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第三章『争乱篇』
第七十一話『総神』 急
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日が沈み、星の光が天井の破れた議場の闇に降り注ぐ中、獅乃神叡智は佇んでいた。
その姿は心做しか光を纏っており、議場を照らしているようにも見える。
彼はゆっくりと階段を降り、中央の議長席へと歩いて行く。
そしてその眼は、血塗れで倒れる三人の遺体を映した。
獅乃神は一度足を止める。
「嵐花……」
第三皇女・狛乃神嵐花は道成寺の術識神為に因って操られ、辱められようとしていたところを、自らの懇願で姉に胸を貫かれた。
背中が血に染まっているのは、背後で心臓を握り潰された為だ。
「姉上……」
そのすぐ後に、第一皇女・麒乃神聖花が自らの心臓を止めた。
彼女も血に塗れているのは、死後に道成寺が拳銃を撃ち込んだからだ。
比較的穏やかに、綺麗に死んだ筈の者であろうと、道成寺は汚さずにはいられなかったということなのだろう。
勿論、長年憎み続けた相手ともなれば尚のことだ。
「父上……」
寿命を迎えた神皇・鳳乃神大智もまた、道成寺から銃弾を撃ち込まれた。
三人に一通り目を遣った獅乃神は、この事態を生み出した元凶たる道成寺の方に視線を向ける。
そしてそのまま、議長席の彼へ向かった再び階段を降り始めた。
「獅乃神様っ!」
そんな主の許へ、近衛侍女・敷島朱鷺緒は息を切らして駆け寄った。
普段の凜とした姿は一欠片も見られず、崩れる様に駆け込んで彼の前に平伏した。
「誠に……誠に申し訳御座いません! 全てはこの私の力が至らぬばかりに! 如何様に苛酷な罰も甘んじてお請けいたします故、何卒怒りをお鎮めください!」
それは絵に描いた様な土下座だった。
美しく整った所作が、却って彼女の必死さと弱々しさを引き立てている。
敷島は常々、獅乃神叡智に美しい夢を見せ続けるよう努めてきた。
現実世界の醜さ、残酷さを知ってしまうというのは、何としても避けたい事態だった。
開戦前夜には既に蟻の一穴程の亀裂が入ってしまっていたが、事此処に至って完全に崩壊したとみて間違い無いだろう。
最早敷島には、唯々地べたに額を擦り付けて許しを乞うしかないのだ。
「敷島よ、面を上げよ」
そんな敷島の背中に、獅乃神は淡々とした口調で命じた。
敷島はこれから判決を受ける罪人の様に、震えながらゆっくりと顔を上げる。
怯えきった涙目の表情で、奥歯をガタガタと鳴らしながら、それでも主に逆らえない彼女は、影の差した竜顔を真直ぐに見上げる他無い。
宛らその様は、死刑宣告を待っているかの様だ。
「確かに、恐ろしい事態であろう。だが落ち着くが良い、敷島よ」
そんな近衛侍女に、獅乃神は諭す様に落ち着いた声で語り掛ける。
「凡その事情は貴龍院から聞いた。余に汝を責めるつもりなど毛頭無い。それと、汝は大いなる勘違いをしているようだ」
獅乃神は顔を上げ、議場全体を見渡した。
「今、余はこの場の誰に対しても怒りなど抱いていない」
「え……?」
敷島は訳が解らず、口を半開きにしたまま固まった。
獅乃神はそんな敷島の頭をそっと撫でると、彼女を置いて道成寺の方へとまた歩き始めた。
「怒りも、悲しみも、汎ゆる激情は一場の揺らぎだ。ならば唯一時、己が心情を傾ければそれで事足りる。先に綾花や那智の死に触れて余はそう学んだ。故に、今の余は至って平静なのだ」
言葉の通り、議長席へ向けて階段を降る獅乃神の表情には一切の負の想念が見られない。
