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第1章 世界の理
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初冬の初脱走からというもの希和子は行度となく宮廷を抜け出した。あまり癖のない彼女が持った大きくて、あまりよくない癖がついてしまった。外の世界を堪能していた。最初は月一という頻度だったが、徐々に回数は増えていった。
彼女は渇望していたのだ。退屈な宮廷生活を晴らす何かが訪れることを。だが内にこもってばかりいても何も訪れてこない。課せられた使命ばかりこなしていても何もめぐっては来ない。
聖女としての役割は、人々の支えとして存在し儀礼的な行為を済ませるだけなのか。希和子はもう大人だ。自身でやりたいことをつかみに行く権利がある。
市井を歩き、現状を見聞することだった。短時間で希和子は多くを知る。まずは、
人々の暮らしぶりだった。ただ市街をふら付くのではなく、掴み取る。何か大きなものを。成し遂げるためには、知る必要がある庶民の暮らしを……
だが希和子は一つの危険があることを忘れつつあった。素性がばれてしまうことである。単独で抜け出すということもあった。祥子が言っていた戒め、決して素性を悟られてはいけないよう用心するのだという忠告も、脱走の回数を重ねるごとに散漫になっていく。
噂が広まる。人々の象徴の証であり、導き手でもある聖女が職務を放棄して市街を、素性を隠して出歩いているのではないかと……
「何かと陛下にずいぶんとご執心のようねえ……」
きつい香水の匂いが鼻を突く。当てつけあり警告だった。
女の顔がふっと笑う。高圧的でいかにもという感じである。
「べつに構いませんわよ。私たちお伽衆は陛下の傍目。各々お支えするのが役目ですわ」教師がいろはも知らぬ生徒に物事を教える素振りだ。
「あなたは特別おしゃべりがお上手。だから陛下のお心をつかむのがうまい」
「きっとその口であれやこれやと口添えし――」
女はそこで言葉を続きは別の女が言った。
「陛下を夜な夜な外に手引きし、神聖なご品格を醜聞で汚すとは」
とんだ傍目ですこと、と最後にとどめを刺すような口ぶりで言う。
「あなた一体何が目的ですか? ご寵愛を受けること?」
「何かしら?」
祥子は議会派四名のお伽衆に、宮殿の来訪後、すぐに中庭へと半ば強制的に呼ばれた。なぜだが想像がついていた。
女たちは笑っていた。見下すような目つきで。祥子の周りを囲む。寄って集りなぶり、ゆっくりと相手の力を削ぎ落す算段だった。
「無派閥なんておやめなさいな」
代表格の女がそっと祥子の肩に手をかける。
「あなたねえ、誰も彼にもいい顔ばかりしているとがなくなって、聖都にいられなくなるわよ」
ふふふと笑いが一斉に起こった。
「皆さまのご忠告確かに承りましたわ」
ようやく祥子が話を始める。
「確かに私の振舞が皆様の気心を害してしまったようですわ」
しかし、と祥子は落ち着いた口ぶりでいう。
「陛下の周りを取り巻く悪しき醜聞は、私が企んだことではありません。皆様を出し抜いてご寵愛を受けようと思ってもいません。」
彼女は笑い返した。当てつけへの仕返しだ。
「私は皆さんと仲良く接してまいりたいと思っていますのよ。ですから無派閥として、業務に携わるのが一番かと」
礼節をわきまえた素振りが、四人のお伽衆の気分を一層害していた。全員の顔が凍り付く。もう誰も笑っていない。
「まあいいわ」
女の一人がひんやりとした口調で言う。
「忠告はしたわ。二度目はもうありません」
冷徹なまなざしが祥子の心を鋭く突いた。
女たちはぞろぞろと前に続き、立ち去った。
祥子は一人になり、疲れたと思った。議会第一党である議会派の権勢はすさまじい。彼女たちは議会派の議員を夫に持つ女たちで、自らの権力を認めてもらうためにお伽衆として送り込まれた、いわば刺客である。
大した仕事もせず、のうのうと高給を食む議員と彼らにパラサイトする女たち。表面上において壱ノ国は立憲君主制であった。権力は三分割され、王が行政権を取り、人民から選ばれた代表が議会を形成し、立法権を握っていた。
相互に抑制し、互いに高め合った議論をしていくのが慣例のはずだが、実態は違う。
壱ノ国が建ち四百年。今では議会は単なる追認機関へ堕ち実質王の独裁体制である。
理由は王が聡明で、権力と人気が絶大だったからだ。
王は人であって人ではない。彼らが持つ宝に根源がある。宝には太古の悪霊が宿り、王に無尽蔵の力を与える。特に西王の力は強靭だった。王を長い歳月をかけて蝕むはずの宝の悪霊が、逆に餌食になってしまうほどに……
議員は単なる人だ。いくら声高に主張しても王には特別な権限もあったし、話し合いで決着が付かなければ折れるしかない実情である。
今の議会にあるのは民衆に選ばれただけのおごり高ぶりから生じた歪んだエリート思想だけだ。
愚かな……
議会は選んだ民衆から高く税を徴収する。おかげですっかり議員の大半は嫌われ者である。
祥子は宮殿に用意された自分部屋に戻ると、窓際に鳥が止まっていることに気付く。来たかと彼女は内心思い、緊張した。反面で、ほほ笑む。鳥は吉兆の知らせだ。
赤き羽根と頭は青で、胴は白。火をまとっているような珍鳥である。しかし彼女は気にせず、鏡を見て自身の顔を眺め、メイクを確かめていた。
「首尾はどうだい?」
いつの間にか窓辺に止まっていた赤い鳥はいなくなっていた。しかし代わりに人が椅子に腰かけている。
年は若く、肌は蝋燭のように色白で、淡泊な面持ちだ。年齢の割には妙に落ち着き払っていて老成している印象である。
「順調ですわ。そろそろよろしい時期かと」
「そうか」
「ただ、近頃勝手に宮殿を抜け出すものですから少々手を焼いています」
男はほうと返事をする。
「そろそろ動かねば、警護が一層厳しくなりますわ。私の身も時期には」
「安心しなさい。身の安全は保障するよ」
「そうであってほしいものですわ」
「何か不満かな?」
「べつに。あなた、こんなところにいてよろしいの?」
祥子の心配に反して男は、なあにと言った。余裕と自信が備わった笑い方である。
「僕の心配はしなくていい。窓の外をよく見るといい」
男はあごでしゃくる。言われるがまま祥子は窓辺に向かう。青い空にわずかな筋雲がある。宮殿の中庭には、庭師が手入れしている、門には番人がいる。そんな何気ない毎日見るような光景でだが何かがおかしい――すべて止まっていた。
流れを失い沈黙した世界。動いているのは祥子と目の前にいる男だけだ。
「さすがは魔術師で呼ばれるお方。時の針も自在に操れるなんて」
「わずかな時間だけさ」
「わずかな時間で、国王を殺せない? あと聖女も取れない?」
男は残念とだけ言った。
「何事も都合のいいように進んでくれないわね、宝を持っていても」
宝とはいったい何のことであろう。男が首にかけていた懐中時計のことを言っている。宝は七つ顕在している。一つは腕輪、また一つは戟、そしてここにある懐中時計。四ノ国王・聡士が持つ七宝である。彼はまたの名を魔術師と呼ばれ、魔力は伍の王と比肩するものであった。
「決行日は二月二十三日、夕刻だ。その日、聖女は都を離れ、別邸に向かう。ほんの数日間だけだ」
「そう……ですの」
「本人から聞いていなかったのか?」
「ええ、最近どうもご自身の予定については相手がお伽衆であってもむやみに言うなと口止めされているようで」
話を聞き聡士の顔が苦いものになる。
「まずいな」
「ええ」
「だがチャンスはそこだけだ」
聖都は難攻不落。堅牢な要塞都市だった。
聡士は一旦爪を噛んでしばし考える。やがて結論に達したのか、どうなのかは定かではないが、まあいいやと言っ
て、彼は人の原型から鳥に転変した。
転変。宝を持つ王のみがなせる業。己が力を最大限まで引き出し解放した姿であった。形は王と宝の特性が重なり
合って決まる。
天を舞う赤き鳥は、青空を彩る。
王とは優雅なものだ。力もあり、並み居るものではかなうまい……
止められていた時計の針はまた脈打ち始める。
同時にふうと風が祥子の顔にかかり、髪がなびいた。少し強めの風だった。
風は東より吹いて何かが起こる前ぶれである。
彼女は渇望していたのだ。退屈な宮廷生活を晴らす何かが訪れることを。だが内にこもってばかりいても何も訪れてこない。課せられた使命ばかりこなしていても何もめぐっては来ない。
聖女としての役割は、人々の支えとして存在し儀礼的な行為を済ませるだけなのか。希和子はもう大人だ。自身でやりたいことをつかみに行く権利がある。
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だが希和子は一つの危険があることを忘れつつあった。素性がばれてしまうことである。単独で抜け出すということもあった。祥子が言っていた戒め、決して素性を悟られてはいけないよう用心するのだという忠告も、脱走の回数を重ねるごとに散漫になっていく。
噂が広まる。人々の象徴の証であり、導き手でもある聖女が職務を放棄して市街を、素性を隠して出歩いているのではないかと……
「何かと陛下にずいぶんとご執心のようねえ……」
きつい香水の匂いが鼻を突く。当てつけあり警告だった。
女の顔がふっと笑う。高圧的でいかにもという感じである。
「べつに構いませんわよ。私たちお伽衆は陛下の傍目。各々お支えするのが役目ですわ」教師がいろはも知らぬ生徒に物事を教える素振りだ。
「あなたは特別おしゃべりがお上手。だから陛下のお心をつかむのがうまい」
「きっとその口であれやこれやと口添えし――」
女はそこで言葉を続きは別の女が言った。
「陛下を夜な夜な外に手引きし、神聖なご品格を醜聞で汚すとは」
とんだ傍目ですこと、と最後にとどめを刺すような口ぶりで言う。
「あなた一体何が目的ですか? ご寵愛を受けること?」
「何かしら?」
祥子は議会派四名のお伽衆に、宮殿の来訪後、すぐに中庭へと半ば強制的に呼ばれた。なぜだが想像がついていた。
女たちは笑っていた。見下すような目つきで。祥子の周りを囲む。寄って集りなぶり、ゆっくりと相手の力を削ぎ落す算段だった。
「無派閥なんておやめなさいな」
代表格の女がそっと祥子の肩に手をかける。
「あなたねえ、誰も彼にもいい顔ばかりしているとがなくなって、聖都にいられなくなるわよ」
ふふふと笑いが一斉に起こった。
「皆さまのご忠告確かに承りましたわ」
ようやく祥子が話を始める。
「確かに私の振舞が皆様の気心を害してしまったようですわ」
しかし、と祥子は落ち着いた口ぶりでいう。
「陛下の周りを取り巻く悪しき醜聞は、私が企んだことではありません。皆様を出し抜いてご寵愛を受けようと思ってもいません。」
彼女は笑い返した。当てつけへの仕返しだ。
「私は皆さんと仲良く接してまいりたいと思っていますのよ。ですから無派閥として、業務に携わるのが一番かと」
礼節をわきまえた素振りが、四人のお伽衆の気分を一層害していた。全員の顔が凍り付く。もう誰も笑っていない。
「まあいいわ」
女の一人がひんやりとした口調で言う。
「忠告はしたわ。二度目はもうありません」
冷徹なまなざしが祥子の心を鋭く突いた。
女たちはぞろぞろと前に続き、立ち去った。
祥子は一人になり、疲れたと思った。議会第一党である議会派の権勢はすさまじい。彼女たちは議会派の議員を夫に持つ女たちで、自らの権力を認めてもらうためにお伽衆として送り込まれた、いわば刺客である。
大した仕事もせず、のうのうと高給を食む議員と彼らにパラサイトする女たち。表面上において壱ノ国は立憲君主制であった。権力は三分割され、王が行政権を取り、人民から選ばれた代表が議会を形成し、立法権を握っていた。
相互に抑制し、互いに高め合った議論をしていくのが慣例のはずだが、実態は違う。
壱ノ国が建ち四百年。今では議会は単なる追認機関へ堕ち実質王の独裁体制である。
理由は王が聡明で、権力と人気が絶大だったからだ。
王は人であって人ではない。彼らが持つ宝に根源がある。宝には太古の悪霊が宿り、王に無尽蔵の力を与える。特に西王の力は強靭だった。王を長い歳月をかけて蝕むはずの宝の悪霊が、逆に餌食になってしまうほどに……
議員は単なる人だ。いくら声高に主張しても王には特別な権限もあったし、話し合いで決着が付かなければ折れるしかない実情である。
今の議会にあるのは民衆に選ばれただけのおごり高ぶりから生じた歪んだエリート思想だけだ。
愚かな……
議会は選んだ民衆から高く税を徴収する。おかげですっかり議員の大半は嫌われ者である。
祥子は宮殿に用意された自分部屋に戻ると、窓際に鳥が止まっていることに気付く。来たかと彼女は内心思い、緊張した。反面で、ほほ笑む。鳥は吉兆の知らせだ。
赤き羽根と頭は青で、胴は白。火をまとっているような珍鳥である。しかし彼女は気にせず、鏡を見て自身の顔を眺め、メイクを確かめていた。
「首尾はどうだい?」
いつの間にか窓辺に止まっていた赤い鳥はいなくなっていた。しかし代わりに人が椅子に腰かけている。
年は若く、肌は蝋燭のように色白で、淡泊な面持ちだ。年齢の割には妙に落ち着き払っていて老成している印象である。
「順調ですわ。そろそろよろしい時期かと」
「そうか」
「ただ、近頃勝手に宮殿を抜け出すものですから少々手を焼いています」
男はほうと返事をする。
「そろそろ動かねば、警護が一層厳しくなりますわ。私の身も時期には」
「安心しなさい。身の安全は保障するよ」
「そうであってほしいものですわ」
「何か不満かな?」
「べつに。あなた、こんなところにいてよろしいの?」
祥子の心配に反して男は、なあにと言った。余裕と自信が備わった笑い方である。
「僕の心配はしなくていい。窓の外をよく見るといい」
男はあごでしゃくる。言われるがまま祥子は窓辺に向かう。青い空にわずかな筋雲がある。宮殿の中庭には、庭師が手入れしている、門には番人がいる。そんな何気ない毎日見るような光景でだが何かがおかしい――すべて止まっていた。
流れを失い沈黙した世界。動いているのは祥子と目の前にいる男だけだ。
「さすがは魔術師で呼ばれるお方。時の針も自在に操れるなんて」
「わずかな時間だけさ」
「わずかな時間で、国王を殺せない? あと聖女も取れない?」
男は残念とだけ言った。
「何事も都合のいいように進んでくれないわね、宝を持っていても」
宝とはいったい何のことであろう。男が首にかけていた懐中時計のことを言っている。宝は七つ顕在している。一つは腕輪、また一つは戟、そしてここにある懐中時計。四ノ国王・聡士が持つ七宝である。彼はまたの名を魔術師と呼ばれ、魔力は伍の王と比肩するものであった。
「決行日は二月二十三日、夕刻だ。その日、聖女は都を離れ、別邸に向かう。ほんの数日間だけだ」
「そう……ですの」
「本人から聞いていなかったのか?」
「ええ、最近どうもご自身の予定については相手がお伽衆であってもむやみに言うなと口止めされているようで」
話を聞き聡士の顔が苦いものになる。
「まずいな」
「ええ」
「だがチャンスはそこだけだ」
聖都は難攻不落。堅牢な要塞都市だった。
聡士は一旦爪を噛んでしばし考える。やがて結論に達したのか、どうなのかは定かではないが、まあいいやと言っ
て、彼は人の原型から鳥に転変した。
転変。宝を持つ王のみがなせる業。己が力を最大限まで引き出し解放した姿であった。形は王と宝の特性が重なり
合って決まる。
天を舞う赤き鳥は、青空を彩る。
王とは優雅なものだ。力もあり、並み居るものではかなうまい……
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同時にふうと風が祥子の顔にかかり、髪がなびいた。少し強めの風だった。
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