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第三章『争乱篇』
第七十三話『厭戦』 序
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八月二十一日金曜日、皇國は革命動乱が収まって最初の週末を迎えようとしていた。
新たな神皇としての践祚の運びとなった獅乃神叡智は、議会を解放した後即座に皇宮へ戻り、宇気比の間から皇國全土へ神為を送り、社会の基盤となる動力源・衛生・治水などを復旧させた。
その後、平日に入って皇國の復興は凄まじい速さで進んでいた。
少なくない臣民がこの迅速さを獅乃神叡智の威光により皇國が力強く蘇る前触れだと考えている。
既に、新しい神皇は先代以上ではないかと囁かれ始めている程だ。
そんな彼はこの日、皇宮での昼食会に一人の男を招いていた。
食卓を挟んで彼の向かいの席に老年の男が一人、緊張した面持ちで料理越しに彼をじっと見守っていた。
獅乃神の両脇には二人の近衛侍女が控えている。
背の高い美女が二人佇む様は、獅乃神の立派な顔立ちと体格も相俟って、非常に絵になる様相だ。
「都築よ、遠慮することは無いぞ」
「は、はぁ……」
内閣総理大臣・都築廉太郎――獅乃神は何故かあれ以来、彼のことを気に入っていた。
二人の為に用意された昼食は、普段の皇國上流階級からは想像も出来ない質素な和食だった。
この革命動乱で、高級料理店や食材の卸業者は軒並み連合革命軍の襲撃に遭い、今は彼らといえども物理的に贅沢が出来ない状態なのだ。
但し、洗練された上品な盛り付けが成されている様は、流石皇族の食事といったところだろう。
「偶にはこういう食事も悪くはなかろう。子供の頃、姉上が皆に振る舞ってくれた料理を思い出す。賢智と嵐花はまだ生まれていなかったな……」
「然様で御座いますか……」
「とはいえ、臣民が変わらず満足な食事を得られているか心配になるところではあるな。父上が穀物企業を持っていたのはこの時の為だったか……」
「陛下の御厚意により帝嘗の備蓄を御放出いただき、軍の炊き出しを全土に展開しております故、何卒御安心を」
獅乃神は基本的に善意の人で、自分が助けたいと思った相手には何処までも甘い。
獅乃神は何処までも深く皇國を、日本人を愛している。
獅乃神は味方に付けてさえいればとことんまで施してくれる――それらの評が正しいと、都築はこの数日の果てにはっきりと認識した。
「ときに都築よ、復興は順調か?」
「御陰様で、全臣民が一丸となって皇國を蘇らせようと日々尽くしてくれています。政府も、議会も、貴族も、軍も、民間人も……。ここまで皇國が一体になったのは初めてかも知れません」
都築は別に獅乃神を煽てているのではなく、事実を告げただけだ。
実際、今の皇國は信じられない程纏まっている。
「各地の華族は指導力を発揮出来ているだろうか。今回の動乱で受けた打撃は大きかろうに、苦労を掛ける……」
「獅乃神様、御心配には及びませんわ」
獅乃神の脇からゴシックロリータ服の近衛侍女・貴龍院皓雪が口を挟む。
「確かに、一週間前に襲われた華族家は多い。公爵家から男爵家まで、実に多くの家が襲撃に遭い、当主や妻、嫡子や令息令嬢が殺害されています。その被害は甚大ですわ」
八月十四日に革命動乱が起きて、十九日にほぼ鎮圧されるまで五日間、多くの名家が襲われて犠牲にあった。
一族が断絶した貴族も少なくない。
主だったところを挙げると、輪田将軍家、久遠寺公爵家、華藏公爵家、大河侯爵家、大覚寺侯爵家、青龍侯爵家、松峰侯爵家、刻御門伯爵家、砂倉伯爵家、鷲津伯爵家、赤土伯爵家、猪熊子爵家、黒小路子爵家、布部冷子爵家、新田子爵家、杜若男爵家、部井男爵家、菱見男爵家が皆殺しにされて断絶したし、甲公爵家、灰祇院侯爵家、丸麦伯爵家、苑子爵家、稲毛男爵家が襲われて当主か嫡子の何れかを喪っている。
