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第三章『争乱篇』
第七十三話『厭戦』 破
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日本国は国会議員会館、皇奏手事務所。
その主たる彼女は今、皇國で起きた一連の動きに心から安堵していた。
「た、助かった……。上手く行った……」
この日、日本国内閣総理大臣・真柴和也の元に米国はホワイトハウスからホットラインが繋がった。
どうやら皇國の都築廉太郎が停戦交渉を望んでいるとのことだ。
その報せを受けた皇は安堵感から椅子の上で腰を抜かしてしまったのだ。
「だ、大丈夫ですか、先生?」
彼女の秘書・伴藤明美が心配して声を掛ける。
皇が此程情けない姿を人に見せたのは全く初めてのことだった。
皇は姿勢を正し、椅子に坐り直した。
「流石に、この一週間は生きた心地がしなかったわ。肝煎りの作戦に失敗して、最後に取っておいた一か八かの賭けに望みを繋ぐ羽目になるなんてね……」
皇は皇國と開戦した当初から万が一の時の為に布石を打っていた。
基より、この戦争が極めて厳しいものになることを予見していた彼女は、何処かのタイミングで皇國内の叛逆勢力が動き出すことに賭けて過剰な戦果を喧伝していたのだ。
初手で皇國を支える根幹である神皇が伏せっていたのは彼らにとって絶好の機会の筈だ。
そこへ日本国の快進撃、即ち皇國の危機的情報を与えることで、国内での蜂起を促し続けていた、という訳だ。
「しかし、随分とギリギリのタイミングで動きましたね」
「そうね……。あれで動いてくれなかったらどんどん望み薄になるところだったわ。全く、心臓に悪いったらありゃしない……」
実際には皇が戦果を誇張していたことなど武装戦隊・狼ノ牙はお見通しだった訳で、その上で最大級に皇國が追い込まれたタイミングを計った結果ああなったのである。
尤も、結果的には彼女の思惑通りに行ったことは間違い無いだろう。
だが、そんな彼女も一つ失敗と認めざるを得ない事も起きていた。
武装戦隊・狼ノ牙は革命に失敗した――そこまでは想定の範囲内だが、失敗して逃亡してしまったのは予想外だった。
しかもその逃亡先は日本国である。
「で、今度はその恩人達を日本で始末すると、そう言う訳ですか」
「当たり前じゃない。抑も奴らは日本国民にも危害を加えるような連中よ。そんな不逞の輩、歓迎する理由なんて微塵も無いわ」
「それはそうですけど、まだあの拉致被害者の皆さんに命懸けの戦いをさせるんですね」
「別に彼らA班じゃなくて元崇神會のB班を使っても良いのだけれど、彼らには貴女が連絡してくれるんでしょうね?」
「いえ、やはりここは信用の置けるA班にお願いしましょう!」
現在、神為に絡んだ有事に対処する組織として設けられた特別警察特殊防衛課は岬守航達拉致被害者から成るA班と元崇神會の構成員から成るB班がある。
そして崇神會を組み込む際、説得に行かされたのが伴藤なのだが、一秘密政治結社の崇神會が国の管理下に置かれるこの措置には先方の反発もあり、難しい交渉だった。
そんな経緯から、伴藤はB班にすっかり苦手意識を抱いてしまっていた。
「ま、久住さんを一足先にお帰し出来たのは良かったかも知れないですね」
「そうね。彼女のことだから、口には出さないまでも反感を抱くのは必至でしょう。あまり我々への不信感を溜め過ぎると後が怖いわ……」
「それもありますけど、もう一つ……」
首を傾げる皇に、伴藤は直近で入った一つの情報を告げた。
それを聞いた皇は目を見開き、そして口角を上げた。
それは普段の何かを企む様な笑みではなく、一つの朗報に心から喜んでいるような、そんな一切の淀みも無い笑みだった。
「随分嬉しそうですね、先生」
「当然でしょ。私を何だと思っているの?」
「ま、それもそうですね」
伴藤は珍しい皇の様子に笑みを零した。
