士の親友にして、為動機神体操縦士としては好敵手である。
そして、輪田の駆る特級為動機神体・ツハヤムスビを上回る可能性を持っている。
「我が国防軍の切り札、皇國最強の為動機神体を操ることが許された唯一の皇國軍人、鯱乃神那智大佐ならば、必ずや輪田少佐に変わり金色の機体を地球上から消し去ることが出来るでしょう」
「なっ……!」
小木曽は鯱乃神を見て、明らかに躊躇いを見せていた。
「縞田殿、皇族たる鯱乃神殿下を前線へ送ろうというのですか?」
「小木曽閣下、私は一向に構いません」
鯱乃神は食い気味に答えた。
そして更に、縞田へと申し出る。
「縞田閣下、御命令とあらば私は喜んで遠征軍の指揮下に入り、『金色の機体』と戦いましょう」
基本的に敵対関係に或る遠征軍と国防軍だが、共同作戦を採ることが無いという訳ではない。
六年前、武装戦隊・狼ノ牙が蜂起した際には国防軍の作戦に遠征軍人の輪田衛士が参加している。
今回は、謂わばその時の逆だ。
「鬼獄伯爵、どうですかな?」
小木曽と縞田、そして鯱乃神の視線が遠征軍大臣・鬼獄伯爵へと集まった。
今の鬼獄には彼らの提案を呑むことしか出来なかった。
「承知いたしました……。鯱乃神殿下には我が軍の指揮下に入って頂きましょう。作戦は追って伝えます」
「鬼獄」
麒乃神が厳しい口調で釘を刺す。
「次はありませんよ」
「肝に銘じます……」
斯くして、輪田衛士の侵攻を凌いだ日本国に齎される新たな脅威が決められた。
次なる日本国の敵は皇族軍人・鯱乃神那智と、彼が操る皇國最強の為動機神体である。
それは一瞬本物と見紛う程の精度と鮮明さを持った立体映像であった。
『皇奏手大臣、随分と敵対勢力に手を焼いているようですね』
麒乃神は小さく笑みを零した。
表に出さずとも、此方を見下す心の内が透けて見えるかの様な笑みである。
皇は不快感に眉を顰めながら、敢えて皮肉を込めて笑みを返す。
「皇族ともあろう御方が随分と不躾なのですね。今まで多くの外国首脳と会談してきましたが、これ程非常識な態度で臨まれたことは唯の一度もありませんでしたよ」
確かに、突然相手の許へ問答無用で押し掛け、机の上に乗って一方的に会談を試みるなど、外交欠礼以前の態度である。
雅な笑みを浮かべているが、その傲慢極まる振る舞いはある意味皇族らしいかも知れない。
しかし同時に、皇は麒乃神のこの態度を裏付ける一つの事実にも気が付いていた。
「この映像は末級為動機神体を使って投影しているのですか?」
麒乃神は満足気に笑みを深めた。
その背後では伴藤が顔を蒼くしている。
皇の推測通りだとすれば、今この部屋で起きていることは二人のみならず日本国そのものの危機を意味している。
『察しが良くて助かりますよ。その通り、今御前の部屋に私の姿を映し出しているのは全長六塵米の末級為動機神体です。輪田衛士少佐が特級為動機神体・ツハヤムスビから弐級・参級・小級を展開したのと同時に放たれ、破壊を免れたものを自己増殖させ、そしてそれらの機体を使って私の姿を投影し、声を伝えているのです』
麒乃神の言葉は皇國の技術力が大型機械のみならず精密機械分野に置いても驚異的であることを示していた。
今の世界の技術では同じサイズの半導体を作るのが精一杯であり、制御可能なロボットを作るなど夢のまた夢だろう。
『そんなに訝しげな顔をせずとも良いでしょう。私は御前にとって素晴らしい話を持って来たのですから』
「素晴らしい話?」
皇は表情を崩さずに素気無く問い掛けた。
「果たして、私の期待に応えられるのかしら?」
『皇奏手、聞くところに拠ると御前は世界最高の権力を欲しているとか。その願い、叶えてやっても良いですよ』
「ほう……」
皇の目の色が変わった。
「詳しくお聞かせ願えますか?」
