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第二部
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私は田村彩月という友達に出会い、学校ではバドミントン部に加入した。
上々の学生生活だった……過去の思い出は当の昔に過ぎ去ってしまい、今ではかつて住んでいた家のことも、通っていた学校のことも、徐々におぼろげになっていく。
私は東京にいたとき何をしていたのだろうか?
ふと半ば冗談まじりにそんなことを考えてしまう。
暖かい空気と、どこまでも広がる海が、私を虜にして離さない。
この島から出られない気がしている。すっかり島の人になっていた。自分たち家族に島の人は寛大で、彩月が言うように野菜をよこす。
取れたての濃い緑の瓜や深紅のトマト――燦々と輝く太陽に照らされて育った野菜たちを調理し、食べた。すごくおいしかった。都会のスーパーで売っているものと違い、食べ物がすべて活き活きとしている。
食べ物は新鮮だ、住む場所もいい。ちらりと自分が属している集団を見渡した。
仲のいい五だった。全員をぐいぐい引っ張っていける彩月と相棒のメイ。彼女たちには、彼女たちに相応しいカレがいて――新たに加わった自分を含めれば六人か。
私は仲がいいといったが、なぜ自分がここにいるのか分からなかった。
「ねえ明美ってダーツやる?」
「ダーツ?」
聞き返すと彩月は手で物を投げる仕草をした。
「あんまりやらないか?」
彩月はやっぱりという顔をしていた。
「今日土曜だから午後みんなでダーツやりに行こうかなーと思ってさ、よかったらどう?」
彼女の問いに私はどこでやるのとだけ聞き返す。
「喫茶店。店の中にダーツやるスペースがあるんだよ。お昼ついでにね」
「へえ」
喫茶店でダーツ。なかなか洒落ている。
「やる?」
私は了解とだけ言い、読んでいた本に集中し直す。あと少しだ、結末がもうじきわかる。そのわずか手前で、いったん休憩を入れた、というより結末にたどり着くのに尻込みしたくなったのだ。
結末に入ったら、もうこの本ともお別れだ――
私はゆっくりと本を読むタイプだ。じっくりと一行一行に目をやり、理解してからでないと先に進めない。それは結末にたどり着いたときに味わう本との惜別の思い来ているかもしれない。
始まりがあれば、終わりがある……
これは物語にとって動かしようのない事実。でも揺るがないものに対し抗いたくなるのが、きっと読者の性に違いない。
土曜日は午前中で授業が終わる。クラスの子たちは平日の授業と違い、眠そうな顔つきをしている。
私も手で口を覆いながら欠伸をした。生温い午前の倦怠感が全身を支配して、動き出すのが怠い。
帰りのミーティングが終わった。全員が掃除当番のために机を前にもっていく。すべきことを終え、私は彩月グループとともに学校を出た。佐津間君だけは部活動があって、わりーと一言だけ告げ、その場を後にする。
向かったのは町の大通り沿いにあるこぢんまりとした喫茶店だった。外に鉢植えや花壇があり、日光に照らされ光を放つ。
五人は少しさび付いた茶色いドアを押す。
カランカランとベルの音がする。
男子が運動部らしい挨拶をし、最後に私が入り静かに戸を閉めた。
中の世界は外と違い、レトロで落ち着きを与えてくれる。オレンジのランプが部屋を照らす。赤い椅子がほんわりと光沢を帯び、よい渋みを魅せる。
店内は手前が食事スペース。その隣にダーツボードが二台設置され、遊べるようになっている。一番に奥はバーカウンターがあり、多種多様なお酒やドリンクが置いてある。
「あー腹減った~オジサン、メニュー頂戴」
どこへ行っても彼女はぶっきらぼうで、なれなれしい。
五人はメニューを互いに見て、好きなものを注文する。私とメイがハヤシライスを頼んだ。堀田君、勉が定食、彩月はカレーだった。
店内は私たちしかいない。
厨房でトントンと包丁の音がしている。それ以外は静かに包まれていた。勉が眠いと口にし、手を枕に眠り出した。
一時過ぎの一番眠くなる時間帯。一人が眠り出すと、やがて周りもウトウトとし出す。このままだと寝入ってしまうとき、ご馳走がテーブルに並べられた。
ハヤシライスはご飯と茶色のルーの他に、鳥肉とハンバーグが付けられ、ボリュームを感じた。一口食べただけで料理のコクを味わうことができた。