一方で皇はずっと張っていた気が抜けたのか、再び椅子に凭れ掛かって天を仰ぐ。
「お疲れですね」
「そうね。これから総理と停戦協定の打ち合わせがあるわ。十分したら起こして頂戴」
皇は両目を閉じた。
彼女は開戦以来、殆ど休む間もなく働き続けている。
睡眠も、このような隙間時間を見付けては分単位で小まめに取っているという有様だ。
「そういえば、近く選挙なのに全然辻立ち出来てないわね……」
「そうですね。まあ先生はずっと皇國との戦いで働き詰めですし、仕方ないですよ」
「これが落ち着いたら色々と回らないと……」
実は日本国は衆議院選挙を一週間後の日曜日に控えている。
こういう危機に遭っては、通常内閣の支持率は上がるが今回はそう単純ではない。
真柴政権は元々選挙に弱く、その上野党や有権者の声を無視した強引なやり方で皇國との戦いに備えた法制度を整備してきた為、メディアにかなり集中攻撃を食らっていて、総辞職に追い込まれる瀬戸際だったのだ。
実態としては、戦争になったが為にどうにか延命した政権、と言うのが正しい評価だ。
「真柴総理は……正直もう駄目ね……。その後の総裁選で……私が……」
皇は束の間、ほんの束の間の眠りに就いた。
⦿⦿⦿
翌日、八月二十二日、昼。
皇國は公殿公爵邸では華族でも最高の名家である摂関家の当主達が集まっていた。
会を開いたのは、姉の公殿句子に代わり新たな公殿家当主となった公爵・公殿零鳴だ。
袴姿の、まさしく日本の伝統衣装を身に纏ったその姿は、物静かで知的で厳格な成年といった様相である。
尤も、この男も摂関家当主の例に漏れず既に相当の高齢で、この場の誰よりも年長の九十八歳である。
「遠路遙々よくお越し頂いた、甲卿、十桐卿、丹桐卿」
和室で一つの卓を囲むは同じ摂関家当主の公爵、甲烏黝・十桐綺葉・丹桐士糸である。
狼ノ牙から解放され、神為を取り戻した四人は二つの重大な議題について話し合う為に集まったのだ。
鹿威しが軽快な音を鳴らし、如何にもな和風邸宅の趣を醸し出している。
公殿がこのような趣味なのは、洋風趣味だった姉への反骨心から来ていた。
公殿零鳴にとって、公殿句子は長年目の上の瘤だった。
「扨て、早速本題に入ろう。先日の叛乱に於いて、連合革命軍を勢いづかせたのは旧一桐領及び旧鷹番領の陥落だった。やはり此処が宙に浮いてしまっている現状は皇國の存亡に関わる。そこで、現在の摂関家から新たに一桐家と鷹番家の当主を選出し、空白となった権限を引き継がせるのが急務であると某は思う」
摂関家は元々六家あったが、そのうち一桐家と鷹番家は甲家の先代当主・甲夢黝の企みによって拉致被害者を亡き者にしようとした際に死亡してしまっており、以来嫡流が絶えている状態である。
これによって華族最高位の名家が弱体化したことが革命動乱の遠因になったと、公殿は問題視しているのだ。
そしてその意識は他の三人も概ね同じだった。
「ふむ、甲家としては異論は無い。鷹番家は元々甲流から分かれているから、次弟の磨黝に鷹番家を継がせよう」
「それが良かろう。では一桐家は我が十桐家から甥の稿麿を継がせよう」
「何と。良いのですか、十桐卿? 稿麿殿は将来的に十桐家を継ぐ筈だったのでは?」
丹桐が驚いたのも無理は無い。
十桐家は稿麿を出してしまえば家を継ぐ者が居なくなるのだ。
いや、正確には稿麿の息子が居るが、若さに大きな懸念がある。
「それは問題無い。我に一つ考えがあっての。ここは一つ、我の意を酌んでくれんか?」
「十桐卿がそう仰るなら……」
丹桐は腑に落ちないといった様子だが、十桐に考えがあるというのならば大丈夫なのだろう。
この場は一旦、結論に辿り着いた。
「では、本題に移ろうか」
公殿が話題を変える。
基より、摂関家の後継者問題はこの後に話し合う内容の前座の様なものとこの場の全員が理解していた。
四人にとって腹に据えかねているのは、抑もがこの後継者問題を生む切掛となった連中の始末が未だに付いていないことである。
