11 / 34
第一章
世界を渡ったもの達
しおりを挟む「あちらの世界の状況を知るために、明日にでもイクコを連れてヴィオラントの所に行ってくるよ。何か、彼らに言付けることはないか?」
郁子と国王夫妻の和やかなやりとりを見守りつつ、ルータスはそう続けた。
“明日にでも”とは郁子も初耳だったので驚いたが、隣国を訪ねること自体はそう珍しいことではないのか、ラウルとアマリアスは二つ返事で頷く。
そして、はっと何かを思い出したような顔をしたアマリアスが、パンッと手を鳴り合わせて言った。
「そうだわ、ルータスお義兄様! わたくし、スミレにケープを編みましたの。それを渡して下さいます?」
「いいよ」
頷くルータスを見て、彼女は「すぐに用意します」と慌ててソファから立ち上がろうとしたが、その隣に座っていたラウルがもっと慌てた様子でそれを止めた。
「こらっ、アマリアス! 急に立ち上がっちゃダメだよっ! お腹の子がびっくりするでしょ!」
その言葉にはっとした郁子は、アマリアスのお腹に視線をやった。
豊満な胸のすぐ下をリボンで絞った形のドレスは、よくよく見ればウェストの部分がゆったりとした作りになっていて、柔らかそうな生地に守られたアマリアスの下腹がぽっこり膨らんでいるのが分かった。
「王妃様……お腹に赤ちゃんがいるんだ……」
「うん、もうあと一月もしたら生まれるんじゃないかな」
郁子が自然と顔を綻ばせて呟くと、それを拾った隣のルータスが頷いた。
「明日イクコと一緒に訪ねようと思っているのは、俺の幼馴染みの屋敷なんだ。アマリアスはその男の妹だよ」
「妹が一国の王妃で、幼馴染みが王兄で……それで、ルータスのお友達は何者なわけ?」
「隣国グラディアトリアの先の皇帝。今は大公爵の地位にいる」
「なんて、スケールの大きい……」
その“大公爵”様の屋敷に、例の女子高生スミレもいるらしい。
国王陛下夫妻に続き、明日には元皇帝陛下に会いにいくことになるとは、郁子の今までの人生では考えられない展開である。
何とも肩が凝りそうな思いで、こっそり郁子がため息をついていると、件のケープを使用人に持ってくるように頼んでソファに座り直したアマリアスが、こちらもほうと上品なため息をついて言った。
「妊婦同士、お互い身体を冷やしちゃいけませんものね。スミレはお転婆ですから、心配ですわ」
またも聞き捨てならない言葉が混じったアマリアスの話に、郁子はおそるおそる隣のルータスに尋ねた。
「……ちょっと待って、妊婦同士? ルータス、そのスミレって子、まさか妊娠してるの?」
「してる」
「……十六って、言ってなかった?」
「言った」
愕然とした郁子の様子に首を傾げつつ、ルータスの答えはやはり淡々としている。
郁子は妙に口の中の渇きを覚えながら、さらに尋ねた。
「……お、お腹の子供の父親は?」
「俺の幼馴染みで、アマリアスの兄上。レイスウェイク大公爵閣下」
その大公爵様は、ルータスと同じ二十八歳。
対して、郁子のイメージの中ではまだセーラー服を着た子牛のままのスミレは、十六歳。
現代日本でも十代で子供を産む子はいるが、少なくとも郁子の周りにはそこまで若いママはいなかった。
「十六の子を孕ませるなんて……ちょっとあんたの友達、ご大層な肩書きのくせに大丈夫なの?」
「十六歳は、こっちの世界では立派な成人なんだ。君の世界では、まだ子供として扱われるみたいだけどね。そもそも二人は正式な夫婦だし、何の問題もないだろう」
口元を引き攣らせる郁子に対し、ルータスは平然と答え、向かいで彼らの会話を聞いていた国王夫妻も、揃ってノープロブレムとばかりに頷いた。
「あー……カルチャーショック……」
そう呟いて、郁子はコンラート王城の執事が淹れてくれた紅茶で口を潤し、懸命に自分を落ち着かせた。
郁子とルータスがお邪魔したのは、ちょうど国王夫妻の午前のお茶の時間だったようだ。
郁子は美味しい紅茶をいただきながら、王妃アマリアスと話をした。
