ゆめうつつ

平野耕一郎

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第二章 復讐

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 記録十四
 日付:二〇二三年六月十六日
 時刻:午後二時五十五分
 場所:東京都墨田区緑三丁目キャリオール五〇二号室のダイニング

 曖昧な記憶など当てにはならない。忘れないように日付、時刻を克明に残す。
 記憶とは違う。分かっていない人は多そうだ。
 記憶は願望に過ぎない。主観に惑わされて、実際の出来事が変わってしまい何だか分からなくなる。
 記録とは何だ。
 紛れもない事実である。起こった出来事を採取し、忠実に再現する標本だ。
 始めようか。復讐という名の採取を。
 私の計画は大詰めを迎えようとしている。スクラッチブックはだいぶ薄くなった。復讐した人物の経緯はバインダーに移している。
 最後の標的は吉森さとみ。今を騒がせている芸能人だ。養護施設で過ごしたもので、最も成功している人物だ。復讐に費やした二十年で四人はそれなりの地位を収めていて、さぞ落としがいがあった。
 テレビを付けよう。私はロッキングチェアから立ち上がった。
 ダイニングにあるテレビを付ける。ニュースを見る。日売テレビでは政治家の汚職に関する問題を取り上げ、相変わらずコメンテーターが舌鋒鋭く批判を飛ばしている。
「これは大学側の怠慢ですよ。まるで成っていませんよ」
 スポーツ系の大学での大麻問題は散々とコメンテーターたちの餌食になっていた。よくも回る舌だ。
 下らない。こいつらは当事者ではない。どこか他人事のように話す口ぶりを聞いていると吐き気が催される。ただ今日は復讐の件が関わってくるから仕方なくテレビを付けている。
「確か午後三時に中継だった、よな?」
 私はカシオの時計の針を眺めていた。今かと焦りが生じる。
隣にいた優里は静かにうなずいた。
「焦っても時間の流れは変わらないよ」
 三、二、一。
 ピロンと音がして、画面下にテロップが表示された。
「速報! 女優の吉森さとみの自宅に執行官が子どもの引き渡しために立ち入り!」
 きた。速報中継ともあり、MCの表情にも真剣みが増す。
「こちら中継です」
 さすがに中にカメラは入れないか。
「こっちの動画のほうが面白いかもよ」
 優里は白い手に持った自分のスマホの画面を見せて、イヤフォンの片方を私の耳にかける。画面に映っていたのは吉森さとみだった。
 優里と私はさとみが密かに住んでいるマンションを突き止めていた。自宅ではおらず、交際している愛人のマンションにいるらしい。
 優里がハウスキーパに扮して部屋に盗聴器を仕込んだ。この間、さとみは浮気相手と一夜を共にしている様子を掴み週刊誌にリークしていた。
「どちら様ですか?」
「吉森さとみさんですね。」
 黒いスーツ姿の三人の執行官が玄関口でやり取りしている。無表情でいかにも行政の人間な印象が強い。
「お引き取りください」
「私たちは裁判所から参りました。吉森さんには保全命令が出ています。お子さんを速やかにお引渡しください」
「返すわけがないでしょ! 帰ってよ!」
「吉森さん、お気持ちはわかります。ただ裁判所の命令には従っていただきたい」
 ここで返さない場合、執行官は強制措置に取る。
「さとみ! 中にいるんだろ! ここを開けてくれ!}
「裕二。どういうつもりなの。どうして……」
 夫婦のご対面だ。修羅場になるだろう。
 民事執行法第百七十五条によれば、債権者は執行場所に立ち会う必要がある。今回のケースだと、離婚裁判を起こしている夫が請求権を持つ債権者で、不倫をした妻の吉森さとみが債務者となる。今回の請求は何かというと子どもの引き渡しである。
 さとみに対して、保全命令が出されている。これは子どもを旦那の元へ返すよう仮処分の命令を指している。さとみは従わずにいたから、本日のように強制執行がされていた。
「やめて! まだ一歳なのよ! どうするつもりなの!」
「この子は自宅に連れ返すんだ。君こそこんな真似を! 恥を知れ!」
 執行官は夫婦の激情など知らず粛々と対処を執り行う。
「以上で私どもの業務は終了です」
 ふうと私は息を吐き、自宅のソファに座り込む。
「だいぶ音声は綺麗に入っているでしょ。長かったね。乾杯でもしちゃう?」
「待って」
 私は立ち上がり、冷蔵庫に入っていた水をコップに注いで飲んだ。
「大切なものを奪われたどん底に陥ったさとみの顔を直で見たい」
「性格悪いねー」
「俺のやっていることなんてあいつらがしたことに比べたらたいしたことないだろ?」
「買い物に行ってくるかな」
「正夢が料理。珍しい」
「手伝ってくれたお礼だ。すき焼きにしよう」
「わーい」
 にかっと優里は白い歯を見せて笑った。いつの間にか歯はホワイトニングをしたのか白くなっていた。
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