深木志麻

平野耕一郎

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第八章

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午後十時三七分。部屋の灯りが戻る。少しだけ現実感が戻る。長い映画を見たあとの感覚がしていた。
「皆さん、朗読お疲れ様でした。長丁場の発表は大変だったでしょう。話し続けるなんてあまりないから、喉が大変。私が用意したはちみつレモンティーで喉を潤してください」
 文芸部は十五分の休憩を得て、選考会に移った。
 部員たちの前に評価シートが置かれる。評価シートはプロット、オリジナリティ、文体などの五項目で決められる。各項目五点となる。用紙の一番下に講評が書かれる。自分の作品を評価することはできない。
 評価シートで最も点数が高い作品が一番となる。本来なら学校の月報に掲載されるだけだが、今回は違う。文芸部の会長を決める戦いなのだ。また深木志麻の作品の著作権、未発表作の公表権という値千金の宝もかかっている。
「もう何度も人の作品を講評しましたから、もうご理解いただけていますよね。評価シートへの記載は客観的に見ること。一行一行をきちんと読み返すこと。ではよろしくお願いします」
五人は静かに他人の作品のコピーをペラペラと見直し、評価シートに記入していく。沈黙の時間だ。
評価は一時間かけて行う。あっという間に時間は過ぎる。五人の視線は膨大な量の活字を読み解く。途中でつく息遣い、額の汗を拭う、うめき声、足の音が緊張感を漂わせる。
ピピピッ、ピピピッ。
 アラームが鳴り響く。一次評価が終わった。
「皆さん、一度手を止めてください。講評いかがでしょうか」
 ふうというため息が同時にする。
「一通り評価シートへの記載は終わりましたか?」
 全員がうなずく姿を確認すると陽花は話を進める。
「一人ずつの作品を得点と評価を見ていきましょうか」
 陽花は五人の評価シートを回収して、作品ごとに付いた得点の合計値を出す。
「なかなか面白い結果になりました」
「早く教えてください」
 美星が焦りを口にした。
「必死ね。では発表します。志麻の鼓動:五十点。胸の病魔:四十点。言葉は刃物:五十点。白雷と黒影:二十五点。ゴーストの告白:五十点」
 発表された数値に全員が顔を合わせていた。三人が同率タイになっている。
「十回以上も講評しているけど、三人同率は初めてだわ」
「やはり小夏さんのゴーストの告白は予想外だったわね。オリジナリティは全員が五点満点を書いている。素晴らしい。それに結末が衝撃的だった」
 松崎陽花はうなずいた。
「私は深木志麻のゴーストでした。しかしいつの間にか銀杏小夏のゴーストだったのでしょうか」というくだりは確かに斬新すぎる。
「確かモーリススルブランが言っていましたね。ルパンはわたしの影ではない。わたしがルパンの影なのだと。優れた登場人物を生み出すと作者は影響を受けるもの。志麻も例外ではなかったのね。素晴らしい作品だわ」
「ありがとうございます。でも、私は文芸とは距離を置きます」
「せっかくのチャンスなのに。あなたなら深木志麻の名跡は継げるのに」
「こんなことがあって、本当に辛いんです」
「でも誰が一番か決めなければならないの。辛い心境でしょうけど、もう少し待ってね。次は誰にする? ずっとそわそわしている。藤垣さん、あなたの作品を見てみましょうか?」
「先輩がさっき言いかけていたことを教えてください」
「いいわよ。あなたと志麻のやり取りのところよ。実はあなたたちの話をこっそり聞いていたの。あなたが盗み聞きしていたようにね。志麻が関心のない態度を示していたって書いていたけど、詳細があまり書いてないみたいだったから」
 陽花は美星の原稿を開くとココと細い指で指示した。
「あと二、三言だけ交わして私は帰りました、とあるでしょう。すごい気になったの。だってこれ、アガサクリスティーが使った伏線よ。あなたならご存じでしょう?」
「どういう意味ですか?」
「いいわ。皆さんにも聞いてもらおうかしら? あなたの作品で書かれていない部分が大事になってくるから」
 陽花のスマートフォンからガサガサという音に紛れて声が聞こえてきた。
『そうよかったな。最近、俺の家によく来るから色々得られるものがあったみたいだな』
 志麻の声だ。ぼそぼそしている。
『ま、まあ。やっぱりプロの先生と接すると触発されるというか――虎穴に入らずんば虎子を得ずというじゃないですか!』
 美星の声だ。どこか焦っていた。
『なるほど。いい虎子を得たわけだ。親父の書いている作品もたんまりあるし、頑張りなよ』
「何を意味しているの?」
 実歩が首をかしげる。
「大事なのは親父の書いている作品がたんまりあるし、だわ。藤垣さんは特に志麻からの酷評をされて距離を取っていたのよ。でも突然、志麻と距離を詰めてきたの。やがて深木家によく来るようになったの」
「深木先生の講評を頂きたかったからで」
「だったらメールでいいじゃない。あなたも知っているはず。先生はお忙しい方だけど、講評はしてくださっていた。わざわざ自宅に押し掛けなくてもいいはず」