全員が箸を止めることなく、それぞれの料理を完食した。
食後、私たちは満腹感に膨れる。全員がだらけた顔をしていた。
「少し休んでから、やるか?」
「そーだね……」
おいしかったが、ずいぶん量が見た目より多い料理だった。
五人がダーツに取り掛かるまで少し時間がかかりそうだ。
ダーツは一セット三回で、得点が最も高い人が勝利になる。順番は勉→彩月→堀田君→メイ→私だった。
最初の投者は彩月のカレ・勉だ。彼は足元のラインに対し、足を平行になるよう姿勢を取った。
「はーずーせ、はーずーせ」
ヤジが飛ぶ。それでも勉はポーカーフェイスを崩さない。シュッと放たれ、矢は素早く中心を捉え突き刺さる。
五十点とボードの上に数字が表示されていた。
「うっしゃ」
点数を見て、勉はグッとこぶしを握りしめる。
「なんだよー外せよーこのカッコつけ」
「外すか」
「じゃ次はウチね~」
彩月は座っていた椅子から立ち上がり、スタンバイする。
「えい!」
狙いをすまし矢はスッと進む、トンッと音を立て刺さった。
「あーん、ずれたー」
点数十二点。彩月は、心外そうな顔つきで席に戻った。
「彩月・十二点」
「うるせ」
メイにからかわれるとパンパンと叩いて応戦する彩月だった。
次の堀田君が放った矢は軌道が逸れ、妙な方向へ突き刺さる。そこはセンターとは程遠いナンバーの近く。
「あっ! 畜生っ!」
彼の悔しそうな甲高い声が店内に響き渡る。
「ヘッタくそ」すかさず罵声が飛び、笑いが巻き起こる。
「うるせー。出だしからやっちまったな」
「ハン、一から出直してきな――堀田・4点!」
彩月は相手のミスに容赦がなく、いい得点をメモした。
「じゃ今度はウチの番」
次の投者はメイ。
「ほい」
矢はシュッと真っ直ぐ突き進み、見事中心に刺さる。
「おーっ!」
「いえーい」
「メイ・五十点」
「マグレマグレ」
堀田君がはやし立てる。
「運も実力のうちだよ」
メイがへらへらと自分のカレを笑う。
最後は私。
「じゃあ次は明美――あ、マスター、ポテチちょーだい」
「え、さっき頼んじゃないの?」
「もう食った」
テーブルに置いてあった皿を見渡したら、確かにポテチが一かけらもない。堀田君が、呆れて、つぶやくように言った。
「はあ? よく食うなーお前」
「うちポテチ、ラヴだから」
「あっそう」
とりあえずうまい投げ方、下手な投げ方は一通り見て学習したつもりだ。
あとは何事も実戦。私は一呼吸おいて、投げた――矢は直線を描いて進む。だが突き刺さった箇所は、端に近い。手ごたえはよかったが……矢は十と書かれたナンバーにあった。
「ダブル!」と彩月が高らかに言う。
ダーツボードの上に得点が表れ、二十点と書かれていた。
「ダブル?」
言葉の意味が分からず、近くにいた勉に聞く。
「矢がボードの外側の狭い枠に刺さるとダブルって言って、得点が二倍になる」
彼は淡々とゲームの得点について説明した。
「じゃあ内側の狭い枠だと?」
「そこはトリプルで三倍。中央がブルで五十点」
「そうなんだ」
「そういうこと」
私は頷いてちょっぴりとだけ感じた――ダーツは奥深い競技だと思う。
初心者の私は打つときの姿勢などを勉に教わって、ゲームに慣れていた。全員が自分たちの一投に集中し、大いに盛り上っていた。外からの侵入者がくるまでは。
どこかで聞いた音がする。それが決してよいものでないことは全員が肌で感じ取り、店の中に入ってくるのを察していた。
凶兆は当たる。
「ちす!」
けたたましいエンジン音に負けない、騒々しい声が店内に響き渡る。
「あれ?」
一人が指さす。すると背後にいた別の一人が反応した。
「おや、勉君じゃないか。それに麗しの花嫁もいらっしゃる」
ワザとらしいオーバーな。
さもしい根性だと私はつくづく思う。きっと彩月や芽衣子もそうだろうと思う。気になって顔を見たが、彩月の顔が石のように凍り付いていたので、びっくりした。
「おい勉」
彩月のカレ、寄田勉は一連の流れを無視して様子をうかがっていた。
「何だよ?」
「ちょっと話あっから来いよ」
「俺はない」
「は?」
ブチブチと誰かの血管が切れる音が聞こえてきた。おそらくこのままでは……
五人とごろつき達の間に、不気味な緊張が走る。全然状況が読み込めない私や芽衣子、堀田君は、ただ見守ることしか出来なかった。
「いいから来いって」
バンッ!
