ゆめうつつ

平野耕一郎

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第二章 復讐

14

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 再会
 
 世界、夢。
 私は夢をさまよう放浪者。
 なぜそう言い切れる?
 現実と夢の境を確かめたからだ。私は右手を見るが、何の痕もない。現実世界なら私の右手の指は刺し傷であふれているはず。だが、今は何の傷跡もない。
 試しに左手で持っていた爪楊枝で右の人差し指を刺してみる。
 プクリと鮮血が湧いてくるが、痛みはない。
 私がこう名付ける。私は夢の世界線にいると。
 誰も知らないだろう。本来、世界線とは「零次元幾何を持つ点粒子の時空上の軌跡」を言うらしい。私は意味が分からず、深く調べもせず別の作業を始めた。
 世界線という言葉自体は恰好がいいが、その意味はいただけない。
 線とあるなら、世界を定義する線とすべきではないか。私はそう思い、世界線の意味を勝手に定義し、夢の世界線という言葉を作った。
 夢世界のアウトライン、いわば設計図という意味だ。
 夢にこだわる意図として、私は過去のトラウマを払しょくするために大量の睡眠薬の摂取をする。その副作用で意識を失い、よく夢落ちをする。
 何度も繰り返すうちに、私は感性に導かれ夢を定義できるようになった。いつだって心を表すのは夢なのだ。
 深い夢に落ちたか。大丈夫だ。何度も経験している。確か五回目だ。
 私は腰に手を当て、あたりを見渡す。
 自分は今どこの世界にいる?  
 自分は何をしている?
 立ち位置を知り、状況を分析する。
 夢の世界に落ちたとき、まず5W1hで世界線を認識する。
 私の場合は奈々との思い出を元にした願望や両親たちとの過ごした日々を想起する夢が多い。夢に出てくるのは奈々や両親がほとんどだ。
 あたりを見渡すと、ここはコンビニだ。
 自分はコンビニ店員になっている。
 私の世界線では、私は社会人一年目。ここは三鷹市の連雀通りにあるローソン。ここでのアルバイト経歴は半年間である。私にしてはまずまずの長さである。
 ドンッとレジに酒瓶と冷製パスタが乱雑に置かれた。ちらりと見たが大きなサングラスをしている。色は茶髪。肌は小麦色。日焼けサロンで焼いているのだろう。
 障害を持っている私に与えられた正社員の椅子はなかった。だからこうして人の出入りが深夜帯にコンビニに出向いて、安月給の中で働かされている。
 音が鳴った。入店時に流れる効果音だ。私は楽をしてお金を稼ぎたかったから鳴らないことを願っていた。
「よろしく」
 私は客と目を意識的に合わせないようにしている。
 深夜帯は変な客が来る時が多く、因縁を付けられる。私のようなものは他人の目を気にしながら生きている。
 目の前の客は少々高めの通った声だったが、奈々だが就職活動中だから髪を染めたはずだった。
 夢の世界だから何でもありだ。
「アルバイト先には来るなって言っただろ?」
 働いている姿を私は親しい人に見せたくない。定職に就かずプラプラしているフリーターのさまを見られたくはない。
「だって何も食べていないんだよ。しょうがないでしょ。ここのコンビニ近いんだし」
 視線を合わせた。ざっと顔と手先を疑り深く見て、相手が奈々ではないと気づいた。危ういところだった。
 よく似ているが、全く違う。
 夢の世界で気づいたところで何の意味がない。
「お前……」
「あれれ。気づくのが遅くない? 元気?」
 相手の正体に気づいた時、私は目を逸らして会話を絶つ。
この女とは関わらないと決めていた。私が歩んできた人生の足跡から最も消したい存在だった。
「聞こえている?」
 女は私の目の前で手を振る。嫌な素振りをしてくれる。
「勤務中だ」
 私はなおも関わらないよう取り繕う。女は停止している隣のレジから乗り越えてきて、私に近寄り、あろうことか股間を握り締める。
 変な汗が噴き出してきた。痛みすらコントロールできる私の夢世界で、激しい苦痛が全身に伝達される。