というより、常人に計り知れない心境を映す様に、能面を思わせる表情で道成寺を見据えていた。
「ふ、ふふふ。何を偉そうに気取っているのかね……?」
そんな獅乃神の有り様に気圧されている道成寺だったが、強がりからか胸を貸す様に相対する。
丁度、議長席の道成寺と階段上の獅乃神で目線の高さが重なった。
「莫迦息子が、早速皇帝気分のようだね。ならばその座に着かせてやった我輩に感謝するが良い!」
道成寺は獅乃神を挑発し、銃口を向けた。
彼が使用した第二の術識神為による能力、神為使用の制限は今も有効である。
如何に「絶対強者」と呼ばれる彼であろうと、万全の状態で神為を使える自分の方が圧倒的に有利――そう高を括っているらしい。
だが、敷島にとってその態度は地雷原で暗黒舞踊を行う様な命知らずである。
彼女は再び焦燥に駆られた。
「やめろ道成寺! 頼むから獅乃神様を挑発してくれるな! この御方の……この御方のお怒りは……!」
階段を慌てて降り、足を縺れさせて転倒する敷島は無様そのものだった。
だが、彼女がそうなってしまうのも無理は無い。
今、敷島は侍従長・大覚寺常定から聞いた言葉を反芻していた。
『絶対強者・獅乃神叡智殿下にお仕えする者は心せよ。其方の主となる御方のお怒りは、三千世界を畢らせる』
それは獅乃神に親しい者にとって、常識ともいえる戒めであった。
そうとも知らない道成寺の無謀な態度に、この場の者達は皆戦々恐々としていた。
「道成寺よ」
獅乃神の体がふわりと浮き上がり、道成寺の眼前に降り立った。
道成寺は驚いて後退り、今一度力強く銃を向ける。
そんな相手に対し、獅乃神はあくまでも淡々とした口調で言い聞かせる。
「道成寺よ、余は汝と話がしたくて此処へ来たのだ」
「は、……は?」
道成寺は素頓狂な声を漏らした。
理解の出来ない言葉に虚を突かれた、と言ったところか。
「話って……戦いに来たのではないのかね?」
「それは無い。父上はその気になればいつでも汝らを鏖殺出来たし、それは余とて同じこと。現場に足を運ぶまでも無い。しかし、それでは此程の事を起こした汝等に対し、あまりに無体ではないかと思ってな」
「いやいやいやいや!!」
道成寺は首を激しく横に振った。
「我輩は国家を転覆しようとしている、君にとっての敵なのだよ? 君の家族を三人も殺し、残る二人もこれから処刑しようとしている。我輩が起こした事というのは、つまりそういうものだ。それを君は……一体何を言っているのかね?」
「無論、許そうというものではない。国家叛逆罪の刑罰には皇國の法律上死刑以外存在しない。或いは指定貴族による誅殺権の行使か。何れにせよ、最終的には死によって処されることになるだろう。だがその前に、汝には叛逆に至った信義を訊いておかねばなるまい」
道成寺は意味が解らないと言った様子で口を開けている。
獅乃神はそんな周囲の反応は気にも留めず、更に話を続ける。
「ここまでのことをしでかしたのだ、何か汝なりの信念に基づいている筈だ。汝には汝なりの誇り高き意志、理念、理想、大義、正義、そして切望があったのだと、余は十全に疑いなく信じている。そうだろう?」
真紅と柳緑の眼が光を点している。
冷や汗を掻く道成寺に、獅乃神の太い腕が差し伸べられた。
一見すると美しい光景の様だが、その姿には只ならぬ狂気にも似た何かが渦巻いていた。
獅乃神は自分の真意をこう纏める。
「何故なら、道成寺よ。汝もまた日本人なのだから。清く正しく美しい大和民族なのだから」
道成寺は激しく音を立てて腰を抜かした。
目の前の大男が語った言葉は、凡そ正気のそれではない。
ある意味で、道成寺とは鏡合せの思考である。