「マスターお勘定!」
テーブルを叩いたのは彩月だった。全員が音に反応して彼女を見た。声は大きかったが、どこか、かすれている。
彼女は自ら席を立って、場違いな客たちの間を押しのけて、店を出ようと試みた。
「はっ?」
「そうだおめえにも話あんだわ」
「失せろ」
彩月は少女ではなく、単に口の悪い殺気を身にまとった野生児と化している。瞳は充血し、気の狂った猛獣のようだ。だが彼女の腕をつかんだごろつきの一人は、憎たらしいほどヘラヘラとばかりだ。
「まあ昔のよしみじゃねーか。まあ付き合え」
「言葉に気を付けろ」
「おおこわ~」
不良の一人が両手を前に差し出して、フルフルと震わして冷やかした。
彩月の理性は、そこが限界だった。彼女は近くのテーブルの上に置いてあった
からかっていた不良の目が変わる。それは怪我への恐怖だった。しかし彼は負傷しなかった。彼女の俊敏な凶行を止めた者がいた。
――勉だった。
「やめとけ」
「だって!」
「いいから、やめとけって」
「……」
勉の迅速かつ冷静な対応に、その場にいた全員がおとなしくなった。
彩月だけでなく、ごろつきも、私たちも、店員も、その他の客も皆静かだった。見てはいけないものから目を背ける。
冷たい沈黙だけが、すべてを飲み込む……
やがてリーダー格の男が、気を取り直して勉に話しかける。
「まあ、今日はこれまでにしてやるよ」
「はっきり言っとくが、お前らの仲間に戻る気はないぞ。航」
航と呼ばれた男が、勉の凛とした対応を鼻であざ笑う。
「じゃ行こうぜ」
勉は私たち全員見て、一言いう。ここにいても仕方なかった。
「あばよ勉!」
帰る間際、背後から大きな不謹慎な、無作法な笑いがまき散らされた。
やるせない思いと、被害を受けた少女への憐憫が全体を包み込んでいる。私たちは追い出されるようにして、店を出る。
被害を受けた当の本人は、少しの間グッと目の前をにらみつけていた。だが平静を取り戻し、私の方を向いてクスッと笑みをこぼす。
私は彼女が無理をして笑っているだと思った。その姿は健気で無垢で純粋な少女だった。一点の曇りもなく、切実さそのものを表していた。
上々の学生生活だった……過去の思い出は当の昔に過ぎ去ってしまい、今ではかつて住んでいた家のことも、通っていた学校のことも、徐々におぼろげになっていく。
私は東京にいたとき何をしていたのだろうか?
ふと半ば冗談まじりにそんなことを考えてしまう。
暖かい空気と、どこまでも広がる海が、私を虜にして離さない。
この島から出られない気がしている。すっかり島の人になっていた。自分たち家族に島の人は寛大で、彩月が言うように野菜をよこす。
取れたての濃い緑の瓜や深紅のトマト――燦々と輝く太陽に照らされて育った野菜たちを調理し、食べた。すごくおいしかった。都会のスーパーで売っているものと違い、食べ物がすべて活き活きとしている。
食べ物は新鮮だ、住む場所もいい。ちらりと自分が属している集団を見渡した。
仲のいい五だった。全員をぐいぐい引っ張っていける彩月と相棒のメイ。彼女たちには、彼女たちに相応しいカレがいて――新たに加わった自分を含めれば六人か。
私は仲がいいといったが、なぜ自分がここにいるのか分からなかった。
「ねえ明美ってダーツやる?」
「ダーツ?」
聞き返すと彩月は手で物を投げる仕草をした。
「あんまりやらないか?」
彩月はやっぱりという顔をしていた。
「今日土曜だから午後みんなでダーツやりに行こうかなーと思ってさ、よかったらどう?」
彼女の問いに私はどこでやるのとだけ聞き返す。
「喫茶店。店の中にダーツやるスペースがあるんだよ。お昼ついでにね」
「へえ」
喫茶店でダーツ。なかなか洒落ている。
「やる?」
私は了解とだけ言い、読んでいた本に集中し直す。あと少しだ、結末がもうじきわかる。そのわずか手前で、いったん休憩を入れた、というより結末にたどり着くのに尻込みしたくなったのだ。
結末に入ったら、もうこの本ともお別れだ――
私はゆっくりと本を読むタイプだ。じっくりと一行一行に目をやり、理解してからでないと先に進めない。それは結末にたどり着いたときに味わう本との惜別の思い来ているかもしれない。
始まりがあれば、終わりがある……