『簡単な話です。明治日本の所有する三種の神器を此方に明け渡しなさい。そうすれば、神皇陛下恢復の暁に御前を皇國の内閣総理大臣に推挙しましょう。陛下は寛大な御方、恭順の意思を示した者は過去に拠らず無限の豊穣を賜ることが出来るのです』
麒乃神は皇を見下ろしながら、鈴を転がすような声で言い聞かせてきた。
だがその中身は決して穏やかなものではない。
「要するに、降伏勧告ですか。奇妙ですね。此度の戦いに於いて、貴国の戦果は我が国にそれを要求出来るようなものだったでしょうか?」
『言っておきますが、御前達は緒戦の防衛にて首の皮一枚繋がった程度。四方や二国間の絶望的な国力差を忘れ果て、既に勝った気でいるのですか?』
張り裂けそうな程に険悪な空気の中、二人の高慢な女の視線が暗い火花を飛ばしている。
その傍らで、伴藤は肩身狭そうに縮こまっていた。
『それに、今の状況をもう少し深く考えて御覧なさい。御前達は未だ、輪田隊から国家の防衛に成功した訳ではないという事実に思い至りませんか?』
麒乃神の言葉に、皇は苦虫を噛み潰した様に顔を顰めた。
そのようなこと、言われるまでもない。
この映像を生み出しているのが末級為動機神体だと察した時から、当然相手の意図にも気付いている。
「末級為動機神体は自己増殖する、と仰りましたね。それらを自在に操縦出来るということは……貴女は今、我が国民を人知れず始末することが出来る。それも無作為に、何人でも……。謂わばこれは、国民を人質に取った脅迫……」
恐ろしい真意を解き明かした皇の向かい側で伴藤が息を呑んだ。
皇を見下ろす麒乃神の笑みに邪悪な陰影が帯びている。
末級為動機神体は肉眼で到底確認出来ない程に小さく、その位置と数を把握することは不可能だ。
である以上、大袈裟な言い方をすれば日本国はいつの間にか人知れず占領されてしまったとさえ解釈出来てしまう。
『御前達とて武力衝突で徒に民を死なせたくはないでしょう。幸い、明治日本は戦争を放棄した平和主義国家。緒戦での犠牲を憂いて降伏を選んだとしても、御前が責められる道理など無い筈です。私は今、その道筋を作って差し上げたのですよ。感謝してもらいたいですね』
「一方で、其方の要求を呑めば私の夢は実現させてもらえ、薔薇色の人生を保証してもらえると、こういう訳ですか……」
皇は頬杖を突いて俯いた。
その素振りを、伴藤が不安げに見詰めている。
好機と見たのか、麒乃神は更に畳み掛ける。
『何も案ずることはありません。皇國は何も、明治日本を植民地にするつもりもその民を奴隷や二等国民として扱うつもりも無いのです。皇國の国策はあくまで、全ての世界線に於ける日本人を神皇陛下の名に於いて統合し、誇り高き皇民として共に繁栄を謳歌することなのです。ですから御前が世界を手に入れたいというなら喜んで手を貸しましょう』
「成程……」
皇は小さく北叟笑んだ。
「確かに、私の悲願を成就する為にはそれが一番の近道なのでしょうね。本当に私の地位は保証してくれるのでしょうね?」
『勿論。約束した以上は果たされなければなりません』
「そうですか……」
麒乃神は勝利を確信して口角を上げた。
しかし、皇は一転して眉根を寄せた。
「ですがお断りします」
『何?』
麒乃神の表情から初めて笑みが消えた。
手に持った扇で口元を隠すのは、知る人ぞ知る彼女の不快感表明である。
彼女が真っ向から反対されるなどということは、神皇と皇太子以外にあり得ない反応であった。
『聞き間違いかしら? 私の手を振り払ったかの様に思えましたが?』
「いいえ、貴女の耳は正常に機能していますよ。しかし、私の夢についての伝聞には問題があるようです。私は世界最高の権力が欲しいのではありません。世界最強の人間になりたいのですよ」
『それは私が約束する地位と何が違うのです?』
「知れたこと!」
皇は机を拳で叩いた。