「しかし、皇國の華族とは先帝陛下がお認めになった者達です。残った者達はこの国難にその気概を見せ、立派に復興を主導していますわ」
「それは良かった」
獅乃神は心底嬉しそうに笑った。
この男は表裏の無い性格をしているので、本心から喜んでいると見て間違い無いだろう。
「都築、それともう一つ、停戦の交渉はどうなっている?」
「はい、其方に尽きましては両の日本と同盟関係にある米国に対して仲介を依頼しております。ただ、相手側の事情もありすぐに結べる可能性は薄いでしょう」
「そうなのか?」
「明治日本では衆議院の任期、即ち内閣の任期が迫っているのです。既に選挙日の公示を行っており、来週日曜の結果次第でどう転ぶかわかりません」
「なんと、戦時中に選挙をやるのか?」
「どうも、明治日本には戦時中に選挙を停止する制度が無いらしく……。まあ、どうもあちらの歴史的な事情があるようですな」
「そういうものか……」
獅乃神は腑に落ちない様子で考え込んでいる。
そして、一つの決心を固めたようだ。
「学んでおくべきなのかも知れんな。明治日本の文化や価値観、その背景となっている歴史について、事細かに……」
「それは……大変宜しいことかと」
「そうだろうそうだろう」
獅乃神は得意気に頷いた。
「今回、明治日本の戦い振りは目を瞠るものがある。住む世界と歩んできた歴史は違えど流石は日本人と感心していたのだが、ではその世界と歴史は皇國とどう違うのか、それを紐解いて理解してみたいと思っているのだ。両国は哀しい歴史を歩んでしまったが、そこは和を尊ぶ日本人同士、孰れは解り合って友好的な関係を回復し、延いては円満に一つになるのが望ましいだろう。その為にはまず、此方から明治日本の歴史と文化に敬意を持って接しなければ。屹度、彼方も素晴らしいものを有しているに違いない」
目を輝かせる獅乃神の様子に、都築は只ならぬ不安を覚えた。
メイド服姿の近衛侍女・敷島朱鷺緒も蒼い顔で目を背けている。
おそらく、同じ様な心持ちなのだろう。
今まで、獅乃神叡智は夢の世界に生きてきた。
どこまでも理想的で神聖なる国家の君主になるべく生まれてきたという美しい夢だ。
皇國は国を挙げて獅乃神叡智に見たいものだけを見せてきたと言っても過言ではない。
だが、日本国にそんな義理は無い。
獅乃神が日本国について学べば、必然的に見たくも無い現実に直面するだろう。
その時、果たして彼はどのような反応を示すだろうか。
「都築よ、確かこの世界に来た際にその辺りのことは調査している筈だな。その資料、全て手配するのだ。俺は皇國最大最高の明治日本に対する理解者となって見せよう」
「は、はい……。ですがまずは復興を優先する訳には参りませんでしょうか。資料を用意するとなると、それなりに多岐に亘る省庁の手が煩わされます」
「無論、それは当然のことだ。言うまでもない」
都築は考える。
見せるべき資料は慎重に厳選しなければならない。
無論、厳選したとは判らないように。
その為の時間を、復興までの期間で稼がなくてはならない。
「ああ、復興といえば都築よ、あのことは今も同じ思いなのか?」
「あのこと、ですか?」
「うむ、復興と停戦が終わった後の汝の進退だ」
革命動乱が鎮圧されたタイミングで、都築は獅乃神に一つの意向を伝えていた。
「はい。この度の叛乱で皇國はあまりにも大いなる存在を喪いました。私はそれに対処出来なかった総理大臣として、後始末を終えた際には速やかに退こうと思っております。それは今も変わっておりません」
