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第1章 戦いの準備
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このところ西方は雨がよく降る。途切れることのない灰色の厚い雲が聖都を覆っている。雨は天から降り、地にたたきつけどこへともなく流れていく。当たり前の光景だが、人を倦怠感に伴わせる。
一人の男が、わけもなく窓の外の雨模様を見ていた。彼は外の景色に何の感情も抱いていなかった。ただ目の前に移る光景が自分の心を反映していたから、しばらくの間夢うつつのまま見ていた。宮殿にいて彼がやれることなど、何もないのだから……
白いブラインドを通して見えるのは宮殿の中庭。今はだれもいない。晴れている日は庭師や召使が行き交いしているのだけれど。
ここは聖女が住まう宮殿。ただ主はいないから、形だけの場所だ。主がいないだけで、そこに住んでいた人々の価値に何の意味もない気がした。
特に彼は、聖女の護衛兵だったし夫であった。その地位は保証されたものだったが、聖女が死んでしまえば意味などなかった。護衛兵も夫もただの運によって転がり込んだもので、知らぬ間にまた転がり落ちて行ってしまった。
もともと彼は聖女の夫になるわけではなく、復讐を果たすべく旅をしていたのだ。その過程で聖女に偶然出会った。彼女は連れ去られようとしていた。そこを偶然通りかかった自分が助けた。それから淡い恋路を経て、待望の跡継ぎまで授かってしまった。男は気づけば聖女を愛していた。それが過ちだったとは思いたくない。だが彼女は敵の手にかかり死んでしまった。
仇は打たなければいけない。家族の仇、聖女の仇。あの卑劣で、邪な王に鉄槌を下さなければいけない。
気持ちはあった。だが仇討ちの旅は、想像以上に過酷だった。王とその支配する国は強大だった。ただ人の自分には到底一人では太刀打ちできないことを最愛の妻である聖女の死をもって知った。単に鍛錬すれば勝てる相手ではない。
敵の大いなる力に、打ち勝つにはどうしたらいいのか彼は道を見失っていた。だからこうして窓辺に寄り添い無力な自分を悲観的に卑下するしかなかった。
一日がまた終わるのだろうか?
いつまでもこうしてはいられない。何かをする必要はある。それはわかっている。だが、だが……
迷いは頭の中を反芻するが、いつも答えはない。
「流星」
男は自分の名を呼ばれて、うつろ気な瞳を外の景色から部屋の中に向ける。
視線の先に女がいた。細くて鋭い眉とそれ反して大きな瞳がある。でも、きゅっと眉間にしわが寄ると怒っているような感じになる。流星が知っている限り、女はいつも誰かをにらんでいる。口がきゅっと引き締まると誰も笑おうとしなくなる。
妙に暗い雰囲気を漂わせ、言葉で表現できない特徴を兼ね備えた女が、人知れず流星がいる小部屋にいる。
「暇そうね」
無機質な声が部屋に響く。相手を労わるわけでも、侮蔑するわけでもなく、女はただ思ったことを言っただけだ。
「何か?」
流星もそんなに明るい性質ではなかったから、似たような声色で返事をした。
「意味もなく生活する日々に嫌気は差さないのかしら?」
女が知ったような口を聞いて、彼に近づいた。
「守るべきものは守れず――仇も打てず――」
女は知ったような口を聞いているのではない。知っているのだ。
「無力さを痛感して、毎日をぼんやり過ごして」
そうだ、そうなのだ。
「己の脆さを憐れんでいるのね。自分自身で」
女はあえて伝えたいことを一気に言わないで要所で区切って言った。
「哀れで、救いがたいわね。あなたって……」
最後の言葉だけ、女は見下すような口調と視線をあえて流星に送ってきた。彼女はいつも最後に言いたいことをいう。もったいぶったような言い方だ。
「嫌味を言いに、わざわざ?」
当てつけに嫌な言い方を彼はしてみた。そのとたん、女はふっと笑いあきれ返ったような顔をする。
「聖女お抱えの聖剣士も地に落ちたわね。私があなたに嫌味を言うためだけにわざわざ来ると思う?」
「さあ。私はあなたではないので、わかりませんね」
流星はぶっきらぼうに言い返す。その反応を見て女は語気を強めた。
「じゃあ単刀直入に。チャンスを与えに来たのよ」
「チャンス? 何ですかそれ?」
「諸王の王である西王の命令よ。いいから顔を貸しなさい」
「西王の命令……」
西王、西王。彼はその言葉を聞いてふつふつと怒りをたぎらせた。
「この国の王である彼女があなたにチャンスを与えるって」
「結構。あの方のチャンスなど」
「そうはいかないわ。あなたがすべき使命を果たすには、必要な試練を通らないとね」
「試練とは何です?」
流星にはわからない。なぜそんなものを課せられるのか。
「来ればわかる」
「生憎だが私は聖剣士。王の僕ではなく、聖女直々の」
「いいの、そんなこと。聖女はいないのだもの。ならばすべての者は、諸王の王である西王の命に服すの」
「嫌だといえば?」
「なら私はあなたを殺す」
「殿下、本気か?」
「ええ。私は王の右に立つ者。今は戒厳令が引かれている。王命に服さないものは、誰であれ成敗できる。あなたが聖女の下部でも」
言葉に宿る魂はうそをつかないと思っていた。柄に手をかけたが、流星は話していた。今の自分では王たちに勝てない。なまくら刀では、王に一太刀も浴びせられないのだ。ましては目の間に立つ王――第二の王の力は計り知れない。