「知ってのとおり、狼ノ牙は明治日本へ逃亡した。道成寺太の正体があの道成寺公郎だとすると、尚も革命を諦めはしないだろう。某にはあの男が能く解る……」
公殿は忌々し気に目を細めた。
彼の姉である公殿句子はヤシマ人民民主主義共和国の時代、道成寺の広告塔として積極的に協力し、多くの反動勢力の粛正に手を貸してきた過去がある。
尤も彼女だけが悪い訳ではなく、元はといえば公殿家そのものが神和維新政府を裏切ったことこそ最初の罪であった。
現当主・公殿零鳴はそんな公殿家の過去を苦々しく思っているのだ。
「道成寺という男は蛇の様に執念深い男だ。あの男を生かしておくのは危険だ。潜伏先が皇國であれ、明治日本であれ、日本民族に災いを成そうとするに違いない。叩き潰さねばならぬ」
「しかし公殿卿、奴らが明治日本に逃げてしまった以上、そう簡単に手出しは出来ませんぞ? 戦力を差し向けるとなると、停戦を望む新しい神皇陛下に背くことになる」
「丹桐卿の懸念はご尤も、しかし紅共を放置は出来まい」
「十桐卿の仰るとおり。我々としても、不甲斐無いままでは終われんしな……」
「ではどうするというのです、甲卿?」
「御安心なされよ、御三方。某に考えがある」
公殿の両目が鋭い光を帯びた。
元々この会を設けたのは公殿である。
彼は自らの腹案を他の三人に告げる腹積もりだったのだ。
「此度の戦争で判ったことだが、明治日本にも神為を扱う戦士の集団が存在する。輪田少佐の侵攻時に輪田隊と戦ったのはその者達だった。おそらく、逃げ込んだ狼ノ牙に対処することになるのもな」
「あの者達、であろうな……」
十桐と丹桐の目が合った。
この二人は甲家先代当主の口車に乗せられて拉致被害者と戦っている。
もし彼らがその戦士達ならば戦力としては充分だろうと思われる。
「気に入らん連中ですがね」
「あれに関しては我らが全面的に悪いぞよ、丹桐卿」
「我が父の不始末、か……」
甲もまた苦い顔をしていた。
結果として、父が自害する切掛となった一件である、何も思わないではいられまい。
「しかし、あまり面白い話ではないな。皇國が出した不逞集団の後始末を明治日本に任せては、借りを作ってしまう」
「然様、甲卿の言うとおり」
公殿が腕を組んで頷いた。
「だから、その討伐に我々からも戦力を送り、明治日本との協力体制で狼ノ牙を討伐するのだ。共通の敵を前に関係を築けば、停戦に向けての良い弾みとなろう」
「しかし、そう上手く行きますかな? 敵国から送られた戦力を簡単には信用すまい」
「戦力ではない、和平交渉特使だ。表向きはな。それに、名目上は明治日本の管理下に置かれることになるだろう」
公殿は手を叩いた。
すると、三人の人影が素早く庭に飛び出して縁側の傍らに整列した。
それは心若き三人の乙女だった。
「美事な体捌きだ……。公殿卿、この娘達は?」
「某が先日雇い入れた三人の新華族令嬢だ。皆、自己紹介なさい」
公殿に促され、三人の乙女達が前に出る。
「お初に御目に掛かりますわ、摂関家当主の皆様方。私は別府幡子爵家の一人娘、別府幡黎子と申します。以後、お見知りおきを」
背の高い金髪碧眼の令嬢が恭しく頭を下げた。
色白で目鼻立ちがはっきりしており、何処か異国情緒を感じさせる美女である。
そんな彼女に続き、小柄で黒い衣装を身に着けた少女が軽く頭を下げる。
「枚辻子爵家長女、枚辻埜愛瑠。何なりとお申し付けを」
陰気さを纏った気怠げな少女だ。
猫の縫い包みを抱えており、見た目以上に幼い印象を与える。
「そして私がっっ……!」
突如、三人目の乙女が拳法の演武を見せ始めた。
素晴らしい体の切れから他の二人以上に只ならぬ実力を窺わせる。
だが、他の二人は曲がりなりにも良家の淑女や溺愛された少女といった、如何にも貴族といった出で立ちであるのに対し、彼女だけは何故か胴着にスパッツという異様に場違いな格好をしている。
「新華族令嬢三羽烏を束ねる伯爵令嬢! 全国高等學校武術大会三連覇! 鬼獄東風美ですっ!」