「そうか……。汝は短いながら良い総理大臣だったと思うし、国防軍と遠征軍が復興に手を取り合ったのは汝の御陰だ。このまま続けてもらいたいところなのだが……汝がそう言うならば仕方が無いな。父上や姉上、嵐花のことを重く受け止めているのならば、結論は尊重せねばなぁ……」
獅乃神は渋々受け容れたといった様子だが、腕を組んで思い悩んでいる。
何か考え事をしているらしい。
「しかし、汝に代わる人材は然う然う居まい。次の首相はどうなるのが望ましいか……」
基本的に、皇國の内閣総理大臣選定方法は日本国と殆ど同じである。
衆議院議員から首班指名で最多の票を得た議員が総理大臣に指名される。
違いは天皇、皇國でいう神皇からの任命を経ないことだ。
憲法上、神皇の存在が何も定められていないのだから、当然のことだが。
実はここに、非常に大きな落とし穴がある。
憲法に出来るのは神皇の存在を定めないだけで、神皇そのものをこの世から消滅させることなど不可能だ。
現に、ここに神皇を名乗り皇國中からそう信任されている男が存在する。
その獅乃神は何かを思い付いて、再び眼を輝かせた。
都築はそんな彼を恐る恐る見詰めている。
何か途轍もなく嫌な予感がする。
果たして獅乃神は何を言い出すのだろうか。
「そうだ、打って付けの方法があるではないか。都築よ、明治日本の解散総選挙が月末というのは解ったが、皇國はいつになる?」
「停戦交渉次第ですな。皇國の場合、戦時中は選挙が停止します。実はもう既に衆議院の任期は切れているのですが、明治日本と開戦したが為に延期している状態なのです」
「成程成程……」
獅乃神は手を叩いた。
「ならばその選挙、俺も立候補しよう!」
「な、なんですと!?」
都築はあまりの驚きに大声を上げてしまった。
獅乃神の発言はそれ程に常識外れなのだ。
「じ、神皇陛下が立候補……政治に介入なさるおつもりですか?」
「介入ではない、俺が立候補し、首班指名されれば直々に政治を動かすことが出来るようになる。そうすれば、何もかも手っ取り早いだろう?」
「いけません陛下! それでは親政と代わらない! 皇國の歴史では、神和政府どころか千年以上の昔から回避されてきた暴挙です!」
「しかし……別に憲法上禁止されてはいないではないか」
都築は青褪めた。
皇國の憲法には神皇の存在が一切定められていないというのは先に述べたとおりである。
「素晴らしいですわ、獅乃神様!」
貴龍院が大袈裟な感激の仕草と共に絶賛の言葉を述べた。
そのせいで、都築はこれ以上止められなくなってしまった。
「貴方様の御叡慮はいつも正しい! 今は日本が一つになる上で大いなる試練の時! 貴方様が嘗て仰り給うた『千年の皇國を永遠の神國に』という大望は永き時を超えて帝の親政を蘇らせるに相応しい! 君臨し統治なさるは神武以来無二無双の栄達なる大英傑である貴方様! 今上神皇陛下の御代は大日本にとって永遠の祝福となりましょう!」
「そうかそうか、貴龍院も喜んでくれるか。敷島、汝はどう思う?」
話を振られた敷島を、都築は懇願する眼で凝視する。
だが、敷島にこの状況で逆らうという選択肢は無い。
獅乃神叡智の素晴らしい思い付きに水を差し、全員が大歓迎すべきところで冷や水を掛け、怒りを買うなどあってはならないのだ。
「私の申し上げるべき事は貴龍院殿と概ね同じです。大変、結構なことかと」
「そうだろうそうだろう。では、これから具体的な手筈を整えるべく準備をするとしよう。一刻も早くに強く豊かな皇國を蘇らせ、臣民の笑顔を取り戻し、日本人を輝きに満ち溢れた未来へと導かねばな」
敷島は申し訳無さそうな視線を都築に返していた。
(なんということだ……。なんとしても我が後継者を他に見付けなければ。それまでは停戦協定を結ばずに時間を稼がなければならない。陛下が自ら権力を握ることのないよう、御納得を賜れる人選をしなければ……!)