「で、何をすればいいと」
「さっきも言ったけど、来ればわかる」
行った先に何があるか知らない。だがここにいるよりはましだ。
「ではどこなりと」
流星は、ともに戦った女――夕美の後に付き従い部屋を出る。
一人の男が、わけもなく窓の外の雨模様を見ていた。彼は外の景色に何の感情も抱いていなかった。ただ目の前に移る光景が自分の心を反映していたから、しばらくの間夢うつつのまま見ていた。宮殿にいて彼がやれることなど、何もないのだから……
白いブラインドを通して見えるのは宮殿の中庭。今はだれもいない。晴れている日は庭師や召使が行き交いしているのだけれど。
ここは聖女が住まう宮殿。ただ主はいないから、形だけの場所だ。主がいないだけで、そこに住んでいた人々の価値に何の意味もない気がした。
特に彼は、聖女の護衛兵だったし夫であった。その地位は保証されたものだったが、聖女が死んでしまえば意味などなかった。護衛兵も夫もただの運によって転がり込んだもので、知らぬ間にまた転がり落ちて行ってしまった。
もともと彼は聖女の夫になるわけではなく、復讐を果たすべく旅をしていたのだ。その過程で聖女に偶然出会った。彼女は連れ去られようとしていた。そこを偶然通りかかった自分が助けた。それから淡い恋路を経て、待望の跡継ぎまで授かってしまった。男は気づけば聖女を愛していた。それが過ちだったとは思いたくない。だが彼女は敵の手にかかり死んでしまった。
仇は打たなければいけない。家族の仇、聖女の仇。あの卑劣で、邪な王に鉄槌を下さなければいけない。
気持ちはあった。だが仇討ちの旅は、想像以上に過酷だった。王とその支配する国は強大だった。ただ人の自分には到底一人では太刀打ちできないことを最愛の妻である聖女の死をもって知った。単に鍛錬すれば勝てる相手ではない。
敵の大いなる力に、打ち勝つにはどうしたらいいのか彼は道を見失っていた。だからこうして窓辺に寄り添い無力な自分を悲観的に卑下するしかなかった。
一日がまた終わるのだろうか?
いつまでもこうしてはいられない。何かをする必要はある。それはわかっている。だが、だが……
迷いは頭の中を反芻するが、いつも答えはない。
「流星」
男は自分の名を呼ばれて、うつろ気な瞳を外の景色から部屋の中に向ける。
視線の先に女がいた。細くて鋭い眉とそれ反して大きな瞳がある。でも、きゅっと眉間にしわが寄ると怒っているような感じになる。流星が知っている限り、女はいつも誰かをにらんでいる。口がきゅっと引き締まると誰も笑おうとしなくなる。
妙に暗い雰囲気を漂わせ、言葉で表現できない特徴を兼ね備えた女が、人知れず流星がいる小部屋にいる。
「暇そうね」
無機質な声が部屋に響く。相手を労わるわけでも、侮蔑するわけでもなく、女はただ思ったことを言っただけだ。
「何か?」
流星もそんなに明るい性質ではなかったから、似たような声色で返事をした。
「意味もなく生活する日々に嫌気は差さないのかしら?」
女が知ったような口を聞いて、彼に近づいた。
「守るべきものは守れず――仇も打てず――」
女は知ったような口を聞いているのではない。知っているのだ。
「無力さを痛感して、毎日をぼんやり過ごして」
そうだ、そうなのだ。
「己の脆さを憐れんでいるのね。自分自身で」
女はあえて伝えたいことを一気に言わないで要所で区切って言った。
「哀れで、救いがたいわね。あなたって……」
最後の言葉だけ、女は見下すような口調と視線をあえて流星に送ってきた。彼女はいつも最後に言いたいことをいう。もったいぶったような言い方だ。
「嫌味を言いに、わざわざ?」
当てつけに嫌な言い方を彼はしてみた。そのとたん、女はふっと笑いあきれ返ったような顔をする。
「聖女お抱えの聖剣士も地に落ちたわね。私があなたに嫌味を言うためだけにわざわざ来ると思う?」
「さあ。私はあなたではないので、わかりませんね」
流星はぶっきらぼうに言い返す。その反応を見て女は語気を強めた。
「じゃあ単刀直入に。チャンスを与えに来たのよ」
「チャンス? 何ですかそれ?」
「諸王の王である西王の命令よ。いいから顔を貸しなさい」
「西王の命令……」
西王、西王。彼はその言葉を聞いてふつふつと怒りをたぎらせた。
「この国の王である彼女があなたにチャンスを与えるって」
「結構。あの方のチャンスなど」
「そうはいかないわ。あなたがすべき使命を果たすには、必要な試練を通らないとね」
「試練とは何です?」
流星にはわからない。なぜそんなものを課せられるのか。
「来ればわかる」
「生憎だが私は聖剣士。王の僕ではなく、聖女直々の」
「いいの、そんなこと。聖女はいないのだもの。ならばすべての者は、諸王の王である西王の命に服すの」
「嫌だといえば?」
「なら私はあなたを殺す」
「殿下、本気か?」
「ええ。私は王の右に立つ者。今は戒厳令が引かれている。王命に服さないものは、誰であれ成敗できる。あなたが聖女の下部でも」
言葉に宿る魂はうそをつかないと思っていた。柄に手をかけたが、流星は話していた。今の自分では王たちに勝てない。なまくら刀では、王に一太刀も浴びせられないのだ。ましては目の間に立つ王――第二の王の力は計り知れない。
「で、何をすればいいと」
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