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ひと時の逢瀬
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それからの日々は、毎日静かに過ぎていった。
朝起きたら施療院に宿泊している患者達の食事を用意。包帯を巻きなおしたり、薬を与えたり。シーツをかえてやり、掃除をする。
汚れたシーツはまとめて洗濯に回し、干し終える頃には昼食の準備だ。患者達に昼食を与えてからようやく少しだけ休憩することができる。
静かで、変わらない毎日であったけれど――ある意味幸福な毎日でもあった。この城に戻ってきてから常にさらされていた『裏切り者の娘』という視線にさらされないですむから。
食事を出せば、「ありがとう」という声をかけてもらえる。シーツを替えればまた感謝の言葉。薬を出し、傷口の包帯を替える時も、同じ。中には手を取って、涙を流すくらいの感謝を捧げられることもあった。
「ジュール元王太子は、国境を越えたらしい」
「このまま戻ってこなければいいのに」
「いや、あいつの首がさらされるのを見なければ気がすまない」
「マクシムとヴァレリアンの時は、さらされなかったからな」
患者達の噂話を聞いていたディアヌの手がとまりかける。
あの時は、彼女の願いを聞いて、ルディガーは遺体を引き渡してくれた。本来なら、城下の広場で首を切られ、そのまま遺体をさらし者にされるところだったのに。
間違いなく、自分がわがままなのだろう。一度も親しみを持ったことがなかったとはいえ、二人の遺体がさらし者にされるのは見たくなかった。城の端に葬る場所も与えてもらった。
――けれど、王太子が戻ってくればこの平和な時間も終わってしまう。
「アメリア、どうした? 手がとまってるな」
「ごめんなさい……元王太子が戻ってこなければいいと思って」
患者に問われ、慌てて手を動かし始める。
戻ってこなければいいと思う反面、国内の争いはジュールが死ななければ、おそらく終わりにはならないのだろうとも思う。
ラマティーヌ修道院から派遣されている修道女達は、十日ほどで入れ替わることになっている。
あまり長い期間ここにいると、集中力が失われてしまうからだ。
患者達にも真摯に向き合いながらも、護衛の役につく。それは、彼女達がいくら鍛えられた精神の持ち主であったとしても、困難なことであるのは間違いがなかった。
ルディガーに会いたい。そんなこと、言えるはずもないけれど。ルディガーに王位を譲っただけの王妃としても言えるはずないし、施療院での治療にあたるただの見習い修道女にはもっと言えるはずなかった。
そろそろシーツを取り込まなければならない時間だ。自分に与えられた役くらいは、きちんと果たさなければ。
物干し場として使われている中庭に出て、シーツを取り込み始めたら、ルディガーがひょっこりと顔をのぞかせた。
「何も問題はないか」
「ありがとうございます」
ルディガーの顔を見るのは、十日ぶりくらいだろうか。こうやって顔を合わせるだけで、胸が掴まれたみたいに苦しくなる。そして、嬉しくなる。
礼を述べると、彼は不思議そうな顔になった。
「俺は、問題はないかと聞いたんだ。なぜ、礼を言うんだ」
「――私に、やるべきことを与えてくださったから、です」
中庭には、大量のシーツが干されている。日光にあてられ、完全に乾いたそれらは、かすかな風に揺れていた。
自分にできることなんて、たいしたことはない。二年の間は死ねないという事情も踏まえれば、こうして外に出る機会を与えなかったらずっと部屋で過ごしていたはず。
「どうせ、部屋の外に出るつもりはなかったんだろう。この城に来てから、ほとんどずっとそうだったらしいじゃないか」
「――使用人達を困らせたくなかったんです。父の名は、どこまでも私について回るのですから」
自分は違うと言ったところで、誰も信じなかったと思う。今だって、『王妃』に施療院での手伝いをするよう要請があったのだとしたら、きっと外には出なかった。
「私は、異母兄達よりひどい人間かもしれません。でも――それでも、やるべきことはやったので、満足です」
ルディガーはともかくとして、他の家臣達の信頼を得られていないのはわかっている。
