姉妹 浜辺の少女

平野耕一郎

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ストーリー

2

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 浜辺に例のお転婆娘が戻ってきた。

 お待たせ、という軽やかな返事がした。2人はもうすっかり仲良しになっていた。半ば、立場を失いつつある私は、邪魔にならないようビーチベットに腰掛け、警察が来るまで、海でも見ていることにした。

 やがて30分もしないうちに、サイレンの音がして制服警官が2名やってきた。どちらも若い。ほどなくして、簡易的な実況見分が始まった。浜辺で何が起こったか、新出が分かりやすく説明した。

「では、このボートに隠れていたボーガンの矢が、こちらの女性を狙っていると思い、あなたが、彼女をかばい幸い、彼女は怪我を免れたわけですね?」

「ええ」

「あの、刑事さん。渡辺といいます。渡辺美果」

 美果のたどたどしい声が、刑事と新出の会話の間に割って入ってきた。

「あ、ああ失礼しました」

 刑事の話の仕方から、こうしたことに慣れていないようだ。閑静な地域だし、彼らは重大事件とは無縁の日々を送っていたはずだろう。

「うーん」

「ねえ、刑事さん。早く犯人捕まえて下さらないの?」

「そうは言いましても、情報が少ないのでね。直ちにとは。」

 そんな、と美果は憤慨した。無理もない。私は、彼女に同情していた。

「まずは浜辺の防犯カメラを確認してみては? 見たところ、浜辺に降りる階段付近の電柱に一つあるみたいですね。まあ、目撃者情報に至っては望みが薄い。シーズンオフだし、見た限り、私たちが寄った店が運営しているだけ」

 刑事たちは、ずばずばと自身の推論を述べる新出を不審がった。彼の話が終わると、彼らは言葉に詰まり、微妙は空気が漂った。

「あの失礼ですが。警察関係の方でしょうか?」

「元、とはね。今は私立探偵をしております。まあ、そちらも引退しておりますから、元が付きますけど」

 新出は、半ズボンの後ろポケットに手を突っ込み、名刺入れを出した。中から白い一枚自身の名刺を刑事に渡した。

 彼らはそこに記された名前を確認した。当初は専門家気取りの変な輩と不審に感じていた彼らだったが、そこに記された名前を見て、双方があっとなった。

「ああ! あなたが有名な探偵の!」

 刑事たちの顔に光明が差し込んだ。それとない静かな地方の刑事たちが、面倒な事柄に巻き込まれた。内心、嫌なはずだ。そこにいくつもの難事件を解決した男が目撃者として現れた。これほど心強いことはない。さんさんと輝く、刑事たちの顔をこれまた幾度となく見てきた。

「休暇で伊豆の方に来ているので、あんまり素性は明かしたくなかったが、この際だから仕方ありません。とは言いましても、私の出番はなさそうです。恐らく狙いは誰でもよかったのでしょう。人を脅かそうという愉快犯の可能性が高い」

 新出の意見は、的を射ているようだった。美果がここいるのは、彼氏と喧嘩して、たまたま歩いてここまで来たのだから偶然だ。私たちも、ホテルに近いからこの浜辺でくつろいでいるだけで、こちらも偶然だ。ただ誰でもいいから狙いたかったわりには、なぜこんなシーズンオフに人が少ない時期を狙ったのか疑問に残る。

