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第八章 最終夜の舞踏会
第三十三話 対のような二人
しおりを挟む「私の時間、陛下に予約なんてされておりましたかしら?」
「なんだ、知らなかったのか? 心の中でしていたんだ」
オズワルドからソフィリアを奪還したルドヴィークは、彼女の手を引いて大広間の中央へと移動する。
二人に気づいた人々は、自然と道を開けた。
楽団を率いる老齢の指揮者が、揃って現れた皇帝とその補佐官を待ってましたとばかりに笑顔で迎える。
周囲を見渡せば、彼ら以外の組もパートナーが入れ替わっていた。
シェリーゼリアと踊っていたロレットー公爵は、今度は母后陛下の手を取っている。
代わってシェリーゼリアに捕まったユリウスは、珍しく緊張した面持ちだ。
ソフィリアと分かれたオズワルドの相手は、ルドヴィークの姉ミリアニスがするらしい。
その夫であるオルセオロ公爵にして騎士団長ジョルトは、パトラーシュの年嵩の侍女を踊りに誘った。
グラディアトリア、パトラーシュ、コンラートの騎士や文官、侍女や令嬢達も、それぞれ新たな相手を見つけて舞踏会を楽しんでいる模様。
一方、先ほどルドヴィークの相手をしていたモディーニは、給仕からワイングラスを受け取って壁際に移動していた。
するとそんな彼女に、以前お茶の席で一悶着起こしかけた四人の令嬢達が声を掛ける。
どうやら、侯爵令嬢と二人の伯爵令嬢に付き添われて、知らずパトラーシュの騎士に庭園を案内してしまった子爵令嬢がモディーニに謝っているようだ。
モディーニも四人の令嬢達も、それぞれ憑き物が落ちたみたいに穏やかな表情をしていた。
そんな中、ダンスを続けるのに相手が変わっていないのは……
「クロヴィスのやつ、ルリの手を他の男に譲る気は微塵もなさそうだな」
「まあ、閣下ったら。相変わらず、ルリに関することでは心が狭いですわね」
「だが、それはクロヴィスだけじゃないぞ。見てみろ、あそこ――」
「あら……」
ルドヴィークが顎をしゃくった先では、二曲を踊り終えたシオンとアリアーネがレイスウェイク大公爵夫妻の側に座ってお菓子を摘んでいた。
可愛い子供達と可愛いスミレの組み合わせを見ると、相変わらずソフィリアの頬はたちまちゆるゆるになってしまう。
ただし、そんな妻子を穏やかな目で見守っているようでありながら、その類稀なる美貌でもって周囲の男達への牽制を怠らないヴィオラントに気付くと苦笑に変わった。
「あの状況で、スミレをダンスに誘える猛者がいるなら見てみたいものだ」
「さすがは、ご兄弟……奥様への防御の堅さでしたら、クロヴィス様もヴィオラント様も負けていらっしゃいませんわねぇ」
くすくすと笑うソフィリアをルドヴィークが殊更優しい目で見下ろす。
それがなんだかひどく照れくさく感じたソフィリアは、すこしだけ視線を伏せた。
やがて、各々の組が場所を確保するのを待ち侘びたように、序奏が終わる。
改めて、ソフィリアは右手をルドヴィークの左手に重ね、そっと握りあう。
ソフィリアの左手はルドヴィークの右腕に、ルドヴィークの右手はソフィリアの左肩甲骨あたりにそっと添えられた。
そうして、三拍子で奏でられる優雅な音楽に乗り、二人は危なげなく踊り始める。
ソフィリアとルドヴィークが舞踏会でパートナーとなる機会は、今までも数え切れないくらいあった。
そもそも二人は同じ年に生まれ、社交界に仲間入りしたのも同じ年。
ソフィリアの父ロートリアス公爵が皇帝家と親密だったこともあり、お互いダンスの練習相手も務めたのだ。
「ダンスを習い始めた頃は、たびたび足を踏まれたものだ」
「まあ、きっと陛下の導き方が拙かったのでございましょう」
「言ったな。初めての舞踏会でお前が足取りを間違えた際、私がすかさず合わせてやったのを忘れたのか?」
「あら、そのすぐ後の回転の際に陛下の支えが甘くて、危うく転びそうになったことでしたら、よーく覚えておりますが?」