今は、こうして偽名を名乗って、ディアヌのことを知らない人達の間にいるから、彼女自身に向けられた悪意に向き合わないですむだけ。
それでも、父や異母兄達のしてきた行いは、施療院に集まっている患者達の間にも暗い影を落としている。
自分にしいて笑みを作る。せっかくルディガーと会うことができたのだ。今は、笑っていなければ――笑った顔が崩れそうになって、慌てて背をそむけた。
手を伸ばし、干したシーツをロープから外す。手元で小さくまとめ、傍らに置いていた籠に放り込んだ。背中を向けたままで次のシーツに手を伸ばしたら、ぽんと頭に手が置かれる。
「――無理はするな」
その一言だけで、気持ちをぐらつかせるには十分だった。
無理はするな、と言われても――どうしたらいいのかわからない。
「無理なんて、していません。もし、今回の手配をしてくださらなかったら、こうして……外の空気を吸うこともしませんでした。護衛のこともきちんと考えてくださって」
「あれは、護衛のためだけじゃない」
「それも聞いています」
これ以上、気持ちをぐらつかせてはだめだ。わかっているはずなのに、彼の手から温かな何かが流れ込んでくるような気がして振りほどくこともできない。
もし――本当に「アメリア」だったなら。また、実現するはずのない夢を見てしまう。本当に、どうしようもない。
あふれてしまいそうな気持ちに、懸命に蓋をする。
「……あなたは、いつも――私に、もう少しだけ、生きていてもいいのだと思わせてくれます」
これ以上は、言えない。
「もう少しだけとか、そういう言い方はないだろう。生きていて悪い人間なんて、一人もいないはずだ」
不意に背後から腕が回された。二歩、後退させられたかと思ったら、ルディガーの腕の中に抱え込まれている。後頭部が、よく鍛えられた胸板に激突する。
「私の父にも、同じことを……言えますか?」
「罪を犯す前ならな。お前の父親は、たくさんの罪を犯した。それは、償わなければならないだろう。だが、お前は違う」
「……あなたのお父様を殺したのは、私の父親です。それをお忘れになったわけではないでしょう」
「戦の中でのことだ。それに、お前自身は、あの戦で何かしたというわけでもない」
けれど、父の罪を背負い、自分の罪も重ねてしまったのだから、これ以上は慎まなければ。
誰かに見られたら――という恐れも、周囲をシーツに囲まれているから少しだけ薄れた。
生まれてから、こんな風に抱きしめられたことが何度あったのだろう。
彼の呼吸に合わせて、ゆるやかに胸が上下するのを後頭部で感じ取る。それと同時に、心臓が規則正しく動いているのも。
もし、違う形で出会っていたならばと、幾度となく胸をかすめた想いがよみがえってきた。
「……見習い修道女に、そんな真似をしてはいけません。陛下」
全力の意思の力でそっと彼の腕を解き、向きを変えて新たなシーツに手を伸ばす。夕食前に、このシーツを畳んで、所定の場所にしまっておかなければ。
まとめたそれを籠に放り込み、次のシーツに手を伸ばす。だが、そのシーツが手に取る前に縄から外され、ふわりと宙を舞った。
目をしばたたかせれば、ルディガーがにやりとして、手に取ったシーツを籠に放り込んだ。
「二人でやった方が早いだろう」
「――こ、国王のすることではありませんよ……!」
「いいだろう。国境の城で『傭兵』を名乗っていた頃は、なんでも自分でやったんだ」
少しでも、側にいられるのを嬉しいと思ってしまう。この気持ちは、危険だ。
――自分が幸せになることを許されると思っているの。
自分で自分にそう意地悪な問いを投げかけずにはいられなかった。
父の血を引いているというだけではない。それが正しいと判断しての行為だったとしても、父や異父兄達がどんな人間だったとしても。
彼らを死に追いやったいう事実までは消し去ることができない。城内には、自分に向ける厳しい目がいくつもあるのもわかっている。
なのに、心は弱くて。少しでもこの時間を長引かせようと、シーツを取り込む手も止まりがちになる。
「誰かが見たら、変に思いますよ」
「問題ない。通りすがりに『見習い修道女』の手伝いをしてやっているだけだ。また、こうして手伝いに来ようか。そうすれば、堂々とお前に会える」