 刑事たちも納得したような顔だった。彼らは面倒ごとをさっさと幕を引きたいと感じているのがよく分かる。

 違うわ、と幼い声がした。

「犯人は私を狙ったのよ」

 美果だ。彼女は凛とよく通った声で訴える。一同、彼女に目が映る。

「と言いますと、犯人にお心当たりがおありですか?」

「もち、決まっているわ。ストーカーよ。私、女優の秋月美果なの。変な奴が私のことを狙っているのよ。私、三回も命を狙われたの」

「三回?」

 刑事たちはきょとんとした顔つきになった。先ほどまでの晴れやかな顔が嘘のようだ。

「彼女がさっき言っていたんですよ。私は三度も命拾いしたって。内容については存じ上げませんが」

 私は、そっと助け船を出した。

「一回目は、自分の部屋よ。壁に掛けていた死んだ祖父が書いた風景画が突然ベッドに落ちてきたのよ。ちゃんと固定していたから、変だなと思ったのよ」

 ずいぶんと細やかな危険だった。

「それで?」新出が優しく聞いた。

「二回目は、私の車のブレーキが故障していたの。よくこっちのほうにドライブに来るんだけど、ブレーキが利かなくってガードレールにぶつけたのよ。もし一歩間違えれば、海に真っ逆さまだったわ」