日本人は畜生であるのか天人であるのか――ただ、道成寺が自分達を例外としているのに対し、自分の家族すら死に追い遣った相手すらも自らの好評価に内包しようという獅乃神は遥かに徹底して異常だった。
「余は父上の後継として、日嗣として、一人の皇國臣民である汝の名もまた、誇り高き戦士として遺したいと考えている。その為には汝に真意を問い質さねばならん。さあ話せ」
「頭がおかしいのかね君は!?」
道成寺は尻餅を搗いたまま後退り、背中の壁を支えにして立ち上がった。
そして漸く、理解不能な獅乃神を指差して周囲の同志に命じる。
「同志屋渡、その痴れ者を殺せ! これ以上我輩に狂った妄言を聞かせるな!」
白羽の矢が立ったのは、道成寺が戦闘力に於いて最も信を置く屋渡倫駆郎だった。
だが屋渡は一向に動こうとしない。
「だ、駄目です首領……」
「あ?」
「駄目です首領Д! こいつと戦うのは駄目だ! 蜂起は中止して何処かへ逃げましょう!」
「な、何を言っているんだね君は!?」
屋渡は頭を抱え、震えながら拒絶の意を示した。
「俺には解るんです。この世には神為とは無関係に異常な強さを持った化物が居る。こいつは……絶対にヤバい!」
「ええい、ならば七曜衆! 同志火野、金剛、地頭! この使えん臆病者の代わりに君達が殺れ!」
「は、はい!」
地上ノ蠍座の最高幹部「七曜衆」の三人、火野初音・金剛悟・地頭恭輔が素早く議長席に飛び移り、獅乃神を取り囲んだ。
「余を殺すつもりか」
「首領の命令だからね」
「否、基よりそのつもり!」
「皇族は最初から皆殺しの予定だぜ!」
「そうか、あいわかった……」
獅乃神がそう納得した、次の瞬間だった。
三人は突然体が弾け飛び、肉片と血飛沫に変わってしまった。
乾いた破裂音の残響だけが周囲に死の余韻を撒き散らしていた。
「は、はぁぁああああ!?」
再び道成寺は腰を抜かした。
理解を超えた現象を目の当たりにし、その表情には困惑と恐怖がこびり付いていた。
「い、一体何をした! 君は今、我輩の能力で神為を禁じられて使えない筈! それがどうして……!」
「神為? 筋肉の微細な伸縮で空気に圧力を掛けて飛ばしただけで、神為でややこしいことをしたつもりは無かったのだが……」
獅乃神は少し考え込んだ後、右腕を高々と天に挙げた。
「しかし、貴龍院もああ言っていたことだし、折角だから使ってみるか。解禁第一発としてまずは……」
獅乃神が周囲を見渡すと、何人かの賊がパニックを起こして一目散で駆け出した。
殺されると察して議場から逃げようとしているらしい。
だが、獅乃神の掌から天に向けて放たれた光の筋は、ゆっくりと放物線を描いて下降し、逃げ出した賊に悉く打ち付けられ、敵を消滅、一掃してしまった。
「成程、これは良い。余計な被害を生まず、破壊したいものだけに力を作用させることが出来る……」
「な、なぁぁあああっ!?」
獅乃神は再び道成寺に歩み寄る。
「あがっ……! あがががが、ヒィィイイー!!」
「さあ教えてくれ、如何なる崇高な理念が汝を凶行に走らせたのかを……」
獅乃神は異様な程に穏やかな表情で道成寺に今一度手を差し伸べた。
道成寺の立場からすれば、只ならぬ程に恐ろしい光景だろう。
「や、やめろ!! 来るな!!」
「拒むな。聞き分けが無いならこのまま誅殺するしかなくなる。余はその様な結末など望まない。さあ、話せ」
道成寺は獅乃神の言葉に青褪めた。
完全に計算外、あまりにも理解を超えた事態に、道成寺は為す術も無かった。
次第に震えだし、奥歯を鳴らす、
そして遂には、恐怖のあまり叫びだしてしまった。
「い、嫌だ! 死ぬのは嫌だ! 助けて! 誰か! 頼む、誰か! 誰かアアアアア!! 殺される! 殺されてしまう!!」