都築の多大な憂慮など露知らぬといった様子で、目の前では獅乃神と貴龍院が盛り上がり、話に花を咲かせていた。
新たな神皇としての践祚の運びとなった獅乃神叡智は、議会を解放した後即座に皇宮へ戻り、宇気比の間から皇國全土へ神為を送り、社会の基盤となる動力源・衛生・治水などを復旧させた。
その後、平日に入って皇國の復興は凄まじい速さで進んでいた。
少なくない臣民がこの迅速さを獅乃神叡智の威光により皇國が力強く蘇る前触れだと考えている。
既に、新しい神皇は先代以上ではないかと囁かれ始めている程だ。
そんな彼はこの日、皇宮での昼食会に一人の男を招いていた。
食卓を挟んで彼の向かいの席に老年の男が一人、緊張した面持ちで料理越しに彼をじっと見守っていた。
獅乃神の両脇には二人の近衛侍女が控えている。
背の高い美女が二人佇む様は、獅乃神の立派な顔立ちと体格も相俟って、非常に絵になる様相だ。
「都築よ、遠慮することは無いぞ」
「は、はぁ……」
内閣総理大臣・都築廉太郎――獅乃神は何故かあれ以来、彼のことを気に入っていた。
二人の為に用意された昼食は、普段の皇國上流階級からは想像も出来ない質素な和食だった。
この革命動乱で、高級料理店や食材の卸業者は軒並み連合革命軍の襲撃に遭い、今は彼らといえども物理的に贅沢が出来ない状態なのだ。
但し、洗練された上品な盛り付けが成されている様は、流石皇族の食事といったところだろう。
「偶にはこういう食事も悪くはなかろう。子供の頃、姉上が皆に振る舞ってくれた料理を思い出す。賢智と嵐花はまだ生まれていなかったな……」
「然様で御座いますか……」
「とはいえ、臣民が変わらず満足な食事を得られているか心配になるところではあるな。父上が穀物企業を持っていたのはこの時の為だったか……」
「陛下の御厚意により帝嘗の備蓄を御放出いただき、軍の炊き出しを全土に展開しております故、何卒御安心を」
獅乃神は基本的に善意の人で、自分が助けたいと思った相手には何処までも甘い。
獅乃神は何処までも深く皇國を、日本人を愛している。
獅乃神は味方に付けてさえいればとことんまで施してくれる――それらの評が正しいと、都築はこの数日の果てにはっきりと認識した。
「ときに都築よ、復興は順調か?」
「御陰様で、全臣民が一丸となって皇國を蘇らせようと日々尽くしてくれています。政府も、議会も、貴族も、軍も、民間人も……。ここまで皇國が一体になったのは初めてかも知れません」
都築は別に獅乃神を煽てているのではなく、事実を告げただけだ。
実際、今の皇國は信じられない程纏まっている。
「各地の華族は指導力を発揮出来ているだろうか。今回の動乱で受けた打撃は大きかろうに、苦労を掛ける……」
「獅乃神様、御心配には及びませんわ」
獅乃神の脇からゴシックロリータ服の近衛侍女・貴龍院皓雪が口を挟む。
「確かに、一週間前に襲われた華族家は多い。公爵家から男爵家まで、実に多くの家が襲撃に遭い、当主や妻、嫡子や令息令嬢が殺害されています。その被害は甚大ですわ」
八月十四日に革命動乱が起きて、十九日にほぼ鎮圧されるまで五日間、多くの名家が襲われて犠牲にあった。
一族が断絶した貴族も少なくない。
主だったところを挙げると、輪田将軍家、久遠寺公爵家、華藏公爵家、大河侯爵家、大覚寺侯爵家、青龍侯爵家、松峰侯爵家、刻御門伯爵家、砂倉伯爵家、鷲津伯爵家、赤土伯爵家、猪熊子爵家、黒小路子爵家、布部冷子爵家、新田子爵家、杜若男爵家、部井男爵家、菱見男爵家が皆殺しにされて断絶したし、甲公爵家、灰祇院侯爵家、丸麦伯爵家、苑子爵家、稲毛男爵家が襲われて当主か嫡子の何れかを喪っている。