気不味い沈黙が流れた。
だが等の彼女は踏ん反り返り、尚も自分を誇示していた。
公殿が恥じ入る様に咳払いする。
「ま、まあこのような者達だが、実力は本物だ。彼女達を和平交渉特使の名目で明治日本に派遣し、狼ノ牙討伐に協力させるのだ」
「大丈夫か、公殿卿?」
「心配無用。向こうで振る舞いを指導してくれる当てもある」
公殿はそう言いながらも、三人娘からは白地に目を背けている。
一人、明らかにおかしな者が混ざっているだけで一纏めにされる他の二人はやや気の毒かも知れない。
「明治日本の民の言うことを聞く玉か?」
「いやいや、そうではない。現在向こうには一人、皇國貴族の令嬢が捕虜として囚われているのだ」
公殿の言葉に、他の三人は一人の人物を思い浮かべた。
「水徒端早辺子か!」
「うむ。彼女は捕虜になっているとはいえ、向こうの人間には恩も売っておる。彼女を和平交渉特使とし、三名はその助手として派遣するのだ」
日本国と皇國の関係は新たな局面へ向けて動き出しており、その先手は皇國側が打とうとしているようだ。
その主たる彼女は今、皇國で起きた一連の動きに心から安堵していた。
「た、助かった……。上手く行った……」
この日、日本国内閣総理大臣・真柴和也の元に米国はホワイトハウスからホットラインが繋がった。
どうやら皇國の都築廉太郎が停戦交渉を望んでいるとのことだ。
その報せを受けた皇は安堵感から椅子の上で腰を抜かしてしまったのだ。
「だ、大丈夫ですか、先生?」
彼女の秘書・伴藤明美が心配して声を掛ける。
皇が此程情けない姿を人に見せたのは全く初めてのことだった。
皇は姿勢を正し、椅子に坐り直した。
「流石に、この一週間は生きた心地がしなかったわ。肝煎りの作戦に失敗して、最後に取っておいた一か八かの賭けに望みを繋ぐ羽目になるなんてね……」
皇は皇國と開戦した当初から万が一の時の為に布石を打っていた。
基より、この戦争が極めて厳しいものになることを予見していた彼女は、何処かのタイミングで皇國内の叛逆勢力が動き出すことに賭けて過剰な戦果を喧伝していたのだ。
初手で皇國を支える根幹である神皇が伏せっていたのは彼らにとって絶好の機会の筈だ。
そこへ日本国の快進撃、即ち皇國の危機的情報を与えることで、国内での蜂起を促し続けていた、という訳だ。
「しかし、随分とギリギリのタイミングで動きましたね」
「そうね……。あれで動いてくれなかったらどんどん望み薄になるところだったわ。全く、心臓に悪いったらありゃしない……」
実際には皇が戦果を誇張していたことなど武装戦隊・狼ノ牙はお見通しだった訳で、その上で最大級に皇國が追い込まれたタイミングを計った結果ああなったのである。
尤も、結果的には彼女の思惑通りに行ったことは間違い無いだろう。
だが、そんな彼女も一つ失敗と認めざるを得ない事も起きていた。
武装戦隊・狼ノ牙は革命に失敗した――そこまでは想定の範囲内だが、失敗して逃亡してしまったのは予想外だった。
しかもその逃亡先は日本国である。
「で、今度はその恩人達を日本で始末すると、そう言う訳ですか」
「当たり前じゃない。抑も奴らは日本国民にも危害を加えるような連中よ。そんな不逞の輩、歓迎する理由なんて微塵も無いわ」
「それはそうですけど、まだあの拉致被害者の皆さんに命懸けの戦いをさせるんですね」
「別に彼らA班じゃなくて元崇神會のB班を使っても良いのだけれど、彼らには貴女が連絡してくれるんでしょうね?」
「いえ、やはりここは信用の置けるA班にお願いしましょう!」
現在、神為に絡んだ有事に対処する組織として設けられた特別警察特殊防衛課は岬守航達拉致被害者から成るA班と元崇神會の構成員から成るB班がある。
そして崇神會を組み込む際、説得に行かされたのが伴藤なのだが、一秘密政治結社の崇神會が国の管理下に置かれるこの措置には先方の反発もあり、難しい交渉だった。
そんな経緯から、伴藤はB班にすっかり苦手意識を抱いてしまっていた。
