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第二部
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緑の通夜が厳かに行われている。葬式とは、慎ましいもの。私は経験したわずかな葬式の記憶を頭から引き出す。よぎるのは、祖母の死。
温かく抱擁してくれた祖母は、三年前に死んだ。彼女は徐々に時間をかけて老衰していき、その日を迎えた。
誰かの死は、いつだって別の誰かの人生に変化をもたらしている。ただそれに気づくか、気づかないかの差だけのこと。
供花の時、私は視線を生前の写真から、棺の中の顔に移す。そこには緑がいる。いや、美作緑だった少女が安置されている。
また新たな死が、私を訪れた……
彼女の顔は、まるで寝つきの悪いときの苦しい表情そのものだ。死が私に訪れるのはどうしてと訴えかけているかのよう――確かにそうだ。あなたは、死ぬ人間ではない。まだ早すぎる。死に顔が穏やかではないのは、分かっている――ただ死は、女だろうが、男だろうが、年長だろうが、幼児だろうが、等しいものだ。
死は、誰もが通る必要のある一つの通過点なのだ。その先には何があるかは、死んだ者にしか知りえない世界だ。普段は手を伸ばせば、ふっとつかめず消えてしまう未知の領域だ。それがときに、ある人をとらえて連れ去る。捕まえられたら、最後。その人は一生囚われの身となり、もう二度と現実には帰れない。
私の供花は終わった。また次の者が、虚ろに成り切れないあなたを見るはずだ。もうお別れ。私は視線を遺族へ向ける。彼らは、悔しい顔でハンカチを持った手を握りしめたり、顔を俯けたりする。互いの表情には、苦い思いが共通してあった。
何回か見たことがある。残されたものの、やりきれない感情。言葉では決して説明できない黒いものが、ぐわっと表に出てくる。それが葬式だと思う。
遺族に会釈をし、私は外で待っている同級生の元へ向かう。
外に出ると、彩月が近寄ってくる。
「お疲れ」
「ええ」
「明美、あいつと図書委員だったんでしょ?」
「まあ」
「お気の毒にね」
彼女の『お気の毒』の言葉の裏には毒がある。でもそれは口にしない。
「クラスの子が、死ぬなんて……こんなの、ある?」彩月は腕組みをし、聞いてくる。その顔に、一体なんなのよ、もう、という気持ちが表れている。
「ないわ」私は言い淀む。
「はあ、でさあ~」
そのときだ。
「あんた以外に誰がいんの!?」
つんざくような誰かが吠える声が聞こえる。弔問の席近くにいる客たちが、気になって外を見る。私は彩月とともに、声の方角へ歩み出す。
声は寺の松の木陰からだ。人の姿が見え、格好から学校の生徒だと察しが付く。しかも、うちのクラスの。
「何?」
「喧嘩、かしらね?」
私たちは気になっていた。彩月が、ちょっと見てこようと誘う。私はそれに同意した。
「医者の娘がっ! あんたが毒を盛ったに決まっている!」
一段と大きな声が鳴り響いた。
「おい、どうした?」
背後から声がし、それが私たちの担任の谷矢先生だと知るのに、時間はかからない。彼もこの喧噪に気付いた一人だった。
「ね、何か喧嘩している」
彩月は、言い争いの発端となっている方角を指さす。
「全く……」
谷矢先生は、この時ばかりは渋い顔つきで現場に向かう。私たちも後に続いた。
暗がりで、誰と誰が言い争いをしているのか判別が出来なかった。しかし近くに寄ると大声を出しているのはクラスの竹井美香だ。もう一人は知らない。さらにグッと黙っているのは、あの子、そう瑠璃だ。可哀想に、ガタガタ震えてどこに目をやればいいのか途方に暮れている様子だ。