「しかし、皇國の華族とは先帝陛下がお認めになった者達です。残った者達はこの国難にその気概を見せ、立派に復興を主導していますわ」
「それは良かった」
獅乃神は心底嬉しそうに笑った。
この男は表裏の無い性格をしているので、本心から喜んでいると見て間違い無いだろう。
「都築、それともう一つ、停戦の交渉はどうなっている?」
「はい、其方に尽きましては両の日本と同盟関係にある米国に対して仲介を依頼しております。ただ、相手側の事情もありすぐに結べる可能性は薄いでしょう」
「そうなのか?」
「明治日本では衆議院の任期、即ち内閣の任期が迫っているのです。既に選挙日の公示を行っており、来週日曜の結果次第でどう転ぶかわかりません」
「なんと、戦時中に選挙をやるのか?」
「どうも、明治日本には戦時中に選挙を停止する制度が無いらしく……。まあ、どうもあちらの歴史的な事情があるようですな」
「そういうものか……」
獅乃神は腑に落ちない様子で考え込んでいる。
そして、一つの決心を固めたようだ。
「学んでおくべきなのかも知れんな。明治日本の文化や価値観、その背景となっている歴史について、事細かに……」
「それは……大変宜しいことかと」
「そうだろうそうだろう」
獅乃神は得意気に頷いた。
「今回、明治日本の戦い振りは目を瞠るものがある。住む世界と歩んできた歴史は違えど流石は日本人と感心していたのだが、ではその世界と歴史は皇國とどう違うのか、それを紐解いて理解してみたいと思っているのだ。両国は哀しい歴史を歩んでしまったが、そこは和を尊ぶ日本人同士、孰れは解り合って友好的な関係を回復し、延いては円満に一つになるのが望ましいだろう。その為にはまず、此方から明治日本の歴史と文化に敬意を持って接しなければ。屹度、彼方も素晴らしいものを有しているに違いない」
目を輝かせる獅乃神の様子に、都築は只ならぬ不安を覚えた。
メイド服姿の近衛侍女・敷島朱鷺緒も蒼い顔で目を背けている。
おそらく、同じ様な心持ちなのだろう。
今まで、獅乃神叡智は夢の世界に生きてきた。
どこまでも理想的で神聖なる国家の君主になるべく生まれてきたという美しい夢だ。
皇國は国を挙げて獅乃神叡智に見たいものだけを見せてきたと言っても過言ではない。
だが、日本国にそんな義理は無い。
獅乃神が日本国について学べば、必然的に見たくも無い現実に直面するだろう。
その時、果たして彼はどのような反応を示すだろうか。
「都築よ、確かこの世界に来た際にその辺りのことは調査している筈だな。その資料、全て手配するのだ。俺は皇國最大最高の明治日本に対する理解者となって見せよう」
「は、はい……。ですがまずは復興を優先する訳には参りませんでしょうか。資料を用意するとなると、それなりに多岐に亘る省庁の手が煩わされます」
「無論、それは当然のことだ。言うまでもない」
都築は考える。
見せるべき資料は慎重に厳選しなければならない。
無論、厳選したとは判らないように。
その為の時間を、復興までの期間で稼がなくてはならない。
「ああ、復興といえば都築よ、あのことは今も同じ思いなのか?」
「あのこと、ですか?」
「うむ、復興と停戦が終わった後の汝の進退だ」
革命動乱が鎮圧されたタイミングで、都築は獅乃神に一つの意向を伝えていた。
「はい。この度の叛乱で皇國はあまりにも大いなる存在を喪いました。私はそれに対処出来なかった総理大臣として、後始末を終えた際には速やかに退こうと思っております。それは今も変わっておりません」
「そうか……。汝は短いながら良い総理大臣だったと思うし、国防軍と遠征軍が復興に手を取り合ったのは汝の御陰だ。このまま続けてもらいたいところなのだが……汝がそう言うならば仕方が無いな。父上や姉上、嵐花のことを重く受け止めているのならば、結論は尊重せねばなぁ……」