そんなことを言うから。
そんなことを言うから――また、気持ちが揺れてしまうのだ。
朝起きたら施療院に宿泊している患者達の食事を用意。包帯を巻きなおしたり、薬を与えたり。シーツをかえてやり、掃除をする。
汚れたシーツはまとめて洗濯に回し、干し終える頃には昼食の準備だ。患者達に昼食を与えてからようやく少しだけ休憩することができる。
静かで、変わらない毎日であったけれど――ある意味幸福な毎日でもあった。この城に戻ってきてから常にさらされていた『裏切り者の娘』という視線にさらされないですむから。
食事を出せば、「ありがとう」という声をかけてもらえる。シーツを替えればまた感謝の言葉。薬を出し、傷口の包帯を替える時も、同じ。中には手を取って、涙を流すくらいの感謝を捧げられることもあった。
「ジュール元王太子は、国境を越えたらしい」
「このまま戻ってこなければいいのに」
「いや、あいつの首がさらされるのを見なければ気がすまない」
「マクシムとヴァレリアンの時は、さらされなかったからな」
患者達の噂話を聞いていたディアヌの手がとまりかける。
あの時は、彼女の願いを聞いて、ルディガーは遺体を引き渡してくれた。本来なら、城下の広場で首を切られ、そのまま遺体をさらし者にされるところだったのに。
間違いなく、自分がわがままなのだろう。一度も親しみを持ったことがなかったとはいえ、二人の遺体がさらし者にされるのは見たくなかった。城の端に葬る場所も与えてもらった。
――けれど、王太子が戻ってくればこの平和な時間も終わってしまう。
「アメリア、どうした? 手がとまってるな」
「ごめんなさい……元王太子が戻ってこなければいいと思って」
患者に問われ、慌てて手を動かし始める。
戻ってこなければいいと思う反面、国内の争いはジュールが死ななければ、おそらく終わりにはならないのだろうとも思う。
ラマティーヌ修道院から派遣されている修道女達は、十日ほどで入れ替わることになっている。
あまり長い期間ここにいると、集中力が失われてしまうからだ。
患者達にも真摯に向き合いながらも、護衛の役につく。それは、彼女達がいくら鍛えられた精神の持ち主であったとしても、困難なことであるのは間違いがなかった。
ルディガーに会いたい。そんなこと、言えるはずもないけれど。ルディガーに王位を譲っただけの王妃としても言えるはずないし、施療院での治療にあたるただの見習い修道女にはもっと言えるはずなかった。
そろそろシーツを取り込まなければならない時間だ。自分に与えられた役くらいは、きちんと果たさなければ。
物干し場として使われている中庭に出て、シーツを取り込み始めたら、ルディガーがひょっこりと顔をのぞかせた。
「何も問題はないか」
「ありがとうございます」
ルディガーの顔を見るのは、十日ぶりくらいだろうか。こうやって顔を合わせるだけで、胸が掴まれたみたいに苦しくなる。そして、嬉しくなる。
礼を述べると、彼は不思議そうな顔になった。
「俺は、問題はないかと聞いたんだ。なぜ、礼を言うんだ」
「――私に、やるべきことを与えてくださったから、です」
中庭には、大量のシーツが干されている。日光にあてられ、完全に乾いたそれらは、かすかな風に揺れていた。
自分にできることなんて、たいしたことはない。二年の間は死ねないという事情も踏まえれば、こうして外に出る機会を与えなかったらずっと部屋で過ごしていたはず。
「どうせ、部屋の外に出るつもりはなかったんだろう。この城に来てから、ほとんどずっとそうだったらしいじゃないか」
「――使用人達を困らせたくなかったんです。父の名は、どこまでも私について回るのですから」
自分は違うと言ったところで、誰も信じなかったと思う。今だって、『王妃』に施療院での手伝いをするよう要請があったのだとしたら、きっと外には出なかった。
「私は、異母兄達よりひどい人間かもしれません。でも――それでも、やるべきことはやったので、満足です」
ルディガーはともかくとして、他の家臣達の信頼を得られていないのはわかっている。
今は、こうして偽名を名乗って、ディアヌのことを知らない人達の間にいるから、彼女自身に向けられた悪意に向き合わないですむだけ。