道成寺は発狂した。
全ての日本人から国家を奪い、国家の上流階級を人民裁判に掛けると嘯いた男に今、真の絶対者による処断が下ろうとしていた。
その姿は心做しか光を纏っており、議場を照らしているようにも見える。
彼はゆっくりと階段を降り、中央の議長席へと歩いて行く。
そしてその眼は、血塗れで倒れる三人の遺体を映した。
獅乃神は一度足を止める。
「嵐花……」
第三皇女・狛乃神嵐花は道成寺の術識神為に因って操られ、辱められようとしていたところを、自らの懇願で姉に胸を貫かれた。
背中が血に染まっているのは、背後で心臓を握り潰された為だ。
「姉上……」
そのすぐ後に、第一皇女・麒乃神聖花が自らの心臓を止めた。
彼女も血に塗れているのは、死後に道成寺が拳銃を撃ち込んだからだ。
比較的穏やかに、綺麗に死んだ筈の者であろうと、道成寺は汚さずにはいられなかったということなのだろう。
勿論、長年憎み続けた相手ともなれば尚のことだ。
「父上……」
寿命を迎えた神皇・鳳乃神大智もまた、道成寺から銃弾を撃ち込まれた。
三人に一通り目を遣った獅乃神は、この事態を生み出した元凶たる道成寺の方に視線を向ける。
そしてそのまま、議長席の彼へ向かった再び階段を降り始めた。
「獅乃神様っ!」
そんな主の許へ、近衛侍女・敷島朱鷺緒は息を切らして駆け寄った。
普段の凜とした姿は一欠片も見られず、崩れる様に駆け込んで彼の前に平伏した。
「誠に……誠に申し訳御座いません! 全てはこの私の力が至らぬばかりに! 如何様に苛酷な罰も甘んじてお請けいたします故、何卒怒りをお鎮めください!」
それは絵に描いた様な土下座だった。
美しく整った所作が、却って彼女の必死さと弱々しさを引き立てている。
敷島は常々、獅乃神叡智に美しい夢を見せ続けるよう努めてきた。
現実世界の醜さ、残酷さを知ってしまうというのは、何としても避けたい事態だった。
開戦前夜には既に蟻の一穴程の亀裂が入ってしまっていたが、事此処に至って完全に崩壊したとみて間違い無いだろう。
最早敷島には、唯々地べたに額を擦り付けて許しを乞うしかないのだ。
「敷島よ、面を上げよ」
そんな敷島の背中に、獅乃神は淡々とした口調で命じた。
敷島はこれから判決を受ける罪人の様に、震えながらゆっくりと顔を上げる。
怯えきった涙目の表情で、奥歯をガタガタと鳴らしながら、それでも主に逆らえない彼女は、影の差した竜顔を真直ぐに見上げる他無い。
宛らその様は、死刑宣告を待っているかの様だ。
「確かに、恐ろしい事態であろう。だが落ち着くが良い、敷島よ」
そんな近衛侍女に、獅乃神は諭す様に落ち着いた声で語り掛ける。
「凡その事情は貴龍院から聞いた。余に汝を責めるつもりなど毛頭無い。それと、汝は大いなる勘違いをしているようだ」
獅乃神は顔を上げ、議場全体を見渡した。
「今、余はこの場の誰に対しても怒りなど抱いていない」
「え……?」
敷島は訳が解らず、口を半開きにしたまま固まった。
獅乃神はそんな敷島の頭をそっと撫でると、彼女を置いて道成寺の方へとまた歩き始めた。
「怒りも、悲しみも、汎ゆる激情は一場の揺らぎだ。ならば唯一時、己が心情を傾ければそれで事足りる。先に綾花や那智の死に触れて余はそう学んだ。故に、今の余は至って平静なのだ」
言葉の通り、議長席へ向けて階段を降る獅乃神の表情には一切の負の想念が見られない。
というより、常人に計り知れない心境を映す様に、能面を思わせる表情で道成寺を見据えていた。
「ふ、ふふふ。何を偉そうに気取っているのかね……?」
そんな獅乃神の有り様に気圧されている道成寺だったが、強がりからか胸を貸す様に相対する。