「貴女の様な権威主義国家の高慢女から見下されて施される地位の何が世界最強か! 私の悲願は私の覇道を歩む果てに辿り着くもの! 誰に軽んじられることも、侮られることも、憐れまれることも無い、一片の瑕疵も無き頂!」
『そんな大それた願望が叶うとでも? 覇権国家たる皇國臣民としての地位を獲得せず、皇國の最高権力者の椅子を蹴って、どうやってその妄言を為すというのです?』
「日本国をそこまで押し上げれば済むこと! そうすれば日本国首相こそ世界最強!」
麒乃神は弓なりに目を細めた。
皇の吠えた狂気染みた言葉が余程滑稽に思えたのか。
しかし、扇はまだ口の前に置かれている。
つまり、尚も彼女の不快感は消えていない。
『莫迦なことを。今の明治日本は衰退し始めているのでしょう? その有様で、皇國を差し置いて覇権国家になれるなどと、本気で思っているのですか?』
「この戦争が終わる頃に同じ言葉が吐けるかしらね」
再び麒乃神は笑みを消した。
皇が言い放った言葉は明確な抗戦の意思表示に他ならない。
しかしながら、これでは話し合いの余地が無い。
現に、皇は既に交渉を打ち切るつもりでいた。
「精々今の内に覇権国家の座で胡坐を掻いているが良い! 話は終わり! 伴藤、お引き取り願いなさい!」
皇の言葉を受けるかの如く、今まで蚊帳の外だった伴藤の体が光った。
そして無数の光の筋が麒乃神の映像の周辺に向けて放たれ、何かと衝突して極小規模の爆発を連鎖させる。
麒乃神の映像はコンセントを抜かれたテレビ画面の様にぶっつりと消え失せた。
伴藤明美もまた、同僚の根尾弓矢と同じように術識神為を会得している。
その能力は戦闘用としては頼りないものの、或る用途に於いては無類の有用性を誇る。
「先生、この部屋中に探索網を張りましたが、今破壊した以上の末級為動機神体は侵入していないようですね」
「そう。御苦労」
皇は深い深い溜息を吐いて再びソファに横になった。
グラマラスな胸を上下させて呼吸するその姿からは相当な疲労が見て取れる。
「伴藤、無礼な女を相手にしてかなり疲れてしまったわ。このまま寝る」
「そうですか。災難でしたね」
「朝まで、皇國が我が国に侵入させた末級を探索して破壊し続けなさい」
「え!? それって徹夜でぶっ続けってことですか!?」
驚いた様子で問い返す伴藤だったが、皇から答えは無い。
既に皇は寝息を立てていた。
「ひーん! 鬼畜ブラック上司!」
嘆きながらも伴藤は再び体を光らせた。
伴藤はある程度対象を特定しさえすれば、極めて広範囲に亘って探索することが出来る。
対象を発見した後は光の筋で攻撃することも出来るが、引き続き対象の言動を密かに探り続けることも可能。
戦闘よりも捜査に非常に向いた能力といえるだろう。
⦿⦿⦿
皇國は国防軍参謀本部、人一人が入り込める大きさの球体がゆっくりと外殻を開いていく。
中では第一皇女・麒乃神聖花が無表情で椅子に坐っており、普段の雅な笑みも無くゆっくりと立ち上がった。
「皇奏手、取り敢えず緒戦の勝ちは譲ってあげましょう。しかし、後悔することになりますよ……」
麒乃神は球体から外へ出ると、輪田公爵の許へと歩み寄った。
「期待に添うことは出来ませんでした。御令息の件、残念です」
「そうですか……。いえ、殿下の御心遣いには感謝いたします」
輪田公爵は麒乃神に深々と頭を下げると、小木曽首相と鬼獄伯爵に怒りの籠った一瞥をくれて踵を返した。
「御二人とも、随分と不興を買ってしまわれましたな」
去り往く輪田公爵の背を見送りながら、縞田国防軍大臣は内心の可笑しみを覗かせつつ呟いた。
「緒戦で『金色の機体』を撃破して明治日本の心胆を寒からしめる計画は見事に失敗。遠征軍ご自慢の英雄を早々に喪い、これからどうなさるおつもりですかな?」
「くっ……!」
鬼獄は閉口せざるを得ない様子だ。
そんな政敵に対し、縞田は更に追い打ちを掛ける。
