獣の楽園

平野耕一郎

文字の大きさ
26 / 28
第三章 鮫島綾

1

しおりを挟む
 椎名夕にとって人を説得することは誰より得意としていた。毅然とした佇まいと、メリハリのある説明は人に強いインパクトを与えていた。何より夕は美しかった。

 肩までかかった黒髪と細長な顔立ちは恍惚としていて同性の注目を集めた。元々は商社出のエリートで、社長の綾じきじきにヘッドハンティングされたというのは社内の専らの噂である。

華麗すぎる経歴。何ら恥じる要素はない。でもそれは表向きの話で事情は異なる。

確かに夕の業績は目覚ましい。商社時代も成績は抜群だ。彼氏は玉城達樹といって玉城商事の御曹司でまさに玉の輿である。

 夕は男性に惚れるという経験がなく、好きだと言われたらすぐに信じてしまう。

 結婚の話を切り出したのは夕だった。達樹の表情が緩んだ。二人を阻む要素はない。少なくとも夕のほうには、達樹との結婚が人生のゴールだと思っていた。

 何もかもが出来すぎていたのは確かだ。彼氏とは結婚を前提に付き合いをしていた。全てが崩れたのは鮫島綾だ。彼氏は綾の許嫁で、いつもは冷静な夕も動揺を隠せずにいた。

「どういうこと!」

 マホガニー材で作られたテーブルが音を立て震えた。

 達樹とは半ば同棲もしていた。あとは両親の合意を取り繕って式を上げるだけ。光へ続く道は確かにあったのだ。

 彼氏は何も言えずすまなそうにしていた。

「これは定めだ。俺はお前とただ遊んでいたわけじゃない」

 言葉は宙を空回りしていた。何を言っても信じられない。夕は初めて泣いた。空しい叫びが響いた。

「そんなのただの言い訳よ!」

 二人が住んだこの部屋は一体何なのだ。

 出来るだけのことはすると達樹は言うが、夕の耳に入らなかった。

「相手は誰なの?」

 夕は綾を知らずに遠ざけていた。鮫島学園は資産家の娘ばかり。一方で夕は単なるサラリーマンの家庭。入学試験で抜群の成績を収めて特待生として入った。

夕もまた特異な目で見られていた。外部から入った生徒。顔立ちも美しく気高さを感じる。

「ちょっとよろしいかしら?」

 声が聞こえた。見上げた視線の先に綾がいた。

鮫島綾。夕の脳裏に思い出したくもない表情が浮かぶ。あの自信にあふれた顔。気品のある上流階級の娘らしい立ち振る舞い。綾の通り道を周りの者は幸喜ある目で見ていた。

 顔を上げた。夕は友達作りをしようとしなかった。あまり話しかける者はいない。

 呼び出され向かったのは生徒談話室。何でも生徒会長である綾が憩いの場として設けた部屋だ。綾の部屋だ。彼女に認められた者が入れる特別室だ。

 綾の誘いは生徒会とコミュニティサークルの加入だ。

 見つめられる女子たちの表情はほほ笑んでいた。誰もが美しい。しかし作られた擬装だ。特に同級生からひしひしと羨望のまなざしを感じる。明らかに一人だけ瞳に燃え上がる炎が見られた。

 加入は任意という強制だ。

「お役に立てるかわかりませんが、微力ながら学園のために慣れることをしたいと思います」

 全員の顔が朗らかになった。自己紹介になった。

「二年四組の七川蒔です」

 瞳に炎をともしていた少女だった。

「蒔さんと同じクラスでしたのね」

 綾も蒔も同じ高校というだけで卒業してしまえば関係ない間柄になるはずだった。

 やがて大人になって幸せを掴めるはずだった。

 今感じているのは敗北だった。鮫島綾が婚約者ならば、手を引くべきだ。あらゆる才能をもってしても勝てないものがある。財力だ。

 達樹からすれば夕は遊び相手に過ぎなかったのだ。

 遠からずして夕は達樹と別れた。何かが夕の体から抜けていた。築き上げたものが砕けた。別れたからといって仕事に支障が出るわけでもない。退職届を提出したとき、慰留された。もったいないのはわかる。しかし理屈ではなかった。

 問題はそこからだった。なぜかどこを受けても受からなかった。そのはずだ。綾が手に回し、夕の就職先を潰していたからだ。勝ち誇った綾の表情をまた拝んでいる。

「お久しぶりねえ」

 じっと気持ちを抑えていた。全てをこの女にぶち壊された。何より、綾の横にいた蒔が時節勝ち誇った顔で見下ろしていたことだ。七川蒔、クラスでは落ちこぼれで夕からすれば何の価値もない女だった。

「あなたの力が私には必要よ。だから呼んだの」

 夕は蒔に目を付けられていた。入社してから二人の成績は優劣が付かなかった。第一営業部の部長はどちらがなるか競り合っていた。

 夕は蒔とは学生時代の知人だったが、正直思い出がない。しかし蒔はずっと夕に特別な感情を持っていた。あった時から夕は蒔に敵対視されていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

せんせいとおばさん

悠生ゆう
恋愛
創作百合 樹梨は小学校の教師をしている。今年になりはじめてクラス担任を持つことになった。毎日張り詰めている中、クラスの児童の流里が怪我をした。母親に連絡をしたところ、引き取りに現れたのは流里の叔母のすみ枝だった。樹梨は、飄々としたすみ枝に惹かれていく。 ※学校の先生のお仕事の実情は知りませんので、間違っている部分がっあたらすみません。

処理中です...