「無視するなよ。ヘタレ野郎が」
「頼むから帰ってくれ」
 この女は冷奈。奈々と同じ顔をしているが、全くの別人だ。
「客に示す態度かよ。彼氏でもないくせに気安く名前で呼ぶな、ボケ」
 グリグリと私のスニーカーをヒールで押しつける。激しい痛みに私はこらえきれずに足をどかそうとした。
 冷奈はその名の通り意地汚く、他者への思いやりなど露ほどもない。奈々が天使なら、冷奈は悪魔だ。姉妹で性格が真反対と言い切れるほど対照的だ。
 外見はともかくとして、どうしてここまで違うのか理解できない。生まれ育った環境は一緒なのに何が二人を分け隔てたのだろう。
 どんな仕事をしているのか知らないし、身なりからしても興味もないがロクな仕事はしていなそうだ。
「何の用だ?」
「たまたまコンビニに入ったら、あんたがいたから声かけただけだよ」
 この性悪女は何かがあってコンビニに来たに違いない。
「遊んでやるよ。それにあんたたちに色々やってほしいことがある」
「お前の頼みなんて聞かない。顔を見せないでくれ」
「聞くさ。あんたの症状は知っている。あんたも奈々も私の駒だからな」
 冷奈はツンツンと長い人差し指で茶髪色の頭を指していた。
「ここはお前の夢の中だ。でも私からは逃げられはしない。お前は私の奴隷だ」
 頭頂部から足のつま先に至るまで気に入らない女だ。悠々と買ったものを入れたビニール袋を引っ提げて出て行く。
 レイナが夢に出てくるとは厄介だ。私の精神衛生がよろしくない証拠だ。現実世界でホットミルクを飲んで私は意識を失った。
 とても気になる。
 どのタイミングで奈々と入れ替わったのか。
 右手にある傷かあるかないかで、私は二人の区別を付けている。見抜けなくなるほど私の認知機能に支障をきたしている。
 しばらく静寂が続いた。自分の中の世界だから当然だ。ならばこのコンビニは深層心理を表しているもので、人の出入りも自由にできるはず。
 音が鳴った。どうやら複数人の乱入者が入るのは脳が記憶を整理しているのだろう。
「正夢じゃないか」
 おっと。父が出てきた。
 樫谷不動産会社の社長。全国に土地を持つ資産家。それが父の顔だった。長野県北安曇白馬村に三階建ての白い無地の洋館を自宅として持っていた。父の教育の精神は独立独歩で、都会の便利さを遠ざけ、己の体感をもって学ぶ姿勢を私や妹の五月に育ませていた。
 その兆候が分かるのが夏休みの期間中には登山である。父は私や五月を置いて足早に山頂を目指す。おりしも山の天候は変わりやすい。私たちは濃霧の中で道と父を見失った。
「パパはどこに行ったの?」
 妹が不安がっている。ここで二人がはぐれたらまずい。私は十三歳の知恵を振り絞り、脱却を図る。
 まず遭難した場合は、むやみに下山してはいけない。降りた先は崖かもしれないし、本物の野獣に出くわす可能性がある。
 登るしかない。山頂に近づけば見晴らしがよくなり、登山道に出る可能性が高い。
「足痛い」
 妹が駄々をこねた。
 登山道は外れていない。用意していたコンパスで方角が分かれば切り抜けられる。私は妹を背負って山頂を目指した。
 このときの生存は奇跡と言っていい。私たちを置き去りにした父は悠々と山頂でブルーマウンテンを飲んでいた。
 これのどこが独立独歩への道かわからなかった。
 父はよく私に語りかける。
「正夢、お前は恵まれた人間だ。だがな、それは運が良かったからだよ。それを鼻にかけて自慢してはいけない。世の中には両親がいない子もいる。よく覚えておきなさい」
事あるごとに父はもっともらしい言葉で私をよく諭していた。
「父さんが来るなんて。どうしたの?」
「ネクタイが曲がっているぞ」
 私が直すより先に父が直してしまった。
「何か買うのかい?」
「いや会いに来たそれだけだ」
「コンビニから何か買っていけよ」
「ここがどこだかお前は分かっていないのか?」
「知っているよ。ここは僕の作り上げた夢だ」
「お前は想像力が豊かな子だ。やはり都会から離れた場所で育てたかいがあった。立派になったものだよ」