そんなふうに軽口を叩き合う二人の隣を、ミリアニスをリードしながらオズワルドが通り過ぎた。
しかし、ふと交わりそうになった彼とソフィリアの視線が、ルドヴィークの身体で遮られたのは、はたして偶然だろうか。
ミリアニスは少し驚いた顔をして、弟皇帝をまじまじと見つめていた。
一方、オズワルド達とは反対隣に一瞬並んだシェリーゼリアは随分と面白そうな顔、その相手であるユリウスは呆れ顔だ。
彼らと入れ替わるように隣に来た騎士団長ジョルトは、まるで好々爺のごとき笑顔を皇帝とその補佐官に向けた。
ロレットー公爵と踊る母后陛下も、なんだかとても分かりやすくご機嫌な様子。
トン、と背中同士をぶつけるようにして、宰相クロヴィスがルドヴィークの耳元に何やら囁いていったが、あいにくソフィリアには聞こえなかった。
その代わり、クロヴィスの向こうからルリが満面の笑みをくれる。
音楽は、やがて小気味良く速度を上げていく。
それに従い、ダンスもより動きのあるものへと変わっていった。
ルドヴィークの力強い腕が、ソフィリアをくるりと華麗にターンさせる。
ふんわりとしたシフォンのスカートが広がる様は、まさしく花が開くようだった。
ルドヴィークはもうダンスを習い立ての頃みたいに、彼女の身体を支えられないなんて失態は犯さない。
もちろんソフィリアだって、彼の足を踏むことも、ましてやステップを間違えることなんてありはしなかった。
まるで最初から対であったかのように、二人の息がぴったりと合う。
(楽しい……)
ダンスを習ってもう二十年以上。社交界に加わってすでに十年。
今まで数え切れないくらい、ルドヴィークとも彼以外とも踊ってきたが、この時初めて、ソフィリアはダンスが楽しいと心より思った。
先ほど相手をしたオズワルドもダンスが上手でソフィリアも楽しめたが、しかし今のルドヴィークとは比べものにならない。
握り合った手から伝わる温もりもその感触も、オズワルドはこんなにソフィリアを昂らせることはできなかった。
(私は陛下が――ルドヴィーク様が、こんなにも好き……)
好き――なんて言い方はあまりにも稚拙で、口にするのは憚られる。
けれども、皇妃になりたいとか、結婚したいとかではなく、ただ彼が好きで好きで堪らないと思った。
ソフィリアは改めて、ルドヴィークに対する自分の気持ちを確信したのである。
やがて曲調が変わり、緩やかな旋律になる。
それに従いダンスもゆったりとしたものへと変わり、二人は抱き合うように寄り添った。
自然とソフィリアは、ルドヴィークの胸に頬を寄せるような格好になる。
そんな中、ふいに彼に名を呼ばれた。
「ソフィ」
「はい」
「ソフィリア」
「……はい」
くっ付いているせいで、ルドヴィークの声が耳からだけではなく、お互いの身体そのものに響いて伝わってくる。
「このまま……少し私の話を聞いてほしい」
「……はい、陛下」
それから、わずかな沈黙の後。
ソフィリアの頬が触れている胸が大きく膨らんだことで、ルドヴィークが深く息を吸い込んだのがわかった。
そうして、吐息に乗って、彼の声が降ってくる。
「私はお前が――ソフィリアが好きだ」
とたん、ソフィリアはびくりと震えた。
と同時に、急激に鼓動が速まる。
ドキドキ、ドキドキと、それこそ楽団の演奏が聞こえなくなるくらいに心臓がうるさくなった。
ソフィリアの胸の奥でも――そして、ルドヴィークの胸の奥でも。
それとは裏腹に、彼は落ち着いた声でさらに言う。
「頼もしい補佐官として、また気の置けない友として――そして、今は何より一人の女性として、私はどうしようもなく、ソフィが好きだ」
「へい、か……」
好き――なんて、あまりにも稚拙な言い方だ。
そう思ってソフィリアは口を噤んだというのに、ルドヴィークは堂々とそれを言ってのけた。
なんだか負けたような、悔しいような心地になる。
この期に及んで体裁にこだわった自分の方が、ソフィリアはずっと幼稚に感じた。
そんな彼女の気も知らず、ルドヴィークは続ける。
