七宝物語

平野耕一郎

文字の大きさ
53 / 156
第4章 さまよう聖女

5

しおりを挟む
 聖女誘拐の報は、夜の聖都を瞬く間に広まった。二十年ぶりに伍の王を除く王たちがそろう諸王の会議の話題は即座に消え去った。今は誘拐の話でも持ちきりだった。
 あらゆる裏道、家々、酒場で、人が集まれば話の必ず聖女の話だ。
 宮廷内は、絶対隠匿せよという達しが出されたはず。だがどこからか漏れた噂は大河の水があふれかえり、あらゆるものを押し流すように都内の人々に伝播する。この勢いには、さすがの西王ですら、せき止めることが叶わなかった。
 狂騒の一日だった。やがて一夜は明ける。
 都の主、西王は直ちに戒厳令を発し、あらゆる風評を流す者は厳罰に処するという趣旨の高札が立てられた。民を鎮められた。何より軍の招集をした。全ては絶大なる王の権限だ。何人たりとも彼女の出した法に異を唱える者はいない。
 東の地への遠征の際に開かれる門に兵が殺到した。全身を黒い甲冑に身とまとった西王の軍勢は、万単位であった。
 軍の招集を除けば、都は前夜と打って変わり静寂に包まれている。
 この光景を流星は自室の窓から見ていた。昨日は喚声に交じった嘆息が聞こえる。今日は打って変わって大通りに誰もおらず、外出を図る者はいない。
 明朝九時。出立の時が来た。囚われた主を救い出すという使命。願わくは敵の命を絶てることを。ついにこの日が来た。
 彼の持ち物は、至って簡素だ。ボロ布で作られた服を着て、わずかな食料を持ち、腰に剣を持つ。しかし、今日だけは一つ特殊だ。
 聖なる腕輪。剣に光を吹き込み、魔を払う力を与えた崇高にして、不可侵な代物が聖騎士である流星の首に掛けられた。光は、神々しくまばゆいものだ。
『あなたに、聖なる腕輪を託します』
 西王は、会合の終わりに首掛けを付けられた
『本来なら聖女の持ち物。あなたは、聖女にこれを渡すという使命を担うのです』
 目のまえに取り出された光は、騎士には明るい兆しとなったが王には不調を引き起こす厄介な代物である。
『私には、何の御利益もない物ですが、きっとあなた方の道中には欠かせないでしょう』
 手に渡された腕輪を大事にしまい込む。人目に触れてはいけない。胸にしまうが、まばゆい光は隠せそうになかった。刻限である。
 場所は、宮殿の正門。しかし現地に待ち合わせた人物はいない。
 周囲を見渡したが、やはりいなかった。使命を果たすという思いを胸に今日まで生きてきたが、昨日の会合で己の無知を痛感した。自分は何も敵を知らずにかの地へ行き決闘を申し込もうとしていた。
 自分をあざ笑った、生まれながら地位を約束され、上り詰めた高位高官たち。しかし聖都に帰ってくる頃には、びっくりすることだろう。
 彼は笑っていた。いくらかの慢心があった。
 背後に迫った気配は、あまりにも俊足で剣を抜くのが遅れただけで、命とりだ。相手が手に握る短剣は的確に彼の首筋を捉えていたし、あとは息の根を止めるだけ。
「ピクニックに行くわけじゃないのよ?」
「お戯れを……」流星は笑ったが、内心ヒヤッとしていた。あまりにも相手の気配に気付かなかったからだ。「警戒は常に怠りませんよ」
「ならいいわ。期待している」
「陛下に魅入られた剣技、侮られては困る」
「悪いけども、剣は少し移動には邪魔ね。どこかへ――そうね」
 夕美も、西王と同様に指で円をなぞり、簡素な木箱を取り出す。王と共にするものが聖なるものを持つとき、箱に入れられる。王気を削ぐからだ。
「また箱か。致し方ない。移動にはご不便なのでしょう?」
「剣は聖なるもの。王の兆しを削ぎ、私の移動に支障をきたします」
「長き道のりではあれ、たかが移動でもいかぬとは。王とは案外脆いもの」
 彼は笑う。
「あなたは何か勘違いをしているわ。火都に移動するのに、時間は要しません」
「なるほど」なるほど王の力をもってすれば、軍が数日はかかるという東国への道のりを瞬時に行けるわけだ。大した力だ。彼は王が持つ力に懐疑的だった。
「移動の際、決して私の手を放さないこと……」
「はい」
「ではよろしくて?」
「ええ」
 流星は夕美の手を握った。彼女の手は氷のように冷たく、感情を伴っていない印象を抱いた。王の兆しなのか。意味のない考察だった。あまりの常人離れした移動に消し飛ぶ。目の前に映し出された風景は、目まぐるしく移り変わる。
 都の街並み、白の城壁、一瞬にして飛び越えたようだ。情景は変わる。体が宙をふわりと浮く。城壁を越え、その先は見果てぬ大地が広がる。牧草地帯、草原、北の大森林――右へ左へと蛇行を繰り返しているのは、目の前の障害物を乗り越えているからだ。
 手を振り解きたい衝動にかられた。体に色々な物が当たって、痛い。しかし彼の手は、しっかりと固く結ばれていた。
 背後の景色は、深い緑だ。ここがどこかは知らない。もしここで置き去りにされたら二度とこの森から出られないだろう。
 擦れる木々や木の葉が。切れ味のいい刃物と化して流星の体の節々を襲う。顔は切り傷だらけだが、夕美は一緒に走る流星を気遣おうとしない。
 激しい移動は、何の前触れを無く終わる。
 彼女の足はピタリと停止した。ガクンと体が揺れ、呑み込んだつばが気管に入りかけ、思わずむせた。
「生きている?」
 彼は地に手を付き、己の有様をみて、無数の切り傷に侵されていると知った。
「試練はこれからなのに。やっと着いたと思って見てみたら、死んでいたじゃ困るから」
「ええ」
「ほら、ここが火都」
 火都。そうか、もう着いたのか。背後は大森林。目の前には殺伐とした荒涼とした大地が広がる。大地は荒れ、草木一本さえ生えていない。人々が辛酸の果てに渡ってきたとされる名もなき荒野より、はるかに荒れ果てている。全ての動植物が、参の国を忌み寄り付こうとしない。
 流星もこの地が放つ悪しき雰囲気に、身を引いた。
「正面にあるのが黒門。都に入るための正門よ」
 彼女が指さした先には、漆黒の門がある。何の変哲もないが、どす黒さを象徴としている。
「後ろに控える山々が五連山。私たちが登る山よ」
 五連山。この世界のどの山より、高く険しく切り立っており、炎に包まれた山で、素肌に木々はもちろん、苔も生えずごつごつとした岩石がむき出しになり、何人も寄せ付けなかった。
「かつてここは、品質のいい木を切り倒し、売買する緑に恵まれた木こりの都だった。でもかつての話よ。地は歪められ、先住民は追い出されるか、殺され、あとに怒りに燃える王が支配している」
「ここからは剣を持ってもらう。決して気づかれないよう、そっと慎重に気配を消して」
「腕輪は?」
「必要?」
「ええ、どちらかと言えばそちらが大事です」
 夕美は、はあとため息をついた。どうやら聖なる兆しが、王を憂鬱にするのは事実だ。顔が曇り、辛そうだ。
「仕方ない」
 彼女は腕輪も取り出し流星に渡す。
 腕輪と聖剣。二つは呼応し、王の兆しを削ぐ。また逆もしかりだ。互いの力をぶつけ合い、相殺し気配を消して敵に気付かれないよう努める。
 背反する力。どちらも互いをけん制して、反発し合っていた。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