丁度、議長席の道成寺と階段上の獅乃神で目線の高さが重なった。
「莫迦息子が、早速皇帝気分のようだね。ならばその座に着かせてやった我輩に感謝するが良い!」
道成寺は獅乃神を挑発し、銃口を向けた。
彼が使用した第二の術識神為による能力、神為使用の制限は今も有効である。
如何に「絶対強者」と呼ばれる彼であろうと、万全の状態で神為を使える自分の方が圧倒的に有利――そう高を括っているらしい。
だが、敷島にとってその態度は地雷原で暗黒舞踊を行う様な命知らずである。
彼女は再び焦燥に駆られた。
「やめろ道成寺! 頼むから獅乃神様を挑発してくれるな! この御方の……この御方のお怒りは……!」
階段を慌てて降り、足を縺れさせて転倒する敷島は無様そのものだった。
だが、彼女がそうなってしまうのも無理は無い。
今、敷島は侍従長・大覚寺常定から聞いた言葉を反芻していた。
『絶対強者・獅乃神叡智殿下にお仕えする者は心せよ。其方の主となる御方のお怒りは、三千世界を畢らせる』
それは獅乃神に親しい者にとって、常識ともいえる戒めであった。
そうとも知らない道成寺の無謀な態度に、この場の者達は皆戦々恐々としていた。
「道成寺よ」
獅乃神の体がふわりと浮き上がり、道成寺の眼前に降り立った。
道成寺は驚いて後退り、今一度力強く銃を向ける。
そんな相手に対し、獅乃神はあくまでも淡々とした口調で言い聞かせる。
「道成寺よ、余は汝と話がしたくて此処へ来たのだ」
「は、……は?」
道成寺は素頓狂な声を漏らした。
理解の出来ない言葉に虚を突かれた、と言ったところか。
「話って……戦いに来たのではないのかね?」
「それは無い。父上はその気になればいつでも汝らを鏖殺出来たし、それは余とて同じこと。現場に足を運ぶまでも無い。しかし、それでは此程の事を起こした汝等に対し、あまりに無体ではないかと思ってな」
「いやいやいやいや!!」
道成寺は首を激しく横に振った。
「我輩は国家を転覆しようとしている、君にとっての敵なのだよ? 君の家族を三人も殺し、残る二人もこれから処刑しようとしている。我輩が起こした事というのは、つまりそういうものだ。それを君は……一体何を言っているのかね?」
「無論、許そうというものではない。国家叛逆罪の刑罰には皇國の法律上死刑以外存在しない。或いは指定貴族による誅殺権の行使か。何れにせよ、最終的には死によって処されることになるだろう。だがその前に、汝には叛逆に至った信義を訊いておかねばなるまい」
道成寺は意味が解らないと言った様子で口を開けている。
獅乃神はそんな周囲の反応は気にも留めず、更に話を続ける。
「ここまでのことをしでかしたのだ、何か汝なりの信念に基づいている筈だ。汝には汝なりの誇り高き意志、理念、理想、大義、正義、そして切望があったのだと、余は十全に疑いなく信じている。そうだろう?」
真紅と柳緑の眼が光を点している。
冷や汗を掻く道成寺に、獅乃神の太い腕が差し伸べられた。
一見すると美しい光景の様だが、その姿には只ならぬ狂気にも似た何かが渦巻いていた。
獅乃神は自分の真意をこう纏める。
「何故なら、道成寺よ。汝もまた日本人なのだから。清く正しく美しい大和民族なのだから」
道成寺は激しく音を立てて腰を抜かした。
目の前の大男が語った言葉は、凡そ正気のそれではない。
ある意味で、道成寺とは鏡合せの思考である。
日本人は畜生であるのか天人であるのか――ただ、道成寺が自分達を例外としているのに対し、自分の家族すら死に追い遣った相手すらも自らの好評価に内包しようという獅乃神は遥かに徹底して異常だった。
「余は父上の後継として、日嗣として、一人の皇國臣民である汝の名もまた、誇り高き戦士として遺したいと考えている。その為には汝に真意を問い質さねばならん。さあ話せ」
「頭がおかしいのかね君は!?」
道成寺は尻餅を搗いたまま後退り、背中の壁を支えにして立ち上がった。
そして漸く、理解不能な獅乃神を指差して周囲の同志に命じる。
「同志屋渡、その痴れ者を殺せ! これ以上我輩に狂った妄言を聞かせるな!」
白羽の矢が立ったのは、道成寺が戦闘力に於いて最も信を置く屋渡倫駆郎だった。
だが屋渡は一向に動こうとしない。
「だ、駄目です首領……」
「あ?」
「駄目です首領Д! こいつと戦うのは駄目だ! 蜂起は中止して何処かへ逃げましょう!」
「な、何を言っているんだね君は!?」
屋渡は頭を抱え、震えながら拒絶の意を示した。
「俺には解るんです。この世には神為とは無関係に異常な強さを持った化物が居る。こいつは……絶対にヤバい!」
「ええい、ならば七曜衆! 同志火野、金剛、地頭! この使えん臆病者の代わりに君達が殺れ!」
「は、はい!」
地上ノ蠍座の最高幹部「七曜衆」の三人、火野初音・金剛悟・地頭恭輔が素早く議長席に飛び移り、獅乃神を取り囲んだ。
「余を殺すつもりか」
「首領の命令だからね」
「否、基よりそのつもり!」
「皇族は最初から皆殺しの予定だぜ!」
「そうか、あいわかった……」
獅乃神がそう納得した、次の瞬間だった。
三人は突然体が弾け飛び、肉片と血飛沫に変わってしまった。
乾いた破裂音の残響だけが周囲に死の余韻を撒き散らしていた。
「は、はぁぁああああ!?」
再び道成寺は腰を抜かした。
理解を超えた現象を目の当たりにし、その表情には困惑と恐怖がこびり付いていた。
「い、一体何をした! 君は今、我輩の能力で神為を禁じられて使えない筈! それがどうして……!」
「神為? 筋肉の微細な伸縮で空気に圧力を掛けて飛ばしただけで、神為でややこしいことをしたつもりは無かったのだが……」
獅乃神は少し考え込んだ後、右腕を高々と天に挙げた。
「しかし、貴龍院もああ言っていたことだし、折角だから使ってみるか。解禁第一発としてまずは……」
獅乃神が周囲を見渡すと、何人かの賊がパニックを起こして一目散で駆け出した。
殺されると察して議場から逃げようとしているらしい。
だが、獅乃神の掌から天に向けて放たれた光の筋は、ゆっくりと放物線を描いて下降し、逃げ出した賊に悉く打ち付けられ、敵を消滅、一掃してしまった。
「成程、これは良い。余計な被害を生まず、破壊したいものだけに力を作用させることが出来る……」
「な、なぁぁあああっ!?」
獅乃神は再び道成寺に歩み寄る。
「あがっ……! あがががが、ヒィィイイー!!」
「さあ教えてくれ、如何なる崇高な理念が汝を凶行に走らせたのかを……」
獅乃神は異様な程に穏やかな表情で道成寺に今一度手を差し伸べた。
道成寺の立場からすれば、只ならぬ程に恐ろしい光景だろう。
「や、やめろ!! 来るな!!」
「拒むな。聞き分けが無いならこのまま誅殺するしかなくなる。余はその様な結末など望まない。さあ、話せ」
道成寺は獅乃神の言葉に青褪めた。
完全に計算外、あまりにも理解を超えた事態に、道成寺は為す術も無かった。
次第に震えだし、奥歯を鳴らす、
そして遂には、恐怖のあまり叫びだしてしまった。
「い、嫌だ! 死ぬのは嫌だ! 助けて! 誰か! 頼む、誰か! 誰かアアアアア!! 殺される! 殺されてしまう!!」
道成寺は発狂した。
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