これは物語にとって動かしようのない事実。でも揺るがないものに対し抗いたくなるのが、きっと読者の性に違いない。
土曜日は午前中で授業が終わる。クラスの子たちは平日の授業と違い、眠そうな顔つきをしている。
私も手で口を覆いながら欠伸をした。生温い午前の倦怠感が全身を支配して、動き出すのが怠い。
帰りのミーティングが終わった。全員が掃除当番のために机を前にもっていく。すべきことを終え、私は彩月グループとともに学校を出た。佐津間君だけは部活動があって、わりーと一言だけ告げ、その場を後にする。
向かったのは町の大通り沿いにあるこぢんまりとした喫茶店だった。外に鉢植えや花壇があり、日光に照らされ光を放つ。
五人は少しさび付いた茶色いドアを押す。
カランカランとベルの音がする。
男子が運動部らしい挨拶をし、最後に私が入り静かに戸を閉めた。
中の世界は外と違い、レトロで落ち着きを与えてくれる。オレンジのランプが部屋を照らす。赤い椅子がほんわりと光沢を帯び、よい渋みを魅せる。
店内は手前が食事スペース。その隣にダーツボードが二台設置され、遊べるようになっている。一番に奥はバーカウンターがあり、多種多様なお酒やドリンクが置いてある。
「あー腹減った~オジサン、メニュー頂戴」
どこへ行っても彼女はぶっきらぼうで、なれなれしい。
五人はメニューを互いに見て、好きなものを注文する。私とメイがハヤシライスを頼んだ。堀田君、勉が定食、彩月はカレーだった。
店内は私たちしかいない。
厨房でトントンと包丁の音がしている。それ以外は静かに包まれていた。勉が眠いと口にし、手を枕に眠り出した。
一時過ぎの一番眠くなる時間帯。一人が眠り出すと、やがて周りもウトウトとし出す。このままだと寝入ってしまうとき、ご馳走がテーブルに並べられた。
ハヤシライスはご飯と茶色のルーの他に、鳥肉とハンバーグが付けられ、ボリュームを感じた。一口食べただけで料理のコクを味わうことができた。
全員が箸を止めることなく、それぞれの料理を完食した。
食後、私たちは満腹感に膨れる。全員がだらけた顔をしていた。
「少し休んでから、やるか?」
「そーだね……」
おいしかったが、ずいぶん量が見た目より多い料理だった。
五人がダーツに取り掛かるまで少し時間がかかりそうだ。
ダーツは一セット三回で、得点が最も高い人が勝利になる。順番は勉→彩月→堀田君→メイ→私だった。
最初の投者は彩月のカレ・勉だ。彼は足元のラインに対し、足を平行になるよう姿勢を取った。
「はーずーせ、はーずーせ」
ヤジが飛ぶ。それでも勉はポーカーフェイスを崩さない。シュッと放たれ、矢は素早く中心を捉え突き刺さる。
五十点とボードの上に数字が表示されていた。
「うっしゃ」
点数を見て、勉はグッとこぶしを握りしめる。
「なんだよー外せよーこのカッコつけ」
「外すか」
「じゃ次はウチね~」
彩月は座っていた椅子から立ち上がり、スタンバイする。
「えい!」
狙いをすまし矢はスッと進む、トンッと音を立て刺さった。
「あーん、ずれたー」
点数十二点。彩月は、心外そうな顔つきで席に戻った。
「彩月・十二点」
「うるせ」
メイにからかわれるとパンパンと叩いて応戦する彩月だった。
次の堀田君が放った矢は軌道が逸れ、妙な方向へ突き刺さる。そこはセンターとは程遠いナンバーの近く。
「あっ! 畜生っ!」
彼の悔しそうな甲高い声が店内に響き渡る。
「ヘッタくそ」すかさず罵声が飛び、笑いが巻き起こる。
「うるせー。出だしからやっちまったな」
「ハン、一から出直してきな――堀田・4点!」
彩月は相手のミスに容赦がなく、いい得点をメモした。
「じゃ今度はウチの番」
次の投者はメイ。
「ほい」
矢はシュッと真っ直ぐ突き進み、見事中心に刺さる。
「おーっ!」
「いえーい」
「メイ・五十点」
「マグレマグレ」
堀田君がはやし立てる。
「運も実力のうちだよ」
メイがへらへらと自分のカレを笑う。
最後は私。
「じゃあ次は明美――あ、マスター、ポテチちょーだい」
「え、さっき頼んじゃないの?」
「もう食った」
テーブルに置いてあった皿を見渡したら、確かにポテチが一かけらもない。堀田君が、呆れて、つぶやくように言った。
「はあ? よく食うなーお前」
「うちポテチ、ラヴだから」
「あっそう」