「待ってください。それ以上は言わない約束ですよ!」
 じっと二人の視線が交錯する。奇妙なにらみ合い。陽花は目を逸らして藤垣美星の語られざる真実を語りだす。
「だから気になったの。志麻とのやり取りを聞いて私は深木先生のPCを見てみた。未発表作が入っているフォルダに第三者がコピーした痕があったの。私はPCにアクセスしたら更新日付をそろえる。だから気づけたの」
「こっそり作品を盗み出したってことですか?」
「あなたがこっそり持ち出したのは先生が世に出していない一作。それをうまく流用して出来たのが例の作品ね」
「違います! 壮麗なる日々は私のオリジナルだわ! 先生の未発表作の荘厳な日常なんて知らないわ! 本当よ! 私が盗作なんてするわけが――」
「面白い。追い詰められると本当のことを話しちゃうものね。名探偵が犯人に仕掛けるかまかけになんて出来すぎていると思って信じていなかったけど、通用するのね」
「荘厳な日常って……」
「深木先生の未発表作よ。知っているのは先生と、秘書の私ぐらい。志麻も知らないはず。親子だけど、お互いの創作に影響しないよう見ないようにしていたはずだから」
「こんなずるいことをして評価を下げるなんて卑怯です!」
「あなたがいけないの。自業自得。私を差し置いてズルをしてデビューするなんて。しかも会長になろうとするなんて罪深いわ。でも一度許してあげた」
「言わない約束だったはずなのに! ひどい!」
「あなたが悪いのに。どうして人のせいにするの? 来年になれば会長の椅子に座れたかもしれないものを――ばかだわ」
 陽花は笑い飛ばした。たった一年、いや半年じゃないか。自分が卒業した後に会長の座は転がり込んできたのに我慢できなかったのが悪い。
 椅子などに何の価値もない。大事なのは志麻の原稿だ。小夏は会長になる意思がない。美星は盗作疑惑で信用失墜した。もはや会長の座は決まったものだ。
「次の作品の講評をしましょう」
 美星はもう書けないだろう。完膚なきまでに追い詰めてやった。あと少しだ。
陽花は実歩と真木の作品を簡単に公表して二回目の審議を開始した。気持ちが焦る。
「では次は実歩さんの作品ね。どうも乳がんだという根拠が示されていないのね。発想としては素晴らしいけれども」
「最後の真木さんの作品もね、志麻が早退した日。雨がすごい日だったかしら?」
「四月二十七日は調べてみると雨は小雨ですね」
「真木さん、嘘はだめよ。テーマは志麻の死因。ちゃんと背景に真実味を持たせないとね。あともう一度言うけど、特定の誰かを作品で非難しないこと。でもあなたの言う通り災害死は難しいわ。私がこのテーマを引いていたら、同じ作品を書くかもしれませんね」
「だから不運だって言っているじゃありませんか」
「仕方がないわよ。でもあなたは二年生だし、藤垣さんと手を携えて運営してもらえば」
「えーこんな人の作品を盗作する人と?」
「盗作なんてしてないわよ!」
「落ち着きなさい。もう済んだ話です」
 下らない。児戯のような評議会だ。銀杏小夏のゴーストの件は予想外だったが、目下ライバルになるだろう樫原実歩が妙な作品を書いたことで勝敗は決した。
 すべては陽花が勝つよう仕込んでいた。
「第二回の審議結果を発表します。志麻の鼓動が四人。棄権が一人」
 淡々と結果を答える。全て計画通りである。
「前会長の深木志麻さんの意向に沿い、最も面白い小説を書いた者が次期会長になります。投票の結果、松崎陽花さんが二代目文芸部の会長に就任いたします」
 とうとう待ちに待った時が来た。陽花は言い終わると立ち上がり、誰も腰かけていない赤い椅子に座る。素晴らしい。全員の顔が臨める。驚愕、迷い、恐れ、心酔。あらゆる表情が映し出される。この椅子に座り、五人を見つめていた。
 勝った。
「おめでとう。新会長さん。じゃあ例の封書を開けてみない?」
 実歩が一つの提案をした。望むところだ。これをもって高らかと文壇に立つことができる。深木志麻の名は私のものになる。長かった。今まで日影を歩んできた。今日から自分の歴史が始まる。ただそれが陽花にとって嬉しい限りだ。
 ボーンと柱時計が十二回鳴り、午前零時を告げた。高まる胸の鼓動はすでに部員の眠気を忘れさせていた。
「藤垣さん、机の上に置いてある封書を取ってきてくださらない?」
 陽花は屈辱的なオーダーを出した。悔しそうな表情の藤垣美星には申し訳ないが、体面を取り繕えないほど愉悦に酔っていた。
「一体どんな作品が入っているのか楽しみだわ」
 陽花は封書を開ける。果たして何が書いてあるのだろう。
 ハサミで静かに開けて中身を取り出す。厚みからして短編のようだ。
期待を胸にして陽花はペラペラと用紙をめくる。焦る必要はない。すでに勝敗は決している。
キイッ。
木扉に設置された蝶番が軋む音がする。ハッと全員が扉に視線を向ける。
「誰?」
 警備員だろうか。巡回の時間にしてはずれている。昨年も夏合宿で部室に泊まり込んだが、訪れた時間は二十二時だったからだ。
「待ちなさい」
 物語は終わっていなかった。隠者こと深木誠一郎は神出鬼没だった。
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