存在感のない聖女が姿を消した後 [完]

風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは 永く仕えた国を捨てた。 何故って? それは新たに現れた聖女が ヒロインだったから。 ディアターナは いつの日からか新聖女と比べられ 人々の心が離れていった事を悟った。 もう私の役目は終わったわ… 神託を受けたディアターナは 手紙を残して消えた。 残された国は天災に見舞われ てしまった。 しかし聖女は戻る事はなかった。 ディアターナは西帝国にて 初代聖女のコリーアンナに出会い 運命を切り開いて 自分自身の幸せをみつけるのだった。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。

渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。 しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。 「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」 ※※※ 虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。 ※重複投稿作品※ 表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

主婦が役立たず? どう思うかは勝手だけど、こっちも勝手にやらせて貰うから

渡里あずま
ファンタジー
安藤舞は、専業主婦である。ちなみに現在、三十二歳だ。 朝、夫と幼稚園児の子供を見送り、さて掃除と洗濯をしようとしたところで――気づけば、石造りの知らない部屋で座り込んでいた。そして映画で見たような古めかしいコスプレをした、外国人集団に囲まれていた。 「我々が召喚したかったのは、そちらの世界での『学者』や『医者』だ。それを『主婦』だと!? そんなごく潰しが、聖女になどなれるものか! 役立たずなどいらんっ」 「いや、理不尽!」 初対面の見た目だけ美青年に暴言を吐かれ、舞はそのまま無一文で追い出されてしまう。腹を立てながらも、舞は何としても元の世界に戻ることを決意する。 「主婦が役立たず? どう思うかは勝手だけど、こっちも勝手にやらせて貰うから」 ※※※ 専業主婦の舞が、主婦力・大人力を駆使して元の世界に戻ろうとする話です(ざまぁあり) ※重複投稿作品※ 表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。

聖女召喚

胸の轟
ファンタジー
召喚は不幸しか生まないので止めましょう。

追放された聖女は旅をする

織人文
ファンタジー
聖女によって国の豊かさが守られる西方世界。 その中の一国、エーリカの聖女が「役立たず」として追放された。 国を出た聖女は、出身地である東方世界の国イーリスに向けて旅を始める――。

処理中です...