それでも、父や異母兄達のしてきた行いは、施療院に集まっている患者達の間にも暗い影を落としている。
自分にしいて笑みを作る。せっかくルディガーと会うことができたのだ。今は、笑っていなければ――笑った顔が崩れそうになって、慌てて背をそむけた。
手を伸ばし、干したシーツをロープから外す。手元で小さくまとめ、傍らに置いていた籠に放り込んだ。背中を向けたままで次のシーツに手を伸ばしたら、ぽんと頭に手が置かれる。
「――無理はするな」
その一言だけで、気持ちをぐらつかせるには十分だった。
無理はするな、と言われても――どうしたらいいのかわからない。
「無理なんて、していません。もし、今回の手配をしてくださらなかったら、こうして……外の空気を吸うこともしませんでした。護衛のこともきちんと考えてくださって」
「あれは、護衛のためだけじゃない」
「それも聞いています」
これ以上、気持ちをぐらつかせてはだめだ。わかっているはずなのに、彼の手から温かな何かが流れ込んでくるような気がして振りほどくこともできない。
もし――本当に「アメリア」だったなら。また、実現するはずのない夢を見てしまう。本当に、どうしようもない。
あふれてしまいそうな気持ちに、懸命に蓋をする。
「……あなたは、いつも――私に、もう少しだけ、生きていてもいいのだと思わせてくれます」
これ以上は、言えない。
「もう少しだけとか、そういう言い方はないだろう。生きていて悪い人間なんて、一人もいないはずだ」
不意に背後から腕が回された。二歩、後退させられたかと思ったら、ルディガーの腕の中に抱え込まれている。後頭部が、よく鍛えられた胸板に激突する。
「私の父にも、同じことを……言えますか?」
「罪を犯す前ならな。お前の父親は、たくさんの罪を犯した。それは、償わなければならないだろう。だが、お前は違う」
「……あなたのお父様を殺したのは、私の父親です。それをお忘れになったわけではないでしょう」
「戦の中でのことだ。それに、お前自身は、あの戦で何かしたというわけでもない」
けれど、父の罪を背負い、自分の罪も重ねてしまったのだから、これ以上は慎まなければ。
誰かに見られたら――という恐れも、周囲をシーツに囲まれているから少しだけ薄れた。
生まれてから、こんな風に抱きしめられたことが何度あったのだろう。
彼の呼吸に合わせて、ゆるやかに胸が上下するのを後頭部で感じ取る。それと同時に、心臓が規則正しく動いているのも。
もし、違う形で出会っていたならばと、幾度となく胸をかすめた想いがよみがえってきた。
「……見習い修道女に、そんな真似をしてはいけません。陛下」
全力の意思の力でそっと彼の腕を解き、向きを変えて新たなシーツに手を伸ばす。夕食前に、このシーツを畳んで、所定の場所にしまっておかなければ。
まとめたそれを籠に放り込み、次のシーツに手を伸ばす。だが、そのシーツが手に取る前に縄から外され、ふわりと宙を舞った。
目をしばたたかせれば、ルディガーがにやりとして、手に取ったシーツを籠に放り込んだ。
「二人でやった方が早いだろう」
「――こ、国王のすることではありませんよ……!」
「いいだろう。国境の城で『傭兵』を名乗っていた頃は、なんでも自分でやったんだ」
少しでも、側にいられるのを嬉しいと思ってしまう。この気持ちは、危険だ。
――自分が幸せになることを許されると思っているの。
自分で自分にそう意地悪な問いを投げかけずにはいられなかった。
父の血を引いているというだけではない。それが正しいと判断しての行為だったとしても、父や異父兄達がどんな人間だったとしても。
彼らを死に追いやったいう事実までは消し去ることができない。城内には、自分に向ける厳しい目がいくつもあるのもわかっている。
なのに、心は弱くて。少しでもこの時間を長引かせようと、シーツを取り込む手も止まりがちになる。
「誰かが見たら、変に思いますよ」
「問題ない。通りすがりに『見習い修道女』の手伝いをしてやっているだけだ。また、こうして手伝いに来ようか。そうすれば、堂々とお前に会える」
そんなことを言うから。
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