とりあえずうまい投げ方、下手な投げ方は一通り見て学習したつもりだ。
あとは何事も実戦。私は一呼吸おいて、投げた――矢は直線を描いて進む。だが突き刺さった箇所は、端に近い。手ごたえはよかったが……矢は十と書かれたナンバーにあった。
「ダブル!」と彩月が高らかに言う。
ダーツボードの上に得点が表れ、二十点と書かれていた。
「ダブル?」
言葉の意味が分からず、近くにいた勉に聞く。
「矢がボードの外側の狭い枠に刺さるとダブルって言って、得点が二倍になる」
彼は淡々とゲームの得点について説明した。
「じゃあ内側の狭い枠だと?」
「そこはトリプルで三倍。中央がブルで五十点」
「そうなんだ」
「そういうこと」
私は頷いてちょっぴりとだけ感じた――ダーツは奥深い競技だと思う。
初心者の私は打つときの姿勢などを勉に教わって、ゲームに慣れていた。全員が自分たちの一投に集中し、大いに盛り上っていた。外からの侵入者がくるまでは。
どこかで聞いた音がする。それが決してよいものでないことは全員が肌で感じ取り、店の中に入ってくるのを察していた。
凶兆は当たる。
「ちす!」
けたたましいエンジン音に負けない、騒々しい声が店内に響き渡る。
「あれ?」
一人が指さす。すると背後にいた別の一人が反応した。
「おや、勉君じゃないか。それに麗しの花嫁もいらっしゃる」
ワザとらしいオーバーな。
さもしい根性だと私はつくづく思う。きっと彩月や芽衣子もそうだろうと思う。気になって顔を見たが、彩月の顔が石のように凍り付いていたので、びっくりした。
「おい勉」
彩月のカレ、寄田勉は一連の流れを無視して様子をうかがっていた。
「何だよ?」
「ちょっと話あっから来いよ」
「俺はない」
「は?」
ブチブチと誰かの血管が切れる音が聞こえてきた。おそらくこのままでは……
五人とごろつき達の間に、不気味な緊張が走る。全然状況が読み込めない私や芽衣子、堀田君は、ただ見守ることしか出来なかった。
「いいから来いって」
バンッ!
「マスターお勘定!」
テーブルを叩いたのは彩月だった。全員が音に反応して彼女を見た。声は大きかったが、どこか、かすれている。
彼女は自ら席を立って、場違いな客たちの間を押しのけて、店を出ようと試みた。
「はっ?」
「そうだおめえにも話あんだわ」
「失せろ」
彩月は少女ではなく、単に口の悪い殺気を身にまとった野生児と化している。瞳は充血し、気の狂った猛獣のようだ。だが彼女の腕をつかんだごろつきの一人は、憎たらしいほどヘラヘラとばかりだ。
「まあ昔のよしみじゃねーか。まあ付き合え」
「言葉に気を付けろ」
「おおこわ~」
不良の一人が両手を前に差し出して、フルフルと震わして冷やかした。
彩月の理性は、そこが限界だった。彼女は近くのテーブルの上に置いてあった
からかっていた不良の目が変わる。それは怪我への恐怖だった。しかし彼は負傷しなかった。彼女の俊敏な凶行を止めた者がいた。
――勉だった。
「やめとけ」
「だって!」
「いいから、やめとけって」
「……」
勉の迅速かつ冷静な対応に、その場にいた全員がおとなしくなった。
彩月だけでなく、ごろつきも、私たちも、店員も、その他の客も皆静かだった。見てはいけないものから目を背ける。
冷たい沈黙だけが、すべてを飲み込む……
やがてリーダー格の男が、気を取り直して勉に話しかける。
「まあ、今日はこれまでにしてやるよ」
「はっきり言っとくが、お前らの仲間に戻る気はないぞ。航」
航と呼ばれた男が、勉の凛とした対応を鼻であざ笑う。
「じゃ行こうぜ」
勉は私たち全員見て、一言いう。ここにいても仕方なかった。
「あばよ勉!」
帰る間際、背後から大きな不謹慎な、無作法な笑いがまき散らされた。
やるせない思いと、被害を受けた少女への憐憫が全体を包み込んでいる。私たちは追い出されるようにして、店を出る。
被害を受けた当の本人は、少しの間グッと目の前をにらみつけていた。だが平静を取り戻し、私の方を向いてクスッと笑みをこぼす。
私は彼女が無理をして笑っているだと思った。その姿は健気で無垢で純粋な少女だった。一点の曇りもなく、切実さそのものを表していた。
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