「おだてに来たのかい。これだけしっかり夢を見ているわけだ。現実ではすっかり意識がない状態だよ」
 コンビニは思い出、客は私に影響を与えた人たちが訪れる。
 父は私の夢の世界だと気づいている。父が出てきたわけは私を正しい場所へ導こうとしているのか。
「さっき冷奈がきた」
 父は何も答えなかった。
「冷奈は私を恨んでいる。あんなことをしたから当然だけどね」
「お前があの子に何をしたのか知らないが、人は誰しも過ちを犯すものだ。私も、お前も業を背負っている」
「業?」
「背負うべき宿命と言い換えれば分からないか?」
 私が背負うべきもの。
「父さん。地下室でレイナに……」
「お前には済まない。私の癖はいわば他者に許容できるものではない。とても所帯を持った者がするべきではない。これが私の業だ」
 何をいけしゃあしゃあと自分のロリコン趣味を告白している?
「気持ち悪いよ。あんた、俺の父親だろ。何を言っているんだよ?」
「だから私は報いを受けた。次はお前が自らの業と戦う番だ」
「ふざけるな! あんたの行いが原因だろう!」
父の残した禍根は私に降りかかった。火の粉はどうしても覆いかぶさった本人が振り払うしかない。
「ぼくの業って何だ?」
 清く正しく生きていたつもりだ。私は父の生き方を尊敬して、そぐわないことはしていないのに。
「私はきちんと伝えていなかった。私がお前に言い続けてきたことは、ある種の指針だ。お前に背負った業は自分で決めるんだ」
 父の言葉。貧しき者への愛情、決して傲慢にならない戒め。
「ぼくは家族を殺された。連中に制裁を下した。復讐こそが使命だと思ったし、業なのかもしれない」
「かもしれない。お前が望むべき過程で達成したいもの。それが業だ」
 私は目を閉じて考えてみる。迷いが残る。一度諦めかけていた復讐を再開した。それも達成した自分の業とは何か。
「父さん」
 目を開けてあたりを見渡す。父は消えていた。都合がいい男だ。もう現れてないでほしい。過去の亡霊は過去のかなたに埋もれてほしい。
 そろそろ帰ろうか。
 帰り支度を始めたとき、予期せぬ三人目が現れた。知らない顔だった。年は二十代前半。学生だろう。
「こんばんは。お仕事はどう?」
 気さくに話しかけてきた女の子に驚きはしたが、自然と警戒感は湧かない。
「どちら様?」
 誰だろう。懐かしい気持ちが湧いてくる。
「どこかで君と会った?」
「お兄ちゃん。わからない?」
 まじまじと私は女の子の顔を見てみた。やはり知っている顔だ。逆三角形の顔、尖ったあごと、笑った時に薄っすらとみえる八重歯。
「五月なのか? でもどうして?」
 私の妹の人生は七歳で止まっている。あり得ない光景だ。五月が夢に出ることはあるが、
成長した姿ではない。
 どういうことだ?
 何かが変わろうとしている。ただ不快ではない。ならばいいだろう。この夢物語を見届けてやろう。私が始めた世界だ。最後まで確認する義務がある。
「ここはお兄ちゃんの意識の世界。今の私は成長したらこうなるというイメージだよ」
 五月はコンビニ内を見渡している。
「助けられなくて」
 私は言葉を失った。
 あのとき燃え盛る炎の中から身を挺して助けていれば、イメージではなく現実に成長した姿を見られたのに……大人になって幸せな人生を送れたかもしれないというのに……
 涙が川のようになって止まらない。こうも情けない兄が生き残ってしまったことに何の
意義あるというのか。神はなぜ私を生かしたのだろう。そもそも神などというものが存在するのだろうか。
「お兄ちゃんこそ大丈夫なの? 夢の中にいつまでも居ちゃだめだよ」
「俺は平気だ。いずれ現実に戻る。必ず仇は取ってやるから」
「奈々さんと幸せになってよ」
「俺はどうしても……」
「過去に囚われていたら、大切なものがいなくなっちゃうかもよ」
 妹はそう言って「ばいばい」と手を振って行ってしまった。
 今の私の心には悔恨という名の雨が降っていて、私の道を濡らしている。油断をすれば足を滑らしてしまう。

(変身に続く)
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