記憶にない思い出

平野耕一郎

文字の大きさ
21 / 51
記憶なき女Ⅱ 帰還

4

しおりを挟む
 夜更け。いつの間にか寝てしまった。理佐はベッドから起き上がる。トイレに行きたかった。コーヒーを飲んだからだろうか。尾坂詩織に勧められ食後の後も何度となく飲まされた。

 二階には部屋が三つある。理佐の部屋と空き部屋と、物置部屋だけ。トイレは一階のリビングの脇にあった。

 階下に降りるとひそひそと声が一階の廊下の向こうから聞こえてきた。木漏れ日のように室内の灯りが廊下に漏れていた。理佐は扉にそっと耳を寄せた。

「あなたも事故現場に行かせてどうするつもりだったの」

「無下に断るのも変だろう。別にあそこに行ったってなにもありゃしないだろ?」

「些細なことで感づかれたらどうするつもり?」

 ぼそぼそと話し込む二人の声を理佐は気づかれないよう耳を寄せて聞いていた。

「なあ、そろそろ止めにしよう。いずれあの子は記憶を思い出す。これ以上、目を付けられちゃ困るよ」

「今回は大丈夫。あの子は私たちの娘になるわ。これまでの出来損ないの娘と違ってね」

 細く差し込むドアの向こう側からの光に真実があることを知った。理佐は密かに自室に戻りベッドにもぐりこんだ。

 あの子は私たちの娘になる……

 理佐は何度もその言葉を繰り返した。

 どういう意味だろう。実の娘に対して使う言葉だろうか。いや違う。体が震えた。階を一つ隔てた場所で、夫妻は恐ろしいことを述べていた。

 気になったのは出来損ないの娘たちである。理佐以前に尾坂夫妻の娘だった者たちがいたのだろうか。

 尾坂理佐と呼ばれた自分は一体どこの誰だろうか?

 あまりショックはない。合ったのは疑惑だけだ。あの二人は自分をだましていた。気になるのは自分が恐ろしいまでに冷酷に物事を分析できていることだ。

 理佐は最初から二人を疑っていた。些細な表情の変化や言動を見逃さず人を疑うことをやめなかった。

 人が何かを考えるか先に読めるから別に驚くことはない。だから無理に誰とも人と打ち解けようとしない。

 戻ろう。理佐は感づかれないようにトイレに行って、自室に戻った。自分が理佐ではないのなら何者なのだろう。

 部屋に入ろうとした時、正面にある物置部屋が目に留まる。開かずの部屋。

 開けてはいけないと言われるほど、人は開けたくなるものだ。

 理佐はそっと物置部屋のドアノブを押す。中は物置らしく煩雑とした部屋だ。電気を付けたいが、下の二人に気づかれるのは良くない。

 足元は柔らかい感触がする。カーペットが引かれているのだろう。慎重に足を進める。手を前に伸ばすと固いものが当たった。

 気になったので、それが何か確かめる。理佐はしゃがみこんだ。

「……はさ、もっと自分のことを思い切って伝えていいの」

 新しい記憶の住人が現れて理佐に語り掛ける。

「どうして?」

 理佐は周りを見渡す。景色は学校の教室。自分の前に立って話しけている人物は誰にも優しい少女。クラスでも評判だった。

「だって友達でしょ。うちら、名前が一緒だから。何でも言ってよ」

「あなたは誰? 誰なの?」

 その人物は笑顔のまま消えていく。

 視界は闇夜に戻る。目が少し慣れてきた。物置にはラックが一つ。

 パッケージが複数個ほど積まれている。目の前にあるのはスーツケースだった。

 旅行用だろうか。

 いや。理佐の記憶が広がる。

「そうだな。体の傷を治して落ち着いたら、どこか旅行にでも行こう。思い切って海外にでも」

「あなた、バカなこと言わないで。こんな状況なのに行けるわけがないでしょ?」

 詩織と誠の会話からして最近旅行に行っていない。あのウィルスの影響で旅行は下火になっている時世なのだ。スーツケースは必要ではない。ただ……

 現に何のために目の前にスーツケースはあるのだ。

 ちょうど人が入りそうな……

 体が震えた。旅行用ではないなら不要なものが入っているのだろうか。あの言葉。これまでの出来損ないの娘。

 いったんスーツケースを持ち上げようとした。だが、想像以上に重くあきらめた。中にはかなり重いものがあるようだ。

 意を決し理佐はスーツケースのファスナーに手をかける。ゆっくりと慎重に開けていく。単なる不要物ならいい。

 理佐は少しだけ開けて人差し指を入れてみる。グニャリとした組のような触感がして気色悪かった。

 一体何が。

 理佐は試しに中のにおいを嗅いでみた。

 とたんに卵が腐ったような激しい臭いが鼻を突いた。生理的嫌悪感をかき立てる。手に何かが絡まっていた。それは髪の毛だった。理佐は急いでスーツケースのファスナーを閉じて、手を払った。

 胃の奥底から吐き気がした。予想は当たった。理佐は部屋を出て自室に戻り布団にくるまった。

 あれは何だ?

 臭いという次元の話ではない。この世にはあってはならない臭いだ。死者の臭いというべきか。理佐はゲホゲホとむせていた。

 開けてはいけないのには確かに理由があった。

 この家は危険だ。何気ない平凡な家から漂う不快感の原因がわかった。

 あなたは私に警告してくれたの?

 スーツケースの中にいたのはあなたなの?

 疑問が止むことはなく理佐の頭をずっとさまよい続けていた。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

25年目の真実

yuzu
ミステリー
結婚して25年。娘1人、夫婦2人の3人家族で幸せ……の筈だった。 明かされた真実に戸惑いながらも、愛を取り戻す夫婦の話。

剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末

松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰 第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。 本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。 2025年11月28書籍刊行。 なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。 酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

処理中です...