生まれながらの貴婦人はそれはそれは上品で、輝くばかりの美貌は郁子の目には眩しかったが、アマリアスは気さくで楽しい女性で、二人はすぐに打ち解けた。
ソファの座り位置を男同士女同士にチェンジすると、郁子の隣に座ったアマリアスは「素敵素敵!」と黒髪褒めたたえた。
手を伸ばしてしきりに髪に触れる彼女の様子はどこか無邪気で、郁子はお返しとばかりにアマリアスの膨らんだ下腹をそっと撫でた。
温かく、かすかに感じる気配。
その膨らみの奥には、新たな命の鼓動。
自然と郁子の胸が熱くなるのは、彼女の中にも確かに存在する母性のせいだろうか。
郁子に出産経験はないし、兄弟もいなかった。
父は再婚を繰り返したが、相手の女性の誰も子供を産むことはなかったのだ。
もしも生まれていたら、腹違いの兄弟でも郁子にとっては可愛かったかもしれない。
そうしたら、兄弟を通じて継母達とももっと違った関係を築けたかもしれない。
それを振り返ると、今は少し切なくなる。
アマリアスの腹をそっと撫でながら、郁子はこの子が無事生まれてきてほしいと心から思った。
そんな郁子の想いが伝わったらしく、アマリアスは嬉しそうににっこりと微笑むと、「実は」と口を開いた。
「わたくしとお腹の子には、お守りがありますのよ。イクコ様にもご覧にいれますわ」
アマリアスはそう言うと、傍らに控えていた侍女に耳打ちをした。
侍女は心得たとばかりに頷くと、微笑むアマリアスと首を傾げる郁子にくるりと背を向け、部屋を出ていった。
しかし、すぐさま戻ってきた彼女の腕に抱かれていたものを見て、郁子は思わずソファの上で飛び上がりそうになった。
「――!? そ、それって……っ」
「つわりで一番苦しかった時、わたくしを元気づけてくださったお守りですわ」
真っ直ぐな黒い髪のおかっぱ頭。
大きな瞳はアメジストをはめ込んだような紫色。
ちょんと可愛い、慎ましい鼻と口。
そしてその身を包むのは、鮮やかな花を染め上げた美しい振り袖。
アマリアスがお守りだと言ったものは、郁子の元の世界である日本に馴染みの深い、日本人形だったのだ。
かつて郁子の実家の床の間にも、似たようなものを飾っていた記憶がある。
「イチマツ人形っていうのですよね? これはスミレに貰いましたの。本当はスミレのおじい様とおばあ様が、彼女をモデルに作らせたお人形らしいのですが、この子も火事にあって世界を渡ってきましたのよ」
「え?」
「そうですわよね? ルータスお義兄様」
アマリアスの言葉に、ラウルと一緒に女達の会話を黙って聞いていたルータスはこくりと頷いた。
「その人形は、俺の屋敷がまだ師ロバート・ウルセルの物だった頃、二つの世界で偶然同時に起こった火事の際に、こちらの世界に飛ばされてきたんだ。いわば、郁子の先輩だな」
「……それって、いつ?」
「十六年前だ。郁子がいたジテンシャ置き場のあるマンションができる前」
「……」
郁子の住んでいるマンションは、築十五年。
駅からも比較的近く、建物も綺麗で住みやすく、現在満室になっている。
郁子が直接関わるのは管理会社であるが、数年前までは最上階にオーナー夫妻が住んでいたとも聞く。
今は彼らも亡くなって、所有者が誰になっているのかは知らないが、ルータスの話が本当なら、この市松人形を元々持っていたのは郁子の住むマンションのオーナー夫妻だったのだろうか。
市松人形は子供の身に降りかかる難を身代わりに受けてくれると言われ、雛人形や五月人形と同様に初節句の際に贈られることが多い。日本では女児のいる家庭では特によく知られているが、コンラートのあるこの世界には存在しないものだった。
「一度は、本来の持ち主であるスミレの元に帰ったんだが、アマリアスを心配した彼女が自分の身代わりとして譲ったんだ」
「スミレはこのお人形にそっくりの、本当に可愛らしい女の子なんですのよ。私も出産が済んで落ち着いたら、また会いに行きたいですわ」