「あいつらか」
そう言って、彩月はチッと小さく舌打ちをした。聞こえないように、やったつもりが、よく私の耳に気持ちがいいほど響いている。
先生が現れ仲裁に入った。現場は一先ず大人しくなった。
「何なのかしらね?」
「さあ」彩月の声は冷ややかだ。
目に殺気を伴った二つの顔が、私たちの横を通り過ぎる。彼女たちは、緑と仲が良かったはずだ。美香は、緑の死に痛烈な疑問を抱いていた。そして、殺人ではないかと叫んだ子で、それは浅岡瑠璃だ。
その後、谷矢先生が一人残った瑠璃に戻るよう促すが彼女は動かない。怪訝そうな先生は、何か言いかけたが諦め戻る。
現場には、瑠璃がポツンと木陰に小さく残っている。
一部始終を見ていた私たちがそこに向かう。
「どうしたの?」口火を切ったのは彩月だった。
瑠璃は、彩月の声を聴き、ギョッとした。急に出て話しかけられて驚いたのか、何なのかは知らない。
「なにビビってんの?」彩月はひんやりと笑って、ひそひそと耳打ちをしていた。
今度ばかりは、聞き取りにくかった。でも瑠璃は、彩月の言っていることを、何とか自分の中で納得させようと必死になっていた。
「ね、顔色悪いわ。どうしたの?」
私は、瑠璃へ気遣うように尋ねる。
通夜を終え、私は先に帰るふりをして瑠璃を待った。普段から彩月とセットなので、他のだれかと帰るときは、ちょっと嘘をついて帰っている。
それに瑠璃との関係は周りにはシークレットだ。こうして手を握り合うのも、私たち二人しか知らない大切なこと。
「う、うん」
「大丈夫?」
瑠璃は、日ごろから大人しいけど、今日は何か変だ。思い切って、さっきの言い合いのことを聞いてみるか?
いや、だめだ。
「しょんぼりしないで」
「うん」
彼女はきっと時が来れば話してくれる。こちら側から、どしどし聞いていくのは、違うと思う。
もし瑠璃が話をしたら、そのときはしっかりと受け止めてあげないといけない。難しい子なのだ。
待つ、それが人と人とを結びつける唯一の方法だった。
温かく抱擁してくれた祖母は、三年前に死んだ。彼女は徐々に時間をかけて老衰していき、その日を迎えた。
誰かの死は、いつだって別の誰かの人生に変化をもたらしている。ただそれに気づくか、気づかないかの差だけのこと。
供花の時、私は視線を生前の写真から、棺の中の顔に移す。そこには緑がいる。いや、美作緑だった少女が安置されている。
また新たな死が、私を訪れた……
彼女の顔は、まるで寝つきの悪いときの苦しい表情そのものだ。死が私に訪れるのはどうしてと訴えかけているかのよう――確かにそうだ。あなたは、死ぬ人間ではない。まだ早すぎる。死に顔が穏やかではないのは、分かっている――ただ死は、女だろうが、男だろうが、年長だろうが、幼児だろうが、等しいものだ。
死は、誰もが通る必要のある一つの通過点なのだ。その先には何があるかは、死んだ者にしか知りえない世界だ。普段は手を伸ばせば、ふっとつかめず消えてしまう未知の領域だ。それがときに、ある人をとらえて連れ去る。捕まえられたら、最後。その人は一生囚われの身となり、もう二度と現実には帰れない。
私の供花は終わった。また次の者が、虚ろに成り切れないあなたを見るはずだ。もうお別れ。私は視線を遺族へ向ける。彼らは、悔しい顔でハンカチを持った手を握りしめたり、顔を俯けたりする。互いの表情には、苦い思いが共通してあった。
何回か見たことがある。残されたものの、やりきれない感情。言葉では決して説明できない黒いものが、ぐわっと表に出てくる。それが葬式だと思う。
遺族に会釈をし、私は外で待っている同級生の元へ向かう。
外に出ると、彩月が近寄ってくる。
「お疲れ」
「ええ」
「明美、あいつと図書委員だったんでしょ?」