「警察には届けましたか?」

「ええ、もちろんだわ。一週間前のことですもの。今日みたいに刑事さんがやってきて、状況聞かれました」

 そっちは信ぴょう性がありそうだろう。

「最後の三つ目というのは?」

「私、ここから十五分ほどのところに家があって、近くに湖があるの。そこの途中にある階段が突然崩れて、転げ落ちそうになったの。かすり傷で済んだけど」

 三つのお話というのを聞いて、私はあきれていた。この娘は、そんなことで命拾いしたと言っているのか。

 空気は、停滞しだした。

「なによ? 信用していないの?」

 美果の言葉に棘があった。

「まあ、お嬢さん。お気持ちは分かりますよ」

「秋月美果よ」

「秋月さん。四度も命の危険にさらされたから、怒るのは無理もない。ボーガンは実に危険なものだ」

「ええ、最初は些細なことだけど、回を重ねるごとに悪質にあっているわ!」

「わかっていますよ。私から提案ですが、被害届をお出しになったらどうでしょう?」

「被害届?」

 感情が高ぶった娘の丸い瞳が引き締まった。

「それって早く出した方がいいの?」

「はい、なるべく早い方がいい」

「わかった。そうする、そうします。ああ、従兄が弁護士なの。彼と相談してみる」

 美果はパッと短パンのポケットに入ったスマホを取り出した。色々とデコレされた若者らしいものだ。

「あ、いいわ。明日にします。今日は疲れちゃった。ねえ、別に今日じゃないとだめってわけじゃないでしょ?」

 彼女は何を思ったのか電話するのをやめてスマホを元に戻した。

「ええ。明日も平日だし、それでもいい」

「わかった」

 うん、うんと彼女はうなづくことで自身を納得させているようだ。新出は、この気性の激しい娘を優しくなだめさせた。

「実況見分はこれで終わりです。何かございましたら、X警察署へご連絡ください」

 刑事たちは、指紋が付かないよう凶器のボーガンを押収し、現場を立ち去ろうとした。

「ちゃんと捜査してください」

 そそくさと帰る彼らを見かねたのか、美果はくぎを刺した。

「もちろんです」

 彼らは軽く会釈を交わすと、さっさと引き上げてしまった。

 ザザンという波音、サーッと駆け抜ける海風。一時危険が近くまで忍び寄ってきたが、また元の細やかな浜辺風景がチラついた。ああ、もう気づけば夕暮れ時。

「警察って、本気にしていないみたい」

 ぽつりと美果が口にした。

「仕方ありませんよ。お話の内容では、あなたの不注意と捉われてしまっていますから」

「まあ! ひどい。ボーガンで殺されかけたのに!」

「落ち着いて。ボーガンの件と、その他の件では事件性の具合が違います。だから混ぜない方がいいと思います」

「うん。」

 美果は実に気持ちにぐらつきのある女性だった。私はこういうタイプがどうも苦手だった。出会った当初は、とても可愛らしい娘だと思ったが、もうすっかり嫌気が指していた。

「さ、あなたは自宅にお帰りなさい」

「タクシーを手配させましょう」

 私たちはお嬢さんを優しく扱っていた。また自然な足取りで、泊まっている海燕ホテルに向かう。

「待って」

 美果は立ち止まり、砂浜をにらんだ。

「お願いがあるわ。お休みのところ申し訳ないの、迷惑がるのも無理ないわ」

「ええ」

「私の身辺警護を頼みたいの。お金は望む額をお支払いするわ」

 どうやら彼女は本心を打ち明けるときは、目をそらし声が小さくなるようだ。とても自分が弱く、かばってほしいと訴えていた。

「私、怖いの。」

 私は、これは演技だろうと看過していた。か弱く映る少女は、女優秋月美果だ。彼女が出演した映画を見たことがある。こんな情景があったと思う。華奢な体つき、人目を引く仕草。男が守ってやろうという状況を作り出す瞬間といい、私には劇の一シーンを見せられているように思えてならなかった。

「彼氏がいるのでは?」

「いいわよ。あんな人。肝心な時にいないんだから」

 美果はフンと鼻を鳴らす。

 さすがの新出も、これはやんわりと蹴るだろうと思った。なにせ、探偵業はこれまでと言っていた。だが彼の回答は意外なものだった。

「承知いたしました。ええ、よろしいですとも。ご依頼を引き受けましょう」

 私は驚いて目を見張る。本気か?

「嬉しい!」

 目の前に美果の喜色満面とした表情が広がっていた。夕陽に照らされ、彼女の微笑みは一層美しく浜辺に華を咲かした。両手の小さな握りこぶしを顔に寄せ、彼女は嬉しそうだ。

 面倒なことになった。絶対に面倒だ。これは本当にいけない気がした。

「あなたは、どちらにせよあなたは」

「秋月さん、あなたはご自宅にお帰りになるのですか?」

 私が言いかけた時、新出がすっと遮り代わりに話し出した。

「ううん。今日はご一緒させて。そこのホテルに泊まっているんでしょう? なら大丈夫よ。私はあそこのオーナーと知り合いなの。時期的に問題ないし、空いた部屋を貸してくれるわ」

 美果は朗らかに言い放つ。

 何が大丈夫なんだ。

「では、そうしましょう」

 新出のすました顔がそこにあった。彼の顔もまた少年のように嬉しそうだった。

 こうして女優の秋月美果が向いの部屋に泊まることになった。あっという間の出来事だ。

彼女のチェックインが済むと、私たちは情報を連携できるようグループLINEを作った。名付けて『アッキー親衛隊』だ。命名は美果がした。

 外出の際は、一人で行動せず私か新出に連携すること。窓は開けないこと。鍵はしっかりしめること。誰かが開けるよう求めても、安易に開けず確認を取ること。身の危険を感じたら、この『アッキー親衛隊』に連絡すること。

 何だ、これ。

 私はあきれ返っていた。子どものゴッコ遊びじゃないか。いや、幼稚園生でもこんなあほらしいことは思いつくまい。グループLINEに流れてきた決め事は、実に幼稚だった。

四十近い大の大人がよくもまあこんなことを。

「さ、こちらの内容を守って頂ければあなたの身の安全は保障されますよ」

 ええ、と美果は納得の表情を浮かべる。

「お二人さん、どうぞよろしくお願い致します」

 美果は、くすりと微笑みひらひらと手を振った。そしてバタンと戸を閉めた。私たちは締め出された。

「新出、本気で引き受けるのか?」

 ふ、と彼は鼻で笑った。

「いいじゃないか。いつも大事件ばっかり追うよりは、かわいいお嬢さんの身辺警護の方がずっと楽ちんだよ。大の男が二人、いつまでもビーチでゴロゴロしても仕方ないだろう。余興にはピッタシだよ」

 かわいいお嬢さんか。やはり本当はそっちだろうね。私は内心毒づいた。伊豆のX町に休暇に来た私たちはひょんなことから若い乙女に出会った。
 
 彼女は命を狙われているという。治安がすこぶるいい日本の小さな田舎で、荒唐無稽な話だったが、やがて本当に生臭い事件になろうとは、私たちは思ってもみなかった。
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