「鬼獄伯爵、遠征軍さえ宜しければ、国防軍の戦力をお貸ししましょうか?」
「縞田殿、それは結構」
「ほう、では輪田少佐ですら斃せなかった『金色の機体』をどうにかする当てが遠征軍にまだあるというのですか? 皇國最強の英雄である輪田少佐を喪った今尚」
「ぐっ……!」
鬼獄は歯噛みした。
一方で、緒戦の失態を挽回したい小木曽は縞田の言葉に飛び付いた。
「縞田殿、そういう国防軍にはあるというのですかな?」
「小木曽首相、何を恍けたことを。今この場にいらっしゃるではないですか」
縞田は国防軍人でもある第二皇子・鯱乃神那智の方を向いた。
彼は輪田衛士の親友にして、為動機神体操縦士としては好敵手である。
そして、輪田の駆る特級為動機神体・ツハヤムスビを上回る可能性を持っている。
「我が国防軍の切り札、皇國最強の為動機神体を操ることが許された唯一の皇國軍人、鯱乃神那智大佐ならば、必ずや輪田少佐に変わり金色の機体を地球上から消し去ることが出来るでしょう」
「なっ……!」
小木曽は鯱乃神を見て、明らかに躊躇いを見せていた。
「縞田殿、皇族たる鯱乃神殿下を前線へ送ろうというのですか?」
「小木曽閣下、私は一向に構いません」
鯱乃神は食い気味に答えた。
そして更に、縞田へと申し出る。
「縞田閣下、御命令とあらば私は喜んで遠征軍の指揮下に入り、『金色の機体』と戦いましょう」
基本的に敵対関係に或る遠征軍と国防軍だが、共同作戦を採ることが無いという訳ではない。
六年前、武装戦隊・狼ノ牙が蜂起した際には国防軍の作戦に遠征軍人の輪田衛士が参加している。
今回は、謂わばその時の逆だ。
「鬼獄伯爵、どうですかな?」
小木曽と縞田、そして鯱乃神の視線が遠征軍大臣・鬼獄伯爵へと集まった。
今の鬼獄には彼らの提案を呑むことしか出来なかった。
「承知いたしました……。鯱乃神殿下には我が軍の指揮下に入って頂きましょう。作戦は追って伝えます」
「鬼獄」
麒乃神が厳しい口調で釘を刺す。
「次はありませんよ」
「肝に銘じます……」
斯くして、輪田衛士の侵攻を凌いだ日本国に齎される新たな脅威が決められた。
次なる日本国の敵は皇族軍人・鯱乃神那智と、彼が操る皇國最強の為動機神体である。
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それでも森の中でこのまま死ぬよりはまだいいだろうと考え魔法をかける。
すると新木は一気に生長し、天をつくほどの巨木にまで変化しそこから新木に宿っていたという聖霊まで姿を現した。
〝この地はあなたが創造した聖地。あなたがこの地を去らない限りこの地を必要とするもの以外は誰も踏み入れませんよ〟
そんな言葉から始まるシントののんびりとした生活。
同じように行き場を失った少女や幻獣や精霊、妖精たちなど様々な面々が集まり織りなすスローライフの幕開けです。
※この小説はカクヨム様でも連載しています。アルファポリス様とカクヨム様以外の場所では公開しておりません。
最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。
みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。
高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。
地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。
しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。
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