「まあ」
「お気の毒にね」
彼女の『お気の毒』の言葉の裏には毒がある。でもそれは口にしない。
「クラスの子が、死ぬなんて……こんなの、ある?」彩月は腕組みをし、聞いてくる。その顔に、一体なんなのよ、もう、という気持ちが表れている。
「ないわ」私は言い淀む。
「はあ、でさあ~」
そのときだ。
「あんた以外に誰がいんの!?」
つんざくような誰かが吠える声が聞こえる。弔問の席近くにいる客たちが、気になって外を見る。私は彩月とともに、声の方角へ歩み出す。
声は寺の松の木陰からだ。人の姿が見え、格好から学校の生徒だと察しが付く。しかも、うちのクラスの。
「何?」
「喧嘩、かしらね?」
私たちは気になっていた。彩月が、ちょっと見てこようと誘う。私はそれに同意した。
「医者の娘がっ! あんたが毒を盛ったに決まっている!」
一段と大きな声が鳴り響いた。
「おい、どうした?」
背後から声がし、それが私たちの担任の谷矢先生だと知るのに、時間はかからない。彼もこの喧噪に気付いた一人だった。
「ね、何か喧嘩している」
彩月は、言い争いの発端となっている方角を指さす。
「全く……」
谷矢先生は、この時ばかりは渋い顔つきで現場に向かう。私たちも後に続いた。
暗がりで、誰と誰が言い争いをしているのか判別が出来なかった。しかし近くに寄ると大声を出しているのはクラスの竹井美香だ。もう一人は知らない。さらにグッと黙っているのは、あの子、そう瑠璃だ。可哀想に、ガタガタ震えてどこに目をやればいいのか途方に暮れている様子だ。
「あいつらか」
そう言って、彩月はチッと小さく舌打ちをした。聞こえないように、やったつもりが、よく私の耳に気持ちがいいほど響いている。
先生が現れ仲裁に入った。現場は一先ず大人しくなった。
「何なのかしらね?」
「さあ」彩月の声は冷ややかだ。
目に殺気を伴った二つの顔が、私たちの横を通り過ぎる。彼女たちは、緑と仲が良かったはずだ。美香は、緑の死に痛烈な疑問を抱いていた。そして、殺人ではないかと叫んだ子で、それは浅岡瑠璃だ。
その後、谷矢先生が一人残った瑠璃に戻るよう促すが彼女は動かない。怪訝そうな先生は、何か言いかけたが諦め戻る。
現場には、瑠璃がポツンと木陰に小さく残っている。
一部始終を見ていた私たちがそこに向かう。
「どうしたの?」口火を切ったのは彩月だった。
瑠璃は、彩月の声を聴き、ギョッとした。急に出て話しかけられて驚いたのか、何なのかは知らない。
「なにビビってんの?」彩月はひんやりと笑って、ひそひそと耳打ちをしていた。
今度ばかりは、聞き取りにくかった。でも瑠璃は、彩月の言っていることを、何とか自分の中で納得させようと必死になっていた。
「ね、顔色悪いわ。どうしたの?」
私は、瑠璃へ気遣うように尋ねる。
通夜を終え、私は先に帰るふりをして瑠璃を待った。普段から彩月とセットなので、他のだれかと帰るときは、ちょっと嘘をついて帰っている。
それに瑠璃との関係は周りにはシークレットだ。こうして手を握り合うのも、私たち二人しか知らない大切なこと。
「う、うん」
「大丈夫?」
瑠璃は、日ごろから大人しいけど、今日は何か変だ。思い切って、さっきの言い合いのことを聞いてみるか?
いや、だめだ。
「しょんぼりしないで」
「うん」
彼女はきっと時が来れば話してくれる。こちら側から、どしどし聞いていくのは、違うと思う。
もし瑠璃が話をしたら、そのときはしっかりと受け止めてあげないといけない。難しい子なのだ。
待つ、それが人と人とを結びつける唯一の方法だった。
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