「ま、久住さんを一足先にお帰し出来たのは良かったかも知れないですね」
「そうね。彼女のことだから、口には出さないまでも反感を抱くのは必至でしょう。あまり我々への不信感を溜め過ぎると後が怖いわ……」
「それもありますけど、もう一つ……」
首を傾げる皇に、伴藤は直近で入った一つの情報を告げた。
それを聞いた皇は目を見開き、そして口角を上げた。
それは普段の何かを企む様な笑みではなく、一つの朗報に心から喜んでいるような、そんな一切の淀みも無い笑みだった。
「随分嬉しそうですね、先生」
「当然でしょ。私を何だと思っているの?」
「ま、それもそうですね」
伴藤は珍しい皇の様子に笑みを零した。
一方で皇はずっと張っていた気が抜けたのか、再び椅子に凭れ掛かって天を仰ぐ。
「お疲れですね」
「そうね。これから総理と停戦協定の打ち合わせがあるわ。十分したら起こして頂戴」
皇は両目を閉じた。
彼女は開戦以来、殆ど休む間もなく働き続けている。
睡眠も、このような隙間時間を見付けては分単位で小まめに取っているという有様だ。
「そういえば、近く選挙なのに全然辻立ち出来てないわね……」
「そうですね。まあ先生はずっと皇國との戦いで働き詰めですし、仕方ないですよ」
「これが落ち着いたら色々と回らないと……」
実は日本国は衆議院選挙を一週間後の日曜日に控えている。
こういう危機に遭っては、通常内閣の支持率は上がるが今回はそう単純ではない。
真柴政権は元々選挙に弱く、その上野党や有権者の声を無視した強引なやり方で皇國との戦いに備えた法制度を整備してきた為、メディアにかなり集中攻撃を食らっていて、総辞職に追い込まれる瀬戸際だったのだ。
実態としては、戦争になったが為にどうにか延命した政権、と言うのが正しい評価だ。
「真柴総理は……正直もう駄目ね……。その後の総裁選で……私が……」
皇は束の間、ほんの束の間の眠りに就いた。
⦿⦿⦿
翌日、八月二十二日、昼。
皇國は公殿公爵邸では華族でも最高の名家である摂関家の当主達が集まっていた。
会を開いたのは、姉の公殿句子に代わり新たな公殿家当主となった公爵・公殿零鳴だ。
袴姿の、まさしく日本の伝統衣装を身に纏ったその姿は、物静かで知的で厳格な成年といった様相である。
尤も、この男も摂関家当主の例に漏れず既に相当の高齢で、この場の誰よりも年長の九十八歳である。
「遠路遙々よくお越し頂いた、甲卿、十桐卿、丹桐卿」
和室で一つの卓を囲むは同じ摂関家当主の公爵、甲烏黝・十桐綺葉・丹桐士糸である。
狼ノ牙から解放され、神為を取り戻した四人は二つの重大な議題について話し合う為に集まったのだ。
鹿威しが軽快な音を鳴らし、如何にもな和風邸宅の趣を醸し出している。
公殿がこのような趣味なのは、洋風趣味だった姉への反骨心から来ていた。
公殿零鳴にとって、公殿句子は長年目の上の瘤だった。
「扨て、早速本題に入ろう。先日の叛乱に於いて、連合革命軍を勢いづかせたのは旧一桐領及び旧鷹番領の陥落だった。やはり此処が宙に浮いてしまっている現状は皇國の存亡に関わる。そこで、現在の摂関家から新たに一桐家と鷹番家の当主を選出し、空白となった権限を引き継がせるのが急務であると某は思う」
摂関家は元々六家あったが、そのうち一桐家と鷹番家は甲家の先代当主・甲夢黝の企みによって拉致被害者を亡き者にしようとした際に死亡してしまっており、以来嫡流が絶えている状態である。
これによって華族最高位の名家が弱体化したことが革命動乱の遠因になったと、公殿は問題視しているのだ。
そしてその意識は他の三人も概ね同じだった。
「ふむ、甲家としては異論は無い。鷹番家は元々甲流から分かれているから、次弟の磨黝に鷹番家を継がせよう」
「それが良かろう。では一桐家は我が十桐家から甥の稿麿を継がせよう」
「何と。良いのですか、十桐卿? 稿麿殿は将来的に十桐家を継ぐ筈だったのでは?」
丹桐が驚いたのも無理は無い。