獅乃神は渋々受け容れたといった様子だが、腕を組んで思い悩んでいる。
何か考え事をしているらしい。
「しかし、汝に代わる人材は然う然う居まい。次の首相はどうなるのが望ましいか……」
基本的に、皇國の内閣総理大臣選定方法は日本国と殆ど同じである。
衆議院議員から首班指名で最多の票を得た議員が総理大臣に指名される。
違いは天皇、皇國でいう神皇からの任命を経ないことだ。
憲法上、神皇の存在が何も定められていないのだから、当然のことだが。
実はここに、非常に大きな落とし穴がある。
憲法に出来るのは神皇の存在を定めないだけで、神皇そのものをこの世から消滅させることなど不可能だ。
現に、ここに神皇を名乗り皇國中からそう信任されている男が存在する。
その獅乃神は何かを思い付いて、再び眼を輝かせた。
都築はそんな彼を恐る恐る見詰めている。
何か途轍もなく嫌な予感がする。
果たして獅乃神は何を言い出すのだろうか。
「そうだ、打って付けの方法があるではないか。都築よ、明治日本の解散総選挙が月末というのは解ったが、皇國はいつになる?」
「停戦交渉次第ですな。皇國の場合、戦時中は選挙が停止します。実はもう既に衆議院の任期は切れているのですが、明治日本と開戦したが為に延期している状態なのです」
「成程成程……」
獅乃神は手を叩いた。
「ならばその選挙、俺も立候補しよう!」
「な、なんですと!?」
都築はあまりの驚きに大声を上げてしまった。
獅乃神の発言はそれ程に常識外れなのだ。
「じ、神皇陛下が立候補……政治に介入なさるおつもりですか?」
「介入ではない、俺が立候補し、首班指名されれば直々に政治を動かすことが出来るようになる。そうすれば、何もかも手っ取り早いだろう?」
「いけません陛下! それでは親政と代わらない! 皇國の歴史では、神和政府どころか千年以上の昔から回避されてきた暴挙です!」
「しかし……別に憲法上禁止されてはいないではないか」
都築は青褪めた。
皇國の憲法には神皇の存在が一切定められていないというのは先に述べたとおりである。
「素晴らしいですわ、獅乃神様!」
貴龍院が大袈裟な感激の仕草と共に絶賛の言葉を述べた。
そのせいで、都築はこれ以上止められなくなってしまった。
「貴方様の御叡慮はいつも正しい! 今は日本が一つになる上で大いなる試練の時! 貴方様が嘗て仰り給うた『千年の皇國を永遠の神國に』という大望は永き時を超えて帝の親政を蘇らせるに相応しい! 君臨し統治なさるは神武以来無二無双の栄達なる大英傑である貴方様! 今上神皇陛下の御代は大日本にとって永遠の祝福となりましょう!」
「そうかそうか、貴龍院も喜んでくれるか。敷島、汝はどう思う?」
話を振られた敷島を、都築は懇願する眼で凝視する。
だが、敷島にこの状況で逆らうという選択肢は無い。
獅乃神叡智の素晴らしい思い付きに水を差し、全員が大歓迎すべきところで冷や水を掛け、怒りを買うなどあってはならないのだ。
「私の申し上げるべき事は貴龍院殿と概ね同じです。大変、結構なことかと」
「そうだろうそうだろう。では、これから具体的な手筈を整えるべく準備をするとしよう。一刻も早くに強く豊かな皇國を蘇らせ、臣民の笑顔を取り戻し、日本人を輝きに満ち溢れた未来へと導かねばな」
敷島は申し訳無さそうな視線を都築に返していた。
(なんということだ……。なんとしても我が後継者を他に見付けなければ。それまでは停戦協定を結ばずに時間を稼がなければならない。陛下が自ら権力を握ることのないよう、御納得を賜れる人選をしなければ……!)
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