「その頃には、今度はスミレが産み月だよ。よし、皆で激励に行こう!」
そんな会話を聞きながら、郁子は手渡された市松人形を黙って見つめた。
世界を渡ってしまったという人形は、綺麗に手入れをされて、古ぼけた様子は微塵もない。
この人形にそっくりだというスミレという女子高生は、世界を渡って年の離れた男に嫁ぎ、周囲の人達にもとても愛されているようだ。
そして郁子も――昨日まで面識さえもなかった人々に囲まれ、労られて温かく接してもらっている。
いつのまにか、早く家に帰らなきゃ、携帯に就職の合否通知が――と、焦る気持ちが郁子の中で薄らいでしまっていた。
このままでいいのだろうかという思いと、ぬるま湯のような今の状況に浸かっていたいという思い。
そのふたつがせめぎ合い始めると、きっと自分は混乱してしまうだろう。
それが分かる郁子は、何も考えないようにして自分を守ろうとした。
思考を振り払うように市松人形から視線を外し顔を上げると、向かいのソファにいたルータスが、真っ直ぐに郁子を見つめていた。
「俺達が知っている世界を渡ったものは、この人形とスミレと、あとポトスっていう蔦植物だけだ」
「ポ……ポトス?」
「ああ。そのポトスは普通じゃないから説明が難しい。自分の目で見て確かめてくれ」
「……はあ」
「とにかく、こちらの世界にきた三つは全部、今は穏やかに暮らしている。だから、不安はあるだろうけど怖がることはない。俺達は君を歓迎しているんだよ、イクコ」
今までで一番力強く見えたその時のルータスの瞳に、郁子はドキリと胸が高鳴った気がして戸惑った。
そして、そんな郁子とルータスを見比べたラウルとアマリアスは、揃って柔らかい微笑みを浮かべて言った。
「そうだよ。ようこそコンラートへ、イクコ」
「お会いできてとっても嬉しいですわ、イクコ様」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さくら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
悪役令嬢まさかの『家出』
にとこん。
恋愛
王国の侯爵令嬢ルゥナ=フェリシェは、些細なすれ違いから突発的に家出をする。本人にとっては軽いお散歩のつもりだったが、方向音痴の彼女はそのまま隣国の帝国に迷い込み、なぜか牢獄に収監される羽目に。しかし無自覚な怪力と天然ぶりで脱獄してしまい、道に迷うたびに騒動を巻き起こす。
一方、婚約破棄を告げようとした王子レオニスは、当日にルゥナが失踪したことで騒然。王宮も侯爵家も大混乱となり、レオニス自身が捜索に出るが、恐らく最後まで彼女とは一度も出会えない。
ルゥナは道に迷っただけなのに、なぜか人助けを繰り返し、帝国の各地で英雄視されていく。そして気づけば彼女を慕う男たちが集まり始め、逆ハーレムの中心に。だが本人は一切自覚がなく、むしろ全員の好意に対して煙たがっている。
帰るつもりもなく、目的もなく、ただ好奇心のままに彷徨う“無害で最強な天然令嬢”による、帝国大騒動ギャグ恋愛コメディ、ここに開幕!
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
冷遇妃マリアベルの監視報告書
Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。
第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。
そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。
王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。
(小説家になろう様にも投稿しています)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる