七宝物語

平野耕一郎

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第2章 霧の中より現れし男

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 昼時。北への親征に向かう大通り北征道よりわずかな脇道に逸れたところに数名の女たちが集いひそひそと何やら話している。大通りに店を構え、商いをする売り子たちである。

「ねえ、お聞きよ。陛下をお支えする最初の騎士公の選出の話」

「えーえー、スカンピンなどことも知れぬ流浪人を添えるらしいわね――まあなんと嘆かわしい」

「でも敵国から聖女陛下の窮地を救った男で、陛下御自身のお気に入りだとか」

「だからって、いきなり最初の聖騎士の位はどう見ても変よ。あまりにもおかしいわよ」

 市井は噂の吹き溜まりと化していた。聖女が位に就いて一年。おしとやかで、慎ましく、可憐な、という印象のもと正式にその座の陰に噂が付きまとっていた。二十年もの間、聖女になるべく人として宮廷内に置かれた希和子が世に出て一年という月日が流れた。

 去年表舞台に姿を現した。

 当然人々は好奇の目で彼女を見る。そして常に各々の都合のよい解釈をし始める。結果、彼女は噂に付きまとわれていた。

 聖女は、孤独であった。唯一の存在として君臨する中で、東の大敵より奇襲を受けた。そこを通りすがりの男が助ける。何という出来た話であろうか。これに市井の者が食いつかないはずがない。

「きっと多くの生え抜きの騎士たちを敵に回して、居場所がいなくなって消されるに決まっているわよ」

「世も末。わけのわからぬ馬の骨が最初の騎士公だなんて――あたしがっかりしたわ」

「聖女なんて必要なの?」

 その言葉に、皆々顔色を変える。一人が、シッおよしと諫める。

「どこで誰が見張っているか分かったものじゃないのだから」

「だって……」

 そう、市井の中にはすでに血統が途絶えた聖なる一族を崇め奉る意味を理解しない者がいた。

 聖都内では、絶対的なタブーであり、口に出せば運悪ければ親衛隊につかまり、抹消される。だが都の端々で聖女不要論が密やかに口にされるのは、古より続いた聖なる腕輪を持ち人々を率いていた血族がある日途絶え、人々の記憶から薄れていったことが起因する。

 しかし聖なる血族は復活した。末裔が生きていたのだ。希和子のことだ。彼女を聖女に据えたのは、西王だ。自らひざを折り、家事を手伝う幼い少女に低頭した。

「殿下御自らが決めたことなのよ」

 皆が互いの顔を見つめ合う。市井の者が王への忠義を確かめ合っているようだ。

 一方の行政府である。ただ事ならぬ状況である。

「殿下――何卒ここはどうか、ご諫言ください」

 軍部の最高幹部が言う。年は七十を超え、西王の遠征を支えた忠臣である。

「そうおっしゃるのは分かりますが……」

「すでに軍の会議では大いに紛糾している最中でございます。なぜ長らく聖女陛下・西王殿下に仕える者から騎士公が選任されず、一介の浪人を選ぶのか」

 王に対し殿下の呼称を付ける際は、西王殿下と呼んだ。

「殿下、恐れながら申し上げます。親衛隊としてもこれは由々しき事態と存じ上げます」

「行政府全体として、これほど情けない話はございませぬ」

 最高行政会議は、互いの位に関係なく自由に発言することを議長である王自らが容赦していた。

「陛下の心中が分からぬ――なぜ」

「悩んでおられるのでしょう。何かと雅な宮廷内とは裏腹にうごめく権力闘争に、広く心を痛めておるのです」

「一体この事態とどのような……」

「内部に信の置ける者はきっとわずかしかおられぬ。そこにさっそうと現れた男に、きっと――」

「何をおっしゃいます」

 うっとりするような口ぶりで話す西王に横に座っていた行政官房長が目を丸くした。その役は、行政府の長である王を補佐することにあった。

「ふふ、冗談ですわ。皆々の意見確かに受け取りました。私のできることあれば我々の考えを陛下に奏上し奉ります、では」

 西王が優雅に手を挙げる。解散の合図である。各々、言いたいことはあれども、行政会議の解散権は王が持っていた。解散といったときは、誰も決定に反論できない。

 各省庁を代表する長たちは、一旦退くしかなかった。彼らが出て行ったあと、西王の執務室は王自信と親密な老いた従者一人となる。

「殿下、あれでよろしいので?」

「ええ」

「皆の意見、多少の偏見、誤解はあるでしょう。しかし、国の形を表すものとして権威というものがございます」

「権威をないがしろにする判断だ、と言いたいのでしょう」

「はあ……」

 従者は、内心完全な存在に近い西の覇者たる王の唯一の欠点は、聖女に甘い。この世は聖女という権威の下に、政治の代行者である王が統治し、その下に無数の官僚がいた。

 聖女は王とは違い、常人と同じ寿命しか持ち合わせていない。その身は、脆くはかない。彼女の身を直に守る騎士の存在が必要になってくる。だが聖女就任から一年。未だに決まっておらず、適したものを各省庁から、特に軍部と、親衛隊から輩出されるはずだった。

 しかし事態は、皆々の期待と大いにずれ始めている。通りすがりの流浪人が、聖女の危機を救ったこと、さらに聖女自身が彼の剣を腕輪で研ぎ直し、彼を傍に置き、騎士に銘じてしまった。話は一足飛びに大きくなった。

 権威の頂点である聖女が無位無官の男を気に入ってしまう。国のシステムを根底から揺るがしている。聖女に唯一諫言できるものがいるとすれば、希和子を聖女に添えた西王萌希以外いないだろう。

 希和子を諫めず、ただ見守っているという姿勢を貫いていた。あくまでも自身は聖女を支える立場に過ぎず、行政や軍事を代行しているという姿勢を変えようとしない。

「権威は、大事です。人には性分というものがあって、与えられた役割がありますわ。ときに性分の違いが、人の地位を決めることもあります。高貴な地位を持ったものが平民と触れ合うのは時に権威を損なうことにも、当然あるでしょう」

 従者はうなずき、相手の反応を見てから王は話を続ける。

「ただ崇高な地位にある聖女が、一介の流浪人に、日の当たらない場所にいた男に手を差し伸べることは、良いことであると思っていますの」彼女の詩を読み上げるような話が続く。

「聖女という人々を誰彼となく導き方針を指し示す者の業績ですわ。今回、流浪人を騎士に据えたことはある種、革命に近い……」

 語り続ける王の口調は、うっとりと酔っているようである。従者は、困りかねた。王が聖女に心酔しきっていること。確かに、諸王が自らに権力を与え給えた聖女に忠誠を誓い臣従するのは清きことである。だが聖女とて道を踏み外さないとは限らない。

「殿下が、そう仰せであられるならば――私の口からは、申し上げることはございませぬ」彼の口より出たのは、相手への意見への肯定表現である。

「私は、いつか皆が聖都内外関わらず人々が地位に関係なく交われる時代が来ると信じておりますわ」

 王の平等と博愛精神に、年老いた従者はひれ伏すよりほかになかった。
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