「これまでの私は、ソフィはこの先もずっと自分の側にいると思い込んでいた。だが、彼の――」
ここで一瞬言葉を切ったルドヴィークが、少し離れた場所で次姉と踊っている、まだあどけなささえ残したコンラートの文官を一瞥するが……
「オズワルドの登場によって、ソフィの居場所が自分の隣ではなくなる――自分以外の男と寄り添う可能性にようやく思い立って……愕然とした」
すぐにソフィリアに視線を戻してそう打ち明けた。
そうして……
「私は、ソフィが好きだ」
もう一度、噛み締めるように想いを吐露する。
ソフィリアの心は震えた。
無性に泣いてしまいたくなって、慌てて俯く。
頭も心もこんなに混乱しているのに、踊り方が身体に染み付いているおかげで、足だけは勝手にステップを踏んでくれていた。
「皇帝という立場にある私からの想いをソフィが重荷に感じるのではないか。この気持ちを伝えることで、ソフィとの仲に綻びが生じるのではないか――そう、案じなかったわけではない」
だが、とルドヴィークはソフィリアの旋毛に囁くように続ける。
「ソフィがクロヴィスの下に付いて五年、そうして私の補佐官となって二年。私達はともにこの国のために尽くす同志として、対等な関係を築けていると確信している。皇帝だから、上司だからというだけで、お前は私の言葉を無理矢理に受け入れるようなことはないだろう」
だからもしも――自分を主君として、あるいは友人としてしか見られないというなら、遠慮せずにそう言ってくれてもかまわない。
ルドヴィークはそう告げてから、わずかな沈黙の後、ぽつりと呟いた。
「その時は……潔く諦める」
「……っ、陛下! 私はっ……」
それを聞いたソフィリアは慌てて彼を振り仰ぎ、首を横に振ろうとする。
自分も、彼のことを好きなんだ!
主君として、親友としてだけではなく、一人の男性として愛している!
そう、訴えようとしたのだ。
ところがである。
「――なんて、言うと思ったか?」
「……はい?」
ルドヴィークが口を開く方が早かった。
彼はにやりと不敵な笑みを浮かべて続ける。
「あいにく、ソフィを諦めるつもりなど、今の私には微塵もない」
「え、ええ……?」
「モディーニやオズワルドも言っていただろう。〝一度や二度ふられたくらいで諦めたりしない〟とな」
「は、はぁ……」
思わずぽかんとするソフィリアの顔を覗き込み、ルドヴィークは悪戯っぽく笑みを深める。
その目は、生き生きと――いや、爛々と輝いていた。
「知っているだろう、ソフィ。私は、あの兄達の弟だぞ?」
「あ……」
「たった一人、これと決めた相手のことならばどこまでも貪欲になってみせる」
「へ、陛下……」
ここで、曲が終わる。
あちらこちらで挨拶を交わす男女を余所に、ルドヴィークはソフィリアをなおも離そうとはしなかった。
そうして、彼は再びオズワルドに視線を向ける。
オズワルドがそれに気づかなかったのは幸いだっただろう。
ルドヴィークの眼差しは、これまでの彼らしからぬ鋭さをしていたから。
「いやはや、さっきはよくもソフィに下心を持つ男にこの手を譲ってやれたものだ。我ながら感心する」
痛いほどに右手を握り締められて、ソフィリアは戸惑う。
そんな彼女の腰をぐっと抱き寄せ、ルドヴィークはわずかに上擦り掠れた声でもって言った。
「兄上にとってのスミレ、クロヴィスにとってのルリのように……私が生涯をともにしたい人は、ソフィ――お前だけだ」
指揮者が腕を振り上げ、再び演奏が始まる。
しかしいつの間にか、踊っているのはソフィリアとルドヴィークの組だけになっていた。
皇帝家お抱えの楽団は、若き皇帝とその補佐官のためだけに、意気揚々と演奏を続ける。
頭上のシャンデリアから降り注ぐ光を浴びながら、まるで対のように息の合ったダンスを披露する二人を、誰しもが感嘆のため息をともに見つめていた。
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