十桐家は稿麿を出してしまえば家を継ぐ者が居なくなるのだ。
いや、正確には稿麿の息子が居るが、若さに大きな懸念がある。
「それは問題無い。我に一つ考えがあっての。ここは一つ、我の意を酌んでくれんか?」
「十桐卿がそう仰るなら……」
丹桐は腑に落ちないといった様子だが、十桐に考えがあるというのならば大丈夫なのだろう。
この場は一旦、結論に辿り着いた。
「では、本題に移ろうか」
公殿が話題を変える。
基より、摂関家の後継者問題はこの後に話し合う内容の前座の様なものとこの場の全員が理解していた。
四人にとって腹に据えかねているのは、抑もがこの後継者問題を生む切掛となった連中の始末が未だに付いていないことである。
「知ってのとおり、狼ノ牙は明治日本へ逃亡した。道成寺太の正体があの道成寺公郎だとすると、尚も革命を諦めはしないだろう。某にはあの男が能く解る……」
公殿は忌々し気に目を細めた。
彼の姉である公殿句子はヤシマ人民民主主義共和国の時代、道成寺の広告塔として積極的に協力し、多くの反動勢力の粛正に手を貸してきた過去がある。
尤も彼女だけが悪い訳ではなく、元はといえば公殿家そのものが神和維新政府を裏切ったことこそ最初の罪であった。
現当主・公殿零鳴はそんな公殿家の過去を苦々しく思っているのだ。
「道成寺という男は蛇の様に執念深い男だ。あの男を生かしておくのは危険だ。潜伏先が皇國であれ、明治日本であれ、日本民族に災いを成そうとするに違いない。叩き潰さねばならぬ」
「しかし公殿卿、奴らが明治日本に逃げてしまった以上、そう簡単に手出しは出来ませんぞ? 戦力を差し向けるとなると、停戦を望む新しい神皇陛下に背くことになる」
「丹桐卿の懸念はご尤も、しかし紅共を放置は出来まい」
「十桐卿の仰るとおり。我々としても、不甲斐無いままでは終われんしな……」
「ではどうするというのです、甲卿?」
「御安心なされよ、御三方。某に考えがある」
公殿の両目が鋭い光を帯びた。
元々この会を設けたのは公殿である。
彼は自らの腹案を他の三人に告げる腹積もりだったのだ。
「此度の戦争で判ったことだが、明治日本にも神為を扱う戦士の集団が存在する。輪田少佐の侵攻時に輪田隊と戦ったのはその者達だった。おそらく、逃げ込んだ狼ノ牙に対処することになるのもな」
「あの者達、であろうな……」
十桐と丹桐の目が合った。
この二人は甲家先代当主の口車に乗せられて拉致被害者と戦っている。
もし彼らがその戦士達ならば戦力としては充分だろうと思われる。
「気に入らん連中ですがね」
「あれに関しては我らが全面的に悪いぞよ、丹桐卿」
「我が父の不始末、か……」
甲もまた苦い顔をしていた。
結果として、父が自害する切掛となった一件である、何も思わないではいられまい。
「しかし、あまり面白い話ではないな。皇國が出した不逞集団の後始末を明治日本に任せては、借りを作ってしまう」
「然様、甲卿の言うとおり」
公殿が腕を組んで頷いた。
「だから、その討伐に我々からも戦力を送り、明治日本との協力体制で狼ノ牙を討伐するのだ。共通の敵を前に関係を築けば、停戦に向けての良い弾みとなろう」
「しかし、そう上手く行きますかな? 敵国から送られた戦力を簡単には信用すまい」
「戦力ではない、和平交渉特使だ。表向きはな。それに、名目上は明治日本の管理下に置かれることになるだろう」
公殿は手を叩いた。
すると、三人の人影が素早く庭に飛び出して縁側の傍らに整列した。
それは心若き三人の乙女だった。
「美事な体捌きだ……。公殿卿、この娘達は?」
「某が先日雇い入れた三人の新華族令嬢だ。皆、自己紹介なさい」
公殿に促され、三人の乙女達が前に出る。
「お初に御目に掛かりますわ、摂関家当主の皆様方。私は別府幡子爵家の一人娘、別府幡黎子と申します。以後、お見知りおきを」
背の高い金髪碧眼の令嬢が恭しく頭を下げた。
色白で目鼻立ちがはっきりしており、何処か異国情緒を感じさせる美女である。
そんな彼女に続き、小柄で黒い衣装を身に着けた少女が軽く頭を下げる。
「枚辻子爵家長女、枚辻埜愛瑠。何なりとお申し付けを」
陰気さを纏った気怠げな少女だ。
猫の縫い包みを抱えており、見た目以上に幼い印象を与える。
「そして私がっっ……!」
突如、三人目の乙女が拳法の演武を見せ始めた。
素晴らしい体の切れから他の二人以上に只ならぬ実力を窺わせる。
だが、他の二人は曲がりなりにも良家の淑女や溺愛された少女といった、如何にも貴族といった出で立ちであるのに対し、彼女だけは何故か胴着にスパッツという異様に場違いな格好をしている。
「新華族令嬢三羽烏を束ねる伯爵令嬢! 全国高等學校武術大会三連覇! 鬼獄東風美ですっ!」
気不味い沈黙が流れた。
だが等の彼女は踏ん反り返り、尚も自分を誇示していた。
公殿が恥じ入る様に咳払いする。
「ま、まあこのような者達だが、実力は本物だ。彼女達を和平交渉特使の名目で明治日本に派遣し、狼ノ牙討伐に協力させるのだ」
「大丈夫か、公殿卿?」
「心配無用。向こうで振る舞いを指導してくれる当てもある」
公殿はそう言いながらも、三人娘からは白地に目を背けている。
一人、明らかにおかしな者が混ざっているだけで一纏めにされる他の二人はやや気の毒かも知れない。
「明治日本の民の言うことを聞く玉か?」
「いやいや、そうではない。現在向こうには一人、皇國貴族の令嬢が捕虜として囚われているのだ」
公殿の言葉に、他の三人は一人の人物を思い浮かべた。
「水徒端早辺子か!」
「うむ。彼女は捕虜になっているとはいえ、向こうの人間には恩も売っておる。彼女を和平交渉特使とし、三名はその助手として派遣するのだ」
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家庭事情により給金の高い職場を求めて転職したリンリーは、縁あってブラウンロード伯爵家の使用人になった。
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神樹の里で暮らす創造魔法使い ~幻獣たちとののんびりライフ~
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貧乏な田舎村を追い出された少年〝シント〟は森の中をあてどなくさまよい一本の新木を発見する。
それは本当に小さな新木だったがかすかな光を帯びた不思議な木。
彼が不思議そうに新木を見つめているとそこから『私に魔法をかけてほしい』という声が聞こえた。
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〝この地はあなたが創造した聖地。あなたがこの地を去らない限りこの地を必要とするもの以外は誰も踏み入れませんよ〟
そんな言葉から始まるシントののんびりとした生活。
同じように行き場を失った少女や幻獣や精霊、妖精たちなど様々な面々が集まり織りなすスローライフの幕開けです。
※この小説はカクヨム様でも連載しています。アルファポリス様とカクヨム様以外の場所では公開しておりません。
最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。
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高校2年の夏。
高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。
地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。
しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。
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